9月30日
今年二度目の名寄出張。
北海道は、訪れる季節によって周囲の景色が劇的に変わる。
紅葉がはじまったばかりのいまは、山や野の植物の微妙な色合いが時に息をのむほどに美しい。
東京だって、ほんらいはまったく同じ。
自ら断ち切った自然とのつながりは、こうした季節のよろこびもともども色あせさせてしまった。
9月29日
銕仙会能楽堂(青山)、櫻間金記の會。
「神男女狂鬼 素の魅力」と題して、素謡、舞囃子、仕舞、独吟、袴狂言による翁付五番立てという意欲的な企画。
面、装束なしに舞台に立つ金記さんの、気負いなく、端然とした構えの美しさ。
「忠度」の仕方の骨格、「芭蕉」の精の枯淡と「野守」の鬼神の気魄。
日曜の午後、文字通りの「夢幻」に遊ぶ。
9月28日
『森の直前夜』、稽古。
この作品の最初のハードルだった膨大な量のせりふおぼえに、どうやら目途がついてきた。
ここからしばらくは、パフォーマーも演出も、一歩も逃げ場のない過酷な日々になる。
稽古後、「鴎座」四回目の客演となる笛田宇一郎さん、ドラマトゥルクの西さんとともに中仕切の小宴。
そうか、演出のぼくには西さんという頼りがいのあるセコンドがついている。
9月27日
アカデミーⅣ期生、演技演習の発表会。
太田省吾さんの『ヤジルシ』に挑む。
自分たちとは遠く隔たる言葉を、クラスの集団制を手放さずにまっすぐに追い求めた爽やかな印象。
劇場創造アカデミーならではの研修が実現したと思う。
指導の木野花さんに感謝。
9月26日
劇場創造アカデミーⅣ期生、演出ゼミ。
修了上演のレパートリー『戦争三部作』を題材に、演出志望3人、舞台美術志望1人による演習。
過去三回の上演を経て、今期は外部出演者の助けも借りて、三部作一挙上演を目論んでいる。
いまのところ、研修生四人のテキストへ切り込みはそれぞれ個性的で面白い。
丁寧な討議を繰り返しながら、なんとか上演にまでつながるといいのだが。
9月25日
『森の直前の夜』稽古。
ドラマトゥルクの西さん、「手伝い隊」田中さん、参加。
せりふ覚えを確認しながら、全体の二分の一弱まで。
いまさらだが、全体で一時間半におよびそうなひとり語りは膨大なせりふ量。
真っ正面から挑む笛田さんと対峙するうち、演出方針が素直に固まった。
9月24日
『森の直前の夜』、稽古、始まる。
笛田宇一郎さんとのふたりだけの稽古場。
ただし、今日は「手伝い隊」の田中ゆかりさんも参加して三人。
笛田さんはひたすら喋り、こちらは目を凝らし、耳をすましてひたすら聞く。
コルテス、変幻自在のテキストの妙。
9月23日
資料整理二日目。
手書き時代の戯曲原稿は、どのテキストも完成稿の三~五倍ほどの破棄稿がある。
そのほとんどが、ビリリと引き裂かれずに、未練がましくそのまま残っている。
ワープロ、PCになってからは、すっきりと最終稿のみの保存。
ただし、ワープロ、PCのフロッピー保存分は復元がやっかいそう。
9月22日
午前中、愛宕山下の菩提寺に墓参り。
御布施受け付け口の賑わい。
荻窪で文房具買い物のあと、帰宅。
午後からは、梅山いつきさんに手伝ってもらって個人資料の整理。
得体の知れない紙屑の山に、ぼんやりと脈絡が見えてきた。
9月21日
久留米からの帰り、CDで志ん生を聞く。
『探偵うどん』という珍しい噺。
「一杯食った」というサゲのためにだけあるようなたわいのない噺だが、明治初期という時代背景が面白い。
演者がかもしだす雰囲気が、登場人物たちに奇妙なリアリティを与える。
落語を演じるのではなく、落語の中に生きる芸の境地。
9月20日
昨日夜から、九州久留米市へ。
土地との縁は面白い。
黒テント時代、久留米は九州での拠点のひとつだった。
現在、仕事をしている市役所にも、町にも、当時出会った懐かしい顔が何人か残っている。
最後の黒テント上演から二十三年、旅はまだつづいているのかも。
9月19日
年末の南京、上海と来年六月の北京。
一昨年から能と昆劇の交流プロジェクトをきっかけにはじまった、中国との交流の新しい展開。
通訳というよりは、いまやプロジェクトの大切な仲間のひとりとなった延江アキコさんとの打ち合わせ。
個人的には八十年代からの「アジア演劇」のひとつの帰結だが、最近、その意味を思想的に見直すきっかけになる本を系統的に勉強中。
中国という主題は、われわれの「希望」の命綱となる可能性を秘めている。
9月18日
会議日。
午前、午後と会場を変えて二件。
どちらもそれなりに重い内容だったので、一昨日、昨日と事前準備にやや手間取った。
そのおかげで、どちらも大過なく無事終る。
夕陽を眺めながら、四谷駅の屋外カフェで一息。
9月17日
座・高円寺『ふたごの星』、千穐楽。
午前、午後二回の学校公演を観劇。
背後から見る子どもたちの反応に思うこといろいろ。
三年目の今年、もう一度、原作と脚色の原点に立ち返り、大胆、かつ細密な見直しを全編を通しておこなった。
俳優、スタッフの協力と努力は無駄ではなかったと思う。
9月16日
台風、通過。
関西に上陸、各地に洪水被害をもたらしながら本州を北上。
コース上にある福島第一原発のことが気になり、TV、ネットを探索するがめぼしい情報はほとんどなし。
何か理由があるのだろうか(あるのだろうな)。
京都からは、嵐山の洪水の真ん中にアナウンサーを立たせて、相変わらずの現場中継が送られてきているのに。
9月15日
台風接近中。
激しい雨と秋らしい陽ざしとがせわしなく入れ替わる不思議な一日。
影響されたのか、終日、奇妙な浮遊感の中に過ごす。
読書、構想メモ、二カ月放置してあった掛け軸の掛け替え。
今日は早寝、と思っているが。
9月14日
市ヶ谷、左内坂スタジオへ。
劇団解体社のあたらしい本拠地。
普通の家屋の一部を改造した、いかにも解体社らいし風情のある空間。
交叉する坂道にはさまれた地勢が発する「気」が、さらにその感を強めているような。
開設記念公演『INFANT』、上演後主催者の清水信臣と久しぶりに話す。
9月13日
NHKアレルギーにかかってしまったようだ。
ニュース番組を筆頭に、NHK-TVのすべての番組がまともに見られない。
アレルギーというよりも、NHK的な「良識」の罠に対する底知れぬ恐怖感と言った方がいいのかも知れない。
周囲の様相が地滑りのように変わりはじめている。
巻き込まれたくない、絶対に。
9月12日
終日、座・高円寺。
会議、打ち合わせの面談、アカデミー授業、書類づくり、などなど。
劇場という場所の仕事は、結局のところ、人と人とのふれあいをつくり出すことにつきる。
ふれあいは変化を招き寄せる。
変えるための場所、変わるための場所、そういうことだ。
9月11日
資料調べに西荻の図書館へ。
帰り道、近くの杉並アニメーションミュージアムに立ち寄り、大友克洋『AKIRA』をDVD鑑賞。
発表当時(1988年)、コミックス版と比較して内容の奥行きが浅いとか、背景の画質、吹き替えの演出など、気になるところがいろいろあって、世評ほどには乗り切れなかった作品。
再見は、昨今、ネット上を飛び交っている「2020年東京オリンピック」を予言、という話題が引き金だが、いま改めて見直してみると、そのようなディティールよりも、作品の構想そのものが福島以後のわれわれの「いま」と「近未来」を見事に言い当ててているように感じられる。
コミックス版の再読、必須。
9月10日
町歩きに新宿へ。
途中、中央線で、座・高円寺帰りの松田正隆さんと会う。
アカデミーの授業日の由。
「何しに?」と、松田さん。
「ちょっとものを考えに」と、私。
9月9日
丸山哲史『思想課題としての現代中国-革命・帝国・党』(平凡社)。
近頃まれな本との幸福な出会い。
中国というよりは、自分が住んでいるこの国の現在、未来について、長い間、思いをめぐらせながらも、きちんと論理にまとめられなかったことが的確に整理されたような気がする。
冷静、簡潔な思考と文体が気持ちいい。
引用されている中国側文献(毛沢東の過去発言をふくめて)の内容も水準もなかなか。
9月8日
中国から連絡二件。
年末の南京、上海企画と、来年六月の北京企画。
今年五月のワークショップを引き継いだかたちの北京企画は、スケールアップして魅的。
早速、旅費などの資金調達に取りかからないと。
「鴎座」制作と合わせて、九月は台本書き二件、助成金など交渉ごといろいろ、か。
9月7日
午前一時。
偶然チャンネルを合わせたNHKでは、2020年のオリンピック招致をめぐる五時間(!)の特別番組を放映中。
国営放送のしらじらしさは毎度のことだが、それにしてもすきま風の合間をしらけ鳥が飛び交うスタジオのうそ寒さは異常。
アルゼンチンのプレゼンテーション映像をふくめて、誰ひとり自分自身の言葉を喋っている人間がいない。
暗澹たる気分のまま、早々にスウィッチを切る。
9月6日
エアコンなしの一日。
「ようやく」と一息つきながら、午前中は自宅でたまった領収書の整理作業。
パソコンのOSを「XP」から「7」に変えたせいか、使っていた「帳簿」用無料アプリの動作に不具合いろいろ。
いつもの通りネットで救済策を探し回り、適当にいじくってみるうちになんとか解決(であることを祈る)。
午後からは、『しあわせ日和』稽古。
9月5日
座・高円寺の劇場創造アカデミーの後期授業始まる。
後期は四期生(研修二年目)の演出ゼミを担当。
修了上演のテキスト、エドワード・ボンド『戦争三部作』を材料に、演出についての実技演習。
開講四年目にして、ようやく「私の演出論」を語れそうな気がしている。
演出とは何か‥‥という自問自答への、見切り発車的解答の覚悟とでも言ったらいいか。
9月4日
ダンス01スタジオで『しあわせ日和』稽古。
ひと言も言葉を発しないパフォーマンスの背後にある緻密なテキストの確認作業。
ベケットを解体し、自作の克明なノートに再構成していく出演者の作業に、演出側からの視線はどのようにかかわればいいのか。
『森の直前夜』とあわせて、今回の二演目は、個人劇団「鴎座」第Ⅱ期上演活動存続の根拠を根底から問うものとなるだろう。
瀬戸際の劇場からの「極私的演劇宣言」。
9月3日
ひとり劇団の制作業務。
昨日から取りかかっていた、ネットへの情報発信体制(専用HPと団体FBの開設)、一段落。
FBのチラシ置きの呼びかけに、すかさず二件の応答あり。
反応の早さがうれしいが、同時に、ネット情報は持続力がない。
たくさんの「いいね」ボタンをチケット申し込みなど、上演につなげていくための工夫、算段はまだこれから。
9月2日
『ふたごの星』、初日。
午前10時30分開演。
集中力のある客席に、舞台のすべてがしみ入るように広がっていく。
が、子どもたちのエネルギーはやはり凄い。
いたずらに踏ん張るのではなく、上手に自分の帆で受けて共に先に進まなければ。
9月1日
『ふたごの星』、舞台稽古二日目。
今日も、ダブルキャスト二組をそれぞれ一回ずつ。
三年目の今回で、ようやく賢治童話の物語とた空きビンを使ったオブジェクトパペットという演出コンセプトが自然につながった。
当初プランの実現か、それとも当初プランへのからの解放か。
参加したキャスト、スタッフ全員の真摯な模索の積み重ねによって生まれた清明で暖かな空気感がここちいい。