2010年8月

8月31日

 

真夏日がつづくなか、八月は今日でおしまい。

 

2010年、残り三ヶ月。

 

小手をかざしてながむれば、波静かにして彼方はおぼろ。

 

霞か靄か、はた白内障か。

 

棹なく櫓もなく、舵もなく。

 

 

8月30日

 

座・高円寺「あしたの劇場」企画、『旅とあいつとお姫さま』演出家テレーサ・ルドヴィコを迎えての懇談会。

 

今年観劇招待をする杉並区内の公立小学校の先生、「あしたの劇場」企画に関心をもって下さる各地域の親子劇場関係者など、総勢20人ほど。

 

区の担当者もまじえて、なかなかいい感じの会合になったと思う。

 

明晰で説得力のあるテレーサの話を聞きながら、舞台の完成度をふくめて、彼の地の演劇的蓄積の分厚さをしみじみ。

 

夜の「鴎座」関連の「闇鍋」風会合とあわせて、座・高円寺という劇場の現在、未来に、ちょっとした希望を抱かせてくれた一日。

 

 

8月29日

 

美しい夕焼け。

 

西方というより、空全体に淡い夕陽の反射がひろがり、町全体が茜色に染め上げられた。

 

暑さは相変わらずだが、啓子と一緒に家を出て近所を散歩。

 

駅前の小さな店で夕食。

 

自家製パンの盛り合わせがいい感じ。

 

 

8月28日

 

高円寺では東京高円寺阿波おどり、浅草ではサンバカーニバル。

 

表参道ではよさこい踊りとか。

 

昼過ぎから、阿波おどり関連の行事に出席。

 

杉並区交流自治体からの来賓の接待会や阿波おどり役員との交流。

 

ご町内の祭りの熱気の中に自分の居場所がある不思議。

 

 

8月27日

 

定期検診。

 

血圧計測、問診のあと、血液・尿検査の結果表を見ながら、ふた言、三言、いつもの通り、なんとなく前向きめいたご託宣。

 

今まではそんなもんかと思っていたが、「対話不足」(というか欠如)が、今日はなんだか気にかかる。

 

たぶん薬のせいで時々便秘気味と言うと、それじゃあとキーボードで便秘薬を処方。

 

うーん。

 

 

8月26日

 

座・高円寺、デスクまわりの整理。

 

開館準備以来の書類、ゴミ袋ふた袋分を始末する。

 

来年からの中期計画二向かって、頭の中の大掃除も必要。

 

行きがかりとか、成功の記憶とか、欲とか、自負心とか、計算とか、余計なものいろいろ。

 

鍵言葉は、「コミュニティシアター」。

 

 

8月25日

 

新宿はわがホームタウンのひとつ。

 

日照りの町を二時間ほど彷徨。

 

東口、西口、南口と、それぞれにそれぞれの来歴と風情がある。

 

建物というよりも町並みそのものが大きく変わった。

 

とはいえ、町の隙間にひそむ独特の湿りけは、まだそこここに。

 

 

8月24日

 

昼前、八月初旬に取材があったNHK-TVの放映をチェック。

 

短い時間に、「コミュニティシアター」に取り組む座・高円寺の活動が要領よくまとめられていて、ひと安心。

 

午後1時からの区役所での打合せを皮切りに、場所を劇場に移して打合せ連続六件。

 

夕食後、19時から、メインシアターで上演中の提携公演(黒色奇譚カナリア派『悪役志願』)を観る。

 

終演後、おまけのミーティング一件……よしよし。

 

 

8月23日

 

おっと67歳だよ。

 

啓子から、先日、横浜で見つけた皮鞄をもらう。

 

今年、三個目の鞄だがちょっと小振りで使い易そう。

 

さて、明日から劇場だ。

 

当面の作業メモを整理して、深呼吸、ひとつ。

 

 

8月22日

 

あたらしい一歩のためには、自分の居場所を正確に知らなければならない。

 

自分の居場所を正確に知るためには、周囲をよく観察しなければならない。

 

周囲をよく観察するためには、色眼鏡を捨てなければならない。

 

色眼鏡を捨てられるだろうか?

 

あたらしい一歩は必要なのだろうか?

 

 

8月21日

 

帰京。

 

夏期休暇は明日まで。

 

月曜日からは平常業務に戻る。

 

平常? 業務?

 

ようする夏期休暇を終えて、いつもの終身休暇の日々へ。

 

 

8月20日

 

書棚の整理。

 

偏狭な資料的な価値は別として、書物にも耐用年数があるとつくづく思う。

 

それでも二十代に古本屋を巡って手に入れた本はなかなか手離せない。

 

一冊一冊への愛着というか、周辺にまとわりつく「物語」の密度が違う。

 

いまはもう、たとえどんな名著にめぐりあっても、決してあのようには読めないだろう。

 

 

8月19日

 

「魔」、「邪」を畏怖する。

 

「魔」も「邪」も、本来、追い払われるべきものではなく、むしろ、常にこころがけて招き入れられるべきものと思う。

 

「魔」や「邪」の気配があって、はじめて「場」は息づく。

 

「魔」や「邪」に見守られつつ、かつ、騒がすことなく平穏にことをなす。

 

「闇」と「速度」と「ことば」への親和。

 

 

8月18日

 

喫茶店で偶然手にとった雑誌に、「いま、中国を知るための十冊」なる紹介リストを見つける。

 

リストの主旨は違うが、探しあぐねていた書物探索には恰好の入り口になりそう。

 

昨日の日録の「念」が通じたのかも知れない。

 

ネットで一括注文という手抜きをせずに、帰京後、書店へ出かけて一冊ずつ手にとって確かめながら購入しよう。

 

折角の「つき」を手元に引き寄せるためのひと手間。

 

 

8月17日

 

生来の濫読から、創作に向かうためのある程度的を絞った読書への切り替えが難しい。

 

以前は、まず、作品の題名を決めた。

 

歌舞伎でいう「世界定め」のようなもので、題名に並べた言葉によって探索の範囲が決まる。

 

本書きではなく演出の場合でも、題名は最初の手がかりではある。

 

とすれば、いま向かうべきは「霊戯」「戦争」あたりということになるが、はてさて。

 

 

8月16日

 

40代からはじめて、目前の舞台演出に追われない日々を過ごしている。

 

昨年秋、年末の発病を見越したように、来年は座・高円寺へ専念と決めて、年間スケジュールを組んだ。

 

演劇や劇場について、余裕のある客観的な思考を期待していたが、性分はそうそう便利に変えられるはずもなかった。

 

不満、妄想、煩悶の日々を相変わらず。

 

情けないというか、ご苦労さまというか。

 

 

8月15日

 

終戦記念日。

 

終戦の年の六月まで日比谷公会堂で行われていた日響(現N響)定期演奏会を記念(回顧)するN響コンサートをTVで。

 

演目は当時と同じ、ベートゥベン第九(指揮、井上道義)。

 

TV音声のせいもあって、音楽的感興は「ふーむ……」。

 

最終楽章でみせた、井上さんの「迷い(不安)」をくっきり描く楽曲解釈と、きわめて演劇的な指揮法が面白かった。

 

 

8月14日

 

啓子、遊びに来ていた友人夫妻とともに、近くの漁港に降りてお盆恒例の花火見物。

 

小規模だが直近で見る花火は、なかなかの迫力。

 

途中、個人スポンサーのお祝い花火コーナーで、お弔い花火二発が打ち上げられる。

 

今年はじめての趣向だが、なんだか来年から数が増えそうな予感。

 

魂迎えにも、魂送りにも、たしかに花火はよく似合いそうではあるが。

 

 

8月13日

 

ネット環境回復。

 

電話回線の不具合とあわせて、滞在場所の電話機そのものが湿気で半壊していたことが判明。

 

電話機を裏返した時のNTT職員の表情が印象的。

 

「これには絶対につながないで下さい」のひと言を残し、風のように去る。

 

お盆休み緊急出動の後ろ姿に最敬礼。

 

 

8月12日

 

アッツ島玉砕のドキュメントを見る。

 

「玉砕」という造語の欺瞞や生き残り兵士たちの「恥」の意識など、思うこといろいろ。

 

十年一日、NHK風なつくりの物足りなさはあるものの、全員が90歳前後の証言者たちの口ごもりの表情から伝えられることがらは多い。

 

それにしても、戦死者たちの肖像写真を、あたかも墓標のごとく並べて見せるいつもの手法はどうにかならないものか。

 

無名ではあっても、ひとりひとり確実に存在した人間に対する畏敬が多少でもあれば、都合のいいCG演出など出来るはずがないのだが。

 

 

8月11日

 

会合二件出席のため、日帰りで東京。

 

一件目は斯界の長老(!)が寄り合い、小生が最年少。

 

「年々歳々」やら「去年の雪」やら、要するにその類の感慨もにゃもにゃ。

 

二件目は座・高円寺。

 

区の担当者をまじえて来年度事業の検討、その他。

 

 

8月10日

 

天気、荒れ模様。

 

電話回線不良のせいか、ネット接続がうまくいかない。

 

喫緊の連絡は携帯を使えばいいのだし、別に大騒ぎするほどのことではないが、何となく落ち着かない。

 

念のために家電量販店に行ってカード接続の相談。

 

予想通り、三社ともサービスエリア圏外ということで、回線回復を待つことに。

 

 

8月9日

 

守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社)。

 

つまるところ、典型的な官僚的世界観を知るための教科書か。

 

細密なメモによって復元される官と政とのパワーゲームは、生々しくも腹立たしい。

 

ただし、ここには一片の「真実」も記されてはいないだろう。

 

ちゃちな色眼鏡を通した世界観の貧しさ、味気なさ。

 

 

8月8日

 

激しい雨の中、夏の山籠もりへ。

 

今年は体調を考えて仕事は持ち込まず、完全休養のこころづもり。

 

とはいえ、上海万博後のダニーとの協働、アカデミーⅠ期生の修了上演、「鴎座」第二期上演活動3、『ピン・ポン』と、来年に向けての上演プランはすでに四企画。

 

どうやら見えてきた最終コーナー。

 

あわてず騒がず、丁寧なアプローチと慎重なコーナリングを。

 

 

8月7日

 

ジャズ歌手、安田南についての取材。

 

60-70年代を語るとき、作家の鈴木いずみとともにシンボリックに想起される女性のひとり。

 

南とは中学以来の「遊び」友だち。

 

16歳のとき「婚約パーティ」を仕掛けて遊んだこともあったっけ。

 

回顧される昭和三十年代、「変化」へ寄せるエナジーについて思う。

 

 

8月6日

 

広島原爆忌。

 

芝居を書き始めてから六作品目(『陰画絵本鼠小僧次郎吉』)まで、八月の青い空と壁に焼きついた人の影は、すべてに通底する主要モチーフだった。

 

壁に焼きついた人の影は、岩波写真文庫「広島」に掲載されていた。

 

別役実さんの『象』に描かれた、背中のケロイドを見せる男の写真もたしか載っていた。

 

「昨日の記憶」の生々しさの向こうに、「一昨日の記憶」の現実感が。

 

 

8月5日

 

早稲田大学の坂内太さんに招かれて、同大夏期講座。

 

「現代演劇入門」を題目に九十分。

 

熱心な聴講生に助けられて気持ちよく話せたが、さて、内容は?

 

「現代」と「演劇」とをつなぐ鍵言葉を探して、いつものところをいつものようにひたすらウロウロ。

 

never give up ……

 

 

8月4日

 

座・高円寺。

 

地下二階のギャラリーで「高円寺阿波踊り」の写真展を確認。

 

当初の「ばか踊り」のエネルギーと、昨年の動画映像にある洗練との対比が鮮やか。

 

その他、面会、打合せ、いろいろ。

 

帰宅前、高円寺駅前書店「あゆみbooks」で道草一時間。

 

 

8月3日

 

上海虹橋→羽田便で帰国。

 

往路で時間切れだった『グリーン・ゾーン』は、残念ながら復路のプログラムには見あたらず。

 

代りに志ん輔『千両みかん』、鯉昇『船徳』を聞く。

 

双方とも三十分あまりの長講。

 

鯉昇の「人」、志ん輔の「才」に勝る。

 

 

8月2日

 

午前中、昨日、一昨日の会議のまとめ。

 

昆劇院院長の柯軍さん、経営総監の余波さん、ダニーとともに、最終的にすっきりとした整理にたどりついた。

 

今後五年間という長期ビジョンに、はたしてどこまでかかわりを持てるのか。

 

ダニーとともに、次の世代へのバトンタッチについても、同時進行で。

 

なにはともあれ、今夜は上海でひと休み。

 

 

8月1日

 

「120文字」日記の文字重箱詰め作業(と、文体的な繰り返し)にちょっと飽きたので、しばらく「五行日記」に模様替え。

 

南京でのダニー・ユンと昆劇院との打合せは、あいだに入った通訳氏の舞台知識の不足もあって、いささか難行中。

 

予算についてなど、具体的な内容には踏み込まず、とりあえず「はじめてみますか」の確認に終わりそう。

 

わざわざ顔をあわせているのにちょっと残念な気もするが、妄想から現実への切り換え時に、焦りや欲張りは絶対禁物なのだ。

 

見果てぬ夢を夢のままに、慎重に……