2009年6月

6月30日

 

俳優座仕込みを演出部に託し、自宅で遅れているキジムナーフェスタの台本書き。

 

演劇という集団作業にあって、台本書きだけは頼るもののない個人作業。

 

大学の演習では、机に向かったらとにかく一定時間書き続けること、などときいたふうなアドバイスをしていたが、わが身のことはままならない。

 

たしかに机にしがみつづけてはいたが、目の前に現れる言葉のしらじらしさに茫然。

 

午後8時現在の収穫は、これまで使っていたコンテの全面廃棄(笑)。

 

6月29日

 

俳優座『春、忍び難き』、通し稽古。

 

余計な「演出」「演技」を極力排していくことによって、登場人物ひとりひとりのつながりとひろがりがかえって立体的に浮かび上がってくる。

 

観客席にテキストの言葉を、より具体的な人間の言葉として手渡していく難しさと面白さ。

 

再、再演を機会に、いくつかの方法論の発見と見直しができた。

 

稽古後、十日ぶりに本屋散歩(新宿ジュンク堂)。

 

6月28日

 

流山児★事務所『ユーリンタウン』、一カ月公演の千穐楽。

 

びっくり大道芸、絵本カーニバル、『化粧 二幕』とつづけてきた座・高円寺の杮落とし企画、一段落。

 

とりあえず、これまでとは違う、あたらしい公共劇場の方向、個性は示せたと思う。

 

それぞれの企画参加者ひとりひとりと,劇場スタッフの創意と努力のたまもの。

 

感謝とともに、次の妄想へ。

 

6月27日

 

時計を食べる夢を見た。

 

愛用している鉄道(懐中)時計を、スペアを含めて一個半、ムシャムシャ食べてしまったのだ。

 

ふだん、夢の記憶はあまりない。

 

今朝は着替えの時に、「参ったな、あたらしい時計を買わなくちゃ」と一瞬思い、それがきっかけで夢を思い出した。

 

夢の内容というよりは、目覚めたあとの現実感がなんとも奇妙。

 

6月26日

 

書きかけのテキストを数日間忘れて、俳優座の稽古に専念。

 

初演、再演のヘッポコ演出家(誰だ?)の無理、無駄、無茶を片っ端から掃除。

 

きちんと書かれたテキストと俳優自身が発想した生き生きとした演技があれば、演劇はそれで充分。

 

わかっちゃいるけど……

 

どこかで次なる「失敗」へのたくらみもまた。

 

6月25日

 

俳優座、『春、忍び難きを』稽古。

 

現段階での通しを見ながら、問題点をチェック。

 

俳優というよりは、演出家(誰だ?)へのダメだしがやたらに多い。

 

気を取りなおして、大幅直しではなく微調整をいろいろ。

 

あと四日、広角と望遠と、双方の視点から丁寧に。

 

6月24日

 

このところ、またまた、いささか非常識な過密日程がつづく。

 

体の調子はまずまずだが、こころのゆとりがこころ細い。

 

とりわけ本を読む時間がないのがちょっと。

 

未読書の背表紙が、机の脇でここ数週間の妄想を積み重ねている。

 

はやく発掘してやらないと、そのまま地層化の危険が。

 

6月23日

 

座・高円寺に、連日、フランス人の訪問者がつづく。

 

世田谷パブリックシアター以来のつきあいや、制作チーフの石井恵さんの語学力とネットワークのせいとは思うが、それにしても。

 

コラボレーションや公演企画の持ち込み、大使館や日仏学院の関係者、フランス著作権協会、海外交流支援組織、などなど。

 

明日は90年代にアビニョン演劇祭のディレクターだったピエール・ダルシェさんも。

 

石井さんと予想していた通り、フラン人好みの建築デザインであることはたしか。

 

6月22日

 

座・高円寺。

 

一日、部屋にこもり断続的な打合せと平行して台本書き。

 

静かな申し分のない環境なのだが、その分、作業はどんどんシビアに。

 

「遊べ遊べ」と叱咤しながら、鏡に囲まれた蝦蟇状態の脂汗。

 

帰り道、へろへろで奮発したタクシーが喫煙車のご褒美。

 

6月21日

 

終日、キジムナーフェスタ、参加作品の台本書き。

 

一昨年、去年とつづけてきた子どもたちとの共同作業からの出発。

 

わかりやすさとか、明るさとか、いわゆる「子ども向け」のキーワードはなれて、徹底的にいまの自分を遊びたいのだが。

 

遊びにもまた相当の体力が必要。

 

あちこちの破れ目から得体の知れない煙をモクモク吐き出しながら、ぽんこつ車の全力疾走。

 

6月20日

 

俳優座、『春、忍び難きを』稽古。

 

小返ししながら、全体の四分の一ほどまで、丁寧にあたっていく。

 

再、再演にもかかわらず(あるいは「ならではの」か)、あたらしい発見が次々。

 

劇場運営とは少しく立ち位置の違う、芝居づくりの現場の面白さ。

 

あっちもこっちもの「欲深」を充たす体力……大丈夫かね?

 

6月19日

 

役所関連のミーティング、二件。

 

それぞれ別件だが、なんとなく自分の居場所が定まらないむず痒い演技感覚はいつもの通り。

 

一件目と二件目の間に、虎ノ門やぶ蕎麦で昼食。

 

蕎麦とつゆの自然な味わいに、久々、満足。

 

近所の本屋散歩で、金子光晴『世界見世物づくし』他、文庫本三冊。

 

6月18日

 

午前中の全体会議からはじまり、今日も終日、座・高円寺。

 

夕方、元国際交流基金職員の滝口さん、来館。

 

今年12月のアジア劇作家会議について協力を依頼。

 

つづけて、滝口さんが、現在シンガポールの大学で執筆中の博士論文「アジアとの文化交流」についてのインタビュー。

 

80年代初頭、黒テントの「アジア演劇」テーゼ以来、30年間の思い出が走馬灯のように。

 

6月17日

 

座・高円寺でアカデミーの授業。

 

大学の講義とは別の緊張感と集中に、毎回、二時間終わるとぐったり。

 

学芸大学で手抜きをしていたというわけではない。

 

実技指導にまともに取り組もうとすれば、まあ、こんなものなのだろう。

 

目の前で起こっていることを見逃さず、理解し、次のステップを的確に指し示すことの困難さ。

 

6月16日

 

広告代理店、鉄道やメーカーなど、最近、日本の代表的企業の本社ビルを訪れる機会がつづく。

 

厳重なセキュリティ・チェックを経て一歩中に足を踏み入れてみると、意匠を凝らした外観やロビーの印象と違って、オフィスまわりの内装や家具の思いのほかの味気なさに驚く。

 

周囲を睥睨する巨大ビルの外観と内部のアンバランスは、まるで、そこを棲家とする組織や人びとのあり方を暗示するよう。

 

身体感覚への配慮を欠いた空間はいつか人の意識を歪ませる。

 

それとも逆に、もともとどこか歪んだ意識を反映する空間だったのだろうか?

 

6月15日

 

このところ、仕事で日帰りの出張旅行の機会が多い。

 

新幹線の車窓から景色をながめながら、テントを使って全国を旅していた頃からの風景の様変わりを思う。

 

沿線の大看板の数が確実に減ったこと、立ち並ぶ家々の意匠の変化、その他。

 

70年代に一時流行った「風景論」に従えば、豊かさという「強制」が風土の隅々にくまなく行き渡りつつある様子が見て取れる。

 

歴史の喪失と、人びとの暮らしの「明るい」息苦しさ……

 

6月14日

 

座・高円寺の子ども企画、遊び場(さまざまなゲストを招いてのワークョップ)をウオッチング。

 

劇場では、再来週から通年で、土曜日、日曜日の午前中、子どもたちとの共同作業がつづく。

 

「子どもたちのため」ではなく、あくまでも「子どもたちから」というスタンスに立った、今後の劇場の指標を見据えるための活動。

 

終わって、「遊び場」コーディネーターの楊さんと打合せ。

 

準備段階で縁あって出会った、思いとアイディアを共有する得難いパートナー。

 

6月13日

 

早朝起床の予定が、夜明けに目が覚め、原稿書き。

 

二度寝のあと劇場へ行き、今日が二回目の「絵本の旅」企画をウォッチング。

 

カフェの隅に敷かれたシートを中心に、大勢の子どもたちと「本読み案内人」のボランティアスタッフが賑やか。

 

カフェに常設してある三百冊ほどの絵本から子どもたちが選び、気に入った「本読み案内人」に読んでもらうという、ただそれだけのシンプルな二時間。

 

大勢相手の読み聞かせではなく、あくまでも一対一のかかわりが基本。

 

6月12日

 

俳優座『春、忍び難きを』、稽古初日。

 

見知った顔が揃う稽古場で、子ども時代からなれ親しんできた「芝居」の稽古が淡々と始まった。

 

再、再演を迎えてようやく見えてきた齋藤憐さんの「物語」の線を、どのように太く浮かび上がらせるか思案。

 

夜、「鴎座」ベケットカフェvol.2、初日。

 

今年唯一の「鴎座」上演活動に、ささやかな手応え。

 

6月11日

 

朝から、終日、座・高円寺での作業。

 

開館一カ月を過ぎて、これから一年の劇場の日々について調整事項いろいろ。

 

昼食時、打合せに来館したデザイナー(というか、武蔵美を退官したばかりの、すぐれた美術活動家)の及部克人さんと、このところ行きつけの台湾飯店で、久しぶりにゆっくり話す。

 

そのほか、フランス大使館文化担当とのミーティングなど。

 

夜、木場の黒テント公演観劇。

 

6月10日

 

一日、座・高円寺。

 

アカデミーのクラスが終わったあと、『ユーリンタウン』のアフタートークなど。

 

劇場支配人の桑谷さんと打合せ。

 

世田谷パブリックシアターと高円寺と、桑谷さんの手助けがなければふたつの劇場構想は実現出来なかった。

 

一方的な阿吽の呼吸に甘え過ぎないよう、あらためて自戒。

 

6月9日

 

打合せに出かけた新橋で、焼きビーフンとちまきの昼食。

 

駅前古ビルの二階にある、知る人ぞ知る勤め人たちのランチの老舗。

 

グルメ向け名店とは文字通り「ひと味」違う年輪を重ねた風味とサービス。

 

子ども時分、神田にあった父の会社をたずねた折り、連れて行ってもらった飯屋の思い出が、ふと、よみがえる。

 

あっと言う間の半世紀か。

 

6月8日

 

午前中、那覇からコザへ移動。

 

ワークョップ会場の下見、その他。

 

総合チラシも出来上がり、昨日から先行予約のはじまったフェスタ事務局には、これから二カ月余、怒濤の日々の予兆が。

 

ランチ・タイム、祥子さんから、沖縄へのかかわりについて尋ねられる。

 

92年から沖縄に根をおろした下山さんともども、しばし初心を披瀝。

 

6月7日

 

早朝、上海浦東空港から沖縄へ。

 

キジムナーフェスタ、男性出演者のオーディション。

 

作曲を依頼した中村透さん、プロデューサの下山久さん、事務局の前西原祥子さん、同席。

 

五人の若手俳優たちの真っ直ぐな視線と向きあいながらじっくり二時間。

 

三年計画の最終年度、野外ステージでの作品づくりへのエナジーをもらったような。

 

6月6日

 

日帰りで南京へ。

 

片道四時間弱のバス移動。

 

南京では、今回の企画協力について当地崑劇院とのミーティング。

 

繊細な情感のある崑劇デモストレーションを仕事を忘れて楽しむ。

 

中山公園で嗅ぐ緑のにおいに、上海の劣悪な大気状況を再確認。

 

6月5日

 

上海で、来年の万博関連の記者会見。

 

香港のダニー・ユンとの共同作業。

 

これから10ケ月、はたしてどのような壁や崖に遭遇するのだろうか。

 

ムキにならずに、パートナーの力を借りながら、のんびりと、かつ着実に。

 

夜、ダニーとの会食のあと、帰りのタクシーで通訳の張さん(東大地域文化研究出身の才媛)とお喋りいろいろ。

 

6月4日

 

上海。

 

羽田からの機中、新聞記事の特集で、20年前の今日、仕事で北京に滞在していたことを思い出す。

 

ホテルに入り、ネットにラン接続。

 

google、Yahooなどは問題ないが、どういうわけか、「鴎座」サイトには「Internet Explorer ではこのページは表示できません」の表示が。

 

これって???

 

6月3日

 

劇場創造アカデミー授業。

 

「せりふの暗記法」と舞台上での意識、相手役との演技の受け渡しなど。

 

いずれもいわゆる「演技法」や「せりふ術」そのものではなく、その前提となる基礎「技術」。

 

受講者ひとりひとりの体験、実感にふれあわせ、体得してもらうために、指導者、受講者ともに、ただひたすら根気根気。

 

陸上競技でいえばランニング、水泳でいえばバタ足、野球でいえばキャッチボールのような。

 

6月2日

 

久しぶりの青空。

 

湿度が高く、爽快とまではいかなかったが、気分のいい一日。

 

開館した座・高円寺の中期的な舵取りについて、昨日の区との話し合いを踏まえて、劇場スタッフの何人かと相談。

 

ここから二年間の調整と助走のあと、三年目の目標について、作品づくりに結実するしっかりとしたイメージを描かなければ。

 

あたらしい「他人」との出会いが鍵なのでは、と。

 

6月1日

 

おっと、もう六月。

 

と、ありきたりの感想を抱きながら、いやー、それにしても五月は長かった。

 

それだけ濃密な日々だったということだろうが、座・高円寺が開場してはや数カ月というような実感。

 

実際はまだ一カ月、おまけに途中体調を崩して、途中一週間は自宅でぼんやり過ごしていたにもかかわらずだ。

 

ことによると、端からは平常心を失った、ハイテンションの舞い上がりぶりに見えたかも。