2011年7月

7月31日

 

『ふたごの星』、稽古。一気に全体の半分までを粗くスケッチ。二時間半ほどで、稽古場を俳優たちのアイディア出しの時間に渡す。事務所に戻り、ひとり舞台図面の修正。予算とレパートリー化をにらみながら、勝手にふくらみつづける構想(妄想)の整理に苦心惨憺。

 

 

7月30日

 

tupera tuperaの亀山、中川さんが、美術プランを持って稽古場に。簡単な打合せのあと、愛娘トコちゃんと一緒に稽古見学。全体の六分の一ほどまで進んだところで、今回の舞台の方向性が見えてきた。俳優たちもたぶんひと息。亀山、中川さんの笑顔が嬉しい。

 

 

7月29日

 

姿を消していた野良猫親子が、ここ数日、また顔を見せるようになった。昨日の朝は、子猫二匹が小さな頭を並べて牛乳を飲み、一休みしていった。とはいえ、以前のように庭に居つく気配はない。母猫ともども、豊干、寒山、拾得の名にふさわしく飄々、かつ気儘に。

 

 

7月28日

 

雨の吉祥寺。井の頭公園脇のカフェ。ぽっかり空いた四十分間をぼんやりと過ごす。時間は有限、だからこそあわてるな、と脳内酸素のための深呼吸。それにしてもね。反射速度と瞬発力頼みの五十年間の軌道修正に、はて、どこから手をつけたらいいものやら。

 

 

7月27日

 

デビッド・グッドマンが亡くなった。アメリカ、イリノイ大学の日本の現代演劇研究者。というより、パートナーの藤本和子さんともども、黒テント創設時の仲間のひとり。親友。たった二カ月前、久しぶりに来日し、和子さんともども劇場まで訪ねて来てくれたばかり。合掌。

 

 

7月26日

 

『ふたごの星』、演出プランを練る。杉並区在住の小学校四年生全員が観客。立ち上げ企画の『旅とあいつとお姫さま』は、イタリアから招いた演出家テレーサ・ルドヴィコが、見事彼らの深部に届くメッセージを実現した。さて、二作目の宮澤賢治は何を語り届けるか。

 

 

7月25日

 

大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』(朝日新聞社)。論旨明快、説明もわかり易い。だが、と同意を留保してしまうのは、何故だろう。著者が「あとがき」で触れている3.11以降の終末感のせいもある。言葉よりも実践。おのれの過去、現在、未来を問い返す日々。

 

 

7月24日

 

学芸大学出身の梅山いつき、川口智子と打合せ。能、昆劇交流プロジェクト、郭宝崑プロジェクト、鴎座第三期へ向けてなどなど。早稲田で博論を仕上げたばかりの梅山さん、自身のクレンズドプロジェクト進行中の川口さん。来年の今頃は、それぞれどこ向かって?

 

 

7月23日

 

五時から八時まで、稽古場を俳優たちに明け渡し、二階事務所で図面書き。八時に戻り、KONTAさんとの音楽練習に立ち会う。「うた入り芝居」とは久しくご無沙汰。KONTAさんの丁寧なアプローチを聞きながら、今回の歌表現についてアイディアがひとつ浮かぶ。

 

 

7月22日

 

最近出会う本の中で気になる文体がある。最終頁の出典を見ると、ブログなどから転載の場合が多い。文の息の短さ、主観的な言い切り、(小気味のいい?)攻撃性、頻出する固有名詞、書き手本人の立ち位置の曖昧さ、などなど。中立を装う新聞記事にも似て。

 

 

7月21日

 

『ふたごの星』の稽古場。劇づくりの前のワークショップ、五日目。俳優たちの即興的な演技の自在さと楽しさ。その延長線上に何かが生まれるはずという期待。待つ。あるいはともに即興的ある。先導者ではなく伴奏者としての演出の役割をゆったりと見極めたい。

 

 

7月20日

 

巨大な台風が高気圧に阻まれながら日本列島の太平洋側をゆっくり通りすぎていく。毎朝、新聞の片隅に載せられている異様な様相の天気図は、不安のいまの表象のように見える。得体の知れない何かが去ったあと、惨憺たる光景の中で人々はようやく思い知る。

 

 

7月19日

 

自宅作業日(=メモ用紙のto doを順番に片づけ、赤線を引く)。本日は17項目中12項目に赤線。まずまずの成果だが、残り5項目のうち未完成原稿が二本。締め切りまでにまだ多少の間があるが、明日からの劇場作業の合間にどれだけ進行できるか。はてさて。

 

 

7月18日

 

稽古二日目。机上プランのさまざまの可能性を探るワークショップを続行。俳優たちの柔軟な応答がここち良く、早くもこのまま劇づくりに入ってしまいたい誘惑にかられる。待て待て。俳優たちの方はどうなのか。彼ら自身が楽しみ、創造する稽古場まで、いましばし。

 

 

7月17日

 

『ふたごの星』、稽古。第一週は上演に向けてのワークショップいろいろ。演劇の既成概念を取り外し、「遊び」空間の基本を見定める。まず気になるのは、舞台上の俳優の体(の構え)。能、昆劇プロジェクト以来の懸案。「だらしない体」って、ほんとうにそうなのか?

 

 

7月16日

 

休養日。とはいえ、自宅のデスクまわりには、細々としたあれこれが、やりかけ、手つかずのまま乱雑にひろがっている。思いついた時にメモ用紙に箇条書きに整理しておくのだが、ひとつ片づけて赤鉛筆でぐいっと線を引く間もなく、ちょっと油断すると元の黙阿弥。

 

 

7月15日

 

『ふたごの星』稽古イン。黒テントの久保恒雄、重森次郎、学芸大演劇ゼミ出身で新国養成所一期生の北川響と、アカデミーⅠ期生の山本称子、服部容子が出演。そのほか、四名のアカデミー出身者がスタッフに参加。劇場カンパニーへのはじめの一歩となるか。

 

 

7月14日

 

野良猫親子が姿を消した。少なくとも、今日一日は姿を見せなかった。いったい何が起こったのか、気がかりではないといえば嘘になるが、飼い猫として面倒を見ていたわけではないから仕方がない。豊干、寒山と拾得にはふさわしい、何処へかの飄然とした旅立ち。

 

 

7月13日

 

アカデミー授業。午前中の「演出ゼミ」は、課題テキスト『オイディプス王』の模擬稽古。午後の「演技基礎Ⅰ」は、別役実さん編集のアンソロジーから、コント五作の発表。どちらも「論」よりも、あくまでも具体的な方法習得に重点を置く。技術の基本はまず手順にある。

 

 

7月12日

 

気がつくと梅雨が終わっていた。去年とは打って変わってみずみずしい青い花をたくさん咲かせた庭の紫陽花も、どうやら店じまいの様子。新しい日除けの簾を吊り、床の間の掛け軸も夏ものに掛け替え。光琳うつしというか、由緒ありげ、かつ怪しげな青山清流図。

 

 

7月11日

 

電車の中でのiPone4→夏目漱石読み。庭にすみついた野良猫にちなみ『吾輩ハ猫デアル』。と、これがとんでもない小説で、おかげでこの一週間、毎度の乗り越しで、予定の駅になかなか降りられない。今日は目的の赤坂見附下車までに、三度の行ったり来たり。

 

 

7月10日

 

『ピン・ポン』千穐楽。いっぱいの客席が嬉しい。前向きな気分そのままに、15日から稽古がはじまる『ふたごの星』上演稿を事務所で脱稿。世田谷パブリックシアター版とはひと味違った、シンプルな構成をこころがける。アカデミーⅠ期生との本格的な協働が楽しみ。

 

 

7月9日

 

エントランスに絵本を中心にした古本市。劇場のそここにあふれる賑やかな子どもたちの声。三年目を迎えた座・高円寺「世界に見よう」は四月の「リトル高円寺」にひきつづき、この劇場の個性としてたしかな手応えを感じさせてくれる。次は九月の「劇場へ行こう」。

 

 

7月8日

 

座・高円寺の子ども企画『世界を見よう』、はじまる。毎年恒例になっているシアター・リフレクション(デンマーク)も到着し、早速、阿波おどりホールで仕込み。皮切りをつとめる『ピン・ポン』は最後の調整稽古を経て、無事、初日。客席の幼い息づかいに耳をすます。

 

 

7月7日

 

七夕。三時から『ピン・ポン』通し稽古、七時から舞台稽古。四年前のキジムナー・フェスタ(沖縄市)からスタートした子どもたちとの芝居へのこころみ。初日前、客席の子どもたちを想像しながらのわくわく感と緊張感はいつも。楽しみだな。怖いな。びっくりさせたいな。

 

 

7月6日

 

庭の隅の瓶の金魚。餌やりに近寄ると、「待ってたぜ」とばかり六匹が揃って水面に上がり、しきりに口をパクパク。別な時間、少し離れた場所から観察すると、ふだんはさほど水面にいるわけでもなく、酸素不足ではないらしい。さては顔をおぼえてくれたのか?

 

 

7月5日

 

座・高円寺1で『ピン・ポン』仕込み。合間に座・高円寺2で『アメリカンラプソディ』通し稽古。いかにも劇場の住人らしい充実、かつ贅沢な一日を過ごす。これはこれで、自分なりの選択のひとつの落ち着き処。ただし、「世界は劇場よりもちょっと広い」の自戒はいつも。

 

 

7月4日

 

『ふたごの星』の美術担当、tupera tuperaの亀山、中川さんと打合せ。彼らのクロッキーブックに描きためられたアイディを横目で睨みながら、昨日同様、演出イメージを拙いスケッチをまじえて、ひと通り話す。子どもという手がかりをたよりに演劇の別な場所探し。

 

 

7月3日

 

『ふたごの星』の音楽を担当するKONTAとj打合せ。彼との共同作業も、そろそろ十年をこえる。制作の和泉くん、音響の島くん同席。まず今回の演出イメージについて説明。自分の脳内劇場に他人を誘い込む、あるいはその逆。いずれにしても、すべてはここから。

 

 

7月2日

 

昼『ふたごの星』、夜『アメリカンラプソディ』。昨日今日と二作連続稽古。一日に二作連続は四十代以来か。どちらも再演作品のせいもあるが、無理なく、楽しんで取り組めた。作品内容の対比が、もう一方の作品への思いもよらぬ視点の発見につながったりとかね。

 

 

7月1日

 

わが故郷、東京。なんともかともやるせない。新宿、目黒、六本木と、生まれ育ったどの場所にも往時の面影は跡形もなし。築地、日暮里、本郷と町並みに惹かれてさまよい歩いたのも今はただ泡沫の夢。もはや東京はどこにもない。日々の暮らしは故なき亡命者。