2009年1月

1月31日

 

座・高円寺ではじめる「劇場創造アカデミー」の受験者締め切り日。

 

20代で演劇を活動に足を踏み入れて以来、はじめて取り組む本格的な「劇場人」養成。

 

大学10年間で出会い、交流がつづいている7~8人とともに、「鴎座」のというか、ぼく自身のこれからにとって、大きな意味をもつだろう。

 

同劇場の「あしたの劇場」(子どもたちとのプログラム)企画もまた。

 

「~のため」ではなく、「~のためにならない」演劇の足跡を。

 

1月30日

 

一日、雨。

 

連日、企業の業績悪化と職員解雇の報道がつづく。

 

フランスではストライキをふくむ250万人参加の労働者デモ。

 

経済「危機」(というより「破綻」だろ?)の現実を前に、お上が宙に浮かばせる「対策」アドバルーンの無力は明らか。

 

「怒り」と「忍耐」は、かならずしも矛盾しない。

 

1月29日

 

多数決ではなく、全員が分かち合う合意形成への緩やかな過程。

 

大学での十年間、主題のひとつだったワークショップについての現時点での結論。

 

院の授業に顔を出した高尾隆さんの、「ワークショップは近代システムの脱構築」という発言に頷く。

 

授業が終わって、高尾さんからは、「いきなり大きな問題で、ふだんの思考回路が混乱してしまった」とからかわれた。

 

ぼくにとって、大学もまた、劇場と同じ「妄想」生産の場所だったのかもな。

 

1月28日

 

サイトを現在のかたちにしてから、来訪者の数が少し落ちたような。

 

(常連だった零壱さんからも、最近、「掲示板」への書き込みで指摘された)

 

さもありなん……なんだか「らしさ」がなくなってしまったもんな……

 

とういうのが、個人的見解。

 

目下、思案中。

 

1月27日

 

座・高円寺で、製作家具の最終打合せなど。

 

開館まで、毎週、2日~3日を作業日に当てているが、書類づくり、スタッフ打合せ、来客との面談と、席の暖まる暇がない。

 

一種、高揚感のある劇場のオープニングの作業はもちろん嫌いではないが、理想と現実との妥協点を探るひとつひとつの判断は難しく、また、迷いも多い。

 

公共劇場のあたらしいプロトタイプをつくり出すという当初の理想を失わずに、どこで折り合いをつけるのか。

 

世田谷パブリックシアター時代に俄か勉強した「公共性」への考察が、ここへ来て以前にも増して重く想起される。

 

1月26日

 

小森陽一、崔元植、他編『東アジア歴史認識論争のメタヒストリー』(青弓社)。

 

2004年~2007年におこなわれた、日韓の歴史、社会学者らによるシンポジウム「韓日、連帯21」の記録。

 

先行した「日中・知の共同体」での経験を踏まえた、島村輝「-居心地の悪さ-に直面すること」にある「感情記憶」に注目する。

 

「南京大虐殺」に関連して中国社会学院の孫歌が提出した概念だが、相互理解に至る過程でのキーワードのひとつかも知れない。

 

歴史を語る「文脈」の重要さはもちろんだが、「文体」についても同様に。

 

1月25日

 

今年は二年間つづけてきた沖縄のキジムナーフェスタでの作品づくりの最終年度。

 

子どもたちとの作品づくりの体験は、当初思い描いていた方向とは大きく違った内容になった。

 

シンガポールからの助っ人、ビジュアル・アーチストのリー・クンユーの影響も大いにある。

 

子どもたちの声にしっかり耳を傾けることの大切さと難しさ。

 

座・高円寺で計画している「あしたの劇場」とあわせて、未知の領域への期待、不安。

 

1月24日

 

昼過ぎ、一瞬、舞台のつくりもののような粉雪が舞う。

 

年々、東京で雪景色を見る機会が減っているような気がする。

 

理由はともかく、たった半世紀ほどの時の流れの中で、気候も大きく変わっていく。

 

人もまた変わる。

 

その可能性を手離したくない。

 

1月23日

 

終日、座・高円寺。

 

この期間、可能なかぎり事務室に居て、スタッフの作業の流れを知り、ディレクターとしての適格な対応の術を整理しておきたい。

 

ことに、組織の意志決定について、わかりやすく、かつ、柔軟な方法の発明が必要だ。

 

劇場の「柿落とし」に立ち会うのはこれで十回目。

 

今回は「今に拘泥せず、明日につなげる劇場」という、あたらしい目標をもって。

 

1月22日

 

講義の合間に、大学院教務へ提出された修士論文を取りに行く。

 

振り返ると、十年間であわせて十人近くの修士の論文を「指導」し「審査」してきた。

 

卒業論文の方は、優に五十人をこえる。

 

与えられた機会に、伝えるべきをきちんと伝えられたか。

 

受け取るべきをきちんと受け取ったか。

 

1月21日

 

アメリカのオバマ大統領就任に平仄をあわせたような、イスラエル軍のガザ撤退。

 

政権交替期のアメリカ外交の空白状態に乗じた、あざとく、確信犯的な軍事行動の行方はまだ予断を許さず、見定め難い。

 

いずれにしても、国連安保理決議の動向からも、これもひとつの隠れた「アメリカの戦争」であるのは確か。

 

歴史にほんとうに「あたらしい時代」はあるのだろうか。

 

流された血の記憶のなんという無力さ。

 

1月20日

 

神楽坂の黒テント作業場。

 

入団後七年目以内のメンバーが中心になって企画した、『イスメネ・控室・地下鉄』の稽古を見る。

 

俳優座の養成所を卒業後、劇団青芸の研究生になった夏に、上演のあてのないまま書いた処女作。

 

四十三年ぶりに、当時を知る由も無い若い俳優たちによって発語されるテキスト。

 

タイムスリップして、二十代の自分の肉声を聞かされるような感覚に、いささかたじろぐ。

 

1月19日

 

少し長めの文章を、原稿用紙に手書きで書いている。

 

いまでも戯曲の第一稿は手書きが多いが、ふつうの文章はほんとうに久しぶり。

 

「書く」よりは、「書いたものを眺めている」時間の方が遥かに長いせいもあって、手書きとキー打ちの違いは、予想以上に、文章の内容そのものに影響する。

 

鉛筆書きのたどたどしい文字に、不可能に挑むという、仕事をはじめたばかりの頃の、「書く」楽しみと気負いの片鱗が。

 

未覚池塘春草夢(水辺の若草夢のなか)。

 

1月18日

 

自宅作業。

 

久しぶりに、夕食をつくる。

 

「しめじ入りトマトスープ」と、貰いもののイクラを、豪華にフィーチャーした「(タラコまぶし)スパゲッティ」。

 

付け合わせに「じゃがいものシンプルソテー」。

 

総量三人前を夫婦で完食。

 

1月17日

 

朝七時に家を出て小金井へ。

 

大学センター試験の監督員。

 

今年は120人収容の大教室を担当。

 

9時から18時30分まで五科目。

 

終わって、緊張からの解放感はあるが、達成感皆無の不条理な一日。

 

1月16日

 

座・高円寺、竣工式。

 

区関係者の和やかな顔にほっとひと息。

 

構想以来、あっという間の五年余。

 

これまで携わった行政関連の劇場計画のうちでは、もっともテンポの早い展開だったような。

 

劇場のステータスが決まる、これから(開館後)の二年間が正念場。

 

1月15日

 

大学院の授業で、久しぶりにプレヒト『処置』を読む。

 

思いがけない今日的な生々しさに、ちょっとびっくり。

 

「教育劇」をふくめて、大学生活の最後にブレヒトの再読に取り組むという成り行きは予定外だったが、それなりに納得。

 

テキスト『処置』について、これまでとはまったく違った読みが出来そうな気が。

 

次週の履修生たちの感想が楽しみ。

 

1月14日

 

一日中、座・高円寺周辺。

 

明後日の竣工式を控えて、区役所の担当者には、なんとなく「一仕事の終了間近」の雰囲気が。

 

一方、劇場事務所には、開場間近の作業が、日々、怒濤の如く押し寄せている。

 

合間に、併設されるカフェのコーヒーのスタッフ試飲会に飛び入り参加。

 

二月からは、メニュー決めのための試食会もおこなわれるとか。

 

1月13日

 

個人的には「悪い世の中」は嫌いではない。

 

というよりは、「良い世の中」(そんなものが、あるとすればの話だが)に生きるのは、かなりつらいものがあるに違いないと、勝手に予想している。

 

天の邪鬼と言われれば、たしかにその通りかも知れないが、「悪い世の中」をさまざまあがいて生きるのは、別に来るべき「良い世の中」を期待してではないだろう。

 

同様に、来世の平穏を願ったり、規範にするのも嫌だ。

 

ようするに、悪行の報いは、日々、手持ちの現金で精算。

 

1月12日

 

最近顕著なのは、「玉突き」型物忘れ。

 

たった今、何をやろうとしていたのかを忘れ、その代わり、そのひとつ前に忘れてしまっていたことをひょいと思い出す。

 

ふーむ、これはいかなる症状であるのか。

 

結局、辻褄はいつかは合うといえば合うのだけれど、まあ、能率はかなり落ちる。

 

出来そうもないほどの量の仕事をやたらに抱え込んでしまうこのところの傾向も、この変則物忘れが関係しているかも。

 

1月11日

 

振り返ってみると、これまで出会った人びとよりも、出会い損なった人びとの数の方が遥かに多いのに気づく。

 

さまざまな場面で折角顔をあわせていながら、関係の糸をうまくつなげられず、あとになって、残念にも、惜しくも思う人びとはたくさん居る。

 

出会い損ないの原因は、ほとんどの場合、ぼく自身にある。

 

「早トチリ」「思い込み」「入れ込み過剰」「無いものねだり」、その他いろいろ。

 

傲慢と粗忽の病。

 

1月10日

 

学芸大学演劇ゼミ卒業公演の稽古。

 

岸田国士の短編戯曲三編(『秘密の代償』『葉桜』『ヂアオログ・プラ,タニエ』)を上演する。

 

岸田作品の内容と文体に親近感をもって選択した学生たちの志向が興味深い。

 

今回は演出ではなく、上演アドバイサーとしての参画だが、その分、作品と学生たちの関係を客観的につかまえられそうな気がする。

 

演劇の「現在」についての解剖学。

 

1月9日

 

昨年暮れに劇場の建物に引っ越しをした、「座・高円寺」準備室へ。

 

建物の中では、仕上げ、調整、追加の工事が連日つづき、事務所にも正式な家具類が間に合わず、旧事務所の備品を流用した仮住まい。

 

それでも、ようやくここまでたどり着いた、という安堵感はある。

 

ひと息ついている暇はもちろんなく、プレ事業、開館記念式典、グランド・オープンと、五月まではそれこそ一気呵成だろう。

 

怒濤にうかうか巻き込まれないように、そろそろ「実務」から「妄想」へ、担当セクションを移動しておかなければ。

 

1月8日

 

正月休みを終えて、大学へ。

 

久しぶりにプールに飛び込むような、ちょっとした緊張感の中、学部の講義を三コマ。

 

あと一月半で学生諸君との交流も終わる。

 

大学教員十年の経験が、座・高円寺で始まる「劇場創造アカデミー」と力を入れる予定の子どもたちとのプログラムにうまくつながっていくといいのだが。

 

楽しみながら学びつづけたい。

 

1月7日

 

明日は大学の仕事はじめ。

 

講義の内容もだが、学生諸君とのコミュニケーションという意味からも、しっかりとした取り組みでゴール前の一走りを終えたい。

 

伝えておきたいことは三つ。

 

「想像力」と「自由」と「協働」と。

 

いずれも自分のためではなく、「他者」への働きかけとして。

 

1月6日

 

松の内も明日まで。

 

十日ぶりに作業ノートを開いて、今年一年の作戦を練る。

 

大学の退職と新劇場開場とが重なる前半、後半はオペラの演出と「鴎座」の三回目の上演。

 

その間に、沖縄キジムナーフェスタ三年連続企画の最終年、か。

 

長距離よりは、中距離レースのペース配分を考える必要がありそうだ。

 

1月5日

 

三日、イスラエル地上軍、ガザ地区へ侵攻。

 

いつの時代にも繰り返されてきた、「力」への過信に由来するあけすけなやり口。

 

将来、イスラエルはこの代償の支払いに長く苦しむことになるであろう。

 

……と、いうような傍目八目の悪態でもついていなければ、耐えられないような、新年早々の気分の悪さ。

 

キューバでは、はったりめいた演出皆無の革命50周年記念式典。

 

1月4日

 

イタリア演劇の研究家、溝口迪夫夫妻、来宅。

 

四十年以上前、創立間もないアンダーグラウンド・シアターで上演した、ルイジ・カンドーニ『ヒロシマのオイディプス』の翻訳者として出会う。

 

当時、有楽町にあったエール・フランスの東京支社に勤めていた溝口さんを時々襲って、昼食をたかっていたことを思い出す。

 

エール・フランスを中途退社後、ローマ大学でゴルドーニを中心にイタリア演劇研究という、早稲田の演劇科出の演劇的高等遊民のひとり。

 

今年秋の鴎座上演予定作品の協力者。

 

1月3日

 

アメリカの友人、デビット・グッドマンからメール。

 

新年の挨拶とともに、秋に早稲田大学であった通称「アングラ祭り」についてひと言。

 

デビットとは、三日間の会期の二日目、「運動の演劇」セッションに出演した。

 

初期の芝居に書いた歌の歌詞を丹念に選び出し、その意味を問うた彼の質問への(デビットいうところの自己>晦めいた)答が、彼を相当当惑させているようだ。

 

次の機会に、自分にとって、アングラは、客観的に言及できる歴史でも、回顧すべき「物語」でもないことを、あらためて説明しておかなければ。

 

1月2日

 

一日、原稿書き。

 

合間に、スペインの現代作家エンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』を読み始める。

 

不明にしてマタスは未知の作家だったが、本屋の立ち読みで、訳者のあとがきにあったイタリアのタブッキの名前に誘われて購入した。

 

ものが書けなくなった作家、詩人をめぐる八十四の断章からなる小説。

 

主題、語り口、ともに興味津々。

 

1月1日

 

元旦。

 

朝、六時五十分の初日の出を見たあと、おせち料理の重箱づめ、雑煮づくりなど。

 

啓子とふたり、近所の神社に初詣。

 

なにはともあれ、大学づとめが終わり、あたらしい劇場がひらき、私的には転換の年であるのは確か。

 

状況の変化を、内容の変化にどのように結びつけられるか。