2010年6月

6月30日

 

『ピン・ポン』作業日。tupera tupera(亀山&中川さん)と出演者(久保、光田)、それに音楽の磯田さんも加わって、ピンポン玉200個ほどの着色、などなど。途中、衣装を手伝ってくれる今村さんがサンプル持参。既成服をベースにしたデザインの細部についてつめる。

 

6月29日

 

周囲あふれるニュース(情報)という商品。サッカー、ワールドカップとか、大相撲の野球賭博疑惑とか。これからはたぶん、参議院選挙とか、民主党内の権力綱引きとか。どこからか荒涼と吹く風の音が聞こえてくるような、寂寞とした気分の由来はなに。さあ、歩こう。

 

6月28日

 

『ピン・ポン』稽古。過去三年間の沖縄キジムナー・フェスとのかかわりを、うれしく反芻する。真夏の太陽の下、コザでの試行錯誤の日々があって、ようやく今回の作品にたどりついた。次の目標は息のながい再演。出来ればいつか、ぶらりとインドネシアあたりへ。

 

6月27日

 

今秋からスタートさせる三年間企画の構想。もうひとつ、座・高円寺アカデミーの展開。創造活動への「幻の」二本柱が見えてきた。とりあえずは闇雲の実現を目指すよりも、柱についての精密な設計図づくりに腰をすえて取り組もう。そう、実行は誰の手によってでも。

 

6月26日

 

流山児★事務所、坂口瑞穂『お岩幽霊』観劇。ザ・スズナリ。俳優たちの演技がいい。ベテラン勢の充実、若い俳優たちの清潔感ある力演。何よりも俳優集団の現在、その関係性をわき目をふらず追いつづけた流山児の演劇観が、直球勝負で観客席を揺さぶる。

 

6月25日

 

イリア/エミリア・カバコフ『プロジェクト宮殿』(国書刊行会)。ロシア出身のアーチストの図と文による、個人の夢に由来するさまざまな小さなプロジェクトのアーカイブ構想。それ自体作品化された構想による、歴史上の巨大プロジェクトへのユーモラスな批判的省察。

 

6月24日

 

七月選挙。住んでいる杉並区は、参議院選(東京地方、比例)をはじめ途中降板の区長選、区議の補欠選と、あちこちにワイドなポスター掲示板。最近にわかにパワーアップした「老人力」を勘案しつつ、候補者四人を間違えなく書きわけられるか、と取り越し苦労。

 

6月23日

 

今日からはじまる岸田理生フェス『リア』上演のため、座・高円寺1はひさびさの形状模様替え。オープン以来二度目の中央シャッターの開放など、まったく表情の違う空間に変身。中規模ブラックボックスの面白さを引き出す、技術監督岩崎さん以下、スタッフの奮闘。

 

6月22日

 

座・高円寺の主催事業「あしたの劇場」について、区の教育委員会と打合せ。昨年、イタリアのテレーサとつくった『旅とあいつとお姫さま』に、今年も区立小学校四年生全員を招待。この事業を息長く育てていくための、学校/委員会/劇場のさらなる協力関係を求めて。

 

6月21日

 

新聞の凋落はたしかとは思うが、小泉ポピュリズムあたりからあからさまな、世論調査による世論誘導の主役もまた新聞。いまのところネットニュースの方も、発信元のほとんどは従来通りの新聞社か通信社。分散した小権力の集合によるネオファシズムへの一歩。

 

6月20日

 

公共劇場をめぐる最近のさまざま。「劇場法パニック」の余波、子ども対象にわか事業の氾濫、いつの間にかの系列化や階層化の進行……などなど。いずれも劇場側、アーチスト側の論理が先行。肝腎の地域、納税者、来館者は置き去りのまま。劇場の哲学はどこ?

 

6月19日

 

今年のキジムナー・フェスタに参加する『ピン・ポン』稽古。断続的につづけてきたワークショップで見つけたさまざまな要素を、全体の見取り図の中に置いてみる。今回共同演出として参加の絵本作家ツペラツペラ(亀山さん、中川さん)の爽やかな視線を補助線に。

 

6月18日

 

定期検診。先日のCT検査の結果を聞く。当分のあいだ、降圧剤による血圧コントロールのよう。「ストレスを避けて」というアドバイスに、実はそれがいちばんのストレスと陰の声。病気以来、たしかに日常生活の基本トーンは変化したが、それはそれで楽しまないと。

 

6月17日

 

座・高円寺の子ども関連事業について新聞取材を受ける。「公立劇場(コミュニティシアター)→地域→子ども」という論理の脈絡を正確に伝えられただろうか。このところ雨後のタケノコのようにあちこちで立ち上がっている安直な子ども企画への違和感とあわせて。

 

6月16日

 

梅雨日。曇り空と湿気の風情は嫌いではない。というか、自分たちの民族性の基底にふれる感覚ではないかと思っている。これに潮のかおりが加わると、われらが島嶼文化の輪郭がぼんやり浮かび上がってくるような。独断的妄説には違いないが、なぜかうれしい。

 

6月15日

 

日米安保五十周年。そうか、あれから半世紀、と、五十年前の六月十五日、国会前庭で激しくぶつかり合う人と人の波に飲み込まれながら、心底恐怖におののいた十六歳の自分を思い起こす。終生の課題となった逃亡の原点はいまも生々しい。逃げきれるか?

 

6月14日

 

上海でのダニーとの打合せからのつながりで、今後、五年間ほどの「鴎座」活動計画について、具体的なイメージを思い描く。劇場に生きる「演劇活動家」か、あるいは、演出、劇作家としての「創作」中心の日々に向うか。年齢、体力を考えながら、悩ましい選択を。

 

6月13日

 

昼過ぎ、上海発。帰りの機内で山形治江さんの『ギリシャ劇大全』(論創社)を読みはじめる。現存する悲劇、喜劇を網羅した簡にして要を得た解説書。面白い。長い間のもつれた糸が気持ちよく解れていくのが心地いい。処女作『イスメネ』以来の片思いを再確認。

 

6月12日

 

上海万博ナショナルデー。粛々と進行する催事は催事として、つき合ってくれたダニー・ユンと今後の能楽と昆劇との交流、共同作品の可能性などについて、終日、断続的な打合せ。個人的には積年の宿題、、郭宝崑『霊戯』上演の実現になんとかつなげたいと願う。

 

6月11日

 

一ヶ月ぶりの上海。周辺の町の様相をふくめて、以前と違う落ち着いた雰囲気。上海万博ようやくフルオープンといった感じ。日本館メインショーの各組みを観劇後、運営チームと打合せ。これで今回の作業は一段落。初体験づくしの二年間があと残すものはなに?

 

6月10日

 

二年目を迎えた劇場創造アカデミーに、成果へのたしかな手応えを感じている。「人材育成」とうい便利な言葉にまどわされることなく、次世代の劇場人を「発見」し「創造」する過程は、そのまま自分を含めてこれまでの演劇・劇場を根底から問い直す機会でもある。

 

6月9日

 

他人の言葉を他人として発語する。他人の言葉を自分自身の観点をまとわせて発語する。舞台上の俳優という存在のあやうげな二重性。演技はその「ずれ」と「ぶれ」を通して見えてくる。演じているのは俳優ではない。演技を演技たらしめるのは観客席の想像力。

 

6月8日

 

終日、自宅作業。難行している原稿を離れ、その他の雑務いろいろ。思いのほかテンポよく進んだが、南京昆劇院との次の作業構想メモでちょっと足踏み。長い間の宿題になっている郭宝崑『スピリッツプレイ』をテキストにあたらしい作品づくりを目指したいのだが。

 

6月7日

 

長野県塩尻。日帰り。県の舞台技術者協会研修会で、お喋り二時間余。題目は「劇場と芸術監督」。まだまだ抜け穴だらけだが、60人ほどの聞き手に座・高円寺一年間の運営でつちかった「劇場<空き地>化構想」について、はじめてまとまった話の機会を得た。

 

6月6日

 

『ピン・ポン』稽古。ツペラツペラはお休み。かわりに音楽の磯田さんが加わり、冒頭シーンの試作。終わって啓子と吉祥寺へ。食事のあと、万博出演の南京昆劇院の俳優とプレショーMCへのプレゼント購入。ジャパンデー出席のため、11日から二泊三日で上海。

 

6月5日

 

在日米軍の抑止力か自主防衛の軍事力か、この二者択一はほんとうに正しいのか。第三の道はすべからく観念論なのか。議論の前提として、日米安保を結んで以来、米軍の抑止力によって回避された日本の危機が一度でもあったのならば、誰か教えてもらいたい。

 

6月4日

 

『ピン・ポン』ワークショップ。今日はツペラツペラ(亀山くん&中川さん)のファシリテート。蛍光絵の具で彩色したピンポン玉をブラックライトで照らしたり、各自が創作したピンポン玉ゲームをみんなで遊んだり。出演者三人と構成者三人。三時間あまり夢中で過ごす。

 

6月3日

 

昨日の日記。都庁の爺さんを「野郎事大」と記した。今日、辞書でたしかめると、「野郎自大」が正解。他人の悪口に誤字は恥ずかしい。というわけで↓に変更。「ベケットカフェ」初日。アフタートークで三十分お喋り。ここが今、ぼくには一番身の丈にあった発言場所。

 

6月2日

 

つい先頃、区長が任期を一年残して辞任したと思ったら、今度は首相が辞任。さすがになんとなく落ち着かない気分。いっそのこと、中間の都庁に居すわっている傲岸無礼爺さんにもつき合ってもらいたい、などと埒もないことを。乱世、混乱、変化に基本的に賛成。

 

6月1日

 

『ピン・ポン』、稽古二日目。ダンボール箱から10ダースのピンポン玉をけいこ場の床へ。四方に転がる玉の動きのダイナミズムと美しさ。冒頭シーンのイメージが一気に立ち上がる。早速、照明の横原さんに電話して、機材調達を依頼。三日後には確かめられそう。