6月30日
今年もはや半年。振り返ると、なんとも濃密な、予想もしていなかったような日々がこれでもかと過ぎていったような感じがする。3.11の地震、津波、そして福島原発事故。個人的にも弟の死をきっかけにあれこれ慌ただしく過ごした。このような時こそ頼りは平常心。
6月29日
真夏日。とはいえ、節電効果というか、去年までのような「一歩建物に入ると冷蔵庫!」ではないのはありがたい。TVはしきりに熱中症を報道し、たしかに水分補給は必須だろうが、無闇な温度差消費も実は体に負担をかける。こころと体のバランスは精妙かつ複雑に。
6月28日
庭にすみついた野良猫親子に名前をつけた。長年の想像上の知己、寒山、拾得、豊干にちなみ、親猫の名をリー(豊)、子猫をハン(寒)とシー(拾)。ハン、シーは好奇心盛り。狭い庭を全力で走り回り、木によじ登り、虫をからかう。母親リーはfreezeして見張り役。
6月27日
文字はもちろん、音も映像も簡単に複製、保存、所有できる時代を生きている。中学生の頃、学校から借りてきたテープレコーダーを囲んで、近所の大人や子どもが寄り集まって、ワイワイ一日を遊び過ごしてからはや半世紀。mediaとcommunicationの乖離はかくも。
6月26日
『ピン・ポン』稽古。出演:啓子+黒テントの久保、光田、音楽:磯田さん、共同構成者:tupera tuperaの亀山、中川さん、照明:横原くん、舞台監督:鈴木くん、制作:川口さん。気のおけない小チームでわいわい四時間。去年とはひと味違った風通しのよさを目指して。
6月25日
自宅作業日。明日からはじまる『ピン・ポン』2011年Ver.の稽古に向けて進行表を整理する。2010年Ver.、先日見せてもらった俳優たちがつくったetude、全員でのworkshopなど、材料は多い。そしてなによりも、昨年まで四年間通った夏のコザで見たもの、聞いたもの。
6月24日
いろいろな人と会うたびに、「来年のいま頃は何がどうなっているかわからない」という話をする。相手も大抵は「ほんとそうだよね」と不安そうに相槌をうってくれる。「え、何それ? どういうこと?」というような反応はない。で、どうしよう。何かするのか、しないのか……
6月23日
今日も夏日。するどい陽光に首筋を射られる爽快感。道を直角に曲がると、生い茂る緑がつくりだす蔭のもと、思いも寄らぬ涼風が吹き抜けていく。とかなんとか、高校生気分の午後の町歩き。吹き出す汗を黒酢涼麺で静め、早めに帰宅。温水シャワーで締める。
6月22日
夏至。久しぶりの青空とまではいかなかったが、明るい夏らしい日差しの日。一方、「節電デー」ということで、劇場の照明は暗く、エアコンも控え気味。前にも書いたが、それはそれで不自由とか我慢とかとは違う、あたらしい環境として受け入れ可能。嫌いではないな。
6月21日
ここ数日、子連れの野良猫が庭に居ついている。瓶の金魚や餌台に来る目白や尾長には申し訳ないが、小柄な母猫と子猫の愛らしさにちょっとした居場所と水飲み場を用意してやった。二匹の子猫を気づかって、近寄ると精一杯威嚇する親猫の様子がいじらしい。
6月20日
郭宝崑『霊戯』上演への協力を、内野儀さんに依頼。いまという時にこのテキストを立ち上げる作業には、エドワード・ボンドとは別な困難がつきまとう。「能、昆劇交流」で掲げた「記憶、場所、対話」というテーマを繋ぐ身体。とりわけ宝崑の身体としてある彼の言葉。
6月19日
「能、昆劇交流」最終日。オープンディスカッションのあと、中国側参加者とともに、青山の銕仙会を訪問。清水、西村さんのご配慮で、能楽堂での能観劇が実現。演出を師事した故観世榮夫さんの本拠地。久しぶりに向き合う風格ある鏡板に思いもかけぬ落涙。
6月18日
「能、昆劇交流」二日目。午後の能、昆劇ワークショップにはアカデミーのⅠ、Ⅱ、Ⅲ期生が参加。受講する彼らを、まるで父母会の心境で客席から見守る。夜は学術交流についてのフォーラム。竹本幹夫さん、前田尚香さん、顧聆森さんの内容ゆたかな講演を得る。
6月17日
中国側研究者との演劇博物館見学から、終演後のレセプションまで十二時間、「能、昆劇交流企画」東京セッション初日をなんとか無事に終える。ご自身で二時間余、案内役をつとめて下さった演劇博物館々長の竹本幹夫先生をはじめ、協働者、協力者に感謝。
6月16日
終日、劇場。今月はじめの香港、南京セッションにひきつづいて、明日からはじまる、「能、昆劇交流企画」東京セッションの準備。夕方、南京昆劇院の柯院長をはじめ、中国側メンバーが来館。簡単な打合せ。夜には北京での会議を終えたダニー・ユンも無事到着。
6月15日
アカデミー授業日。午前はⅡ期生の演出ゼミ、午後はⅢ期生の演技基礎1を担当。演出ゼミ『オイディプス王』、演技基礎『少女仮面』と、自分の演劇的結節点となった二作が課題戯曲。時代がひとめぐりしたのだろうか、『少女仮面』のせりふに奇妙な現実感がある。
6月14日
3.11以来、頭の中の得体の知れないうっとおしい靄を追い払えないでいる。おそらくこれからの生涯を通して靄はある。それは決してあたらしい事態ではなく、あらためて気づかされた「現実」に過ぎないが、あくまでも前向きに歩み続けるのにはそれなりの覚悟が。
6月13日
『声』の東京上演が金曜日に迫っている。東京バージョンは、銕仙会の清水寛二さんが抜けて、そのパートを五月に劇場創造アカデミーを修了したばかりのⅠ期生下村界くんが演じる。明日は界くんと能楽師西村高夫さんとの最初で、最後の申し合わせ。はてさて。
6月12日
日豪学会のゲストとして来日中の、劇作家ジョン・ロメリルが劇場を訪れてくれた。オーストラリアを代表する劇作家のひとり。ゆったりとした穏やかさと、皮肉なユーモアを併せもつ、会うたびに心なごむ友人のひとり。そういえば、郭宝崑と出会わせてくれたのも彼だ。
6月11日
三カ月目の妄言。福島原発作業員宿泊所のトイレ掃除でもいい、避難区域に取り残された犬、猫への餌やりでもいい、瓦礫運びでも、ボルト締めでも、出来ることならなんでもやります。危険区域での軽労働要員として手をあげます。67歳、その権利と責任がある。
6月10日
座・高円寺。小野田修二さん担当の即興演技、アカデミーⅡ期生発表会。去年もそうだったが、小野田さんの発表会はスタジオパフォーマンスとしての完成度が高い。その分、受講生の演技も見栄えがして面白い。夜は工藤丈輝さんの舞踏『光ふる廃園』を劇場で。
6月9日
香港、南京はいずれも日本との時差は一時間。いわゆる時差ぼけはないはずだが、そこはそれ、異国の地で過ごした濃密な一週間には、それなりの後始末が必要なようだ。机まわりの整理を自分への言い訳に、終日、だらだら、かつぼんやりとした時を過ごす。
6月8日
早稲田演劇博物館へ館長の竹本幹夫さんを訪ねる。香港、南京セッションのお礼と、17日からの東京セッションの日程と内容の調整。言葉の端々に、竹山さんご自身の今回の企画への関心と手応えが感じられ、ひと安心。中国側研究者との交流の深まりに期待。
6月7日
新幹線で南京から蘇州へ移動。いかにもおあつらえの小雨煙る蘇州。古い商家をそのまま利用した蘇州昆劇博物館を見学。野外の古舞台はじめ、中国の母劇と呼ばれる昆劇の足跡をたどる。近くのレストランで豪華食事会(五回目!)のあと、バスで上海空港へ。
6月6日
午前中、昆劇の稽古風景見学。昼から、若手の演員二十名余を対象にした、能ワークショップ。緊張感のある二時間を過ごす。夜は上海万博出演チームによる、新作パフォーマンスの発表。一年前の『朱鷺故事』をアレンジしたのびやかな自由創作に感慨多々。
6月5日
昼は、中山陵見学の本隊とわかれ、能の清水寛二さんとともに昆劇院の劇場で上演を観劇。『鉄冠園・刺虎』ほか、三演目。夜、銕仙会のお二人による能のデモストレーション。『羽衣』を分かりやすくコンパクトにまとめた解説版など。俳優中心の客席は興味津々。
6月4日
南京に移動。銕仙会の清水さん、西村さんをはじめ、日本側参加者全員で「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館」を訪れる。見学二時間余。それぞれの思いが錯綜して寡黙。昆劇院院長の招待で会食。その後、市内に新設された「会所」で、昆劇『牡丹亭』観劇。
6月3日
今回のフォーラムは使用言語が英語ではなく、すべての場面で日本語、中国語にこだわった国際コミュニケーション。能、昆劇、ふたつの伝統演劇の出会いという、ダニー共々の「直感」とあわせて、いまこのときという必然と、ここから先へという可能性への手応え。
6月2日
会場の香港兆基創意書院は、四百人ほどの中高生が学ぶ、芸術校。落書き、「カワイイ」系の施設表示など、自由で楽しげな雰囲気が心地よい。早稲田演博館長の竹本幹夫さん、オランダでの学会帰りの内野儀さんも駆けつけて、充実したフォーラムへの期待大。
6月1日
香港。いよいよ明日からダニーとの三年間共同企画がはじまる。「國際崑能研究論壇」。銕仙会の清水さん、西村さん共々、ホテルで荷ほどき後、会場の香港兆基創意書院多媒體劇場へ。ダニー、スタッフと落ちあい、担当する能パートの明かりづくりと場当たり。