2012年9月

9月30日

 

国立能楽堂で櫻間金記之會。

 

『遊行柳』。

 

橋懸にふっと現れて佇む前シテ(老人)の風情。

 

端正な輪郭を爽やかに空間に描き出す、一時も目を離せない、金記さんならではの演能。

 

まるでシュールリアリズムのような詞(柳づくし)にのせて舞う後シテ(柳の精)は一層の見ごたえ。

 

 

9月29日

 

二十代で芝居をはじめて以来、いつも二十年先のイメージを目標に歩んで来たような気がする。

 

飽きっぽい性格のせいだろう、ほぼ五年ごとに関心の対象が大きく変化する。

 

その度に、二十年先のイメージも変化する。

 

未完のというか、未成のというか、中途半端に放り出された二十年後のイメージの断片が、朽ち果てた遺跡のように、時折、頭の中に妙にくっきりとした像を結ぶ。

 

この先二十年┄┄この年齢になると二十年はこれまでになくリアルな時の物差しだ。

 

 

9月28日

 

盛岡南都文化キャラホール。

 

『ふたごの星』旅公演。

 

本隊は朝六時に東京出発で、朝から仕込み。

 

二時間遅れで、『走れメロス』以来、半年ぶりの盛岡到着。

 

明日は、賢治を育んだ風土での、はじめての『ふたごの星』。

 

 

9月27日
茅野からいったん帰京。

 

新宿から劇場に直行して、『霊戯』準備のための制作ミーティング。

 

能と昆劇の合作とあわせて、郭宝崑のテキストが問いかけるもの。

 

去年企画を立ち上げた時には予想もしていなかったいま、却って今回の上演の意味がはっきりとしたような気がする。

 

気負わず、坦々と、説得力のある舞台をつくりたい。

 

 

9月26日

 

『ふたごの星』、茅野上演。

 

昼夜二回のうち、マチネは茅野市内小学校四年生全員の招待上演。

 

二階席まで埋まった600人の子どもたちの素晴らしい反応。

 

子どもたちとの芝居ではいつも感じるが、素晴らしい客席が、素晴らしい舞台、素晴らしい劇場をつくる。

 

その逆では決してない。

 

 

9月25日

 

座・高円寺『ふたごの星』初旅。

 

朝7時新宿発、信州茅野へ。

 

上演を明日にひかえ、茅野市民会館マルチホールで仕込み。

 

途中、地元FM局の取材を受ける。

 

リタイアー後の地域ボランティアというキャスター朝倉さんと、取材を離れて話がはずみ二時間。

 

 

9月24日

 

『霊戯』、稽古開始。

 

香港、南京組到着の前に、笛田宇一郎さん、能の清水寛二さん、西村高夫さん、笛田宇一郎さん、映像の飯名尚人さんなど、日本組の顔合わせ。

 

昨年の上演記録ビデオを見たあと、今年度版の方向性について概略を説明する。

 

最後の読み合わせを聞きながらく、プランづくり中に迷っていた箇所について、次々に解決策が思い浮かぶ。

 

来月一日からの本格稽古への期待、一気に高まる。

 

 

9月23日

 

子どもたちとともにある劇場。

 

実現のためには何が必要なのか。

 

まず、大勢の人びとと話合わなければ。

 

ひとりよがりではなく、経験をわかちあい、手を携える。

 

まだ誰も、何も知らない劇場の方へ。

 

 

9月22日

 

space早稲田フェスティバル2012、「1960~70年アングラ傑作戯曲を読む」。

 

『阿部定の犬』(演出、西沢英司/JAM SESSION)、『浮世混浴☆鼠小僧次郎吉』(演出、小林七緒/流山児★事務所)のリーディング。

 

処女作『イスメネ・地下鉄』上演のおり、恩師の杉山誠さんから、「自分の言葉が音声化される時の喜び」を教えられた。

 

若いころに懸命につむぎ出した言葉が、40年後に、若い演出家と俳優たちによって、まったくあたらしい様相をもって立ち上がる。

 

「喜び」というよりも、客席の隅で、ひとり「居ずまいを正す」。

 

 

9月21日

 

片山杜秀『未完のファシズム「持たざる国」日本の運命』(新潮選書)。

 

第一次世界大戦の「戦勝国」であった日本が、資源貧国の自覚の中でいかに列強の一員として生き残るか。

 

「戦陣訓」に帰結する、日本陸軍の中枢を担った軍人たちの思想的変遷、葛藤について、豊富な資料をもとに独自の視点から読み解く。

 

読みやすい文書とあいまって、なかなか刺激的な読書ではあったが、残念ながら、一夜の蘊蓄あるサロン談義にとどまった印象。

 

最後まで、期待した「歴史からのひと声」は聞こえず。

 

 

9月20日

 

アカデミー、Ⅲ期生演出ゼミ。

 

近代演出の始祖のひとり、マイニンゲン大公、ゲオルグ二世について。

 

研修生たちの発表を整理しながら、自分自身の演劇観の「確信犯的」変化を実感。

 

「近代」劇の黄昏。

 

言葉で伝えるもどかしさ、難しさを、あたかも情感のエナジーで補うかのごとき喋り(見方を変えれば、「年寄りの冷や水」)になってしまった。

 

 

9月19日

 

わたしは子どもを信頼する、何故ならわたしも子どもだったから。

 

子どもは大人よりも孤独の中で生きている。

 

子どもはシンボルによってコミュニケーションする。

 

座・高円寺『旅とあいつとお姫さま』の演出家、テレーサ・ルドヴィコ(イタリアの劇作家、演出家。テアトロ・ギスメット芸術監督)の言葉。

 

 

9月18日

 

『ふたごの星』、千穐楽。

 

朝、十時半からの上演を、招待の小学生と一緒に見る。

 

子どもたちとの演劇という実践が、「立ち上げ」から「持続」へと進化しつつあるのを確認。

 

「持続」の先にあるもの。

 

それは、いま客席にいる子どもたちが、かならず示してくれるだろう。

 

 

9月17日

 

終日、自宅作業。

 

いつもの通り、箇条書きメモを傍らに事務作業を坦々と。

 

二本の短い原稿を明日の劇場での作業に残し、六時前、予定完了。

 

庭の金魚瓶の水替えのあと、コーヒー付き読書。

 

窓からの風は涼しいが、熱帯低気圧の影響か湿度が高く、秋の気配いまだし。

 

 

9月16日

 

国立能楽堂で、「能、昆劇交流プロジェクト」で二年間ご一緒している銕仙会の清水寛二さん、西村高夫さんの「響の会」。

 

演目は、清水さん『楊貴妃』、西村さん『望月』。

 

いささかの緊張感を強いられている日々から、能楽堂に響く「調べ」の音色の一区切りで、ひさびさの「虚」の世界へ。

 

内容、様式ともに対照的な演目から、「演劇」の愉しみの意味と普遍性を拾う。

 

能の深さよりは身近さをひしひし┄┄

 

 

9月15日

 

このような時を生きるとは思ってもいなかった。

 

おそらくは文明史的な「変化」の時。

 

結末を見届けるのは不可能だが、その一端には確実に巻き込まれるだろう。

 

姿勢をただして、一歩。

 

恐怖の彼方に希望を見失わずに。

 

 

9月14日

 

去年の福島第一原発事故(あの時は、座・高円寺の劇場創造アカデミー修了上演の無期延期と東京以西出身者への帰郷勧告だった)以来の過剰(過敏)反応かも知れないが┄┄

 

しかし、書いておかおかずにはいられない。

 

日本政府は、いまこそ、あらゆる「領土問題」について、長期的な展望に基づく外交交渉にすべてをゆだね、一切の武力行使を完全に放棄する意志を、世界に向かってはっきりと表明すべき時にある。

 

たとえ単なる示威であっても、自衛隊の行動など絶対にあってはならない。

 

周辺諸国を「仮想敵」呼ばわりする言説には、断固、異議を唱えたい。

 

 

9月13日

 

年末、南京昆劇院で上演する、能、昆劇交流のための新作戯曲を書き始める。

 

素材は、佐渡島、朱鷺、世阿弥。

 

上海万博をきったけに始まった南京との協働の、現時点での集大成。

 

研ぎ澄まされた能の様式美に、昆劇の艶やかさをどのように導き入れるか。

 

精一杯のこころみを南京の観客に届けたい。

 

 

9月12日

 

演劇と社会との境界で、かろうじて演劇の側に踏みとどまっている。

 

何故か。

 

演劇の側というよりは言葉の側と言った方が正確なような気もする。

 

自分にとっての言葉=演劇。

 

何故か。

 

 

9月11日

 

来年度の「鴎座」上演活動の骨格を構想する。

 

目下のテーマは極私的「鴎座」宣言。

 

芸術の価値、演劇の価値、ようするに演劇の公的な価値(役割)を揚言する言説(たとえば、芸術「立国」)論)について、立ち止まり、考え直す。

 

個人の「実現」と公的「使命」の取り違え、あるいはすり替えのいかがわしさ。

 

「爆死」の粋と「野垂れ死に」の風流の間隙を見据えつつ。

 

 

9月10日

 

いやな感じ。

 

いま、がその時。

 

たぶん、確実に。

 

言葉が必要だ。

 

世界をとらえる「詩」の言葉が。

 

 

9月9日

 

東日本大震災復興予算についてのドキュメントをTVで見る。

 

3.11以来、補正、本予算をあわせて20兆円近くが、どこで、どのように使われたのか。

 

予想していた通りとは言え、NHK地方局の律儀な取材が描き出す現実は悲惨。

 

復興とは直接関係のない予算への膨大な額の「流用」について、空理屈を平然と語る中央官庁の高級官僚たち。

 

廃材処理価最小を達成した被災地担当者の、「国民ひとりひとりの金だから」のモラルは望むべくもない。

 

 

9月8日

 

二日間の名寄行きを終えて、ここから年末まで、三年間にわたる「能と昆劇交流各企画」二年目の作業に取り組む。

 

昨年鴎座で製作した『霊戯』の新版づくりと座・高円寺、シンガポールでの上演。

 

さらにもう一作、年末に南京で初演する新作も。

 

一見、『ピン・ポン』『ふたごの星』とは対照的な企画のようだが、作品の様式や主題という意味では、相互に重なり合う一連の作業と言っていい。

 

いまここで、演劇が出来ること、演劇でなければ出来ないこと、演劇がしておかなければならないことへの解答を、可能な限り積み重ねておきたい。

 

 

9月7日

 

旭川空港。

 

北海道ならではの広々とした風景とうっすら根雪の残った大雪山の出迎え。

 

一時間半あまりの至福のドライブで、目的地の名寄へ。

 

黒テント時代、たしか一度か二度訪れたことがある町。

 

本日のハイライトは、道立公園の中にある市立天文台の見学。

 

 

9月6日

 

去年の3月11日、当時、世田谷でひとり暮らしをしていた母の部屋にとりあえず駆けつけた。

 

無事な姿を確認した後、まず訊ねたのは「原発は?」だった。

 

その後、当時療養中だった弟を四月に亡くし、暮れには母も旅立った。

 

肉親のリアルな死に向き合うたびに、原発に真正面から対峙する自分の生への思いがつのる。

 

何をすればいいのか、何がしたいのか┄┄

 

 

9月5日

 

演出家の瓜生良介さんが亡くなった。

 

半回り歳上の小劇場演劇の先達のひとり

 

「アンダーグラウンド・シアター自由劇場」「六月劇場」とともに、「演劇センター68」の立ち上げ仲間でもある。

 

瓜生さんの「発見の会」は参加一年で脱退。

 

同じ夢を見るというよりは、同じ苛立ちを認め合う、真摯な論争相手だった。合掌。

 

 

9月4日

 

久留米より帰京。

 

羽田からリムジンで新宿へ出る。

 

おもいで横町の立ち食いそば屋Kで、遅目の昼食。

 

揚げたて、衣だくさんの野菜かき揚げの乗った天玉うどんを食べながら、一瞬、「ああ、いま、生きてるんだ」というなんとも奇妙な感覚を味わう。

 

満足感とは少し違う、強いて言えば「悟り」の境地のような┄┄むふふふ。

 

 

9月3日

 

自分の表現を他者に伝えるためには、まず他者の表現を虚心に、かつ可能な限り正確に受信する五感を磨かなくてはならない。

 

人はなぜそれほどまでにして、自分の表現を求めつづけるのか?

 

あなたはそこにいる┄┄

 

わたしはここにいる┄┄

 

わたしはあなたとは違う┄┄

 

 

9月2日

 

一ヶ月ぶりの久留米。

 

朝方の雨のせいか、東京は「もしかしたら秋の気配?」だったが、航空機、バスを乗り継いで到着した西鉄久留米駅前は、「うわっ、やっぱり、まだ夏!」だった。

 

四時間ほどの打ち合わせを終えて、夕食。

 

今夜も恒例の久留米餃子行脚。

 

うむ、知れば知るほど、この町の餃子は奥が深い。

 

 

9月1日

 

九月だ。

 

今日も終日劇場。

 

目前、中期、長期など、打ち合わせいろいろ。

 

合間に『ふたごの星』、第一回目の一般上演を観劇。

 

夜、アカデミー修了生の新ユニット「アジアの骨」、稽古見学。