2010年11月

11月30日

 

ウィキリークス経由で流出した、膨大な外交文書。

 

「情報」の価値が歪み、拡散し、色褪せていく時代の予感。

 

金融情報の世界ネットワークは、はたして?

 

憂いているわけではない。

 

原始の青空への期待感のような。

 

 

11月29日

 

劇場創造アカデミーの今後の運営について、カリキュラム・ディレクターをお願いしている生田萬さん、木野花さんとミーティング。

 

単なる演劇学校ではなく、公共劇場の活動と一体化した人材発掘の活動つくり出していくために、三者三様の視点と価値観が必要。

 

短い時間にいくつかのアイディアが飛び交い、内容の濃いミーティングになった。

 

とりあえず、来月からミーティングを定例化。

 

公募がはじまる三期生の応募者ははたして……

 

 

11月28日

 

短い原稿書きの準備のために、劇場のこどもプログラムについて思いをめぐらす。

 

人材育成、交流やネットワークとともに、こどもプログラムは、最近の公共劇場ではちょっとしたはやり言葉。

 

こどもを「種」に、通り一遍のアイディアを組み立てるのは比較的簡単。

 

しかし、本格的に取り組もうとすれば、最短でも十年仕事。

 

思いつきや片手間では絶対に片づかない、演劇についての「実力」が問われる。

 

 

11月27日

 

このところ劇場スタッフとともに、助成金申請をふくめて、来年度からの劇場運営に向けて基礎作業いろいろ。

 

昨年五月のオープン以来一年半、さまざまな幸運の重なりで、思いの外の順調な滑り出しだった。

 

たとえば、地域との連携については、何よりも、地域側の要所要所に、ことがらの本質を理解するキーパーソンが存在していたことがとても大きい。

 

事業プログラムをいくら工夫しても、具体的にそれを投げかけ、受け止めてくれる相手がいなければ、なんの意味も持たない。

 

さて、幸運を実質に変えていくための次の一歩……難しいぞ。

 

 

11月26日

 

余華『兄弟 brother』(泉京花 訳/文藝春秋)。

 

「文革編」「開放経済編」各四百頁の上下二巻を、二日間、爆読。

 

声をあげて笑ったり、思わず涙ぐんだり、まずは手練のエンターテイメント。

 

同時に、中国文学独特の腰の据わった批評精神とおおらかな詩情をとらえた翻訳が見事。

 

茅盾『子夜』を懐かしく思い出す。

 

 

11月25日

 

所用で出かけた日比谷のビル街。

 

アウトドアのカフェで、約束の時間まで三十分ほど読書。

 

ふと見上げると、ビルとビルの合間に秋らしい空が高く広がっている。

 

なんとなく、「よしよし」という気分。

 

ふーん、「よしよし」ね、ま、いいか。

 

 

11月24日

 

新宿末広亭11月下席昼の部。

 

落語芸術協会八十周年記念番組は、協会の特徴である色物の充実(小天華、ナイツ、うめ吉、今丸、ボンボンブラザース)もあって、めっぽう明るい寄席らしい四時間余。

 

中でも今日の収穫は、京太、ゆめ子の漫才。

 

アドリブ満載の自在な演技と意表つく「インテリ」ネタに感心。

 

寿輔、鶴光、鯉昇、昇太、という噺のバラエティもなかなか。

 

 

11月23日

 

座・高円寺のピアノと物語2『アメリカンラプソディ』。

 

12月の上演を前に、スタッフ、キャストが全員集合して、顔合わせと荒読み(そんな言葉あったっけ?)。

 

作者の斎藤憐さんも加わって台本のチェック、音楽監督兼ピアノ演奏の佐藤允彦さんも加わって音楽構成のつめなど、など。

 

今回の主役はジョージ・ガーシュイン。

 

前回のショパンとはひと味違う、軽快なエンターテイメントを目指す。

 

 

11月22日

 

山元清多を偲ぶ会。

 

神楽坂、黒テントの作業場に、たくさんの懐かしい顔。

 

13時~20時という長丁場に、終始、居心地のいい穏やかな時が流れた。

 

『与太浜パラダイス』の台本打ち合わせ、高田馬場の喫茶店での激論を思い出す。

 

こころに「書きたいこと」がいつも溜まっていた劇作家だった。

 

 

11月21日

 

伊丹泊。

 

午前中、ダニー・ユンとの能、昆劇交流企画のため、長く北京で昆劇を学んだ関西在住の前田尚香さんと面談。

 

午後四時過ぎから、伊丹AIホールで、劇場創造アカデミーの説明会。

 

面談と説明会の間、三時間余、伊丹の町を気まま歩き。

 

安価な床屋がやたら目につく町で、思わず散髪。

 

 

11月20日

 

大阪。

 

在阪演劇団体の集まり、大阪現代舞台芸術協会、「舞台芸術ゼミナール2010」講師。

 

劇作家の岩崎正裕さんなど、十四、五人の気持ちのいい集まり。

 

与えられた題目、「芸術監督について」を口実に、日頃の思いをあれこれ三時間ほど。

 

終わって、近所の韓国料理屋さんで、海鮮鍋を囲む。

 

 

11月19日

 

清水美和『「中国問題」の内幕』ちくま新書(2008年刊)。

 

中日新聞社中国総局長をつとめた著者の、長年の関心と情報蓄積によってまとめられた、中南海の竹のカーテンの向こうで繰り広げられているすさまじい権力闘争についての解読。

 

江沢民(上海グループ)vs胡錦濤、太子党vs共青団など、後書きで著者がわざわざ「仮説」と断り書きしているように、断定的なことはなにも言えないが、出版後二年間を経たいま、却って「なるほど」と頷きそうになる箇所も多い。

 

昨今の不安定な日中関係にも、大いに関係ありそうと思わされたところもある。

 

であればこそ、求められているのは、冷静さと長い射程をもった判断力なのだが……

 

 

11月18日

 

日々、劇場。

 

座・高円寺での作業をベースに、このところすべての営みがそのまま劇場に直結しているような。

 

劇場「は」世界ではなく、劇場「から」世界へ。

 

発信する劇場ではなく、受信する劇場を。

 

そういえば、今朝、来年から三年がかりで取り組む『戦争戯曲集』の作者エドワード・ボンドから、熱のこもったメッセージが。

 

 

11月17日

 

夕方、早稲田の演劇博物館へ。

 

来年からの能、昆劇交流企画について、館長の竹本幹夫さんの意見を伺う。

 

今月後半は、同じ内容のミーティングがあといくつか。

 

竹本さんからは、古典演劇のジャンル、作品の「復元」という、専門家ならではの研究主題への提案をいただく。

 

同時並行のダニー・ユンとの作品づくりにとっても、手がかりになりそう。

 

 

11月16日

 

舞台上の俳優は、いつも「お前はなぜそこに居るのか」と問われつづけている。

 

俳優の仕事は、つまるところその問いと向き合い、全身で引き受けることにつきる。

 

答えはない。

 

答えのない問いを、すべて引き受ければ、そこが世界の中心になる。

 

俳優に求められる「強度」とはそういうことだ。

 

 

11月15日

 

劇場創造アカデミー、飯名尚人さんの映像メディアWS、発表会。

 

映像を取り込んだパフォーマンスを三分以内で、という課題に二期生が二人ひと組で取り組んだ。

 

今日の五組を見た限り、それぞれ発想、表現とも面白く、楽しんだ。

 

ただし、ダンスや劇の背景に流される音楽同様、映像にもまた、「使えばなんとく様になる」という落し穴があるのも事実。

 

このところ劇場で、ずいぶんその「なんとなく」に付き合わされているもんな。

 

 

11月14日

 

昨年末、一カ月間の入院生活後の半年あまり、体のセンサーが鋭敏に働いていた、というか意識されていたように思う。

 

とりわけ内部感覚、心臓の鼓動や臓器の動きに気づかされる機会が多かった。

 

生活が普段の状態に回復するにつれて、次第に以前の状態に戻り、触覚、嗅覚などの外部感覚についてもことさらの意識はなくなった(なくなってしまった)。

 

それを「健康」のあかしとして素直に受け入れればいいのか。

 

それとも別な大きな「病」のしるしとして、あらためて問い直すべきなのか。

 

 

11月13日

 

座・高円寺、劇場創造アカデミー三期生募集のための説明会。

 

12人ほどの出席者に、生田萬さんと一緒に、アカデミーの趣旨を一時間ほど。

 

開講以来二年を経て、それなり実質のある内容話せるようになったか。

 

出席者からの質問もおおむね的確。

 

他の養成所とは違うアカデミーの個性が、ひろく認知されはじめた手応えを感じる。

 

 

11月12日

 

定期検査のため病院へ。

 

昨年の緊急入院以来一年目ということもあって、昨夜、担当医への質問を七項目用意。

 

質問への回答は、どれも慎重(要するに、どこか曖昧)な内容だったが、
当日検査した心電図、レントゲンの所見は良好。

 

とりあえず、事後経過は順調らしい。

 

ほっとした気分で、池袋演芸場昼席へふらり。

 

 

11月11日

 

終日、座・高円寺。

 

午後、二期生との面接とあわせて、一期生の演技ゼミ。

 

来年春の修了上演のテキスト(エドワード・ボンド『戦争戯曲集』)を使って、舞台に「立つ」体と意識の強度について。

 

簡単なエチュードを積み重ねながら、丁寧に俳優の「仕事」の場所へ近づいていく。

 

「演劇については何も知らない」と言い切れる場所=時へと。

 

 

11月10日

 

今週と来週は、一日、三人ほどのペースで劇場創造アカデミー二期生への面接がつづく。

 

二年目のカリキュラム編成のために、一年目の研修内容の感想と、二年目への希望をひとりずつ聞いていく。

 

アカデミーの運営は、座・高円寺の仕事を引き受けた大きな動機のひとつ。

 

受講生の質にもめぐまれ、現在までは、まず順調な運営。

 

問題は3~4年後に想定している「果実」の収穫。

 

 

11月9日

 

東京都歴史文化財団主催の国際シンポジウムを聞きに、青山国連大学ビルへ。

 

「アジア、文化の星座~やわらかな”協働体”からの芸術発信」という題目が不思議。

 

同時通訳を介して、ダニー・ユンをふくめてパネラー九人、二時間という窮屈なプログラムだったが収穫もいくつか。

 

「韓国型」文化政策への「追いつけ追い越せ」的な昨今の風潮の深層を垣間見る。

 

来月、横浜であるダニーとの公開対話への課題多々。

 

 

11月8日

 

夜、座・高円寺で論創社の高橋宏幸さんを交えて、『学校という劇場から-演劇教育とワークショップ-』編集会議。

 

学芸大学の院の受講生を中心にまとめた実践記録集。

 

昨年三月の退職から、そろそろ二年。

 

ようやく出版への最終段階にたとりついた。

 

来春からは、この本をベースに劇場アカデミーのマスター・クラスを開講の予定。

 

 

11月7日

 

「からだ」を回路とする思考。

 

生まれたての赤ん坊にとっての触覚、味覚。

 

目を閉じたとたんに意識される聴覚のひろがり。

 

「見る」「見られる」という自意識から解き放たれた視覚がとらえる、自然の「記号」性、などなど。

 

「吾、思うゆえに吾らあり」。

 

 

11月6日

 

渋谷駅新南口の喫茶店で、ダニー・ユンと面談。

 

ダニーは、アジア舞台芸術祭シンポジウム出席のために昨日、上海から来日。

 

来年からはじめる、共同プロジェクトの現段階での詰めの話をいろいろ。

 

お喋りなふたりのあっという間の三時間。

 

interpreterとして付き合ってくれた川口さん、ご苦労さま。

 

 

11月5日

 

いつだって「かたち」はそれなりに出来る。

 

出来てしまう。

 

しかし、少しの油断で「かたち」は檻になる。

 

「かたち」を捨てる、捨てつづける。

 

わたしにはもともと「かたち」はない。

 

 

11月4日

 

座・高円寺。

 

アカデミー授業をふくめて、木曜日は終日、劇場暮らし。

 

会議、打ち合わせ、雑務いろいろ。

 

合間に宮沢章夫さんのエッセイ、「坪内逍遥の速度」(タイトルは不正確)を読む。

 

精緻な内容と心地いい語り口に感心……ちょっと凄いな。

 

 

11月3日

 

宿発9:10-(前夜予約の白タク)-西塘駅-(バス)-上海南駅-(タクシー)-上海虹橋空港第一ターミナル-(全日空)-羽田国際ターミナル-(モノレール)-(JR)-(タクシー)-自宅着19:10。

 

二年あまりのひと仕事、ようやく完結。

 

振り返れば、途中、病床での幻想を挟んで、これまで体験したことのない、どこか現実離れをした不思議な「とき」の流れだった。

 

はたしてこの経験が、予定しているダニーとの共同作業にどのようにつながっていくのか。

 

それとも、いまだ夢の中に……

 

 

11月2日

 

縦横十文字に走る運河沿いの古鎮の風情。

 

古い民家を利用しているものの、そのほとんどが土産物屋、バー、民宿と、西塘はまぎれもない観光地。

 

それには違いないが、なんというか、観光で生きる人々の普段の暮らしのテンポがいい。

 

若いカップルが目立つ中国人の観光客を横目に、啓子とふたり(若くないカップル)、ただぼんやりと一日町を歩き回る。

 

夕食は昨夜と同じ店で毛蟹など。

 

 

11月1日

 

上海からバスで二時間弱、古鎮西塘へ啓子と小旅行。

 

宿の手配その他、演出付の通訳をつとめてくれた包さんのアレンジによる。

 

責任感のつよい包さんは、その上に一泊われわれに同行までしてくれる。

 

日暮れに、人力三輪車に乗り継ぎ西塘着。

 

夕食は、赤い提灯が揺れる運河沿いの食堂で。