2009年4月

4月30日

 

「絵本カーニバル」の期間中、同時開催する絵本、画集を中心にした「本の楽市」の搬入、仕込み。

 

高円寺を中心に、新刊、古書をわせて十五軒の本屋さんが棚を並べる。

 

会場の一階ホワイエに、書籍独特のにおいが一気にひろがる。

 

あっと言う間に過ぎていった一カ月。

 

明日の十時、塀の穴から「空き地」への一番乗りは誰?

 

4月29日

 

座・高円寺のオープニング事業、「絵本カーニバル」仕込み。

 

記念式典の能舞台と階段客席が跡形もなくなくなり、かわりに絵本一千冊がレイアウトされた不思議な広場が出現した。

 

劇場の変化のダイナミズムは予想以上。

 

すべて手組という手仕事がそれぞれの空間の完成度を高めた結果だろう。

 

技術スタッフの力量と努力に感謝。

 

4月28日

 

なぜ自分は、演出家としても劇作家としてもアマチュアであることにこれほどこだわるのか。

 

オープン直前の座・高円寺の事務所に通いつめながら、しきりと考えつづけている。

 

ひとつには、この国の「現代演劇」へのやみがたい思いがある。

 

歌舞伎という完成度の高いプロの「庶民演劇」に抗して、はたしてそれは可能なのだろうか。

 

行く手は遥か彼方。

 

4月27日

 

一年後(あるいは二年後か?)までにまとめたいと思っている、演劇論(というか説)のための目次づくり。

 

ここ一週間ばかりぼんやり考えていたことを文字にしてみると、予想していたよりははっきりとした道筋がたどれそうでちょっと嬉しい。

 

ここで安心して先には進まず、とならぬよう、今回は同行者ふたりに手助けを依頼する。

 

四日後からはじまる劇場管理人の日々との折り合いをつけながら、一年間(あるいは二年間)少しだけ無理をしてみたい。

 

頭とこころが完全に錆びついてしまわないうちに。

 

4月26日

 

座・高円寺、開館記念祝典。

 

晴天に恵まれ盛況。

 

式典で演じられた山本東三郎さんの「三番三」、ねじめ正一さんの自作詩朗読『高円寺の子』、いずれも絶品。

 

すっきりと格調のあるいい催しになった、と、小さくガッツポーズ。

 

夕方からは、渡辺えりさん司会による、演劇関係者と地元との和気藹々の交流パーティ。

 

4月25日

 

父の十七回忌。

 

法事の食事会の前に、雨の中、啓子と墓参り。

 

菩提寺で、偶然、弟、甥夫婦と出会う。

 

食事を終えて、高円寺へ。

 

明日の式典の明かりあわせ、ほか。

 

4月22日

 

座・高円寺。

 

明後日の開館記念祝典に向けての会場づくりが始まる。

 

主劇場の正方形な空間に、「三場三(叟)」のための簡素な能舞台。

 

他にまだあまり例のない中規模ブラックボックス(250席)の面白さ。

 

靴を脱いで所作台にあがり、足を踏みしめて音の鳴りを確かめる。

 

4月23日

 

座・高円寺。

 

午前中、定例のスタッフ全体ミーティング。

 

午後から、新国立劇場芸術監督の鵜山さん、昨日に引続きダニー・ユン、秋に上演する『旅とあいつとお姫さま』の翻訳者石川若枝さん、カフェ「アンリ・ファーブル」スタッフとのミーティング。

 

合間に地下二階ギャラリー・スペースの照明工事の点検。

 

開館記念式典(26日)、開館(5月1日)、高円寺の町中で展開する「びっくり大道芸」(2日、3日)と、あと十日間はこの調子の日々がつづきそう。

 

4月22日

 

今日も劇場に十三時間。

 

合間に、アカデミーの授業と、別件で来館した香港の演出家ダニー・ユンとの打合せなど。

 

アカデミーは受講生たちの意識が高く、毎回、気も、手も抜けない。

 

疲れるが、面白い。

 

ダニーとは初めての本格的な共同作業……こちらも疲れそうで、面白そうで。

 

4月21日

 

沖縄での一定の手応えを得て盛り上がった演出家モードをいったんクールダウンして、今日から十日間は、否応なく、何が何でも座・高円寺に集中。

 

賑やかな慌ただしさというよりは、スタッフ一同の静かな集中の圧力をひしひしと感じながら、一日デスクにはりついて、開館記念式典の台本づくりなど。

 

合間合間に、取材やミーーティングが三十分刻みで入ってくる。

 

フランス著作権協会からの将来に向けたプロジェクトの打診、地元九商店会の会長が顔を揃えて下さった、オープニング企画「びっくり大道芸」の最終打合せなど。

 

平常心はもちろんだが、平常「身」にもこころしておかないと。

 

4月20日

 

朝、那覇のホテルで、琉球大学の中村透さんと会う。

 

「見えない船」の作曲、その他、協力を依頼し、快諾を得る。

 

準備の体勢は整った。

 

座・高円寺を開けたら、早速、台本にとりかからないと。

 

うーん、五月はちょっと大変なことになりそうだぞ。

 

4月19日

 

ワークショップ、二日目。

 

参加者は四人だったが、その分、集中した作業が進む。

 

八重島公園、生い茂るガジュマルの枝の下の野外劇場のイメージがぐんぐんひろがる。

 

短い時間だったが、直接、子どもたちと触れ合い遊ぶうちに、実にさまざまなことに気づかされた。

 

「見えない船」(今年の作品タイトル)はすでに出帆してしまっているらしい。

 

4月18日

 

沖縄市(コザ)での子どもたちとのワークショップ、一日目。

 

啓子とファシリテーターを分担しながら、十人ほどの参加者と二時間。

 

「一体これはなんだ?」という不安からも抜けきれない子どもたちと、いきなり核心にまっしぐらといった進行になってしまったが、収穫いろいろ。

 

どでも行ける船の図十数枚、「ゴー、コケッ、ゴー、フワッ」に始まるオノマトベ詩とその詩を元にした簡単ダンス。

 

終わって、市民会館裏の八重島公園に下見に行き、上演場所を決める。

 

4月17日

 

八月のキジムナーフェスタ上演の事前ワークショップのため、啓子とともに沖縄入り。

 

久しぶりの演出家モード。

 

出迎えのプロデューサ下山さんと話すうち、この四年間のフェスタでの経験が、座・高円寺でのプログラムづくりはもちろん、自分の演劇観や今後の活動計画にも大きな影響を与えたことを再確認する。

 

「あしたの劇場」への思い切ったシフト・チェンジ。

 

明日から二日間、子どもたちとの作業が楽しみ。

 

4月16日

 

人は自分の「居場所(home)」をどの自分で程度わかり、また、他人に示すものなのだろうか。

 

たとえばぼく自身は、「居場所」をひとつに定めずに、その時々、かなり自由に移動させる「仮住まい」派のように思う。

 

さらに言えば、ヤドカリ型というよりは、明らかに「仮住まい」派カメレオン・タイプ。

 

言い方を変えれば、場所によってコロコロ変わるお調子者。

 

とまどいはいつも、まず、自分自身に。

 

4月15日

 

劇場創造アカデミー、授業。

 

振り返ってみると、演技についての系統的、かつ技術的な実技指導をおこなうのは、今回がはじめて。

 

一期目十三回は、受講生たちに「面白くないぞ」と引導を渡した「せりふの記憶」法。

 

この十年間あまり、さまざまな現場での実践を通して、ほぼ確信にいたっている方法論を、まず、完全に身につけてもらおうと思う。

 

学芸大学の学生からは、冗談半分に「信メソッド」などと呼ばれていたっけ。

 

4月14日

 

4月26日の開館記念祝典、5月1日のオープンに向けて、毎日の時間が加速度を増す。

 

能天気な表現をすれば、最終ロケット切り離し寸前の宇宙飛行士のような心境。

 

目の前に迫って来る「未知の領域」への期待と不安とスリル……

 

おっと、四日前の「ゆりかもめ」をよき反省材料として、運転士気取りであまり浮かれないように。

 

きちんと椅子に腰を落ち着けて、果たすべき役割を的確に。

 

4月13日

 

朝、自転車で座・高円寺へ。

 

今日の作業は、区の担当との定例ミーティングから。

 

稽古場では五月末に幕をあける流山児★事務所『ユーリンタウン』の稽古がはじまり、カフェでは劇作家協会の理事会が。

 

演劇人が集う場所としての「劇場」の雰囲気が、徐々に出来上がってきた。

 

昼食時、理事会が終わった永井愛さんから、「例の件」をめぐるその後の情報いろいろ。

 

4月12日

 

終日、自宅作業。

 

ここ十日間ほどの書類や伝票を整理したあと、八月、沖縄のキジムナーフェスタで上演するピースのスケッチ。

 

今年は四年前に出会ったフェスタでの、三年計画作品づくりの最終年度にあたる。

 

上演イメージとおおまかなストーリーラインがどうやら形になった。

 

あとは、今週末、沖縄での子どもたちとの物語づくりワークショップで。

 

4月11日

 

「ベケットカフェ」Vol.2、顔合わせ。

 

今回の稽古場としてお借りしている、舞踏家の武内靖彦さんの「スタジオ サイプレス」にて。

 

館主の目と手仕事が隅々まで行き届いた、清潔で気持ちのいい空間。

 

演出・企画担当の川口智子、鈴木章友のふたりを中心に、翻訳・企画協力の早稲田大学の岡室美奈子さんはじめ、ほとんどのスタッフ、キャストの顔が揃う。

 

川口智子の「おんなの子/ベケット」宣言。

 

4月10日

 

仕事の打合せでお台場まで。

 

遠くからながめるだけで、いままで意識してなるべく近寄らないようにしていた地域。

 

新橋発の「ゆりかもめ」にはじめて乗車する。

 

無人運転の先頭車両、最前列の席を確保できたのが運の尽き。

 

いままでのへそ曲がりをすっかり忘れて、車窓に展開するどこか遊園地めいた「未来都市」の光景にこころがはしゃぐ。

 

4月9日

 

アカデミーの授業もはじまり、座・高円寺は、オープニング前の慌ただしさの中にも、ようやくスタッフと作業それぞれに、ルーティンワークの落ちつきが見え始めた。

 

それに従って、今年一年、ここでのぼくの仕事の流れも少しずつ定まりつつある。

 

どうやら、劇場での作業量というよりは、「存在」量が問われている。

 

延べ十回目の劇場柿落としで、はじめて劇場運営のためにしばらく常勤体勢を考えなければならないようだ

 

この歳にして、またもや「未知の領域」へか。

 

4月8日

 

「知っていること」を知っている。

 

「知らないこと」を知っている。

 

「知らないこと」を知らない。

 

もうひとつ、「知っていること」を知らない。

 

精神分析学の藪の中。

 

4月7日

 

やっかいなのは、「他人のため」というめくらましだ。

 

大抵はそれは口実に過ぎない。

 

それでは、むき出しのエゴが正直なのか。

 

むきだしのエゴなんて、ほとんど見せ掛けだ。

 

他人への想像力を欠いた「他者依存」に過ぎない。

 

4月6日

 

座・高円寺、「劇場創造アカデミー」の入所式。

 

三十二人の受講生(内、十人は座学のみの受講)と、別役実、生田萬、高尾隆、竹屋啓子の講師陣、および劇場スタッフの初顔合わせ。

 

ひとりひとりの自己紹介を聞きながら、「面白くなりそうだぞ」という確信を強める。

 

なによりも、全体に明るい雰囲気なのがいい。

 

この場所から、何人のあたらしい「劇場人」(別役実)が巣立っていくだろうか。

 

4月5日

 

「鴎座」劇団総会。

 

一昨日から、延べ五十時間に及ぶ大激論。

 

個人劇団の総会は、いつでも、どこでも、いくらでもが便利だが、きりがないといえば、まあ、きりがない。

 

「ああでもあるしこうでもある」と、自問自答を巡らした末に、ようやくなんとか結論を出す。

 

十二月に予定していた第Ⅱ期上演活動3は、残念ながら延期(詳細は、近日、サイトで告知)することにした。

 

4月4日

 

高校(都立駒場)時代の同期生の集まりにはじめて出席。

 

息子さんの高円寺阿波踊りが縁で、先月、座・高円寺で久しぶりに再会した早川さんが三十年にわたって毎年つづけてきた「雑魚の会」。

 

花見客で賑わう善福寺川沿いを電動アシスト自転車で二十分、早川さん宅にはすで十四、五人のそれぞれどこかに見覚えのある顔が。

 

十五分ほど名前を確かめ合うちに、ひとりひとり、年輪が刻まれた顔の下に、セーラー服や学生服がくっきりと浮かび上がってきたのが面白い。

 

過去を懐かしむというよりは、自分をふくめて、若い精気に溢れた若者たちの背中を、いま、後から追いかけて走っているような不思議な感覚。

 

4月3日

 

『せりふの時代』09年春号(小学館)。

 

責任編集の日本劇作家協会との縁で、「座・高円寺」の小特集が組まれている。

 

しかし、今回の読み物の白眉は、「新国が深刻」と題された永井愛さんによる新国立劇場芸術監督問題のレポート。

 

取材した事実を歯切れよく積み重ねながら、問題の深層をみごとに浮かび上がらせた。

 

返す刀は、この国のジャーナリスト、批評家など、演劇言論人たちの怠惰と保身、情けない日和見ぶりにもたぶん届いている。

 

4月2日

 

啓子と青梅の川合玉堂美術館へ。

 

写実を「切り出す」素早い線、存在を「浮かび上がらせる」余白の技巧。

 

久しぶりに、玉堂ならではの清廉な魅力を楽しむ。

 

あたらしい発見は、画面に点在する人物たちの、時にユーモラスな、あたたかな描写。

 

座・高円寺漬けの日々、束の間、山里の空気を深呼吸。

 

4月1日

 

年度はじめ。

 

区職員移動の挨拶と芸術監督の辞令の受け取り、劇場スタッフへの新年度の方針通達、あたらしくメンバーに加わる非常勤スタッフ、アルバイトスタッフの紹介、など、行事いろいろ。

 

カーテンや家具の搬入もそろそろ大詰め。

 

備品の整理、開館行事の打合せなど、具体的な作業が急ピッチで進む。

 

ひろげた風呂敷が包む「夢」を信じたい。