2009年7月

7月31日

 

びわ湖ホールで、今秋の『ルル』記者会見。

 

同ホールの芸術監督で指揮者の沼尻竜典さん、主演の飯田みちよさん、びわ湖ホールアンサンブルの声楽家松本治さん(劇場支配人役)、同席。

 

沼尻さん、飯田さんとは03年、日生劇場の三幕版初演以来。

 

終わって、関西空港経由で沖縄入り。

 

関西空港内食堂の、値段、味、量に感激。

 

7月30日

 

キジムナーフェスタ参加『見えない船』の東京最終稽古。

 

通しのあと、出演者、共同演出のクンユー、演出部の川口智子をまじえてワークョップ。

 

沖縄での子どもたちとのワークョップ準備とともに、今回の上演への各自の取り組みについての相互確認など。

 

沖縄からの若手三名+啓子という、バランスのとれた気持のいいチームづくりが出来た。

 

明日の出発を前に、別件の原稿と図面かきと、あとひと仕事。

 

7月29日

 

『見えない船』、音響の青木タクヘイさんが入って今日から通し稽古。

 

午後六時からは楽士として参加するドラマー中村亮さんも見学に。

 

目標にしている、子どもたち「との」(「への」にあらず)六十分が、いい感じで見えてきた。

 

沖縄での子どもワークョップとのドッキングが楽しみ。

 

今日と明日の稽古は、その分余白を残して、のんびりと。

 

7月28日

 

『見えない船』の衣裳あわせに、神楽坂の黒テント作業場へ。

 

『イスメネ・控室・地下鉄』の観劇以来、ということは、かれこれ半年ぶりになるか。

 

集団の世代交代を積極的に推進したひとりではあるが、旧本拠地の懐かしいたたずまいに思いいろいろ。

 

黒テントメンバー、山下順子があらかじめみつくろっておいてくれたおかげで、衣裳あわせの方は順調に進み、小一時間で終わる。

 

高円寺に戻り、昨日たどりつけなかった最終シーンまでの稽古。

 

7月27日

 

キジムアーフェスタ『見えない船』の稽古場。

 

那覇の中村透さんから、劇中歌三曲の譜面とMDが届く。

 

中身の方も全体の四分の三ほどまで進行して、全体の骨格がほぼ見えてきた。

 

三年間探ってきた、子どもたちの「ための」ではなく、子どもたちと「一緒」の演劇まであと一歩。

 

遊べる遊びを遊びながら遊ぶ。

 

7月26日

 

オペラ『ルル』、衣裳打合せ。

 

デザイナーの岸井さんのスケッチをもとに、全役について丁寧にあたる。

 

台本の読み込みと現実的対処との両面について、丁寧にアプローチする岸井さんとのキャッチボールは実りが多い。

 

劇場は明後日からはじまるベトナムの水中人形劇のプールの仕込み。

 

どんな出し物にたいしても劇場丸ごとの対応が可能な、中規模ブラックボックスの面白さ。

 

7月25日

 

座・高円寺の「明日の劇場/世界を見よう」、デンマークのオブジェクトシアター。

 

チェロの伴奏で、語り手が小さな箱に住む鼠の人形を動かして物語る。

 

微細な仕掛けの数々の巧妙さもさることながら、四十分足らずの時間に盛り込まれたパフォーマーの想像力のひろがりが素晴らしい。

 

劇場を仕事場とするすべての人びとに求められているのは、この想像力のひろがりとあたたかな人間性。

 

プロであろうとするのはなまなかなことではない。

 

7月24日

 

午前中、『ルル』の演出ノートづくり。

 

小道具製作でいつもお世話になっている工房ゼペットの福田さんに依頼した大道具の詳細模型が出来て、舞台の方向性がようやく見えてきた。

 

「廃墟のサーカス」をベースに、原作者ベーデキントのテクストにたいする作曲者ベルクの読み(演出プラン)についての解読作業。

 

小一時間のこころよい集中。

 

午後から、座・高円寺で『見えない船』稽古。

 

7月23日

 

稽古、休日。

 

昼前に家を出て、たまっていた買い物や介護保険料の支払いなど、電動自転車で走り回る。

 

座・高円寺、「明日劇場/世界を見よう」イタリア、テアトル・バラッカの上演(拍手!)を見る。

 

夜、早朝に来日したキジムアーフェスタ三年来の協働者、マレーシアの美術家リー・クンユーを伴って、啓子とともにアカデミーの一学期終了パーティへ。

 

出席した講師陣(佐伯隆幸、鴻英良、生田萬、高尾隆)に片端から昨日の講義レジメ・プリントを配り、後日の意見を求める。

 

7月22日

 

アカデミー講義、担当分の最終日。

 

残り四組の発表を終えたあと、一学期の内容を手短に整理したプリントを配布。

 

13回という長丁場を「せりふ暗記」だけにしぼった内容で通したおかげで、ようやく方法論として簡潔な文章へのまとめが出来た。

 

後半の発表のいくつかに、知識としてではなく、実際の効果を感じながらの確信を見られたのが収穫。

 

ここから積み上げて「現代演技術」に至るには、あと十年……いや、足りないな。

 

7月21日

 

「××のナマヅラをはじめて見た人、手を挙げて……。TVに映ったのよりはいい男だと思った人挙げて……」

 

彼の宰相の都議選における応援演説は、どこでも、冒頭、このフレーズから得意そうにはじまった。

 

同じ人物が、とりつくろった真顔で「わたしの不用意な発言、云々」とのたまいながら、儀礼的に頭を下げて見せる。

 

佐藤栄作、中曽根康弘などの演技指導者を標榜する浅利慶太さんあたりのダメ出しをつくづく伺ってみたい。

 

演技以前、台本作家の低レベルは論外として。

 

7月20日

 

キジムアーフェスタ、稽古六日目。

 

啓子のダンスシーンのスケッチとパフォーマンスで使う人形(四体)の仕上げを重点的に。

 

隣の大稽古場は、終日、八月に公演する鴻上尚史「虚構の劇団」の稽古大道具の仕込み。

 

「明日の劇場」イタリア組とベトナム組が到着し、技術スタッフと打合せ。

 

回りだした劇場の歯車の将来について、支配人の桑谷哲男さんと雑談。

 

7月19日

 

朝、座・高円寺、「世界を見よう」のトップバッター、シアター・マラシーナ(クロアチア)『パラシュート』を観劇。

 

終始、子どもたち視線からの演技を貫く俳優のたたずまいが印象的。

 

終わって、都市大学の小林由利子さんをまじえて、マラシーナのディレクターとアフタートーク。

 

受け手の子どもたちの間近に接近するという、演劇メディアの特性についての指摘に話題に大きくうなづく。

 

キジムアーフェスタの稽古へのエナジーをもらう。

 

7月18日

 

「座・高円寺」は全施設が終日フル稼働。

 

一階ロビーでは開館以来二回目の古本市もひらかれ、大勢の人の出入り。

 

座・高円寺1で上演がはじまった「明日の劇場/世界を見よう」や、土曜日のカフェの定番企画「絵本の旅@カフェ」のせいもあって、子どもの姿が目立つ。

 

高円寺で唯一のベビーカーがそのまま出入り出来るカフェという、うれしい噂。

 

夜、カフェ・スタッフの慰労会に押しかけ、カフェ・ディレクターの徳永さんと今後の夢をめぐるお喋りいろいろ。

 

7月17日

 

「鴎座」サイトのリニューアル作業、「工事中」だらけの見切り公開のままはや四カ月。

 

五行日記の更新だけはなんとかつづけているが、これでは単なる個人ブログ。

 

見捨てずに覗いて下さる訪問者にも申し訳ない。

 

時間の余裕が足りないせいもあるが、何よりもバーチャル劇団「鴎座」構想の再構築が必要。

 

仮にも「運動」を揚言した以上。

 

7月16日

 

『見えない船』稽古場に作曲者の中村透さん来。

 

同行のご子息、亮くん(ジャズドラマー)は、今回、楽士のひとりとしてプロダクションに参加する。

 

本読みと同時進行で、音楽打合せ。

 

演劇、音楽の即興性について話がはずむ。

 

八月、ガジュマルの木に囲まれた野外劇場に出現するはずの音空間が楽しみ。、

 

7月15日

 

アカデミーの発表で印象的な表現に出会う。

 

周到に意図されたものというよりは、初心者特有の緊張感と集中力の成果。

 

課題テクスト、フランスの劇作家ダルレ『隠れ家』(石井恵・訳)の言葉が微細な息づかいとともにリアルに立ち上がった。

 

授業中にもかかわらず、一瞬、思わず観客の視線に。

 

出来した「演技意識」についての分析をこれから少し時間をかけて。

 

7月14日

 

アカデミーの「身体表現基礎1」、一学期の成果発表会。

 

二年制の初年度は、俳優、演出部、制作部と、志望にかかわらず、全員が同一のカリキュラムを受講する。

 

くじ引きで決めた四グループが、与えられた動きと音楽とを組み合わせて十分内外のパフォーマンスを構成。

 

グループそれぞれの工夫の面白さと、息をはずませて全身で見せる爽やかな表現に素直に拍手。

 

夜、沖縄からの若い三人を迎えて、啓子とともにキジムアーフェスタ『見えない船』、稽古イン。

 

7月13日

 

今秋のオペラ『ルル』の「美術」担当として、びわ湖ホール下見。

 

舞台監督の牧野さん、旧知の小野さん(音響)以下、劇場スタッフの周到な準備のおかげで、内容の濃い打合せになった。

 

演出プランへの収穫もいろいろ。

 

八月のキジムアーフェスタ(沖縄市)と十月の『ルル』(大津市)と、今年の演出はあと二作。

 

六月の俳優座とあわせて、自分の現在への包囲網を慎重に狭めていくための作業として。

 

7月12日

 

夕方、沖縄キジムアーフェスタで上演する『見えない船』の台本、ようやく脱稿。

 

過去二年間の経験と成果がどうやら無理なく折り込めた手応えにほっとひと息。

 

その時々の子どもたちの協力にこころから感謝。

 

当人たちにしてみれば「ぼくら何かしたっけ?」かも知れないが、そこが肝腎。

 

三年前、計画当初の「子どもたちへ」から、現在の「子どもたちから」へと大きく舵が切れたのは、なんといっても君たちのおかげ。

 

7月11日

 

原稿書きの合間に自転車で高円寺へ。

 

TAGTAS企画の最終日、『百年の大逆』後編を見る。

 

理念も技法も異なる六作品のオムニバス。

 

合間に参加者の討論と、客席のドイツ文学者、岩淵達治さんの野次をはさみながらの開放的な進行。

 

劇場は今回、倒産した鉄工所のたたずまい。

 

7月10日

 

俳優座の旅公演ドタキャンして、PCの前に座りこんだまま、あっと言う間に過ぎていった無為の一日。

 

ひと晩寝たら何も思いせない。

 

というのは嘘で、思い出したくない。

 

なにもしなかった一日と、なにも出来なかった一日では、大違い。

 

たとえ傍目には同じ穴のムジナであろうとも。

 

7月9日

 

松本正彦『劇画バカたち!』、辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』(いずれも青林工藝社)。

 

小学校から高校まで(昭和二十~三十年代)夢中になった貸本マンガについての当事者たちによるライフ・ヒストリー。

 

彼らが提言、確立した「劇画」という表現様式によってはじめて可能な充実した内容。

 

先行の藤子不二夫『マンガ道』との違いはあきらか。

 

アウトサイダーこそが物語る。

 

7月8日

 

午前中、学芸大学。

 

卒業後の進路についての連続講座で「劇場」について話す。

 

午後から、座・高円寺のアカデミー授業。

 

夜、劇場が提携している劇評ゼミのゲスト・スピーカー。

 

「演劇」「劇場」について、これでもかと考えつづけさせらた一日。

 

7月7日

 

座・高円寺。

 

TAGTAS結成プロジェクトの福田善之『魔女伝説』のリーディング上演。

 

夜、関連企画の円卓会議に出る。

 

40年前の初演の演出助手をつとめたこともあって、周到な準備で臨んだ鴻英良さの司会にもかかわらず、懐旧談めいた不甲斐ない発言に終始。

 

福田さんも出席したせっかくの機会を逃し、反省しきり。

 

7月6日

 

朝から都心での打合せ。

 

荻窪駅から満員の地下鉄に三十分。

 

体を接している周囲との境界を意識する。

 

自分の輪郭がぼんやりと薄れていく感覚。

 

亡くなった山口小夜子さんの「地下鉄を纏う」という言葉をまぶしく思い出す。

 

7月5日

 

原稿書きのかたわら、細野善彦『日本社会の歴史』(岩波新書)、『スコセッシ オン スコセッシ』(フィルムアート社)、『貸本マンガRETURNS』(ポプラ社)三冊を並行読み。

 

ランチバイキングで、目移りの挙げ句、いろいろ盛ってしまった大皿をとりあえず端から片づけているような気分。

 

空腹はそれなり充たされたのだが、なんだかなー。

 

劇場オープンのひと山を越えたあと、作業ののペースがもうひとつしゃっきりしない日々がつづく。

 

体と頭の「きれ」が鈍い。

 

7月4日

 

俳優座劇場。

 

『春、忍び難きを』マチネ終了後、アフタートーク。

 

出演俳優の小笠原良知さん、川口敦子さん、脇田泰弘さん、井上薫さんとともに三十分余。

 

客席からの質問も出て和やかな雰囲気。

 

舞台の出来ばえに手応えを感じながらも、どこか自分の居場所が定まらないもどかしい感覚のまま、ひと仕事終了。

 

7月3日

 

俳優座初日。

 

体調を崩していた作者の齋藤憐さん来場。

 

顔色もよく、ひと安心。

 

終演後、小一時間ほど雑談。

 

座・高円寺のTAGTAS結成プロジェクトには顔を出せず。

 

7月2日

 

俳優座『春、忍び難きを』、舞台稽古。

 

テクストの読み直しによって、より素直なかたちでの再、再演が実現。

 

劇団ならではのアンサンプルと、劇団ならではのヒエラルキアについて思うことしきり。

 

組織論に同伴する運動論の必要性は、結局、そこに帰結する。

 

「私」ではなく「個」の結社へのやみがたい渇望。

 

7月1日

 

このところ、いかにも梅雨らしい曇り空と、しとしと雨の日が何日か。

 

ちぎれちぎれの都会の緑が雨に濡れて鮮やか。

 

だのに、思い切って買った高級蝙蝠は、まだおろせないで傘立ての中。

 

傘忘れしないための奮発だったのに意気地がない。

 

晴の日には何度かひらいて(ワンタッチにあらず)、しっかりとした感触を楽しんでみたりしたくせに。