2012年12月

12月31日

 

南京から北京経由で、夜、九時過ぎに羽田着。

 

とにもかくにも、この年の最後、南京の地で、日中交流企画を実現できた。

 

南京大学の学生たちをはじめ、彼の地の若い人びととの対話がなによりもの収穫。

 

江蘇省昆劇院、ダニー・ユン、日本側からの参加者はじめ、すべての協働者にこころからの感謝。

 

帰宅後、啓子とふたり、コンビニで購入した蕎麦で年越しを祝う。

 

 

12月30日

 

南京最終日、はじめての青空と眩しい陽光。

 

ただし、気温は零度近く。

 

午前中から午後にかけて、南京の各大学の研究者と円卓を囲み、古典継承と今回の上演を巡る学術交流。

 

7時、冴えわたった満月の下、ソワレ開演。

 

講義に行った南京大学の学生たちが大挙して来場し、超満員客席を前に、無事、千穐楽を打ち上げる。

 

 

12月29日

 

南京公演二日目、マチネ。

 

朝から粉雪。

 

雪国富山出身の出演者高田惠篤さん曰く、「これは積かもね」。

 

昨日の上演から、能、『站』ともに居場所やタイミングを微調整。

 

うっすらと積もった雪景色の中、今日も若い観客が多数来場。

 

 

12月28日

 

南京昆劇院蘭苑劇場での三日間の上演が始まる。

 

昆劇のデモストレーション、能『楊貴妃』『天鼓』、今回のために新しく創作した『站』、そしてダニー・ユンが昆劇院若手とつくった『朱鷺への手紙』ワークインプログレスという多彩なプログラム。

 

若い観客中心の超満員の客席は、約三時間、熱心に観劇。

 

昨日の大学での講義にひきつづき、ほかでもない今年、ほかでもない南京の地での若い観客達と出会いと交流はとてもうれしい。

 

昆劇院との三年間におよぶ交流の成果でもあり、次のステップへの得難い手がかりでもある。

 

 

12月27日

 

午前中、南京大学で特別講義。

 

日本の小劇場運動から説き起こし、演劇や劇場の可能性について、テキストの復権、古典との連動、子どもたちとの共同という三つの視点から。

 

文学系大学院で、演劇、映像、文学を学んでいる100人ほど(内、九割が女性)が受講。

 

終始、親密な雰囲気で二時間を終え、肩の荷を下ろす。

 

 

終わって担当の教員から、近い将来に、ファシリテーター・ワークショップ開催の打診。

 

 

12月26日

 

朝、窓の外は粉雪。

 

午前中、昆劇院で今回の企画についての記者発表。

 

ネットを入れて六社ほどが参加。

 

午後からの昆劇院舞台を使った稽古のあと、「朱鷺フェスティバル」の前半プログラムの上演。

 

昆劇院の若手たちによる新作昆劇の可能性がうれしい。

 

 

12月25日

 

朝、羽田発で北京へ。

 

北京空港で五時間ほどのトランジットのあと、南京へ向かう。

 

現地時間7時30分、南京着。

 

空港出迎えは孫晶。

 

いつもの気配りで「とにかく寒いから」を繰り返す。

 

 

12月24日

 

ピアノと物語『ジョルジュ』三日間公演の最終日。

 

リピーターもふくめて観客席からの反応もよく、楽屋ロビーで、気持ちのいい「お疲れさま」乾杯。

 

ショパンとのかかわりでは、ふつう悪役にまわることの多いジョルジュ・サンドにしっかり加担したテキスト構成に、あらためて、劇作家斎藤憐の真骨頂を思う。

 

俳優の肉声を通して伝えられる劇作家の言葉が放つ、独特な生命力。

 

三部作の残りの一本、『上海ブギウギ』テキストのどんな断片でもいい、憐さんのコンピュータに残されていれば、ぜひ、上演までもっていきたいのだが。

 

 

12月23日

 

明後日から南京。

 

昆劇院で上演する『駅』の最終稽古。

 

啓子と共演の高田恵篤さんとの相性もよく、満足出来る仕上がり。

 

25分足らずの小品だが、今年の『ピン・ポン』や『霊戯』の経験を経て、ようやくひとつの様式への手がかりが見えてきた。

 

来年念頭から始まる、アカデミーⅢ期生修了上演にはたして┄┄┄

 

 

12月22日

 

劇場デスクまわりの書類を整理。

 

何を残し何を捨てるか、咄嗟の判断にまかせてガシガシと進める。

 

開館以来五年、読む人が読めば貴重な資料になりそうなものもいつつか埋もれていそうだが、情け容赦なく裁断へ。

 

すっきり片づいた書棚、引き出しは気持ちがいいが、「さあ、次は?」とせき立てられているような気がしないでもない。

 

まあ、あれこれ迷わずに、やれるところまではやってみよう。

 

 

12月21日

 

『ジョルジュ』舞台稽古。

 

ガーシュインとショパンの違いはもちろんだが、並べてみると、一昨日上演が終わった『アメリカン・ラプソディ』とのさまざまな対比が楽しい。

 

斎藤憐という劇作家の技巧の多彩さをあらためて。

 

せりふの思わぬところに、「いま」との引っ掛かりがさりげなく仕掛けてあるのも、憐ならでは。

 

さて、今年はあと一本、年末に南京で上演する『駅』が残っている。

 

 

12月20日

 

早稲田大学。

 

「能、昆劇交流プログラム」に、三年間、研究費の協力を頂いている連携拠点の研究成果報告会。

 

門外漢にとって、たとえ十分間の報告といえども、専門分野の先生方を前にしての報告は気が重い。

 

とりあえず、心臓に毛生え薬を振りかけて登壇。

 

無我夢中で喋り、気がつくと持ち時間を三分ほどオーバー。

 

 

12月19日

 

『アメリカン・ラプソディ』、座・高円寺上演。

 

年の暮れの定番レパートリーだが、お客さんの入りもよく、何だかうれしい二時間だ

 

とりわけ、今夜の上演は、佐藤允彦さんのピアノが格別。

 

シャイな允彦さんは、「エヘヘ」のひと言だったが、ジャズ・プレーヤーの「乗り」 凄さをあらためて確認。

 

高橋長英、関谷春子コンビのリーディングも、三年目の自在さが加わり、聞き応えがあった。

 

 

12月18日

 

アカデミーⅢ期生修了上演、舞台美術打ち合わせ。

 

美術の島次郎さん、パート2担当の生田萬さん、舞台監督の鈴木章友くん、他。

 

ゆっくりとおだやかに、しかし、頑固な島さんのペースは相変わらず。

 

議論の途中、島さんから鉛筆を奪い、図面を書き加えたり、消しゴムで消したり。

 

相手が相手だったら殴られてもおかしくはない、いつもの乱暴狼藉。

 

 

12月17日

 

変化の時なのだと思う。

 

やがて大きく変わるだろう。

 

断末魔の反動期にあって、「希望」の二文字はこれからも抱き続けよう。

 

ひとりたのしむ竹林の隠者の教養はない。

 

巷の喧騒に身を置き、せめて前のめりの野垂れ死にか。

 

 

12月16日

 

那須塩原、三島ホールで『アメリカン・ラプソディ』上演。

 

開演を待つ間、隣接する那須野ガ原博物館を見学。

 

明治期の国策による開拓史の一端を知る。

 

原野から火山による石を手作業で取り除く過酷な作業、那須野ガ原のあちらこちらにいまも見られる「石ぐら」と呼ばれる石の山はその痕跡。

 

マチネが終わって帰京、選挙結果のローブロー。

 

 

12月15日

 

早朝、新横浜経由で八王子に移動。

 

『ジョルジュ』八王子いちょうホール上演。

 

反響板使用のため、出入りの整理など一時間ほどリハーサル。

 

公共劇場間のゆるやかなネットワークが、少しずつ形になっていくのがうれしい。

 

終わって、東京駅経由で、越後湯沢に移動。

 

 

12月14日

 

大阪行き。

 

第19回OMS戯曲賞審査会。

 

今年は渡辺えりさんが欠席で、審査員は四人。

 

偶数で意見が割れると調整が難しい。

 

と、心配は杞憂に終わり、例年よりも短時間で審査終了。

 

 

12月13日

 

『アメリカン・ラプソディ』と『駅』。

 

ふたつの稽古場を間にはさんで、本日も、終日劇場詰め。

 

執筆やこまかなプラン立てを片づけて、年内は、南京行きやその他、敷いたレールをひた走る実行作業がつづく。

 

重しがとれて、気分は躁。

 

脱線、ご用心。

 

 

12月12日

 

年の瀬に南京でおこなわれる「能、昆劇交流プロジェクト」に参加するスタッフ、キャストの最終顔合わせ。

 

能のデモストレーション二作品(『天鼓』『楊貴妃』)と「one table tow chairs」の小品『駅』。

 

今年最後の創作活動『駅』もまとまり、準備は整った。

 

シンガポールでの『霊戯』上演にひきつづいて、実のある交流を期待したい。

 

二年ぶりの古都南京、楽しまなければ。

 

 

12月11日

 

『アメリカンラプソディ』、稽古。

 

高橋長英さん、関谷春子さんと一年ぶりの再会。

 

今年で三年目を迎えるが、再演を繰り返す度に新しい発見がある。

 

当たり前といえば当たり前の話だが、当然、テキストへの読みは深まる。

 

劇場レパートリーを通しての新鮮な体験。

 

 

12月10日

 

アカデミーⅢ期生修了上演、稽古初日。

 

エドワード・ボンド「戦争三部作」第三部を、前半、後半2ピースにわけて上演。

 

目標にしている「三部作」一挙上演にむけての、ワーク イン プログレスの三年目。

 

強力なテキストとの格闘を前に、生田萬さんともども、狼煙をあげ、旗を振る。

 

瘋癲老人の空回りを躊躇している時ではない。

 

 

12月9日

 

ピアノと物語『ジョルジュ』稽古。

 

恒例の年末レパートリーとして、プレ事業から六年目の上演。

 

レギュラーキャストの竹下景子、真那胡敬二さんと。

 

ふたりの声を通して、劇作家の言葉がよみがえる。

 

斎藤憐が、いま、確かにここにいるという不思議な実在感。

 

 

12月8日

 

真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)の日。

 

フェイスブックには、ジョン・レノン射殺と、赤坂のキャバレーでが刺された力道山の記事も。

 

個人的には、母の一周忌(命日は明日)。

 

息子、孫たちのごく内輪で、愛宕山下 の菩提寺で法要。

 

母と弟、そして斎藤憐さんを失った去年の日々の陰は、いまだ色濃く。

 

 

12月7日

 

アカデミーⅢ期生、演出ゼミ。

 

今期は、受講生のレスポンスのおかげで、いまの時点での、自分の演劇へのかかわり方について整理するいい機会になった。

 

補講を含めて午前と午後、4時間。

 

各自自作の白模型を使っての、課題作品へのプラン発表。

 

さあ、あとは二カ月間、修了上演に向かってまっしぐら。

 

 

12月6日

 

選挙。

 

いずれにしろ、一気には進まないだろう。

 

まずホップ、次にステップ、そしてジャンプ!

 

その可能性は、たぶん、ある。

 

彼らは耐用期限切れしているのだから。

 

 

12月5日

 

12月の過密日程を前に、荒れる海の波打ち際に立った気分。

 

「深呼吸、深呼吸」と自分に言い聞かせながら、一カ月の作業手順の脳内シュミレーションを繰り返す。

 

けれども時間はデジタルには進行しない。

 

こちらの思惑を嘲笑うかのように、いつだって勝手気儘に伸び縮みする。

 

ともかくも、船出だ。

 

 

12月4日

 

商品としての情報とその消費。

 

自分を含めて、人は自分の欲しい情報をあらかじめ選んで購買する。

 

好みの情報を好みのままに。

 

情報の真偽は原則的に問われない。

 

おのれのの私的想念を拡大、補強し戯れるために、人は買い求めた情報を衣装のように身にまとい街に出る。

 

 

12月3日

 

母の一周忌を前に、生前の手芸作品を持って親戚の何軒かをまわる。

 

私的な記憶をともにするつながりをたどる小さな「旅」。

 

都内の東と西を行き来しただけで「旅」も大袈裟だが、何気ない会話を通してよみがえる長い時間は、鈍行列車の車窓の景色に似て。

 

記憶から記憶へ。

 

伝えられるもの、こぼれ消え去るもの。

 

 

12月2日

 

書斎作業。

 

古今亭志ん朝「大須演芸場CDブック』の第一巻を聞きながら。

 

『化け物使い』『大工調べ』『文七元結』上下。

 

『文七元結』は子どもの頃から好きな噺。

 

気持ちのいい段取りの噺と姿のいい芸。

 

 

12月1日

 

寒い日。

 

夕方、銕仙会青山能楽堂で清水寛二さんと打ち合わせ。

 

年末、南京での「能、昆劇交流プロジェクト」について。

 

五日からはじまる稽古にそなえて、 ようやく形になったテキストの説明、その他。

 

今回の企画の協働者、清水寛二さん、西村高夫さんのお二人とは、敬愛する観世榮夫さんと櫻間金記さんというふたつの道が結び合った不思議なご縁を感じる。