2010年7月

7月29日

 

東京/上海便は、飛行時間のせいで機内サービスの映画を丸ごと見るのがなかなか難しい。大抵は最後のクライマックスにさしかかるところで、「あとは映画館で」みたいな感じで時間切れになってしまう。今日の『グリーン・ゾーン』もそう。うーん、結末が見たいよう。

 

7月28日

 

明日からの上海行きを前に、自宅でデスクワーク。どういうわけかとんとんとはかどり、ふーん、こんな日もあるんだ、と自分で感心。こんなことは半年に一度くらいに思えばいいのだが、いつの間にか基準値となって、自分の首をしめる。何回繰り返しても同じ過ち。

 

7月27日

 

書斎のPCを離れ、午後から座・高円寺。打合せ一件、取材一件のあと、唐十郎『少女仮面』。離風霊船、伊東由美子の生誕50周年記念企画(!)。演出担当、唐組久保井研の几帳面な取り組みが印象的。久しぶりに聞く唐さんのせりふの生真面目さによく似合う。

 

7月26日

 

真夏日の真昼。暑さはひどいが、人通りが極端に少なくしんとした町は、それはそれでなんとなくいい感じ。帽子のひさしをぐいと下げて足元を見るとくっきりとした短い影が。熱中症を用心したゆっくりとした歩みは正解?不正解? 気がつくと小一時間の気儘散歩。

 

7月25日

 

アイヴァー・グッドソン、パット・サイクス『ライフストーリーの教育学』(高井良健一他、訳。昭和堂)。久々にノートをとりながらの読書。「ライフストーリーの物語は活発な協働、つまり『人間の主観を構成するさまざまな実践を脱構築する過程』のための出発点となる」。

 

7月24日

 

終日、自宅。原稿書きというよりは、PC前強制着席。ようするに仕事のはかはさほどでもなく、妄想、迷想、愚想の時を漫然と。ま、嫌いじゃないけどね。というよりは、以前から日々の大半をこのように過ごし、これからも過ごしていくのだろう。無駄なるときをひたすら。

 

7月23日

 

アカデミーⅠ期生、演出ゼミ発表会。演出コース四人のプレゼンテーションを聞く。四時間の長丁場のあと、期待をこめて辛口のコメントを少々。「本(テキスト)を読む」ということの再考を促す。「わたし」から「わたしたち」への転機は、演出のテキスト読解にはじまる。

 

7月22日

 

座・高円寺。週一回の定例スタッフミーティング、アカデミー生の身体表現基礎発表会、建築関係の業界紙取材、その他打合せいろいろ。スタッフからのあたらしい提案、報告を整理しながら、劇場の未来についてノートにイメージをメモ。目標はこのうち三割の実現。

 

7月21日

 

猛暑日。座・高円寺へ。午前中、区との定例打合せ。あたらしい公共施設づくりには行政の理解と協力は不可欠だが、杉並区の取り組み姿勢の真摯さはほんとうにありがたい。与えられた機会をさらに生かすような、開館三年目に向けてのビジョンづくりをそろそろ。

 

7月20日

 

猛暑の中、東京への出発時間まで那覇国際通りを散策。黒テント公演で連日情宣(情報宣伝活動)を展開した三越前には、来沖する度、かならず一度は足を向けてしまう。意図せざる定点観測、三十年余。近隣諸国からの観光で戻ってきた賑わいの行方は如何?

 

7月19日

 

沖縄最終日。去年の参加者をふくめて、今日も会場には元気な子どもたちの声が。四年目の作業で、やっと子どもという主題へのトバ口にたどりついた。終わって、ホテルにもどりバーベキュー食べ放題豪華打ち上げ。90分の時間制限が窮屈でもあり程よくもあり。

 

7月18日

 

四年前の初参加から、毎年、上演会場ににこやかな笑顔を見せて下さる古堅宗光さん。NPOこざまち社中の役員。復帰直後の黒テントコザ公演以来の顔見知り。コザの町に腰をすえる古堅さんのような人に出会うたびに、遊行者としての自分の役割を再認識する。

 

7月17日

 

キジムナー・フェスタ開幕。『ピン・ポン』三日間の上演初日。観客席に身を置くと、本格開催から五年目になるこのフェスタが、地元の子どもたちという素晴らしい観客を確実に育てているのが伝わってくる。「子ども」という主題の大切さ。同時に、難しさも忘れずに。

 

7月16日

 

商工会議所に特設された会場で、舞台仕込みと稽古。東京上演の経験をふまえて微調整いろいろ。昨年まで三年間の劇場づくりからはじめる作業と比べて、肉体的、精神的な負担は軽い。その分作品に集中出来ると言えば言えるが、油断していると落し穴もまた。

 

7月15日

 

午後、那覇空港着。すっきりとした青空と夏らしい雲の出迎え。コザのキジムナー・フェスタ事務局へ直行。参加四年目で顔見知りの増えた事務局スタッフと笑顔の再会後、一便早く到着していた上演チームと合流。会場下見から夜の食事会へ、初日日程を淡々と。

 

7月14日

 

昨日、今日と『ピン・ポン』座・高円寺上演。明日から沖縄へ。予想以上の来場者を得た二日間の客席やホワイエの様子が、思い描く劇場らしさに近づいてきている。長年の夢に向かいようやく手がかりを得た『ピン・ポン』、息長い再演を重ね丁寧に育てていきたい。

 

7月13日

 

パソコンを立ち上げるたびに、ガガガガガというアナログな雑音が聞こえる。ファン関連のどこかが痛んだのに違いない。排気口からの熱風とあわせて、早晩、ダウンの可能性大。あれこれおしゃかにする前に後継機に切り換えたいが、「親指シフト」がやっかいもの。

 

7月12日

 

溝口迪夫さんが亡くなった。2002年に世田谷PT上演したルイジ・ルナーリ『パードレ・ノーストロ』の翻訳者。ボローニア大学への留学を繰り返し、熱心なゴルドーニ研究家でもあった。ヨーロッパ演劇に詳しい兄貴分として、半世紀あまりの交誼を得た。ご冥福を祈る。

 

7月11日

 

明日の劇場入りを前に『ピン・ポン』最終稽古。三年間のキジムナー・フェスタへの参加、ワークショップや創作の積み重ねが、ようやくひとつの形としてまとまった手応えがうれしい。四年前には想像出来なかったこのスタイルを、実際の上演を重ねて育てていきたい。

 

7月10日

 

選挙前日。四つの選挙が重なった杉並区では、連日、駅前その他で各政党の候補者が演説。各党とも参議院に区長、区議の候補者の名前をずらりと連呼する様子が、わかりにくく鬱陶しい。誰のための何のための選挙か。誰のための何のための政治なのか。

 

7月9日

 

『ピン・ポン』稽古前に、アカデミーⅡ期生の前期発表を見る。課題場面をオムニバス風にまとめた生田萬さんの構成、指導が絶品。自戒をこめて思うのは、人材育成の難しさ。育成ではなく発見、教えるのではなく伝えること。才能と希望に向きあうしなやかな感性。

 

7月8日

 

『ピン・ポン』、初日まであと六日。ようやく全編通し稽古にたどりついた。粗通しで50分。目標の40分は自然短縮で可能だろう。アカデミーの前期発表、伊東由美子さんの『少女仮面』と、地下3階のけいこ場は終日大賑わい。1階劇場には韓国からの劇団が到着。

 

7月7日

 

一年間の事業について委員会に報告(座・高円寺運営評価委員会)、俳優志望者たちとオイディプスの立ち方を探る(アカデミー授業)、三百個のピンポン玉と戯れる(『ピン・ポン』稽古)。七夕の日、今日も一日劇場で過ごす。より創造的、より自由な言葉を求めて。

 

7月6日

 

ここ二日ほどのいかにも練れない観念的な内容の日録は、書きあぐねている原稿への言い訳。400字×20枚に、いくら間に病気をはさんだとはいえ、もう丸一年もああでもないこうでもないと呻吟している。大学生活九年間のつけの支払いは、かくも過酷な結末へ。

 

7月5日

 

演劇をはじめ、すべてのライブパフォーマンスは、究極には、その時々の観客の想像力の中に完結する。求められているのは、観客席の多様な想像力を強力な「表現行為」に収斂させるのではなく、「表現行為」を観客席の多様な想像力に開放するための演劇論。

 

7月4日

 

ワークショップは社会的な問題についての解決「方法」のひとつであったはず。それ自体を「目的」とするものでも、コミュニケーション・スキルの向上というような、漠然とした目標への「手段」でもない。ましてや、食えない演劇人のための活動場所などではない。

 

7月3日

 

『ピン・ポン』稽古、アカデミー、運営評価委員会など、このところ劇場の外への視線とアンテナがいささかお留守。まとまった読書もとどこおりがち。毎日の劇場通いが決して苦痛ではなく、用がなければ、終日、地下四階をさまよい歩く。お主、座・高円寺の怪人かい。

 

7月2日

 

劇場創造アカデミー、一期生終了まであと八ヶ月。このところ彼らの終了発表のことが頭を離れない。限られた二年間で、二十人の受講生全員の将来について責任がもてるはずもないが、絶対失敗させたくない個性も何人か。劇場育ちの演劇人誕生を期待しつつ。

 

7月1日

 

『せりふの時代』最終号。事前に知ってはいたが、感慨、いろいろ。はなやかな公演助成をめぐって右往左往の一方で、根幹部分の衰えは隠しようもない。「トウキョウ演劇」の末期症状は誰の目にもあきらかだと思う。求める演劇は、たぶんここではない別の場所に。