2009年11月

11月18日

 

劇場でアカデミー受講生の個人面接。

 

今期受講者21名全員との対話をようやく終わる。

 

「演劇」の行方を見つめる若い眼差しへの協力をどのようなスタンスで実行していくのか。

 

突っ込んだ対話が実現できた分、負わされた宿題も難しいものになった。

 

アカデミー担当の酒井徹さんとともに、12月は彼らの二年目へのカリキュラムづくり。

 

11月17日

 

雨。

 

来年五月の上海万博関連のミーティングと映像機器のテスト。

 

はじめて取り組む分野の仕事にいろいろとまどうところも多かったがようやく形が見えてきた。

 

いろいろな意味で協働者ダニー・ユンの存在が大きい。

 

今月末、南京京劇院のメンバーの来日から、実質的な作業がいよいよはじまる。

 

11月16日

 

運営の「世代交代」以降、ほんとうに久しぶりに黒テント劇団総会に参加。

 

傍聴者に徹しようとこころに決めていたが、我慢できず、結局、前後四回の挙手、発言。

 

「この集団で何がやりたいか」ではなく、「この集団でなけれは出来ないこと」は何もないのだろうか。

 

自分勝手を貫くにしても、劇団というかたちを取る限り、しっかりと他人を巻き込み、きちんと責任を取る覚悟は必要だろう。

 

しっかりしてくれよ、黒テント……

 

11月15日

 

終日、自宅で原稿書き。

 

夜、「リーマン予想」をめぐるTV番組を見る。

 

次々に登場する高名な数字者たちの風貌が揃って愉快。

 

もちろん、彼らの頭の中も。

 

高等数学の数式なんてひとつも理解できないのに、いつも感じてしまうこの親しみはなんだろう?

 

11月14日

 

はっきりしない空模様の生暖かな土曜日。

 

終日自宅で、たまっていた領収書の整理などをぽつりぽつりと。

 

あとはネットで落語を二席とか。

 

長い一日がぼんやりと過ぎる。

 

終わってみれば、ようするに、あまりぱっとしない(そこがいい)自主休養日であったような。

 

11月13日

 

座・高円寺で流山寺祥、制作の米山さんと面談。

 

先日のTAGTASメンバーとの打合せとあわせて、この国の演劇「状況」の大きな曲がり角を思う。

 

この二十年あまりのお上からの「助成金」について、この国の演劇人たち(もちろん、ぼくも)はどのような思索をもって対処してきたのか。

 

公共劇場(パブリックシアター)のあり方を含めて、自分たちの立ち位置をもう一度しっかりと見直しておかなければならない。

 

夜、岡安伸治ユニットの『BANRYU』を観劇。

 

11月12日

 

午前中、区役所での会合のあと、面接のつづきが待っている高円寺へ。

 

先日見つけた手打ちうどん屋で昼食。

 

前回、大当たりだった「カレーうどん」に感激しつつ、横目でしっかりチェックしておいた「けんちんうどん(味噌)」を注文。

 

うーん、「カレーうどん」東関脇とすると、「けんちんうどん(味噌)」西前頭七枚目というところか。

 

次回は、潔く「ざるうどん」と真っ向勝負。

 

11月11日

 

座・高円寺、劇場アカデミー受講生の面接がはじまる。

 

一年目は将来の志望にかかわらず、全員、演技と座学の同一カリキュラム。

 

二年目は受講生ひとりひとりの志望と資質に、可能な限りきめ細かく対応したカリキュラムを組んでいきたい。

 

きちんと見極めなければならないのは、彼ら自身も気づいていない彼らの潜在的なモチベーション。

 

演劇も劇場も彼らの想像以上に「狭き門」であるのは間違いないが、一方で、その門の数も彼らの想像よりはいささか多い。

 

11月10日

 

下井草、ダンス01スタジオ。

 

11月20日からシアターXで上演の『ダンス ウィズ バッハ-伝統芸術家と共に』通し稽古。

 

コンテンポラリーの竹屋啓子、日本舞踊の花柳寿美、能の梅若晋也のソロと、コンテンポラリー、日本舞踊の若手の組み合わせ。

 

バッハ『バイオリン協奏曲a-minor』で舞う晋也さんに、能の型の(「式楽」以前の)源流を垣間見る。

 

日頃感じない「芸能」のDNAが新鮮。

 

11月9日

 

ベルリンの壁崩壊二十周年。

 

壁の崩壊は「冷戦の終結」、つまり「終わり」のシンボルであったのはたしか。

 

しかし、同時に「始まり」のシンボルでもあったはずだ。

 

胎動していたものは何か?

 

それは「生まれた」のか、二十年「育って」きているのか?

 

11月8日

 

午前中、座・高円寺で子どもプログラム「遊ぼうよ-みんなの作業場」をウォッチング。

 

終わって、コーディネーターの揚さんほかスタッフとミーティング。

 

今後の展開と三月の発表会について。

 

「絵本@カフェ」「あしたの劇場」などとのプログラムの一体化が課題。

 

慌てず、騒がず、息長く。

 

11月7日

 

デビッド・リンデン『つぎはぎだらけの脳と心』(夏目大訳/インターシフト)。

 

シナプス、ニューロンなど、脳の仕組みについては、相変わらずよく理解できたとはいえないが、脳があらかじめ完全にデザインされたものではなく、長い時間の中で行き当たりばったりの「建て増し」によってつくられているという大意に惹かれて面白く読了。

 

「最新型のMP3プレーヤーの中に、1960年代の8トラックテープデッキが内包されているようなもの」……なるほどね。

 

「記憶の定着」を促す夢の機能についての仮説に、あつかましくも我が意を得たりして。

 

それにしても、「脳本」の読書は、現に読書している自分の脳のイメージがつきまとい、終始、軽い眩暈の感覚が。

 

11月6日

 

午前中、座・高円寺で、12月の「アジア劇作家会議09」リーディングの打合せ。

 

演出担当の三条会の関さん、ユニークポイントの山中さんとは初対面だったが、和やかな雰囲気のうちに終わる。

 

ふたりの仕事や劇団には前から関心をもっていた。

 

演出家の個性の違いが際立つリーディングを期待。

 

午後からは、美術を担当している『ダンスバッハ』通し稽古見学のため、下井草の「ダンス01」スタジオへ。

 

11月5日

 

九州電力、佐賀玄海原発でプルサーマルが起動した。

 

核兵器に直接つながるプルトニウムによる核分裂が実際にはじまった象徴的意味合いを思う。

 

原料のプルトニウムはフランスからの輸入。

 

核廃棄物処理をはじめ、核関連産業は観光と並んで彼の国の経済を支える二本柱だ。

 

誰にも聞こえないうめき声とあわせて、時の流れが目の前で大きく歪む。

 

11月4日

 

十日ぶりに座・高円寺へ。

 

区との定例ミーティングを含めて、打合せいろいろ。

 

この季節、区の予算をはじめ文化庁などの助成金など、頭の中にさまざまな数字が飛び交う。

 

必要なのは「より多く」ではなく、「よりよく使う」ための考え抜かれたアイディア。

 

予算さえかければいいものが出来るのであれば、ある意味、話は簡単なのだが。

 

11月3日

 

一日休養日と自己申告して書斎の机まわりの整理など。

 

昨日浜松町で購入した手帳に、年末から来年にかけてのスケジュールを転記。

 

来年は演劇づくりをセーブして、座・高円寺運営に集中する。

 

あわせて「鴎座」の体制づくりと、前から宿題になっている本(何の?)書き下ろしを。

 

というのが、いまのところのこころづもりではあるが……さて?

 

11月2日

 

帰国。

 

上海虹橋空港から羽田まで、実質フライト、ジャスト二時間。

 

沖縄那覇からと変わらぬ飛行時間。

 

しかしそこは海外、なんやかやと移動だけで半日つぶれる。

 

陽の落ちた羽田で思わぬ寒さに首を縮め、そうか、いつの間にかもう十一月だ。

 

11月1日

 

上海、最終日。

 

午後から、上海戯劇学院の在校、卒業生を中心に男女15人ずつのオーディション。

 

今回の中国行きの全日程を無事終了する。

 

南京、上海、往復の新幹線の車窓の風景など、中国の発展、変化の速度感をあらためて実感する一週間だった。

 

この国の十年後の存在感ははたしてどこまで。