2012年1月

1月31日

 

おっと、気がつくともう一月も最終日。

 

芝居の稽古中はいつもそうだが、それにしても日々が飛ぶように過ぎていく。

 

もっと、丁寧に体に引き寄せたい。

 

日々の寒さを。

 

その厳しい緊張感を。

 

 

1月30日

 

『缶詰族』稽古後、表参道へ。

 

銕仙会西村高夫さん呼びかけによる、『霊戯』カンパニーの新年会。

 

同じく銕仙会清水寛二さん、笛田宇一郎さん、京劇の張春祥さん、演出助手川口智子さん、アカデミー修了生下村界くんが集合。

 

新潟のおいしい酒、料理と、お喋り。

 

のんびりとあたたかな雰囲気の中、こころと体のネジを心地よくゆるめる。

 

 

1月29日

 

休日。

 

『缶詰族』の台本を横目に、家庭内事務、いろいろ。

 

身内の不幸のこともあり、見慣れない書類や伝票が机の脇に山積み。

 

昼食に久留米土産の蒲鉾を餅網で焼く。

 

庭先に居候の野良猫にもお裾分け。

 

 

1月28日

 

『缶詰族』、稽古場。

 

進行確認のための粗通しのあと、殺陣シーンの稽古。

 

殺陣師の栗原さんは、國井正廣さんのお弟子さん。

 

キャップの下から時折放つするどい眼光は、栗原さんが「先生」と呼ぶ國井さんと瓜二つ。

 

「先生」は現在、南伊豆で土と戯れる焼物三昧の日々とか。

 

 

1月27日

 

昨日からの流れで、久留米市内のホール施設をいくつか見学。

 

メインホールのひとつ、久留米市市民会館は、某高名建築家の「作品」。

 

外観はともかく、劇場(ホール)空間としての内部設計の「独創性」に言葉もなし。

 

誰のため、何のため。

 

40年前の公共建築……はたして現在は?

 

 

1月26日

 

修了上演の稽古を抜け出して、久留米市の商店街から招かれての講演旅行。

 

70年代の黒テント上演の思い出深い町のひとつ。

 

夕食のあと、商店街の方々と入った雰囲気のいいジャズ喫茶で、マスターがしっかり当時の黒テントの舞台を憶えていて下さった。

 

シャイなマスターは多くを語られなかったが、おそらく、「オルグ」(という、黒テント独特の言葉づかい)のひとりとして、切符を売ったり、宿泊の手配をしたり、お世話になった方々のうちのひとり。

 

壁に飾られたミュージシャンの演奏風景を描いた何枚かの軽妙な絵が、人懐こい久留米言葉、笑顔と相まってマスターの人柄を物語る。

 

 

1月25日

 

『缶詰族』、稽古。

 

俳優たちの提案をきちんと受信出来ない自分に少し苛立つ。

 

言葉ではない。

 

彼らの意識の方向性。

 

その先を的確に補足出来なければ、何もはじまらない。

 

 

1月24日

 

朝、劇場へ。

 

昨夜の雪が凍った道を、滑らないように慎重に歩く。

 

体全体のこなしが、以前とは大分違っているのを感じる。

 

というか、ついこの間までそれをことさらに意識はしたりはしなかった。

 

自分の体と意識とのわずかなずれ、きしみ。

 

 

1月23日

 

『缶詰族』稽古、三週目。

 

楽しい芝居ではなく、芝居を楽しく。

 

研修生にはその工夫を自分のものにして欲しい。

 

自己防衛のための「優等生」は罠。

 

安直な他者依存は単なる思考停止。

 

 

1月22日

 

昼から、昨年十二月に他界した母の法事と納骨。

 

港区の菩提寺で。

 

雨模様で心配したが、骨を墓に納め、集まった近しい親戚との会食の頃からは淡い冬の日射しも。

 

思うこといろいろ。

 

なべてこころ穏やかに。

 

 

1月21日

 

午後、神楽坂へ。

 

黒テント『青べか物語』、マチネ観劇。

 

山本周五郎の原作を「物語る演劇」で。

 

構成、演出の鄭義信さんは元黒テントメンバー。

 

五月を限りのイワト劇場に、失われた町の物語が幾重にも乱反射。

 

 

1月20日

 

雪。

 

初雪という風情よりは、身の縮む寒さが深々と。

 

居つきの野良猫も日がな一日、段ボールの仮設住宅の中で丸まっていた。

 

去年の夏からの、いささかの過密スケジュール。

 

桜の頃には春休みを。

 

 

1月19日

 

三月にロンドン行きの話が舞い込む。

 

旧作(というか、事実上の処女作)『イスメネ・地下鉄』のリーディング上演。

 

長い間イギリスで活動している俳優、伊川東吾さんの企画。

 

伊川さんは黒テントの創立メンバーのひとり。

 

風を吹かせるのか、風に吹かれたのか?

 

 

1月18日

 

『缶詰族』稽古。

 

若い俳優たちの歩みは遅いが、確実に一歩一歩。

 

彼らを取り残し、先に行くことは出来ない。

 

待つのではなく、共に歩む。

 

歩みの遅さの意味を、おのが体でしっかりと再確認しながら。

 

 

1月17日

 

深夜、NFLのディビジョナル・プレーオフ、デンバー・ブロンコスvsニューイングランド・ペイトリオッツを観戦。

 

ある程度は予想していたが、期待していたブロンコスの「奇跡」は訪れず、一方的な試合展開になりそうな気配に予定を急遽変更。

 

勝新太郎監督『新・座頭市 折れた杖』をVTR鑑賞。

 

勝新「座頭市」との出会い頭の感想は、「ふーむ、なるほどね」。

 

ただひたむきの映像詩。

 

 

1月16日

 

十八時の稽古後、美術プランナーの島さんと最終打合せ。

 

つづいて、アカデミーⅡ期生の進路希望確認ための個人面接を五人。

 

二十一時半から、劇場スタッフとのもろもろ打合せ。

 

二十三時過ぎ、自宅へ。

 

明かりを落とした誰もいない館内がいい感じ。

 

 

1月15日

 

座・高円寺で、劇場創造アカデミーの説明会。

 

二十人ほどの参加者に、カリキュラム・ディレクターとしての思いのたけを三十分ほど。

 

その後、頼んであった母の位牌を受け取りに、田原町の仏具屋へ。

 

いまだ初詣の名残が残る浅草は、和服姿も多く、大変な賑わい。

 

浅草寺に参詣、観音籤を引き、十番大吉。

 

 

1月14日

 

休日。

 

予定していた原稿書きにも手をつけず、一日、ひたすらぼんやりと過ごす。

 

最近再版された山城新吾『おこりんぼ さびしんぼ』(廣済社)、春日太一『天才 勝新太郎』(文春新書)。

 

『偶然完全』からの流れだが、それにしても、いま、何故?

 

成り行きの偶然は、どんな必然に変化するのだろうか……

 

 

1月13日

 

アカデミー生たちとの稽古、日々順調、かつすこぶる面白い。

 

罠だと思う。

 

こちらの言葉に素直に耳を傾け純粋に応えようと懸命に努力する、若い才能たちとの共同作業。

 

面白くないわけがない。

 

こちらは日々崖っぷちをこころしないと。

 

 

1月12日

 

田崎健太『偶然完全-勝新太郎伝』(講談社)。

 

表紙写真の勝新太郎の独特な澄んだ目に、思わず衝動買い。

 

最後の「弟子」を自称する著者の、読みやすく熱にあふれた文書を一気読み。

 

コーエン自伝もそうだったが、勝個人というよりも、彼に投影された「時代」の影に感慨多々。

 

一世代若い著者へは、「そうだろうな、君にはそう見えたんだろうな」が率直な感想。

 

 

1月11日

 

『缶詰族』稽古。

 

昨日、今日といつものようにせりふ憶えの確認から。

 

生き生きとした舞台づくりのための基礎固め。

 

稽古を終わって、今日からⅡ期生の修了後進路についての個人面接もはじまった。

 

稽古場も面接も、まずは、彼らの言葉にしっかりと耳を傾けること。

 

 

1月10日

 

『缶詰族』稽古を途中で抜け出し、林光さんのお通夜へ。

 

途中の喫茶店で少し時間調整をと思っていたが、地図を頼りに歩く最寄り駅から会場までの道は思いのほか細く、薄暗い。

 

と、突然、前方に端正な灯入れ看板。

 

珈琲の文字に扉をあけると、磨き抜かれたカウンター席だけの、由緒あるバーのような店内に、モーツァルトのレクイエムが低く流れている。

 

ワイングラスで供された濃厚な水だしコーヒーを飲みながら、物語世界の中に迷い込んだような、不思議な感覚の15分間を過ごす。

 

 

1月9日

 

座・高円寺、アカデミー修了上演の美術打合せ。

 

プランナーの島さんが腰を痛め、急遽、アシスタントの角浜さんが持参した模型を前に、携帯電話を介した会議となる。

 

第一部『赤と黒と無知』を演出する生田さんともども、かわるがわる勝手な注文をあれこれ。

 

電話の向こうの島さんが、いつもの苦笑いを浮かべているのが目に浮かぶ。

 

二時間後、舞台監督の鈴木くんのPCに、打合せ後の新しいプランの模型写真が届く。

 

 

1月8日

 

何とも不愉快な昨今の挨拶ことば。

 

その一、出会い頭の「お疲れさまです」。

 

その二、電話の向こうからの機械的な「お時間よろしいでしょうか?」。

 

紋切り型挨拶ことばであればこそ、使い方のTPOはきまえて欲しい。

 

いくらなんでも朝っぱらか疲れちゃいないし、電話に時間がさけるかどうかは相手が誰かと用件とによる。

 

 

1月7日

 

作曲家の林光さんが亡くなった。

 

シュプレッヒコール『ゲバラが髭を剃る朝』の「花の歌」以来、半世紀、いつも十数歩前を飄々と行く兄貴分だった。

 

最後にお目にかかったのは去年の八月、あるパーティで出会い、「マコトさんとゆっくり話すのはほんとに久しぶりだね」と、楽しいひとときをともにした。

 

以前、「これ読んでみて」と手渡された、野溝七生子さんの『眉輪』の一冊が形見。

 

オペラ化の宿題はとうとう果たせなかった。合掌(最初の漢字変換では「合唱」)。

 

 

1月6日

 

年末年始休み、最終日。

 

啓子とともに帰京。

 

居候の野良猫が、居間の濡れ縁にちょこんと座って出迎え。

 

ガラス戸を開けると素早く姿を隠し、どこからかこちらの様子をうかがっている。

 

十日ばかり顔を見ないうちに、警戒心がすっかり元にもどってしまったよう。

 

 

1月5日

 

10日からスタートする、劇場創造アカデミー第Ⅱ期生修了公演『缶詰族』の稽古プラン。

 

2月16日の初日からの逆算をしながら、日々の作業進行を慎重に整理する。

 

ここ数年、「鴎座」で培ってきた稽古方法を、まだ経験の少ないアカデミー生たちにも思い切って適用してみるつもり。

 

まずは、演出に必要な開放的な集中力を、一カ月余、きちんと持続するための気力と体力を整えておかなければ。

 

はじめてのこころみへの期待と不安は……まあ、毎度のこと。

 

 

1月4日

 

『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』(早川書房、1992年刊)

 

60年代から70年代にかけて、低予算映画を量産し、製作、配給会社ニュー・ワールドで大成功をおさめたロジャー・コーマンの自伝(ジム・ジェローム共著、石上三登志、菅野彰子訳)。

 

たしか、三読目。

 

コーマンは『原始怪獣と裸女』などのB級映画を百本以上製作、監督する一方で、ベルイマン『叫びとささやき』などヨーロッパ芸術映画のアメリカ上映を成功させ、若き日のピーター・フォンダ、コッポラ、スコセッシン、ジャック・ニコルソンなどに仕事の機会を提供した。

 

何度読んでも面白いのは、期せずして本書が、60~70年代文化論として得難い読み物になっているせいだろう。

 

 

1月3日

 

正月休みらしく、いつもよりもTVの視聴時間が長い。

 

気になるのは、番組の合間のコマーシャル。

 

「絆」とか「家族愛」とかそんな雰囲気のものが、やたら増えたような気がするが、気のせいだろうか。

 

と、思っていたら、やっぱり登場。

 

「常磐ハワイアンセンター」ネタの破廉恥便乗もの。

 

 

1月2日

 

暖かな日射しの下、ぼんやりと一日を過ごす。

 

日が昇り、日が落ち、一日が過ぎる。

 

そんな時の流れの基本的な感覚を、この際、自分の体に憶えさせておこうか、などと。

 

なにをするか、よりもなにをしないか……についての熟慮とかね。

 

あわせて、毎日一日分、きちんと体を動かすことと。

 

 

1月1日

 

いつものように、近くの三島神社に初詣。

 

昇殿して太鼓を叩き、神酒の濁り酒をいただく。

 

啓子ともども久しぶりの和装。

 

今年は兵児帯ではなく、はじめての博多帯を片ばさみはさみ結びで。

 

初詣後、着付けの間違い(右前!)に気づき、次に立ち寄った美術館でトイレに駆け込みあわてて着直し。