2010年1月

1月31日

 

昼過ぎ、成田発、中国南京へ。日航と中国東方航空との共同便。春節を控えて、満員の乗客のほとんどが中国への帰国者のよう。出迎えの通訳の張さんと共に、空港から市内まで雨模様の高速を約一時間ドライブ。車窓の風景に、現在のこの国の勢いありあり。

 

1月30日

 

「鴎座」サイトの立ち上げ以降、六年余のあいだに、ネット上のコミュニケーションサービスは、Blog、Mixy、Twitterと日進月歩。その他、動画やFlashなど、サイト表現にもあたらしい要素が続々と。でも「鴎座」は、当分、ガリ版(死語か?)個人紙の現行スタイルで。

 

1月29日

 

病院。内科(循環器系)の定期検診。特に問題なく、服用中の血圧降下剤がひとつ減る。明後日からの南京行きに備えて秋葉原で買い物。駅前オーディオ街が、軒並みカードとフィギアの店に変身。生き残った大型店の中年店員の表情にもあきらかに勢いがない。

 

1月28日

 

「座・高円寺」運営評価委員会に運営側説明員として出席。このような行政の制度を形ばかりのものとせず、実質的な機能をもたせることの重要性をつよく思う。賑やかな「事業仕分け」のパフォーマンスよりも、公共投資の行方と成果へのきちんとした評価をまず。

 

1月27日

 

仕事で都心へ。日比谷、築地をめぐりながら、まわりの風景にワクワクドキドキ。自分でもびっくりするような「お上りさん」状態。一カ月ジャストの入院中、いかなる心的体験を経た結果か。興味深くもあり、薄気味悪くもあり。東銀座、歌舞伎座横の名物喫茶でひと息。

 

1月26日

 

「言行不一致」という言葉の裏には、「言うは易く行うは難し」というもうひとつの智恵が貼りついている。しかし、ほんとうにそうだろうか。むしろ「行うは易く言うは難し」と言った方が、人間世界のあれこれには似合うような気が。その場合、「言行不一致」の意味は?

 

1月25日

 

メモ帳のリストを横目に、終日自宅作業。「仕込み期間」というか、今後の活動に関連するプランやアイテムづくり、整理、など。いつもは捕まりにくい相手への電話連絡をふくめ、今日は諸事順調に進み、夕方までにメモ帳の作業リストすべてに赤鉛筆で終了マーク。

 

1月24日

 

目覚め直後の体重計と朝晩の血圧計。数字を書き取り折れ線グラフに書き写す。「自己判断はつつしむように」という注意書きをまもり、ひたすら淡々と。その他、パートナーがつくってくれたメニューを中心に朝食前の軽運動を三十分。ストレッチ風、ヨガ風&深呼吸。

 

1月23日

 

区予算の大筋が見えたのを機会に、「座・高円寺」来年度事業の構想を整理する。実現できそうな事業をひとつずつ吟味しながら、なるべくくっきりとした一本の線で繋いでいく。多少あと知恵の屁理屈めくとしても、多くの人々と共有できる地図を描いておかないと。

 

1月22日

 

野生動物の生態を描いたドキュメン・フィルムを見る度に、「生きる」と「逃げる」とはほとんど同義語なんだなと納得する。「闘う」という一見勇ましそうな行為だって、仔細に観察してみると大抵は「逃げる」の出来の悪いバリエーションに過ぎない。さて人間社会は?

 

1月21日

 

どこか殊勝な「療養日記」は三日でおしまい。立川流家元は、落語を「業の肯定」と「イリュージョン」の二語で説明した。でも落語はつまり一人芸。リアルな人間の濃密な関係性を問われる演劇の「業と幻」を思うと、そうそう「病」もちの善人ぶりにかまけている訳にも。

 

1月20日

 

暖かな一日。自宅作業の合間、西荻窪駅前から善福寺公園までぶらり。駅前への寄り道は、最近見つけたチキンライスの店での昼食。チキンライスは、炒めずに、スープで炊いたインディカ米に蒸し鳥をのせたシンガポール風。善福寺公園では池を泳ぐ水鳥観察。

 

1月19日

 

「病」という小石を落としたら、思ってもいなかった波紋が静かにひろがった。一抹のとまどいとともに、感謝の気持がこみあげてくる。言葉にすれば、「嬉しかったです、ありがとうございました」。もちろん波紋はひとつの「現れ」に過ぎない。水面のひろがりは遥かに。

 

1月18日

 

早寝、早起きの日々。禁煙、減塩、カロリー制限と、どれについても負担や苦痛を感じることなく、心身のリセットのような感じで自然に実行している自分に苦笑。「郷に入っては郷に従え」式の日本人気質については若いころから自覚はあったが、それにしてもね。

 

昨年11月19日「大動脈解離」で緊急入院しました。
さいわい一カ月後の正月前には退院をはたし、目下、そろりそろりと現場復帰の体勢にうつりつつあります。
「鴎座」倶楽部への書き込みをはじめ、ご心配、お見舞いをいただいた皆さまには、こころろからのお礼と、活動再開のお知らせを申し上げます。

 

入院から二週間、循環器系集中治療室では人工呼吸器に喉をふさがれて半ば意識を失い、覚醒時には「譫妄状態」と呼ばれる夢と現と幻が交錯する不可思議な日々を過ごしました。
さまざまな意味で、自分の「現在」をもうひとりの自分から見返すための得難い体験だったと思います。