12月31日
鈴木俊幸『江戸の本づくし-黄表紙で読む江戸の出版事情』(平凡社新書)。
山東京伝の黄表紙『御存知商売物』についての、微に入り細を穿つ解題書。
なるほど黄表紙はこう読むのかと、頁を繰る度に、目から鱗がはらりほろり。
それにしても、と、晩年の楽しみにしてある京伝読みの難しさも教えられた。
黄表紙をはじめ草紙類が、なべて江戸の正月を寿ぐ景物であったのを巻末で知り、大晦日にまんざらふさわしくない読書でもなかったような。
12月30日
劇場創造アカデミーⅡ期生修了上演『缶詰族』準備。
今年は、正確なテキスト「読み」を目標とした昨年とは少しく異なったアプローチ。
もちろんその前提には、Ⅰ期生とともに苦労した昨年なりの成果がある。
ようやくとらえかけている言葉を、今回は、今日ただ今の声と体に大胆に移し変えてみる。
演出補、樋口ミユのノートを元に、まずはそのための「世界定め」を思案。
12月29日
過密日程から解放されているはずが、返って何か追い立てられているような気分。
日々の忙しさにかこつけて放っておいたさまざまが、一斉に思い出されるせい。
読まなければならない本、まとめなければならない考え、整理しておかなければならない物やことの数々。
思い切り取り散らかった周囲を、薄目をあけて恐る恐る見回してみる。
ただし、「reset」はしない……絶対に。
12月28日
斎藤憐さんのことを考える。
もっとも近くにいた演劇的友人のひとり。
何故、そう思うのだろう?
ここにしか居場所がない……というレンの切実さ。
たかが演劇、されど演劇……というおのれの>晦との近さ、遠さ。
12月27日
今日から、年末年始休暇。
いろいろあった年だった。
例年通りの山籠もりだが、肩の力を抜いてほっとひと息というよりは、ウルトラマラソンの途中、足を止めてこれからのルートを見定めているような気分。
近しい肉親の相次いでの死はひとつの「指標」の喪失、「3.11」は自分の立ち位置のリアルな様相についての再認識……その他、いろいろ。
目前の『缶詰族』(劇場創造アカデミーⅡ期生修了上演)、秋の『霊戯』(座・高円寺/能、昆劇交流プロジェクト)という中継点を目指して。
12月26日
ピアノと物語、本日のマチネで千穐楽。
カフェ「アンリ・ファーブル」で簡単な打ち上げ。
キャスト、スタッフともども、それぞれに感触を得た充実した表情。
終わって、アカデミーⅡ期生修了上演の稽古。
劇場のさまざまが、目立たないが確実に、しっかりとした<かたち>として定着しはじめている。
12月25日
ピアノと物語『ジョルジュ』(渡辺美佐子組)、初日。
終わって、「斎藤憐さんを偲ぶ会」。
三百人を大きく上回る参会者とともに三時間余。
劇場スタッフ、アカデミー二期生が全員で裏方を支えてくれた。
憐さんとともに立ち上げた劇場を誇らしく。
12月24日
ピアノと物語、今日から『ジョルジュ』(竹下組)に演目変更。
午前中の簡単な場当たり後、マチネ、ソワレの二回公演。
客席はほぼ満員。
座・高円寺の年末レパートリーとして定着を期待。
夜、鴎座フリンジ、『浄化。』を観劇。
12月23日
朝、青梅街道脇の舗道は、銀杏の落ち葉で黄金色の分厚い絨毯。
家からバス停まで、優雅な気分でのんびり歩く。
高円寺駅を降りると、今度は、突風に舞う落ち葉の見事なパフォーマンス。
遅れに遅れた落葉の衆のクリスマスプレゼントに感謝。
放射能の心配には、いっとき目をつぶって。
12月22日
ピアノと物語、はじまる。
今日と明日は『アメリカンラプソディ』。
レパートリーをもっている劇場の楽しさ。
観客席の雰囲気もいい。
斎藤憐さんと考えていた、三部作未完がちょっと悔しい。
12月21日
「不審な物や不審な人物を見かけたら、すぐに110番。テロのない安全な町づくりを……」
朝っぱらから通勤バスの車内で、こんな莫迦莫迦しいアナウンスを聞かされるとは。
誰の仕業か、何の企みか……ったく。
いつの間にか日常の風景となり、誰もが受け入れてしまうのが怖い。
「不審な物」はともかく、「不審な人物」というレッテルのいかがわしさ。
12月20日
朝、杉並区立小学校の校長会へ。
来年度の「劇場に行こう」事業の説明と協力依頼。
区内の小学校四年生全員を劇場に招待する、座・高円寺でもっとも大切にしている事業。
三年間の経過を経て、ようやく学校側の事業としても定着してきた感触はある。
一歩一歩、丁寧に育てていかなければ。
12月19日
朝、劇場で来年の『霊戯』シンガポール上演に向けたメッセージを録音する。
没後十年の記念上演ということで、生まれてはじめての英語メッセージ。
劇場スタッフに協力してもらいながら、気持ちが伝わればという思いを頼りに大胆に。
終わって、『アメリカンラプソディ』稽古。
佐藤允彦さんのピアノ、相変わらずの冴え。
12月18日
またまた稽古内容が変わって、ピアノと物語『ジョルジュ』渡辺美佐子、松橋登組の初読み合わせ。
美佐子さんは世田谷パブリックシアターでの初演以来、松橋さんは『ジョルジュ』初出演。
先日、稽古して、すでに北海道の旅公演の終わった竹下景子さん、真名胡敬二さん組とは、まったく異なるテイスト(当たり前です)の仕上がりが楽しみ。
その他、25日の「斎藤憐さんを偲ぶ会」の進行台本、来年の『霊戯』シンガポール公演に向けてのメッセージ原稿など、書き物いろいろ。
本日の劇場退出時間、23時。
12月17日
午後と夜、座・高円寺で稽古場を梯子。
再々演の『アメリカンラプソディ』は、出演者の高橋長英さん、関谷春子さんと和気藹々、ゆったりと発進。
アカデミーⅡ期生修了上演『缶詰族』は、好奇心一杯の若いキャスト、スタッフの集中力が小気味いい。
劇場に密着した芝居づくりの贅沢さ。
つくり手の恵まれた環境を、こころして観客席に返していかなければ。
12月16日
10時の区打合せから21時まで、終日、座・高円寺関連の作業が隙間なく。
本日のメインイベントは、創造アカデミーⅡ期生修了上演、『赤と黒と無知』『缶詰族』、稽古初日の顔合わせ。
アカデミー生、劇場スタッフ、外部プランナー40余名の顔が並ぶ稽古場は壮観。
修了上演の名を借りた、レパートリーづくり長期計画の二年目。
キャスト、スタッフともに、この劇場の未来を託せる人材との出会いを期待して。
12月15日
津田ホール(千駄ヶ谷)。
年末恒例の五島文化財団のオペラ新人賞選考会。
明るい日差しの一日、響のいいホールで旬の歌い手たちのアリアを聞く。
オペラ演出の師、栗山昌良氏の八十歳を超えての矍鑠ぶりがは相変わらず。
他の長老たちのエレベーター利用を横目に、三階会場までの階段を二段飛びしそうな勢いで昇り降り。
12月14日
本日より、「五柳五行」再開。
とはいえ、流石にすぐにリセットとというわけにはいかないよう。
長く濃密な夢から覚めた直後のように、ふわふわとどこか足下がおぼつかない。
はてさて、いずれが「うつつ」か「まぼろし」か。
そんな中、午後四時から九時まで、打合せ五件、取材一件@ 座・高円寺。
12月9日
早朝というか、午前二時過ぎ、入院治療中の母親の容体急変の知らせ。
今日から予定していた『ジョルジュ』北海道旅公演をとりやめ、啓子ともども、慌ただしい一日を過ごす。
三月の末弟、そして今日の母親と、年頭には予想もしていなかった一年となった。
半年ぶりに家に戻ってきた母親の穏やかな顔。
今日から13日まで、[日録]をお休みします。
12月8日
座・高円寺の劇場レパートリーのひとつ、ピアノと物語『ジョルジュ』稽古。
竹下景子さん、真那胡敬二さんと。
世田谷パブリックシアター以来、今年で12年目のロングラン作品だが、傍らに作者斎藤憐さんの姿はない。
台本のひと言ひと言に刻みつけられている憐さんらしさが、今さらのように胸を突く。
失われてしまった世界を見る「まなざし」、語る「声」はいまだ生々しく。
12月7日
秋から折にふれて読み継いできた、文庫版の「中島敦全集」(全三巻/ちくま文庫)ようやく読了。
それにしても、久しぶりの素晴らしい読書体験だった。
白眉はなんと言っても、作家スティブンソンのサモアでの日々を描いた長編『光と風と夢』。
作品の末尾近く、ひとり断崖に立つ主人公の眼前にひろがっていく夜明けの描写は、そのまま自分の夢の記憶として盗み取ってしまいたい。
「いま、中島敦に出会えて良かった」……何故か、つくづくそう思う。
12月6日
朝、東京駅出発、のぞみで大阪へ。
OMS戯曲賞選考会。
午後1時から5時間弱、いつものメンバー(生田萬、鈴江俊郎、松田正隆、渡辺えり)との濃厚な議論。
選考結果は┄┄「よっし!」。
引き続いての授賞式、公開選評会、打ち上げ宴会を機嫌よく過ごし、更夜、宿舎へ。
12月5日
OMS戯曲賞。
明日の選考会を前に、昨日から候補作のまとめ読み。
今年は香港行きと風邪ひきとが重なり、こんなぎりぎりの作業になってしまった。
熱い番茶を横において、一遍ずつじっくりと二度読み。
白熱する選考会の議論への備えもぬかりないように。
12月4日
ようやく起床。
まずはそのままになっていた旅装の整理から。
鼻水、咳、喉の傷み、熱など、風邪の症状は概ね落ち着く。
三日分の仕事のうち半分ほどを片づけ、今夜は早寝。
眠れるか……眠るだろう。
12月3日
体調、復調ならず。
終日、床の中。
それにしてもよく眠る。
そして夢を見る。
出てくる知った顔は、いずれもみな若々しく。
12月2日
定期検診日。
往復二時間半。
待ち時間、三十分。
問診三分。
自宅に戻り、睡眠二十時間。
12月1日
朝、劇場に電話。
予定をすべてキャンセルして休養日とする。
近所の病院で風邪薬の処方をもらう。
ベッドにもぐり込み、ひたすら眠る。
香港帰国時の「鬱」感は、おそらくこの体調のせい。