2010年10月

10月31日

 

上海万博、最終日。

 

昼前から会場に赴き、シフトごとに最後の演技を終えた出演者たちを舞台袖で迎える。

 

22時、187日間、一日36回、延べ6000回を超えるライブステ-ジが、とにもかくにも、滞りなく無事終了。

 

共同演出のダニ-・ユンと目配せ。

 

あとに残せたものが少しでもあれば┄┄

 

 

10月30日

 

朝、新しく出来た羽田空港国際線タ-ミナルから上海ヘ。

 

この町に来るたびに味わう「お上りさん」気分。

 

高揚感と気後れと好奇心と。

 

そのまま、町へ飛び出しそうになるのを抑えて、なにはともあれ万博会場ヘ。

 

今日から二日間は、怒濤の半年をしめくくる「お勤め」を神妙に。

 

 

10月29日

 

明日からの上海行きを控え、自宅作業。

 

年末から来年春までの準備事務、いろいろ。

 

散らかった頭の中の整理に手間取り、外出予定をひとつキャンセル。

 

夕方遅くようやく一段落、座・高円寺へ。

 

流山児☆事務所『愛と嘘っぱち』、舞台稽古見学。

 

 

10月28日

 

終日、座・高円寺。

 

劇場スタッフとして、アカデミー講師として、演劇活動家として。

 

最後の演劇活動家としては、どうやらしたたかな戦略が求められている時代。

 

夜、本日初日の東京乾電池『長屋紳士録』。

 

ただの観客として大満足。

 

 

10月27日

 

スラヴォイ・ジジュク『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)。

 

相変わらずのジジュク節快調。

 

が、しかし。

 

去年出版の本が一年足らずで新書で読めるというのは、つまり、この国にそれなりの彼の読者が存在しているということだ(ぼくもだけど)。

 

ジジュクの言説をひたすら消費しながら、いたずらに今日をやり過ごす彼らって一体?(ぼくもだけど)

 

 

10月26日

 

笑顔で考える。

 

詩の言葉で考える。

 

頭悪く考える。

 

未来と過去との折返点。

 

「いま」といううつろいの場所=時にいて。

 

 

10月25日

 

陳凱歌『私の紅衛兵時代』(講談社現代新書)。

 

二十年前の発行、初読。

 

翻訳(刈間文俊)を通しても充分に伝わってくる原文の「文」のよさ。

 

「伝える」のではなく「描く」ということ。

 

夜、世田谷パブリックシアターで、ピーピング・トム(ベルギー)『ヴァンデン・ブランデン32番地』。

 

 

10月24日

 

午後、新百合ケ丘の川崎アートセンター、アルテリオ小劇場へ。

 

関西のパフォーマンス集団「dots」、『カカメ』。

 

「隙のなさ」と「抜け目のなさ」は紙一重、などと埒もない独り言をボソボソ。

 

「身振り」の前に「手つき」が見える、とか。

 

来年三月の『war plays』上演を控えて、こうやってジリジリ追い詰まっていくのは自分。

 

 

10月23日

 

今年の八月からつづけている「もうひとつの」鴎座活動、第四回。

 

まだはっきりとした形は見えていないが、一カ月に二度、二時間ほどの小集会が定例化された。

 

傍目には大学の自主ゼミめいた喫茶店でのお喋りだろうが、なかなか面白い。

 

半年後に、「ベケットカフェ」ほどの公開性を持てればと。

 

演劇が演劇であるためには演劇である必要など少しもない。

 

 

10月22日

 

劇場創造アカデミー、一期生授業。

 

修了上演に向けての体制づくりを徐々に。

 

彼らの協働創作者として、まず何よりも、自分自身の立ち位置をしっかり確かめておかないと。

 

これまで履いていた「講師」という下駄を脱いで彼らと向き合ったとき、どれだけ説得力のある言葉を持っているか。

 

謙虚な身づくろいなんて何の役にも立たない。

 

 

10月21日

 

「鴎座」制作者のヲザキ浩美さんと、来年度の活動打ち合わせ。

 

脳内劇場から、現実世界への第一歩。

 

すべてが、いきなり台風のように動き出す。

 

向こう三年間を見据えた目一杯の長距離レース。

 

後戻りは出来ない(しない)。

 

 

10月20日

 

一昨日観た、座・高円寺で上演中の遊園地再生事業団『ジャパニーズ・スリーピング』の公演パンフレットを再読。

 

載っている、宮沢章夫×野田秀樹対談が素晴らしい。

 

この国の現代演劇の知性は、まだまだ捨てたものでもない。

 

野田秀樹は演劇を「祈り」とする。

 

絞り出したようなぎりぎりの「そこ」の痛ましいまでの正確さ。

 

 

10月19日

 

自宅作業の合間に、歯医者へ。

 

去年、入院前の虫歯治療以来だから、一年ぶりか。

 

口内に虫歯や歯周病の兆候なしと告げられ、ほっ。

 

ただ、上歯に二カ所、付け根の露出があってこのところしみて仕方がない。

 

歯ブラシでこすればそれでいい、ではなく、こすり過ぎは、時に有害……ということらしい。

 

 

10月18日

 

黒テントアクターズワークョップ授業のため神楽坂へ。

 

それにしても、足をはこぶ度に様変わりの激しい町だ。

 

小ぶりなマンション建築も相変わらず盛ん。

 

活気といえば活気なのだが、せわしなく、落ち着かない。

 

改築された赤城神社の、味気ないデザインのマンションとカフェを抱え込んだ境内がすべてを物語る。

 

 

10月17日

 

三十一年前に書いた「昭和三部作」の最終作品、『ブランキ殺し・上海の春』は、つまるところ疾風怒濤の青春時代の「まとめ」だった。

 

その後の紆余曲折、「もうひとつのまとめ」ははたして可能だろうか。

 

語るべき何かを持ち合わせているのか。

 

何かを語る言葉を持ち合わせているのか。

 

しどろもどろを、しどろもどろのままに……

 

 

10月16日

 

気持ちのいい天気にさそわれて、打ち合わせのあと気ままな東京散歩。

 

両国橋から隅田川河畔を小一時間。

 

そのあと、秋葉原の電気街。

 

取り壊しの噂を聞いたジャンク街から駅前のラジオ会館へ。

 

一軒だけ残るオーディオ専門店で、ちょっと気になっていたスピーカー(ELAC FS187)を試聴。

 

 

10月15日

 

放送の編成、新聞の編集、いずれもあらかじめ決められている入れ物の大きさと情報との折り合いをつけるための作業だ。

 

入れ物以上の情報は盛れない、と同時に、入れ物を満たすだけの情報がいつも必要だ。

 

入れ物に入り切らなかった情報よりも、入れ物を満たすために「つくられた」情報の方が多いのは容易に想像がつく。

 

情報もまた商品である、というのはそういうことだ。

 

一見、編集もなく錯綜するネット情報も、本質的には何もかわらない。

 

 

10月14日

 

チリサンホセ鉱山の落盤事故、69日ぶりの生き埋め作業員の全員救出。

 

最後に地上へ出たルイス・ウルスアさんと、ピュニエラ大統領とのやり取りを、TVの生中継で。

 

ウルスさんの「次はあなたの番、このような事故を二度とおこさないで」という大統領への語りかけが見事。

 

感激の涙目はそのままに、語りかけをスルーした大統領の狸ぶりも、また、それなりに……

 

とにかく、お疲れさま! おめでとう! ありがとう!

 

 

10月13日

 

『世界見世物づくし』(中公文庫)。

 

五年ぶりの金子光晴、再読。

 

東京の町については永井荷風、中国、東南アジアの町については金子光晴、ふたりにまかせておけば、つけ加えることはもう何もない。

 

たとえ、百年、二百年の時が過ぎようとも。

 

文の力とは、そういうものだ。

 

 

10月12日

 

座・高円寺の作業室で、音響の島さんと先週の演技ゼミで撮影した画像の編集。

 

「原爆」をテーマにした一分間スピーチを構成しながら、あらためて気づいたこと。

 

われわれにとって、この主題がもつ意外なほどのリアル感。

 

画面で語る若い俳優たちは、例外なく、核=終末というような物語的感性とは無縁。

 

そうか、ようするにわれわは当事者か……とか。

 

 

10月11日

 

休養日。

 

午前中、母を迎えに行き、自宅に招く。

 

特に何をするという訳でもなく、啓子も交えてゆったりとした時間を過ごす。

 

とはいえ、九十一歳の母にとっては、これだけでも相当な大冒険。

 

夕食後の帰り道の笑顔は、チョモランマに登頂したアルピニストにも似て。

 

 

10月10日

 

座・高円寺関連の書類点検。

 

来年度以降、五年間の基本構想にかかわる内容ゆえ、慎重の上にも慎重に。

 

いつもの一気呵成ではなく、関連書類との突き合わせなどを交えながらのスローペース。

 

過日、植木の剪定を頼んだなじみの植木屋さんの鋏の音が耳によみがえる。

 

慌てず騒がず、パチン……また、パチン。

 

 

10月9日

 

岩波映画製作『夜明けの国』(1966年)をDVDで見る。

 

監督、時枝俊江。

 

文革が始まったばかりの頃、いまだ国交の結ばれていない中国東北部に、約半年間滞在して撮った記録映画。

 

抑えた色調のカラー画面から伝わってくるのは、当然のことながら、当時の中国についてのあれこれではなく、同時代に映画製作にたずさわった人々(つまり、日本人ね)の思考、息づかい。

 

フィルムに残されているのは、いつだって「目の欲望」なのだから。

 

 

10月8日

 

井上ひさし『戯作者銘々伝』(ちくま文庫)。

 

作者の言葉への探求、趣向への文字通りの「こだわり」がすし詰め。

 

エンターテイメントというよりは勉強報告のような几帳面さは、精神性はともかく、戯作そのものからは遠い。

 

どこかさっぱりとはしない後味は、たぶん作者の狙いでもあるのだろうが……

 

中野三敏の悪凝りした解説が、底意地が悪く厭味。

 

 

10月7日

 

劇場創造アカデミー、演技コースゼミ。

 

来年三月の終了上演に向けてのエチュード、その一。

 

受講生全員から感じる変化の手応えがこころづよい。

 

「教える-学ぶ」関係よりは、「ともに考える-ともにつくる」関係の構築へ。

 

次の変化は、こちらに求められている。

 

 

10月6日

 

座・高円寺主催の「中小規模劇場のマネージメント研修」と銘打った会合。

 

北海道士別など、全国各地から七施設の運営者、設置者(行政)が集まり、座・高円寺のスタッフ十人、杉並区の担当者三人をまじえて、五時間の集中的なミーティング。

 

途中、ゲストに招いた文化庁文化活動推進室室長の将来構想についての話も。

 

以前から考えていた集まりだったが、ようやく、思いに近いかたちで実現。

 

内容のまとめとは別に、今日もうひとつの大事な結論は、「劇場は人」。

 

 

10月5日

 

座・高円寺。

 

デスクワーク、いろいろ。

 

子どもたちとの事業「あしたの劇場」について、担当スタッフと。

 

授業の進め方について、アカデミー受講生と。

 

その他、デスクワークだけでは片づかない、直接、顔をあわせての話し合い、いろいろ。

 

 

10月4日

 

黒テントのアクターズワークョップ授業のあと、池袋。

 

三三、権太郎という顔付けにひかれての池袋演芸場だったが、目当ての権太郎を筆頭に、うーむ、何か違うぞ、こりゃ。

 

ブームとかいわれている中で、寄席は(というか、落語はというか)、いつの間にか大きな曲がり角に差しかかっているのではないか。

 

もうひとつ、この寄席の客席後方上手側ににある大時計を、新宿末広亭のように中央に移動してほしい。

 

以前から感じているのだが、高座の演者たちの時計のチラ見が大いに興をそぐ。

 

 

10月3日

 

『アメリカンラプソディ』、台本直し三日目。

 

ようやく完了。

 

ショパンを描いた前作『ジョルジュ』とはまたひとつ趣の違う、軽快なエンターテイメントを目指す。

 

出演者は高橋長英さん、関谷春子さん。

 

関谷さんにはリーディングの他に、『スワンダフル』、『サマータイム』の二曲を歌ってもらう予定。

 

 

10月2日

 

自宅作業。

 

12月に上演する『アメリカンラプソディ』台本の読みと手直し、二日目。

 

台本作者、斎藤憐さんの手仕事のあとをたどりながら……

 

どこか懐かしい「ガーシュインのアメリカ」への親しみと距離感。

 

久しぶりに聞ける、佐藤允彦さんのピアノ演奏が楽しみ。

 

 

10月1日

 

秋らしい一日。

 

庭の草を抜く。

 

雑草?

 

ぼくが名前を知らないだけ。

 

遅咲きの彼岸花は、ちょっと顔色が悪い。