2012年2月

2月29日

 

雪。都心の積雪二センチメートルとか。午前中、仕事で渋谷へ。雑踏の町に優雅な雪景色はない。それでも、転ばないように足下を注意しながらのゆっくりとした歩行が、いつもとは違う、優しげな町の雰囲気を醸しだしている。電器店からの呼び込みの騒音もなく。

 

 

2月28日

 

快楽亭ブラック『立川談志の正体』(彩流社)。日本映画、歌舞伎への傾倒と批評文で前から気になっていた著者。表題通りの際物本であるのは間違いないが厭味はない。無所属落語家としての真摯な活動と、大動脈解離からの生還者という病気仲間へエールを。

 

 

2月27日

 

八代目林屋正蔵『正蔵一代』(青蛙房)。当然のことながら、最近読んだ落語関連本の中では、内容、語り口ともに出色の一冊。叶わぬ願いとは知りりつつも、いま、あらためて高座にふれたい噺家の筆頭也。木久扇演じる「彦六」模写にはその真骨頂の片鱗もない。

 

 

2月26日

 

劇場創造アカデミーⅣ期生選考会。カリキュラム・ディレクターの生田萬さん、木野花さんとともに朝からけいこ場にこもる。受験生に資質や才能を求めるより、まず、彼らが求めるものをきちんと把握すること。選考会は出会いの場だ。選ぶと選ばれるに差異はない。

 

 

2月25日

 

使用歴二十年、書斎のミニコンポがへたり、秋葉原のアウトレット店でアナログ、デジタル回路併用の新機種を購入。ごくありきたりの中級機だが、以前からのスピーカー(Rogers)との相性もよく、予想以上に澄んだ音の抜けに満足。オペラCD(Rossini)を大音響で。

 

 

2月24日

 

定期検診のため秋葉原の病院へ。久方ぶりに中央線の先頭車両で運転席をのぞく。運転士の仕事は、左手の僅かなレバー操作と時折のパネルタッチ、頻繁な指さし呼称のみ。ほとんど自動運転のような味気なさ。枠に納めたアナログ鉄道時計だけが昔の名残り。

 

 

2月23日

 

劇場でミーティング、打合せ五件。開館以来、思いも寄らない順調な日々を重ねてきた劇場について、振り返りと、次の一歩を考える時らしい。惰性に陥らず、外からの声に丁寧に耳を傾け、しかるのち、大胆に、さらに独創性に富んだ「場」づくりへ向かわなければ。

 

 

2月22日

 

終日、自宅。三月、四月、比較的ゆるやかな日々を念頭に、作業と日程とを整理する。物の片づけと並行して、頭の中の片づけも。無闇にゴミ化せずに、必要なところへ返していく算段を。身についた「終わらせる」への強迫観念を脱ぎ捨てて、「始まり」への一歩。

 

 

2月21日

 

暖かな日射し。劇場往復の道すがら、周囲の風景がゆっくりと目に入って来る。劇場のある高円寺、自宅のある西荻窪、いまの東京ではまずまず元気がある町だろう。だが、何かが欠けている。人びとの日々の暮らし、その繋がりと行方への得体の知れない不安。

 

 

2月20日

 

午前中、北京の私立小劇場、蓬蒿劇場から来客。昨年、香港のフォーラムで出会った劇場オーナー王翔さんと、制作、学芸担当の若いスタッフ二人。懸案の企画相談と劇場見学。アカデミーⅡ期生、山崎理恵子に通訳を依頼。彼女の北京人脈の話題も幾つか。

 

 

2月19日

 

劇場創造アカデミーⅡ期生、修了式。講師、ゲスト、昨年修了したⅠ期生など、百人ほど。修了証書を手渡しながら、アカデミーを「はじめてしまった」自分の来し方を思い出す。俳優座養成所を終えて夢中で過ごした濃密な一年間、すべてはそこに充填されていた。

 

 

2月18日

 

修了上演、楽日。上演後、劇場カフェでダビット、バルバラと。会話が弾み、三時間近く。通訳してくれていた制作チーフ石井惠さんは流石にぐったり。15年前、世田谷パブリックシアターの立ち上げ準備に彼女と行った、9泊12都市、ヨーロッパ駆け足旅を思い出す。

 

 

2月17日

 

修了上演にあわせ、フランスからドラマトゥルクのダビッド(男性)と演出家のバルバラ(女性)が来日中。昨年、プロジェクト立ち上げ時に、企画のきっかけ、アラン・フランソン演出の資料やボンドとの仲介など世話になった。終演後、劇場怪人佐伯隆幸をまじえ、雑談。

 

 

2月16日

 

寒い朝、西荻の駅に向かう途中、善福寺川に白鷺が一羽。透明な流れに身をうつして優雅な佇まい。橋の真下には羽を膨らました鳩が二羽。くぐもった鳴き声で風景に彩りを添える。劇場創造アカデミー修了上演初日。楽屋で生田音頭の「糞!」十連発で気合入れ。

 

 

2月15日

 

朝から劇場。『缶詰族』の場当たりと照明あわせ。コロス場面のワゴン移動など、はじめて劇場で本格的につくる場面も含めてまずまず予定通りの進行。島次郎さんの美術と斎藤茂男さんの照明との相性もよく、ほっとひと息。20時からの通し稽古を一部組が見学。

 

 

2月14日

 

稽古場で『缶詰族』の通し稽古を二回。劇場では第一部『赤と黒と無知』照明あわせ。一部、二部がそれぞれどのような仕上がりか、出演者同士はまったく知らない。演出家も同じこと。夕食時、稽古場のガラス戸越しに、一部演出、生田萬さんの偵察姿がチラリ。

 

 

2月13日

 

『缶詰族』、稽古。それしかないのかと思うけれど、初日四日前、それしかない(きっぱり)。黒テント演出の中で発想、大学教員の九年間、学生対象に整理、実際の現場で試行を重ねてきた、現代日本語テキスト演技技術の本格的な実践。緻密な即興演技への確信。

 

 

2月12日

 

座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル。斎藤憐さんの肝入りで立ち上げたドキュメンタリー・ジャパンとの提携企画。今年三年目を迎え、認知度も大分上ってきた。稽古の合間に、コンペ部門の公開選考会。応募作の監督を前にしての公開トークは、毎度、冷汗。

 

 

2月11日

 

日々『缶詰族』漬け。ほんとはこれじゃいけないんだろうなー、と思いつつも性分は変えられない。もちろん、誰もが同じようなスタンスで舞台に取り組まなければ、ということはない。それどころか、漬け物になって何か大切なものを見失いそうな自分に、いつも微苦笑。

 

2月10日

 

『缶詰族』稽古、終盤の山場。この二、三日、一気にテキスト全体の骨格が浮かびあがってきた。アカデミー生たちとともに、腰を据えて粘りに粘った結果と思う。肝腎なのは、稽古場の舵を仕上げの方には切らないこと。舵輪は固定。波風を厭わずひたすら前進。

 

 

2月9日

 

本日のやれやれ。其の一。エアコンとラジオのリモコンを取り違え、「ゆうゆうワイド」を大音響で鳴らす。其の二。出掛けに忘れ物を取りにあがった二階の書斎で、下からあがってきた理由を完全に忘却。其の三。昼食用の茸おこわ握りがいつの間にか忽然と消滅。

 

 

2月8日

 

年齢を重ねるにつれて、思いも寄らなかったさまざまな事態に直面する。この所の最大の課題は、自分の物忘れをどのように受け入れるか、だ。あまりのことに、年がら年中自分に腹を立てているのは健康にもよろしくない。笑ってやり過ごせるまでの修行や如何。

 

 

2月7日

 

劇場仕込み。鈴木章友舞台監督の指示のもと、Ⅱ期生全員で舞台づくりに取り組む。打合せ、劇場スタッフの面接を終えて、午後から抜き稽古。帰り際、劇場をのぞく。舞台に飾られた島次郎さんの切れ味のいい美術が、明日からの劇場稽古を待ち受けていた。

 

 

2月6日

 

『缶詰族』の稽古場でちょっと寂しい出来事があった。わざわざ日記に記すほどのことでもないし、なんだかなーの気持ちを明日まで持ち越しもしないだろう。だけどね、こんなひとり相撲、二度と取りたくないし、奥歯に物の挟まったような愚痴もこぼしたくない。糞!

 

 

2月5日

 

寒い。子どもの頃、「寒い」「眠い」「煙い」を「三ムイ」と称して、どの「ムイ」が一番我慢できないかを友だちと話したことがある。その時の結論では、ダントツ「煙い」だった。つんと目に染みる焚火の煙がその理由。「寒い」「眠い」のつらさを思い知るのはもう少し先の話。

 

 

2月4日

 

そうか、昨日は節分だった。稽古中は日々への感覚が少し鈍る。まぁ、仕方ない、のか? それでは駄目なのか? 恵方巻なるコンビニ経由の奇妙な風習が東京に定着したのはいつ? 小学校時代、豆まきの豆があんなに好きだったのは何故? 埒もない自問自答。

 

 

2月3日

 

この二、三年、さまざまな思惑や噂話が飛び交っていたいわゆる「劇場法」が、どうやら本格的に動きはじめそうな気配。「文化芸術振興基本法」(2001年)の時のように、気がつくといつの間に(あるいは、小生だけの感想かも知れないが)という結末にならないように。

 

 

2月2日

 

終日、地下三階の稽古場に籠って、エドワード・ボンドが描き出す核戦争後の世界を立ち上がらせようと苦心の日々。今日は稽古をはじめたとたん、いまで見たこともない人物たちが生き生きと呼吸し、言葉を喋りはじめた。取り残された演出家には至福の数時間。

 

 

2月1日

 

今日からまた、「120文字日記」に衣替え。何とはなしの気分転換と言えばそうなのだが、このところどうも気持ちに余裕なく、どこかワサワサ、ガサガサしているような気がしてならない。近親者や友人との相次いでの別れ。ぼくの場合、最後の頼りはやっぱり「言葉」。