小劇場運動へ 2006年

2006年

あらためて初心に返って、ぼくにとってはおそらく最後になるだろう、小劇場運動をはじめようと思う。ことさら声高な呼びかけをおこなうことなく、個人的なひろがりの場所からひっそりと歩み出してみよう。
「運動」という言葉については、ひとそれぞれ、さまざまな意味づけや思いがあるだろう。ぼく自身は、以前から、自分の演劇のいとなみそのものをいったん虚構化するための梃子として、それを用いてきた。その意味では、一九六〇年代後半から現在まで、ぼくは自分 たち の演劇活動について、いつもどこかで、なんらかのかたちでの「運動」を意識しつづけてきた、といえなくもない。
そのような煩雑な手つづきが、なぜ必要だったのか。ぼくとは別な場所で、いま、あえて「前衛」を冠した運動組織を構想する清水信臣(劇団解体社)が書いている。

 

我々は、この国の演劇がそもそもの始まりから無力であったことを知っている。すなわちこの国は、天皇制ファシズムが文化イデオロギー装置として絶対的に機能していた(る)がゆえに、とりたてて他の文化装置を必要としなかった──(「『身体の演劇』を通して」演劇批評誌『シアターアーツ』二十七(二〇〇六夏)号所載)

 

清水がいう「この国の演劇」は、「この国の近、現代演劇」として読むことができるだろう。その上でぼくはこの指摘を、「この国の(近、現代の)あらゆる文化装置は、究極において、天皇制 ファシズム の文化イデオロギー装置そのものとして機能する」という、清水がいうのとは、いわば逆の方向から理解する。「この国の 近、現代演劇」は、「そもそもの始まりから無力」であったのと同時に、一方で、「文化イデオロギー装置」としての「天皇制(ファシズム)」を、なんらかの意味で補完するものとしてあったし、いまもある。
そこから逃れる、というよりは、この国にあるかぎり否応なく強制されつづけるそのような転位にたいして、多少なりとも自覚的であろうとするために、ぼくは、自分(たち)の演劇のいとなみそのものの虚構化を必要とした。
しかし、自分(たち)の演劇行為をいったん括弧にくくり、客観化するための「運動」をいうだけでは、やはり受け身に過ぎるだろう。ささやかであはれ、ことあらためて小劇場運動を揚言する以上、それが依拠する理念について、最低限の機軸は示しておかなければならない。
ぼくはいま、自分(たち)の演劇がおかれている環境を、「トーキョー演劇」と名づけ、対象化できるのではないかと考えている。おびただしい数の演劇が、日夜、休むことなく上演され、一見、世界有数の演劇都市の活況を呈している、東京。そこにある演劇の総体を、仮に「トーキョー演劇」として一挙にひとくくりにしてみると、おぼろげに見えてくるなにかがある。
「トーキョー演劇」を知るためには、かならずしも頻繁に劇場へ足をはこび、そこでの上演にふれる必要はない。というよりも、おそらくそれは不可能だろう。上演の数の多さだけのせいではない。それにも増して、おこなわれている大方の上演や、上演をめぐる言説の極端ともいえるような「均質性」が、相互の識別を困難にし、また、無意味にもしている。
「新劇」、「小劇場(アングラ)」の呼称はとうの昔に失効し、歌舞伎をのぞいて、「商業演劇」の呼び名や領域も、いまやそれほどあきらかではない。表層的な現象としては、その歌舞伎をさえふくめて、演劇「界」ではさまざまな人的交流が活発におこなわれ、彼我をへだてる垣根はかつて考えられなかったほどに低くなった。ことの是非への判断はおくとしても、このような現象の要因について、いくばくかの検証はしておかなければならないだろう。
端的にいって、それは、劇場という場所における、欲望の交換をめぐる制度にかかわる問題としてとらえられるのではないか。演劇もまた、ひとつの「なりわい」の具の側面をもつ以上、いつの時代にも、そこに「市場」のリアリズムとでもいうべき力学がはたらくことは、ある程度までは理解できる。しかし、現在の「トーキョー演劇」ほどに、すべての演劇の価値基準が、「市場」とその周辺にある情報によって支配され、限定されている光景は、やはり異様といわなければならない。しかもその「市場」は、「トーキョー」という曖昧な外延によって囲われた、外部をもたない内側だけの、特殊に自足した「市場」なのだ。劇場における欲望は、「市場」の原理によってなかば無意識に、しかも自発的に抑圧される。観客の欲望もまた、計測された量のなかに埋没する。
皮肉なことに、このような現象は、この国に、かつての演劇人たちが渇望してやまなかった、国家による助成金制度が成立し、実際的に機能しはじめた一九九〇年代後半から、一挙に顕著なものになった。国家による演劇「文化」への助成は、演劇そのものというよりは、演劇「市場」の活性化を、劇場における欲望の交換の再編成をうながしたのだろうか。
思いをめぐらせば、助成金制度は、いつの時代にも、文化の領域にたいする国家の統制へ、間接的な検閲へと、次第に移行していく危険を常にはらんでいる。とりわけ現代においては、「トーキョー演劇」に見られるような、助成制度と連動した無定見な「市場」化こそが、まさにその徴候であるといえなくもない。
だが、そうであればなおのこと、助成をおこなう国家の意図を忖度する前に、まず、問われなければならないのは、助成を受ける側、演劇にたずさわり、日々、創造し、思考する立場にあるもたちの内部、その欲望の所在についてだろう。いまという時代を生きるものにとって、演劇への飢えとはどのようなものであり、ほんらい、なにによって、どのようにして充たされなければならないのか。「トーキョー演劇」の活況は、そのことへの真摯な反省を反語的に求めている。

 

他人への言及としてではなく、あくまでも自分自身への問いかけとして、ぼくはいま、それを痛切に思う。ことばへの、ことばによる小劇場運動へ。「トーキョー演劇」におおわれた、演劇をめぐる言説の均質化、陳腐化に抗して、古くてあたらしい一歩を、おのれの欲望を根拠に踏み出さなければならない。