2010年12月

12月31日

 

大晦日。

 

2010年、思うことの多い一年。

 

停滞というよりは大いなる変化の兆しとして、いま一度の希望を抱くべき時の到来かと。

 

個人的には、「鴎座」、劇場創造アカデミーを通しての舞台創造と、アジア演劇の仕上げとしてのダニーとの共同プロジェクトへ。

 

視線を足元に落とし、この時の一歩を確実に踏みしめつつ。

 

 

12月30日

 

毎日、薪ストーブを炊いている。

 

炎のパフォーマンスに見とれていると、時間はあっという間に過ぎていく。

 

これまではただうつくしさに見とれているだけだったが、今年は取り組んでいる『戦争戯曲集』のせいか、もう少し複雑なドラマを見ているよう。

 

「自在」よりも「刹那」。

 

「光」ではなく「熱」。

 

 

12月29日

 

山を降りて、伊東の町へ正月の買い出し。

 

買い物で歩いてみると、通り一遍の観光地の顔のほかに、年季の入った人間らしい暮らしのある町の様相が少しずつ見えてくる。

 

この二、三年、年に一度は顔を出している和菓子屋で栗きんとん。

 

串田孫一さんが描いたしゃれた包装紙のパン屋で食パン。

 

地元産の逞しい野菜が並ぶ八百屋で煮物用野菜いろいろ。

 

 

12月28日

 

終日、外出せず。

 

啓子とふたり、半年、無人だった家の整理。

 

東京から、座・高円寺の『旅とあいつとお姫さま』、厚生労働省社会保障審議会推薦児童福祉文化財(!)選定の報が入る。

 

ふーむ。

 

何はともあれ、スタッフ、キャスト、関係者の努力に感謝。

 

 

12月27日

 

昼過ぎ、山籠もりへ出発。

 

途中、母宅に小一時間ほど寄り道。

 

雲のかかった富士山が見え隠れする厚木道路をひた走り、五時過ぎに現地着。

 

しんとした木立、枯れ葉の香り。

 

しみじみとした夕焼け。

 

 

12月26日

 

年末年始の山籠りを控えて、「えいっ、や」とばかりもろもろを片づける。

 

自宅の正月飾りからはじめて、年賀状の宛て名書き、本の整理、残していた原稿書きなど。

 

なんとなく、頭と書斎の大掃除のような。

 

思いの他のペースですすみ、日暮れまでに完了。

 

来年は一年かけて、本、書類など、あれもこれもとなんとなくため込んきたいろいろを整理しよう。

 

 

12月25日

 

加藤徹『貝と羊と中国人』(新潮新書)。

 

「京劇」研究者である著者が、「中国と中国人の機微」を自在に語った好著。

 

「『冷たい目』と『暖かい心』」と同時に、「同じ人間として、中国人といっしょに怒り、泣き、笑うことが出来る、共感する心」(いずれも同書「おわりに」より)という著者の姿勢が、最近読んだ同工の書の中では、新書ながら群を抜いた内容を伝えてくれる。

 

他国を語る中で、見えてくるこの国の姿。

 

かすかながら遠方に見え隠れする光の気配も。

 

 

12月24日

 

クリスマスイブ、『アメリカンラプソディ』最終日。

 

三日間、ほぼ満員の客席、反応もまずまずで、キャスト、スタッフともども気持ちのいい打ち上げ。

 

憐さんと、「ピアノと物語」第三作企画について雑談。

 

さて、これで2010年の座・高円寺での主な業務は終了。

 

個人モードに戻って考えておきたいこと、さまざま。

 

 

12月23日

 

劇場事務所で張春祥さんと打ち合わせ。

 

張さんは北京京劇院出身の京劇俳優。

 

長く日本に住み、東京で96年に創設された在日京劇団「新潮劇団」を主宰している。

 

91年の日中合作オペラ『魔笛』での出会い以来二十年。

 

パートナーの延江さんともども、来年からの郭宝崑『スピリッツ・プレイ』プロジェクトへの協力を依頼する。

 

 

12月22日

 

『アメリカンラプソディ』、初日。

 

来場していた演劇評論家の岩波剛さんにも指摘されたが、客席の幅広い年齢層がいい感じ。

 

若者のカップル、熟年のカップル、ガーシュインのビートにかすかに首を振る白髪の老婦人三人組など。

 

允彦さんのピアノの軽さ、繊細さ、表現のさりげなさを堪能。

 

極東の島国で醸成されたもうひとつのジャズ。

 

 

12月21日

 

「アメリカンラプソディ」、舞台稽古。

 

昨年五月の開館以来、ぼくにとっては、座・高円寺1の本格的な使用は初めて。

 

開放的、個性的な中規模ブラックボックス。

 

来年三月のアカデミー修了公演など、この空間での作品づくりへの期待が高まる。

 

斎藤茂男さんとの明かりづくりをふくめて、舞台稽古は順調な仕上がり。

 

 

12月20日

 

午前中、アカデミー一期生「演出ゼミ」見学。

 

一期生のカリキュラムは、とりあえずこれですべて終了。

 

手さぐりの二年間だったが、他にあまり例のない劇場にかかわる専門家教育の手応えはたしかなものとしてある。

 

年明けからの修了上演に向けた日々へ、研修生とともに態勢を整えたい。

 

午後からの説明会で研修生にも話したが、世間へのプレゼンテーションの機会は、おそらく今回一回きりだと思う。

 

 

12月19日

 

「アメリカンラプソディ」稽古。

 

ピアノの佐藤允彦さんのパートは、前回リハの録音で。

 

允彦さんの端正な演奏スタイルのせいで気づかなかった、充実した演奏内容をあらためて知る。

 

あくまでも、さりげなく、さりげなく。

 

うーん、恰好いい!。

 

 

12月18日

 

アカデミー修了上演で上演する『戦争戯曲集』、第一部、第二部のテキスト読み。

 

外部からの賛助出演者も含めて、キャスティングをまとめるために、僅かでもいい、演出プランへの手がかりがが欲しい。

 

翻訳者の近藤弘幸さんと作者エドワード・ボンドとのホットラインからは、第一部についてのボンド自身による手直しも早々と届けられている。

 

「おいおい、知らないぞ。のこのここんなところまで来ちまいやがって」「そうだよな。だけど、もう、あとには引けないし」

 

いつものトホホな自問自答には一刻も早くけりをつけて……

 

 

12月17日

 

終日、五島文化財団の審査会。

 

千駄ヶ谷の津田ホールで若い歌い手たちのアリアを聞く。

 

何人かの有望な資質と才能との出会いに恵まれて、思いの外、こころ楽しいひと時となった。

 

他にオペラスタッフと上演助成についての審査。

 

八十歳をこえてなお背筋をぴしっとのばし、矍鑠たる「オペラ演出」の師、栗山昌良先生と久しぶりに同席。

 

 

12月16日

 

座・高円寺。

 

スタッフ全体会議→制作+アカデミー担当打ち合わせ→「アメリカンラプソディ」稽古。

 

10時30分→20時。

 

このままにしておくと、年明けからのスケジュールは、毎日、今日の繰り返しになってしまいそうな気配。

 

はてさて、頭の大掃除を!

 

 

12月15日

 

午前中の会議一件のあと、午後から啓子と師走の町に出る。

 

ふたり揃っての休日らしい休日は、十月末の中国古鎮、西搪旅行以来か。

 

退院後一年というわけで、何はともあれ(?)まずは隅田河畔の言問団子まで。

 

集中治療室幻想での、鮮明な言問団子オブセッションの理由はいまも判然としない。

 

が、曇り空の下、去年と変わらぬ静かな店のたたずまいは好もしく、またどこか懐かしくもあるような。

 

 

12月14日

 

年の暮れ、アカデミー各クラスの成果発表会がつづく。

 

今日は高宮知数さん、高尾隆さんにお願いしている一期生の「プレゼンテーション」。

 

次の予定があって、四組のうち最初のひと組しか見学出来なかったが、横浜にあるアートスペースを仮想した企画発表は面白かった。

 

何はともあれ、演劇研修のカリキュラムに、この講座を加えた意義は充分に果たされていたと思う。

 

芸術(私/たち)は社会(あなた/たち)に何が出来るか……

 

 

12月13日

 

岩波講座「哲学」月報(2009年7月)の藤川一夫「文化政策の公共哲学のために」。

 

この短文の結語、「芸術が文化の公共的意味の場へと現れ出る、そのための「世界」を匿いつつ整えるということが、文化政策の公共哲学としての役割ということになるのではないか」の含意について、このところ考えつづけている。

 

肝要なのは「匿いつつ」という言葉のニュアンスをどのように捉え、解釈するかだろう。

 

筆者はこの言葉を、ハイデガーの「大地」(秘匿)と「世界」(存在の開け)から導き出しているが、そのような高みからの視線とは別に、自分の日頃の経験から思わず頷きそうになるリアリティを感じる。

 

大いなる「変革」のときには、「反動」もまたそれなりの意味を発揮するということだろうか。

 

 

12月12日

 

時は年の瀬に向かってまっしぐら。

 

年内に片づけて、というか決めておかなければならない案件、いろいろ。

 

今後五年間ほど中期計画関わる事柄が多い。

 

持ち時間をぎりぎりまでつかって焦らず熟考。

 

というわけで(?)、本日は夕方の外出までPCで年賀状づくり。

 

 

12月11日

 

暖かな午後、近所の公園に落ち葉を踏みに行く。

 

木立の間に敷きつめられた枯れ葉の音と香り。

 

一時間ほど歩き回るうち、体のあちこちが緩んでくる。

 

周囲のなにもかにもを受け入れながら、こころのどこかに一抹の違和感。

 

自分に嘘をつきたくないのか、それとも、大嘘を求めているのか?

 

 

12月10日

 

座・高円寺でアカデミー二期生の発表(木野花クラス)を途中まで見学。

 

その後、代々木の国立能楽堂。

 

五十五世梅若六郎・雅俊・恭行追善会、二代、梅若紀彰、長左衛門襲名披露。

 

仕舞、連吟をはさみ、舞囃子八番。

 

梅若晋也改め紀彰さんの『天鼓』の清々しさ、梅若玄祥さんの舞囃子『卒塔婆小町』の陰影の深さと確かさ。

 

 

12月9日

 

座・高円寺、劇場創造アカデミー、一期生の伊藤和美(発声基礎)発表会。

 

ブレヒト+ヴァイル『三文オペラ』をほぼ全曲を、簡単な構成付きで。

 

歌詞の内容を伝えるという伊藤さんの基本姿勢がマトリックスとなり、受講生ひとりひとりの俳優としての(現在の)力量がそのまま示される面白い発表になった。

 

ひきつづき、自分が担当する「演技ゼミ」最終回。

 

さて、来年一月からは、修了上演に向けた創造活動にまっしぐら。

 

 

12月8日

 

帰京前、地下鉄で新世界へ。

 

ジャンジャン横町、動物園通りを中心に、二時間ほどぶらぶら歩き。

 

なんというか、この界隈は世界中でもっとも体になじむ場所のひとつ。

 

名物の串揚げや、通天閣、大衆演劇の小屋もそうだが、なによりも路地を行き交う人びとの様子がいい。

 

僅かな数の果物を並べた店の前にたたずむお婆さんとか。

 

 

12月7日

 

昨年、体調を崩して参加出来なかったOMS戯曲賞選考会出席のため、大阪へ。

 

会場の精花小劇場で、選考、授賞式、公開選評、レセプションと、昼過ぎから八時間あまりの長丁場。

 

さらに千日前の飲み屋に会場を移して、交流会。

 

この賞も今年で十七年目と知り、あらためて感慨いろいろ。

 

その前のキャビン戯曲賞から数えると、そうか、いつの間にかはや二十ウン年か。

 

 

12月6日

 

午後、座・高円寺。

 

『アメカンラプソディ』のスタッフ会議。

 

舞台監督の北村雅則さん以下、全スタッフ集合。

 

手書きの舞台図面を元に、演出の概略を各パートに渡す。

 

リーディング上演とはいえ、自前の劇場での贅沢な演出家モード。

 

 

12月5日

 

終日、自宅。

 

いつもの書斎ではなく、リビングルームで、OMS戯曲賞候補作の集中読み。

 

この一カ月、全八作品にぽつりぽつりと目を通してきたが、7日の審査会を前にこれまでの読後メモを整理する。

 

「賞」という批評で問われるのは、まず、批評する側の評価基軸。

 

客観性よりも審査会バトルのための言語力。

 

 

12月4日

 

横浜馬車道、BankART Studioで、ダニー・ユンの『夜奔』。

 

昆劇の若い俳優たちとの共同作業は、ダニー・ユンが日頃から強調する信頼のためのコミュニケーションの成果を清々しく浮かび上がらせる。

 

パフォーマンス開始前に、来年からの能、昆劇交流プロジェクトの打ち合わせ、修了後は、ポストパフォーマンス・トークに参加。

 

トークでは質問者に徹して、出演者三人とダニーへ二問ずつ。

 

「体という制度、システムから自由になるには?」という問いへの、ダニーの回答(「立場を変えてみる」)が見事。

 

 

12月3日

 

アカデミーの授業で、『戦争戯曲集』第一部、『赤と黒と無知』のリーディング発表を聞きながら、テキストの核のひとつ、「家族愛」について考える。

 

研修生の世代にとって、もしかしたらこれはもっとも捉えにくいもののひとつなのかも知れない。

 

漠然とした概念としてわかっていても、いざ、表現しようとするときに、いったい何を手がかりにすればいいのか?

 

気づかぬままの無関心と戸惑い。

 

彼らのこころの隙間を、ふと、覗き見たような。

 

 

12月2日

 

明日のアカデミー授業の準備に、来年三月に修了上演で取り上げるテキスト、エドワード・ボンド『戦争戯曲集』を読む。

 

いま上演するとすればこれしかない、と言い切ってしまいたくなる、内容豊かな本。

 

読み返す度に明らかになってくる、堅牢な構造と、細部の緻密さ。

 

ふつうの意味での演出ではなく、俳優教育という迂回路を辿りながら、丁寧に組み上げていきたい。

 

三年後の目標としている、劇場レパートリーとしての完全上演まで、道は遥か。

 

 

12月1日

 

六本木のJICAオフィスで上海万博の関係者打ち上げ。

 

政府代表の塚本さんをはじめ、関係者多数。

 

今回の仕事は、ふだんはめったに顔をあわせる機会のない人びととのつき合いだったなー、と、あらためて実感する。

 

いつもの場所に戻って、やってしまったこと、出来なかったことへの反省とともに、わずかでも出来たことの芽を育てる作業をしばらくジタバタしてみよう。

 

いつかは何かが動く、必ず。