2月28日
以前から気になっていたハスチョロー監督の『胡同の理髪師(剃頭匠)』(2006年)をDVDで。
奇をてらわず、しっかりとした骨格に支えられた爽やかな作品。
都市北京の現在の光と影が、声高にではなく終始静かなユーモアをもってひとつひとつ丁寧に拾い上げられている。
主演した93歳の素人俳優チン・クイの簡素、的確な剃刀さばき(彼は本業の剃頭匠)にほれぼれ。
老いは悲哀ではなくどこまでも平常。
2月27日
井波律子『奇人と異才の中国史』(岩波新書)。
孔子から魯迅まで、中国古代から近代まで、中国の思想家、文人、芸術家、武人、政治家、皇帝などなど五十六人の、簡にして要を得た(ひとり、新書三頁)カタログ。
巻末の参考文献目録が、初心者にもわかりやすい道案内になっているところがうれしい。
懸案の山東京伝全集とともに、ここにある三百余冊と遊び戯れているうち、時は瞬く間に過ぎていくだろう。
半里も行ければ、大満足ね。
2月26日
『赤と黒と無知』と『缶詰族』。
目下、稽古中の劇場創造アカデミー修了上演レパートリーのタイトルだ。
この二作に『大平和(Great Peace)』を加えた、イギリスの劇作家エドワード・ボンドの『戦争戯曲集』三部作上演のための最初のこころみ。
三部作全体では六時間余(おそらく)のうちの二時間半分ほどが、今回の上演。
にしても、道はけわしく頂ははるか。
2月25日
午前中、税務署その他三カ所の相談センターの助けを借りて、個人認証カードのトラブル、ようやく解決。
自宅PCより、確定申告無事提出。
やれやれ。
アカデミー修了上演そのほか、三月の過密スケジュールを考えて、例年より二週間ほど早くとの目論見はなんとか達成。
納めた税の行方を見れば、相も変わらず、得体の知れぬ靄の彼方。
2月24日
神楽坂の黒テント作業場で、アカデミー修了上演の衣装選び。
プロダクションマネージャーの鈴木章友さん、研修生の演出班三人とともに小一時間。
貧乏劇団ではあるけれど、整理され、棚いっぱいに積み上げられた衣装箱は、自分たちの手跡の残るかけがえのない宝の山。
まずまずの収穫を得て、三階稽古場で、黒テント演劇ワークショップの卒業公演の稽古を覗く。
演出中の斎藤晴彦さんと休憩時間に二言、三言。
2月23日
劇場創造アカデミー、2期生の成果発表会がはじまる。
五組にわかれて、昨年の暮れから二カ月間取り組んできた、45分~15分のパフォーマンス。
成果発表をうたってはいるが、過程で取り交わされた研修生同士の対話の積み重ねが、実はもっとも重要な課題。
的確な発言と、きちんと耳を傾け他人の言葉を理解する力と。
演劇をめぐる言説の洗練をさらに。
2月22日
過日、ドキュメンタリー・フェスティバル会場で購入した、森達也『A3』(集英社インターナショナル)読了。
映像作品『A』『A2』につづく、森さんの「オーム」ドキュメント三作目。
なぜ人びとは、麻原彰晃を究極の絶対悪として断罪し、かつまた完全なる過去に忘れ去ろうとするのか。
ゆるぎのないドキュメンタリストの視線が、サリン以後、次第に「オーム」化する社会の様相を丹念にあぶり出す。
現在進行形の(理由がわからないままの)「それ」への戦慄。
2月21日
確定申告の書類づくり。
昨年から導入したe-Taxなる電子申告。
すっかり手順を忘れていて、行きつ戻りつ、かてて加えて足下の危うい千鳥足作業。
それでも、すべてが自宅テーブルで片づくのは、まあ、有り難い。
……はずが、最後のカード認証がどうしても受け付けてもらえず、明日に持ち越し。
2月20日
『学校という劇場から-演劇教育とワークショップ-』(論創社)出版。
2000年から九年間つとめた東京学芸大学の後半三年間、院生、卒業生とつづけた研究ゼミの成果をまとめた。
表紙にある「佐藤 信、編」表記がいささか面映い。
コーディネーター、企画者あたりが順当なところ。
それでも、とにもかくにも思い通りの卒業式をはたしたという安堵と満足感に、小さくガッツポーズ。
2月19日
終日、座・高円寺。
劇場前の広場で月一回開催している「座の市」、今日のテーマは高円寺のカレー、五種類の食べ比べ。
市の名物、格安マンゴーを購入後、キーマカレーとスペアリブカレーで昼食。
アカデミー修了上演稽古の合間、事務所のモニターで開催中の「座・高円寺寄席」一日目の様子を覗く。
本日のトリ古今亭志ん輔さんの『幾代餅』長講にしみじみ聞きほれる。
2月18日
公文協(全国公立文化施設協会)アートマネージメント研修会で講演。
公共文化施設は劇場であること。
しかしてその劇場は、現在論議されている「劇場法」にある劇場とは少しく概念を異にするということ。
地域の劇場の現在の活動や情報を、楽しい物語として伝えあう必要性……
などなど、直喩、暗喩を取り混ぜて九十分(実際は、十分オーバーの百分)。
2月17日
合体演出家(イクタ ト サトウ)の稽古場、俳優、スタッフたちはどんな感じなんだろう。
稽古二日目、早くも半身(イクタ)のフェアで真摯な反撃が二発、三発。
演出席での議論を前に、あっけにとられているのか、面白がっているのか。
こちらの半身(サトウ)にとっては、自分の方法論をビシバシ鍛える絶好のチャンス。
さらにもうひとり、さとうこうじさんの虎視眈々たる気配も。
2月16日
劇場創造アカデミー修了上演、第二期稽古開始。
賛助出演のさとうこうじさんの鮮やかなスタートダッシュに、稽古場の雰囲気が一瞬にして引き締まる。
我が儘、かつ贅沢な芝居づくりを、参加者全員の共感の上に築きたい。
当たり前のことを当たり前に。
当たり前でないことも当たり前に。
2月15日
玄関掃除用のプラスチック製塵取りで雪かき。
お向かいさんが親切に声をかけてくれて、道路をはさんだ反対側の日溜まりに雪を運ぶ。
道具がこぶりのせいもあって、三十分ほどの作業。
体の芯がぽかぽかと気持ちよく暖まった。
とかなんとか、豪雪の苦労を知らぬ都会者の太平楽。
2月14日
劇場創造アカデミー修了上演稽古、第一期目の中間発表。
翻訳の近藤弘幸さんはじめ、座・高円寺の協力スタッフ、賛助出演のさとうこうじさんらの前で、約一カ月間の成果のお披露目。
第一部を担当した生田萬さん、第二部を担当したぼくと、おそらくもっとも緊張した二人であったはず。
明後日からの第二期稽古では、このふたりが合体。
新人演出家「イクタ ト サトウ」がいよいよデビュー。
2月13日
座・高円寺1で上演中の、別役実『マッチ売りの少女』(松本修演出/MODE)観劇。
座・高円寺2の第二回座・高円寺ドキュメンタリー・フェスティバル会場へ。
「≒1969」と題された今年の催しの最終日。
四十年前の田原総一郎作品と、田原さん自身の客席との一問一答を聞いたあと、コンペティション部門の公開審査会に参加。
審査委員長の田原さんはじめ、吉岡忍さん、森達也さんなど、五人のドキュメンタリー、ノンフィクションの達人との真っ向勝負に冷汗三斗、満身創痍。
2月12日
渋谷南平台のギャラリーTOMで、知人のホセイン・ゴルバの展覧会。
ゴルバはイタリアで学んだイラン出身の美術家。
十三年前、来日したばかりの彼が精力的に取り組んでいた「アジア・フロント」プロジェクトを通して知り合った。
視力障害者のための美術館TOM設立者へのオマージュと銘打たれた新作の、白木の板にナイフを使って繊細に掘り起こされた点字の般若心経など、ゴルバらしい精神世界への直感的なアプローチが美しい。
「ナン」と題されたこの展覧会のためにゴルバ自身が焼いたパンを、一切れ噛みしめる。
2月11日
座・高円寺で開催中の「第二回ドキュメンタリー・フェスティバル」三日目。
宮沢章夫セレクション、『ねじ式映画 私は女優?』(監督:岩佐寿弥)をみる。
画面の中にいる四十三年前の自分や仲間たちとの再会は、予想していた懐かしさや気恥ずかしさやとは違う、ちょっと身の引き締まるような不思議な感覚。
休憩時間、宮沢さんとのトークセッションに出演の岩佐さんと握手。
上映修了後、客席にいた女優の渡辺真紀子さん、作家・演出家・女優の前川麻子さんらを誘い、劇場二階のカフェでお喋り。
2月10日
演劇にかかわるようになった二十代のはじめから、劇場は自分の棲家だった。
生まれながらの棲家のように思っていた。
いま、「劇場法」の喧しい風評や論議の渦中にあって、その劇場がにわかによそよそしく感じられるのは何故だろう。
……所詮は人なのに。
人がつくり出した不条理な衝動のあらわれのはずなのに。
2月9日
自分の手が届く、さらにその先への眼差し。
その眼差しが表現の品格をかたちづくる。
言葉ではない。
たたずまいとしての他者への眼差し。
底知れぬ「傲慢」の時代を逃れて。
2月8日
劇場創造アカデミー修了上演稽古。
14日の中間発表に向けて通し稽古一回。
「劇のかたちづくり」のための基礎作業がつづく。
この段階で、既にこころひかれる空間が二、三垣間見られた。
よし、このままあと三歩。
2月7日
劇場創造アカデミー修了上演稽古。
第一期目、担当分はあと二日。
予想とは違った出来上がりだが進捗は順調。
さて、第二期プランだ。
先頭で旗を振るのではなく、俳優の半歩後ろを固める稽古場へ。
2月6日
長谷川孝治さんたちとの会話で、あらためて一極集中の東京と地域の関係を考える。
もし年齢的な余裕があれば、次の取り組み主題はおそらくそれ。
トウキョウ演劇ではない東京「地方」演劇の視点と、その視点からの情報収集、ネットワークづくりの可能性と。
以前からダニー・ユンがデザインしていた、国境を超える都市間ネットワークも考え方のひとつ。
三年間の「能と昆劇交流プログラム」が終わったあと、ぶらりふらり行脚への夢がふくらむ(松尾芭蕉かい)。
2月5日
長久手文化の家主催、『劇王』ゲスト審査員。
二十分の舞台六本が、「劇王」チャンピョンベルトを目指して競い合う。
初日、予選を勝ち抜いた二作品が、二日目、現チャンピョンと巴戦。
発案者、日本劇作家協会東海支部長佃典彦さんの面目躍如たる痛快、かつ内容ゆたかな催し。
ゲスト審査員として同席した北九州「飛ぶ劇場」の泊篤志さん、青森「弘前劇場」長谷川孝治さんたちとの出会いも大きな収穫。
2月4日
座・高円寺ドキュメンタリー・フェスティバル、コンペティション部門の選考。
演劇と違って映像は、カメラを目とする観察者と断片をつなぐ「語り手」と、つまり見えない作家個人の存在をいつも意識しないではいられない。
ドキュメンタリーとなると、その傾向はさらに強まり、しかも最近はそれを逆手にとったかのような「私語」風なつくりが流行のようだ。
取り上げられている対象よりも、その対象に向けられた作家の視線と「こと」の切り取り方の手つきのほうが気になって仕方がない。
「何を撮るか」ではなく、「何故撮るか」という自問が欲しい。
2月3日
終日、自宅作業。
書類作成の合間、息抜きに、昨日飾った雛人形の小道具づくり。
内裏の笏(工作用紙を切り抜き色鉛筆で彩色)、五人囃子の笛(楊枝に彩色後、ボンドをかけてつや出し)、太鼓鉢(工作用細木をカット)。
ピンセットと面相筆の作業が楽しい。
ついでに、書道入門の教則本をかたわらに、墨をすり、「一」の字を百回。
2月2日
『草枕』を五十頁ほど読んだところで、これは今度どこかへ旅行へ出かけた時の読み物にしよう、と、気づく。
『こころ』『門』に描かれている、本郷あたりを起点とする明治の東京の風景は、読書の場である西荻窪駅から乗り込む中央線の延長線上にたしかに存在する。
携帯という生活道具の現在のポジションとともに、そんなこともi-Phone読書が醸しだす「生々しさ」の要員のひとつかもな、と。
ということで、『草枕』はしばしお預けにして、『明暗』にとりかかる。
この切り換えにたった十秒という素早さが、「便利」というか何というか、ふむ。
2月1日
『こころ』『門』『草枕』と、携帯読書(青空文庫)が進んでいる。
劇場やらその他の場所への行き帰り、電車とバスの車中に限ってのことで、平均すれば一日一時間には満たない。
それほどの体験で、あまり確実なことではないが、書物を媒介にしない携帯読書に、なにか独特な作者との間合いを感じている。
肩肘張った構えがない分のこころやすさと、直接的に言語が立ち上がってくるような生々しさと。
夏目漱石という人物が、自分とそう隔たりのない時空にたしかに存在するという手触り。