3月31日
終日、座・高円寺。生田萬さんと二年目を迎えるアカデミーについての打合せいろいろ。目下のところ優等生的バランス、あるいは総花的日和見感のある劇場プログラムに、将来、一本背骨を通すのは、このアカデミー事業と区立小学校四年生招待公演企画だろう。
3月30日
時間についての「永劫」や「無窮」といった言葉づかいがひどく苦手だ。その果のなさになんだか気が遠くなってしまう。かといって、一神教の終末論のいかがわしさにもなじめない。という次第で、昨日の寒山詩にある「黄泉客」は、ぼくにとっての救いを象徴する言葉。
3月29日
四時無止息/年去又年来/萬物有代謝/九天無窮摧/東明又西暗/花落復花開/唯有黄泉客/冥冥去不廻(寒山詩)。四季のめぐりをはじめ、時の移り変わりはとどまることがない。ただ冥土への旅人だけがくらい彼方に去って帰らない。人はすべてその旅人。
3月28日
終日、ダニー・ユンの宿題工作で悪戦苦闘。大好きな寒山詩を借りて、小函の中に広大な宇宙の時間と空間を閉じ込めようという目論見だったが、不器用な手先はあちらを汚しこちらを傷つけと情けない彷徨。試行錯誤を繰り返し、夕刻、なんとか完成まで辿りつく。
3月27日
座・高円寺。今日と明日開催の「飛ぶ劇場」オープニング「蝶を飛ばす」に参加。「飛ぶ劇場」は、開館以来、毎週日曜日につづけてきた子どもたちとの企画「みんなの作業場」の総集編。劇場の中につくられたリトル高円寺には、終日、賑やかな子どもたちの声が。
3月26日
ダニー・ユンからの預かりもの。6㎝×3.5㎝×1.5㎝の小函(たぶん中国の虫かご)の中に何か作品を封じ込めよ、という課題。何人かの友人たちに競作させているという。上海の作業とはまったく関係ないがようやく構想がまとまり、虫眼鏡片手に製作に取りかかる。
3月25日
座・高円寺。来年度事業発表会。通常の記者会見とは異なり、地域協議会や一般のお客さまも一緒に、飲み物、ケーキつきの懇談会。宮沢章夫さんや鈴木聡さんなど、提携事業で関わる演出家も多数参加。生田萬さんをまじえた第二部座談会が無類の面白さ。
3月24日
休養日。終日、雨の庭に咲いている桃の花をながめながらぶらぶらと。一昨年、前の家から連れてきた小さな木だが、昨年はさすがに一、二輪しか咲かなかった。今年は紅白のふっくらとした花をこぼれるようにつけて元気がいい。一時帰国への何よりの彩りなり。
3月23日
昼過ぎ上海虹口空港発。夕方羽田に舞い降りて、日暮れの都心を新宿まで、高速道路をリムジンバスで走る。車窓から眺めた二週間ぶりの東京の第一印象は、こじんまりとした「静寂の都市」。新宿副都心の高層ビル街も、そのつつましい佇まいが可憐で愛おしく。
3月22日
上海、最終日。当初の楽観的スケジュールからは一週間ほどの遅れだが、ゴールへの計算可能な範囲。パフォーマンスは南京昆劇の中堅、若手俳優、南京少年宮所属の子どもたち、ダニーの演出ともども順調な進行。あとは建築、設備など、現場進行との調整。
3月21日
毎日通っている万博会場の日々の変貌ぶりはまるで冗談のよう。巨大な建造物が植物の成長のような速度で姿をあらわし、みる間にさまざまな意匠と色彩に覆われていく。広大な敷地に展開するダイナミックな時間の中で自分も確かに歯車の一員。さあ、どこへ?
3月20日
海外でのものづくりは作業に集中できる良さとともに、外に逃げ場のない罐詰状態の息苦しさがあるのも事実。宿舎と会場の行き帰りに通り抜ける濃密かつ活気あふれる雑踏の中へ、そのまま紛れ込こんで逃亡する誘惑しばしば。中国の都市はたしかに今が旬。
3月19日
子どもが歌う場面をはじめて実際の舞台で稽古する。ある程度予想はしていたが、思った以上の仕上がりに向かいそう。七歳児の可憐さはもちろんだが、なによりも真っ直ぐで清潔なエナジーが水の波紋のようにごく自然に広い舞台にひろがっていくのが嬉しい。
3月18日
上海作業。ようやく歯車がうまく噛みあい回転をはじめた感じ(逆に言えば、こちらの方が次第に歯車に組み込みはじめているのかも知れないが)。ともあれかすかではあるが確実な手応えに、まずひと安心。お次は、これからの一山二山に備えたエナジー補給だな。
3月17日
上海でのマンウォッチング。浦東にある古手のショッピングモールの手すりにもたれて三十分、地下鉄駅の改札口で十五分。若い女性たちの服装センスの驚くべき変化。大半の人びとの歩く姿勢の良さ、歩幅の広さ、テンポの速さとか。その他、表情の穏やかさも。
3月16日
中国滞在も一週間をこえた。町を歩きながら目に入ってくる光景が変化してくるのがわかる。「色眼鏡」越しから裸眼へなのか、それとも裸眼から「色眼鏡」越しへなのか、にわかには判断できない。細部がくっきり見えるのは、最近変えた本物の眼鏡のせいだろうな。
3月15日
退院以来つづけている朝の体操メニューに、ヨガの「太陽礼拝」を自己流にアレンジした深呼吸がある。南京のホテルでは東向きの広い窓のむこう実際に昇ってくる太陽に向かって。ここ上海のコンドミアムでは眼下の公園に見えるゆったりとした太極拳とともに。
3月14日
南京、上海と中国の都市生活の日々。いまという時に、成長期にあるこの国の凄まじいエネルギーを頭から浴びるめぐりあわせの意味。せっかくの機会になにに耳を傾け、どこに目を凝らしておこうか。まずは時間の許すかぎり、いつもの「迷子散歩」をふらふらと。
3月13日
とりあえずの仕事始め。現状把握と問題点整理のためのミーティングから仕切り直し。今後五十日間の行程表がどうにかぼんやり描けたような。とはいえ油断は禁物。「仕事は遊びじゃない」と言い切るには、それなりのスキルが必要。二日つづけての愚痴日記なり。
3月12日
南京発。新幹線で上海。現場作業のはじまり。工事の遅れなどなど、とりあえず諸事予想通りといった展開。日頃破廉恥に生涯アマチュアを宣言しているのは、このような現場で時おり出会う、プロフェッショナルを標榜する「勘違い」スタッフの厄介さにも由来する。
3月11日
南京少年宮。中国各地にある子どもたちの活動施設。武術、スポーツ、美術、音楽、舞踊、演劇、その他、科学とか囲碁とか活動は多岐にわたる。日常活動から優秀者を選抜した専門教育も充実。今回の企画には、専属歌舞団所属の子どもたち12人も参加する。
3月10日
昼から南京昆劇院。ダニーが主導した俳優たちの作業を確認。南京での稽古を終えて、日程は上海の上演会場を使った最終段階に入る。稽古途中、ダニーを密着取材中の香港TVクルーの取材。久々に、事前準備の行き届いた気持のいいインタビューだった。
3月9日
羽田から空路上海。上海から南京は「新幹線」(技術提供JR。車両のデザインもほぼそのまま)で鉄路三時間。半日かけた移動のあと、ホテルでダニー、演出助手のロン、一日先行して子どもの振付をはじめた啓子とミーティング。怒濤の六週間の行方や如何?
3月8日
16日からはじまる「座・高円寺ドキュメンタリー フェスティバル」コンペティション部門審査会。田原総一郎、藤岡朝子、橋本佳子、森達也、吉岡忍ら専門家に挟まれて、観客代表を装ったあつかましき素人談義。錯綜しそうな議論を委員長田原さんがさすがのさばき。
3月7日
午前中、劇場。今日もアカデミーの稽古見学。帰宅後、明後日からの中国行きの支度。五月の博覧会オープンまで、延べ六週間ほどの滞在。旅には不似合いな分厚い二冊を別送のスーツケースへ。その他ふたりの作曲家からの宿題、オペラ台本用原作本を二冊。
3月6日
このところ連日、アカデミー一期生一年目終了発表の稽古見学。見終わって、ひと言かふた言、感想というか「自分ならこうする」というアドバイスをこころがけているが、これがなかなか難しい。どのように難しいか、興味があり、時間の都合がつく方々へのお誘い↓
(会場はいずれも座・高円寺/入場無料です)
8日(月)Aプロ 18:10受付開始 18:25開場 18:30開演
9日(火)Bプロ 18:10受付・開場 18:30開演
10日(水)Cプロ 14:40受付・開場 15:00開演
12日(金)Aプロ 18:10受付開始 18:25開場 18:30開演
13日(土)Cプロ 13:40受付・開場 14:00開演
13日(土)Bプロ 18:10受付・開場 18:30開演
3月5日
演劇という原始的、非効率な表現様式がいまなお人びとに受け入れられている理由に、あくことのない「疑い」がある。人はいつも、「これでいいのか」「本当にそうなのか」と問いつづけずにはいられない。「これでいいのだ」「こんなものさ」という傲慢演劇への唾を。
3月4日
終日、座・高円寺。アカデミー終了発表の稽古、ギャラリー展示の打合せ、区情報誌の取材、上海関連の音づくり、劇所で公演中の青年座プロデューサー水谷内さんとの雑談など、劇場内を上下に移動しながら過ごす。能率のいい仕事場というか遊び場というか。
3月3日
終日、自宅で原稿書き(打ち)。その昔、太目の万年筆を握って原稿用紙に向かっていた頃の風情が懐かしい。ものを書き始めたのは、そんな風情への憧れからだったと思う。内容より体裁を重んじる倒錯だが、そんなに珍いことでもない。若さとは大抵そんなもの。
3月2日
言葉で説明しきれるとすれば、それはつまり、対象が「言葉で説明しきれる」程度のものということを証明しているに過ぎない。言葉の役割は直感的理解への点火剤といった、あくまでつつましく補助的なものであるに違いない。ゆえにこそ、言葉の自在さをなお一層。
3月1日
退院以来、月曜日を自宅休養日と決めて予定を入れないこころづもりが、なかなかままならず。今日は午前中から税金の修正申告。e-Taxではじき出された税額がいくらなんでもの数字。間違い個所確認のため、話し中がつづく問い合わせ電話の架空行列に並ぶ。