あらゆる認識において、「背景」は決して「前景」とは一体にならない。だが、「前景」はいつでも「背景」と一体化し、その一部にふくまれ得る。自明の理だ。とはいえ、この時、「背景」なる名辞の意味するものがそれほど自明であるというわけではない。
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同じようなレトリックは、「他者」と「自己」についても転用できる。「他者」は「自己」とは一体化せず、「自己」は「他者」にふくまれ得る。しかるに、「他者」なる名辞の意味するものは、それほど自明であるというわけではない。
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永遠という概念の中に「永遠」という言葉は存在しない。虚妄という概念の中に「虚妄」という言葉は存在し得ない。言葉を前に人が途方に暮れているのか、それとも途方に暮れているのは言葉、それ自体なのか。
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表現が伝えようとするものは、結局、単純なふたつの言葉に要約出来る。「わたしはここにいる」。「わたしはあなたとは違う」。表現はいつも、いままさに「危機」にある人間によって生み出される。
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「わたしたちはここにいる」、「わたしたちはあなたたちとは違う」。演劇表現が内包する前近代性の所以。
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歴史は存在しない。ただ認識される。歴史の虚構性は自明である。しかもなお(にもかかわらず)、現にある「いま」を論述するために、われわれは歴史という大いなる幻影を必要とする。
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宗教(神)のいかがわしさは、迷妄な不合理性にあるのではなく、むしろあまりにも明快なその合理性にある。
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死の実相は、われわれがふだん「死」と呼びならわしているものとはまったく違ったなにものかであるに違いない。
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死への恐怖。しかし、われわれがこの世に生まれおちる以前の来るべき生への恐怖は、それにもましてすさまじいものであっただろう。
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人はしばしば永世を願う。それこそが絶対者によって下される最高の罰のかたちであるにもかかわらず。