2014年3月

3月28日

 

袴田巌さん釈放。65年に起こった袴田事件は、自分の演劇人生の過程とぴったり重なる時間経過の中にある。60年代から70年代初頭まで、支援活動の端くれにも何度か加わった。しかしここ三十年間、日々の生活の中で袴田さんは忘却の彼方だった。表現しようのない自責の念がふつふつと。

 

 

3月27日

 

大阪へ。OMS戯曲賞20周年の記念パーティ。陰の世話人小堀純さんはじめ、大阪ガスの江本さん、選考委員の岡野さんら、この賞ならではの思いの濃い面々とともに和気あいあい。キャビン戯曲賞から数えれば大阪とも30年。さらにさかのぼれば、ここは1970年黒テント旅興行拠点の地。

 

 

3月26日

 

昨夜、帰京。夕方から劇場で、五月の『リア』舞台美術打ち合わせ。デザイナーの島さん、舞台監督の北村さん、劇場技術監督の岩崎さん、制作の和泉さん、ほか。模型と図面を真ん中に、ワイワイガヤガヤと一時間ほど。終わって、新年度に向けての準備ミーティング、書類作業いろいろ。

 

 

 

3月25日

 

朝、九時半から名寄市役所で打ち合わせ。与えられた機会に、自分のやれること、やっておかなかければならないことを見極めるのは難しい。ひとつの町のこれからの半世紀、背負うことはできないが出発の方向性を指し示すくらいは出来るはず。昨夜、ひとり迷いながら整理したメモ書きを片手に夕方まで。

 

 

 

3月24日

 

名寄に移動。道路はきれいに貫通しているが、周囲の風景に残雪はまだ深い。木立の枝々にさまざまなかたちの雪の固まりが凍りついている。どこか非現実的な不思議な光景。北海道と沖縄、そして久留米、どの場所も黒テント時代、それぞれ印象深い深いつながりのあった場所だった。

 

 

3月23日

 

北海道へ。月曜日からの名寄での仕事の前に、旭川に一泊。学芸大学時代の院生ふたりと食事。その後、ホテルのラウンジで夜の旭川の灯火を見下ろしながら二時間ほど。ひとりは富良野で現職の小学校教員、ひとりは現在、北海道教育大学の研究員。若い友人たちとのお喋りは刺激的。

 

 

3月22日

 

昼間、自宅作業。夕方から下井草のダンス01スタジオへ。改修して「青劇場」の名のもとにおこなわれるはじめての本公演。武田幹也作品『破格』。頭だけでひねり出したのではない、いっそいさぎのいい体との格闘が爽やか。啓子をふくめ7人の出演者のうち、男女4人がアカデミー修了生。

 

 

 

3月21日

 

オペラ台本作成のため、終日机に向かうも成果はかばかしからず。個人作業の難しさ。対話相手の自分自身が、いくら声をかけてもさっぱりこちらを向いてくれない。彼はなにをしているのか。ぼんやり庭を眺め、来し方行く末になどに埒もない思いをはせている。おーい、と声をかけて今夜はここまで。

 

 

3月20日

 

演劇にかかわって半世紀余。その間、演出者として出会えた劇作家は、ゲオルグ・ビューヒナー(独)、べルナール=マリ・コルテス(仏)、エドワード・ボンド(英)の三人。その他にサミュエル・ベケット、ウィリアム・シェークスピアか。アントン・チェーホフ、ベルトルト・ブレヒトは苦手だな。(昨日の川村毅との対話の余韻として)

 

 

 

3月19日

 

「二兎を追わずして一兎も得ず」。吉祥寺シアターからの帰り道、夕方の路地で見かけた貼り紙。ふーんと思いながら駅までぶらぶら歩くうち、「休まず五兎を追うも一兎も求めず」と、呪文のような言葉が頭に浮かぶ。「何ゆえの五兎」と問われれれば、答えはひと言、「遊び」だろうな、きっと。

 

 

3月18日

 

ご近所の梅の蕾がひらいた。庭の枝垂れ桃ももうすぐ花をつけるだろう。今日は弟、敦の三回目の命日。自転車で買い物に出たついでに、豆大福と桜餅を購入。去年の秋からの息つぐ暇もない過密日程をなんとか通り抜けて(オペラ台本という難物がまだ手元にあるが)、春の嵐を深呼吸。

 

 

 

3月17日

 

啓子、風邪ぐずつく。昼前、ひとりで愛宕山の菩提寺にひと足早い彼岸の墓参りに。途中、銀行その他で雑用を片づけ、神谷町のうどん屋で昼食。名物のカレーうどんの余韻そのままに、日当たりのいい墓地で、ぬくぬくと三十分ほど。その後、啓子と西荻で落ち合い、消費税値上げ前の買い物少々。

 

 

3月16日

 

座・高円寺、劇場創造アカデミーⅥ期生の追試。カリキュラムディレクター、生田萬さん、木野花さんとともに演技コース志望四人の実技と面接。ここから送り出した若い演劇人たちも今年で50名をこえた。熱心な講師陣とともに伝え、託そうとしたさまざまについて具体的な次の一歩をそろそろ。

 

 

 

3月15日

 

お、春の陽射し。なのに歩く足はもうひとつはずまない。もう金輪際、移りゆく季節にこころやからだを無心には託せない。ここまで生きてこのような日々を過ごさなければならないとは。それがある意味、これまでの自分に突きつけられた勘定書であるとは。だからこそ支払いは「希望」で。釣りはいらない。

 

 

3月14日

 

確定申告、電子版による提出を終える。毎年のことだが、紆余曲折の途中経過にいささかうんざり。セキュリティやその他もろもろ、運用当事者のご苦労はご苦労として、毎年のようにフォームがかわり、PC 音痴は対応に四苦八苦。最後は昨年同様電話相談室のご厄介に。でも、まあ、まずはひと息。

 

 

3月13日

 

雨と風。 嵐だな。おまけに「竜巻警報」とかも出ているらしい。外出。文化庁へ。10日とは別口の「お掃除当番」。普段はあまり言葉をかわす機会のない他ジャンル(美術とか、映像とか)の委員とのお喋りは楽しい。が、審議は休憩無しの三時間半。みんな揃って、まじめなはたらき者だよね。

 

 

再開

 

二週間ほど更新しなかった『五柳五行』を、以前の『120文字日録』のスタイルで再開します。
というわけで、とりあえず休載中の日々をメモ書きで(今回は文字数無視)。

 

2月26日-3月1日 座・高円寺劇場創造アカデミーⅣ期生修了上演。エドワード・ボンド『戦争戯曲集 三部作』一挙上演。
3月2日 劇場創造アカデミーⅣ期生修了式、パーティ。
3月3日-4日 月に一度の久留米出張(ホールづくりのお手伝い)。
3月4日 アカデミーⅣ期生面接。修了後の進路相談。沖縄講演の資料づくり。
3月5日 ウィルス性腸炎。一日休み。
3月6日-9日 沖縄。県主催のシンポジウムで基調講演、その他。体調快復せず。
3月10日 文化庁。故太田省吾さん名付けるところの掃除当番業務。
3月11日 アカデミーⅤ期生、「劇場環境論」ゲストスピーカー。
3月12日 アカデミーⅤ期生後期成果発表のうち、三グループの作業点検。体調、どうやら復調。