2014年4月

4月30日

 

四月最終日。劇場でアカデミーⅥ期生の授業。ウォームアップで若い受講生と一緒に体を動かす。先日のベトナムからの研究生とのワークショップとⅤ期生の授業でこころみた「舞踏」もそうだったが、若い頃からの週間で、稽古場に入ると理由なく無性に体を動かしたくなる。雀百までと笑わば笑え。

 

 

4月29日

 

年一回の学芸大学表現コミュニケーションコース演劇ゼミの卒業生懇親会。今年は吉祥寺の台湾飲茶の店に十人ほどが。在任は九年間だったが、前後で十二、三年のほどの幅があり二十代から三十代まで。中学校英語教員、研究者、雑誌編集者、その他いろいろ。現役の演劇人も何人か。

 

 

4月28日

 

一日、書斎の机に向かう。文字を見つめ、頭の中で音を転がし、ため息をつき、キーボード(親指シフト)を打つ。実際に始めるまでは、書くという作業が、砂粒をピンセットでつまみ上げて並べていくような、根気仕事であるのをいつも忘れている。言葉は生み出されるのではない。並べ、吟味し、修正、固定される。

 

 

4月27日

 

幕張メッセのニコニコ超会議なる巨大イベント。昨年は石場、安倍の醜悪な戦車乗り画像がばらまかれたが、今年は西又葵のイラストでペイントされた派手な自民党街宣車(痛車)が登場。全政党がブースを出し、大相撲超会議場所とやらも堂々開催。クールジャパン風味のニュルンベルクかくや。

 

 

4月26日

 

朝、「びっくり大道芸2014」開会式。午後、銕仙会青山能楽堂。清水寛二『朝長』。演能前、民族学者赤坂憲雄さんのお話が興味深かった。曰く、「幽霊とは生きている者が和解のために必要としている存在」。フィールドワークをつづけている被災地東北での体験談と併せて、含蓄のある指摘と思う。

 

 

4月25日

 

パク・ヨンジュン編『ジジュク、革命を語る』(青土社)。賀照田『中国が世界に深く入りはじめたとき』(青土社)。二冊並行読み。前者は韓国インディゴ書院(釜山)メンバーによるスラボイ・ジジェクへの問いかけと応答。後者は1967年生まれの中国知識人賀照田の論考集。それぞれの「晦渋な明快さ」の魅力。

 

 

4月24日

 

午前中の定期検診にはじまって、今日は用事の流れにそって、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪と、中央線沿線各駅の商店街をそれぞれ三十分ほどぶらつくことに。古くからの商店が点在するアーケードや町並みは四駅ともそれなりの賑わい。ただし、道行く人の姿、雰囲気がまるで違うのが面白い。

 

 

4月23日

 

ひたすら空虚にして仰々しい戒厳令下の東京。夕刻、「国賓」としてあわ ただしく来日したアメリカ大統領とこの国の宰相が、ミシェラン三つ星が売り物の高級寿司屋で夕食会だとさ。この流れのプランナー、演出家はいったいどこの誰なのか。露骨な「反知性」主義が意図するものの行方が怖い。

 

 

 

4月22日

 

三日前、19日が15年目の命日だった桂枝雀の特集番組をTV で見た。そのときコメントに出演していた上方の噺家連(春団治、文我、南光、ざこば、ら)の、東京の同業者からは久しく失われたえも言われぬ芸人の品のよさにひかれて、このところ三日間、携帯でまとめ聞き。目下、ざこばがマイブーム。

 

 

4月21日

 

座・高円寺にベトナムからの研修チーム十数名が。ダンサー、俳優、舞台美術家など。今日は桑谷館長の案内で、1時間30分ほどかけて館内をじっくり見学したあと、劇場の理念、プログラムを説明(佐藤担当)。明日は日本の小劇場運動についてのレクチャー。五月には三週間のworkshopを予定。

 

 

4月20日

 

朝食後、靴を四足磨き、韓国へ出張中の啓子にかわって洗濯10㎏余。そのあと食器洗いや古新聞の片づけをせっせと。なんのことはない、書きあぐねている原稿書きからの逃避行動ね。一段落して、書斎で資料のまとめ読み。以前からの分をあわせてノートは大分たまったが、発酵未だし。

 

 

4月19日

 

朝夕の寒暖差が大きい。終日、自宅作業。領収書や資料の整理など、書斎や机のまわりは大分整頓できたが、肝腎の原稿書きは一向にはかどらず。何カ所かの歯車のねじが緩んだり、反対に軸がさび付いてしまっていたり、頭の中のがうまくまわってくれない。ガタピシ、ギクシャク、手間のかかること。

 

 

4月18日

 

小雨模様。アカデミーⅥ期生の開講式。その他、いろいろ。劇場暮らしの外側で、世間はじりじりときな臭い方向へ様変わり。政府の肝入りで大ぴらな武器輸出までが着々と。禁句にしてきた「戦い」なんて言葉をついつい口走りそうになる。桑原桑原。必要なのは脱走、逃走への思想と手だてだ。

 

 

4月17日

 

デザイナーの及部克人さんと会う。ポスターハリスカンパニーが今月24日から渋谷で催す「ジャパン・アバンギャルド」なる演劇ポスター展のトークショウ(5月2日)の打ち合わせ。80年代の黒テント、ことに世田谷羽根木公園での市民運動や障害者との協働について、埋もれた話題の再発掘を画策。

 

 

 

4月16日

 

うっすら汗をかきそうな暖かな一日。座・高円寺で打ち合わせ一件のほか事務仕事いろいろ。そのいろいろの数が、脳細胞加速度消滅中の身にはかなりの負担。これまで役に立っていたメモ用紙への箇条書きも、三ページもたまると何がなにやら。この無茶な仕事のつくり過ぎこそがまさに老化現象。

 

 

4月15日

 

久留米からの帰り便。薄曇りの日の午前中、ひさかたの窓際席で、日本列島東海岸を空中遊覧。四国から紀伊半島、伊豆を通過していっんたん大島へ。島の真上でほぼ直角に左に折れて房総、さらに90度回転して羽田まで、と、見飽きず楽しむ。雪をいただいた富士山も、威風堂々、定番の貫祿。

 

 

 

4月14日

 

荷風の随筆風小品『妾宅』。主人公珍々先生が、海鼠の腸を杉箸の先にすくい上げながら、「芸術は遂に国家と相容れざるに至って初めて尊く、食物は衛生と背戻するに及んで真の味わいを生ずる」とひとりごちる。にやりというか、人知れず快哉。昨今喧しき「芸術立国論」の噴飯へのごまめの痛撃也。

 

 

 

4月13日

 

信号がきちんと機能している交差点の四隅に黄色い小旗を手にした高齢者が四人。横断歩道を渡る人びとを誘導している。さらに緑の腕章をつけた警官がふたり。かたわらの幟に曰く、「春の交通安全週間」。これはいったいなんの儀式なのか。バスに乗れば「テロのない町づくり」のアナウンス。

 

 

4月12日

 

原宿の東郷神社でアカデミー修了生の結婚式。帰り道、境内にある「海軍特年兵之碑」に気づく。はじめて聞く「特年兵」を確かめようと、碑の裏にまわり由来を読む。太平洋戦争末期に下士官養成のお題目の下に動員された14歳の兵士(特別少年兵)。一万七千二百人出征したうち五千人以上が戦死。

 

 

4月11日

 

終日、自宅で原稿書き。書くというよりは文字を刻むという感覚に近い。文ではなく単語。空白の多い空間に思い浮かんだ単語をひとつ置き、しばらくながめる。次の単語が見えれば隣に並べ、見えなければ消去。シュールリアリズムの自動筆記とは違う。昔からのやり方、この方法しか知らない。

 

 

4月10日

 

荷風『書かでもの記』を青空文庫で。文中に書き写されている上田敏の書簡に胸を打たれる。荷風の慶応義塾就職をめぐるやりとりが主な内容だが、相手の情緒の機微を忖度した簡潔で格調のある文体は、思わず音読の誘惑にかられてしまうほど。いまは失われてしまった完成された「書き言葉」の美。

 

 

4月9日

 

今日と明日、二年目を迎えるアカデミーⅤ期生との面接。一年を経過しての感想と将来目標などについて。数ある養成所とはひと味違う公共劇場での人材養成も、五年目を迎えてどうやら形が見えてきたような気がする。「演劇」や「俳優」についての既成概念にとらわれない、「劇場」という領域の可能性。

 

 

4月8日

 

所用で渋谷へ。青春時代、東京ではもっとも思いで深い町かも知れない。三十代の一時期、桜丘にあった「日本館」という戦前からのアパートで独り暮らしをしていたし。久しぶりに歩いて、その桜丘界隈の様子がすっかり変わってしまっているのに驚く。そして気づく。そうか、あれからもう四十年か。

 

 

 

4月7日

 

朝から劇場事務所。打ち合わせ二件と面会三件。夕方から場所を移して打ち合わせをもう一件。「劇場」が仕事になったこの五年間、気づかないうちに生活のリズムがすっかり変わってしまった。なれてはいけないと自分に言い聞かせつつ、よかれ悪しかれ劇場が自分の場所だという思いはつよい。

 

 

4月6日

 

かつては積み上がっていく反古原稿用紙の山が、作業のたしかな足跡として手元に残されていった。書きあぐね行き止まると、気分転換にそれを読み返し、ため息をついたり苦笑したり、次の一歩への態勢をととのえ直したものだが。液晶画面のドット文字は、そんな言葉の息づかいとは無縁。

 

 

 

4月5日

 

自宅作業。合間に山下耕作『戦後最大の賭場』をDVDで見る。鶴田浩二、高倉健共演の東映任侠映画のスタンダードナンバー。高度成長に向かって浮かれ騒ぐ世間の底流に鬱屈する荒ぶるエナジーを、ラストカットの鏡が流す血に凝縮した山下の直感。全編に残された撮影所の職人芸の痕跡。

 

 

 

4月4日

 

桜の盛りは慌ただしく過ぎ、若葉の季節がもう目の前。今年の座・高円寺ダンスアワードから韓国の芸術大学に派遣する、横浜国大の女性ふたりによる作品のリハーサルを見学。その年代の感性にだけ許された瑞々しい表現がたしかに存在する。完成とはほど遠いもろさ、はかなさの魅力。

 

 

4月3日

 

座・高円寺恒例の今年度プログラム発表会。主催、提携公演の演出家、作家が顔をそろえ、それぞれの自作について短く語る。飲み物と軽食つき。途中休憩をはさんで、毎年、テーマを変えての座談会。いわゆる記者会見とは異なる三時間ほどの内容に、50人を超える熱心な聴衆が参加。

 

 

4月2日

 

雨模様。今年度の作品づくりについて脳内整理。座・高円寺のレパートリー(再演)作品が五本、北京(6月)、南京・上海(11月)での共同作業、鴎座のレパートリー(再演)上演、シュトック・ハウゼン『歴年』の上演(8月)、その他、大幅に遅れている中村透オペラの台本執筆など。よっし!

 

 

4月1日

 

ジャ・ジャンクー(『プラットホーム』『青の稲妻』『大世界』)、王兵(『鳳鳴』『鉄西区』『無言歌』)まとめ見。過日の青空文庫版荷風探索に似た飢えからの脱出願望のなせる業か。『プラットホーム』以外はいずれも再見作品だが、ふたりの腰をすえた視線の力づよさにあらためて羨望の念。