2013年1月

1月31日

 

稽古場に映像スタッフ、飯名さん来訪。

 

ようやく、俳優たち全員が稽古の第一段階をクリア。

 

傍目には心配になるほどゆっくりとした進行に見えるかも知れない。

 

しかし、作品の理解(あるいは理解不能)についての合意形成が出来なければ、作業はその先には進めない。

 

ありふれた比喩になるが、整地と土台づくりは基本中の基本。

 

 

1月30日

 

稽古と同時作業で進めてきた、座・高円寺のあたらしいレパートリーのためテキストづくり。

 

全体の五分の二ほどまで進んだところで、いったん、中断。

 

出演者三人だけでシェークスピアの『リア王』を上演しようというアイディア。

 

しかも、リアを演じるのは女性。

 

テキスト構成への確信がもてたところで、しばらくはアカデミー修了上演に専念。

 

 

1月29日

 

座・高円寺運営評価委員会。

 

24年度の事業、運営報告と25年度の事業基本方針について。

 

委員のひとりから「公共劇場としての攻めの姿勢」への評価をいただく。

 

何よりも劇場としての個性づくりを目指す身には ありがたい指摘。

 

「地域の子どもたちとともにある劇場」「高円寺のまちとともにある劇場」「レパートリーのある劇場」という三本柱へのさらに積極的な取り組みを。

 

 

 

1月28日

 

同時代の演劇人としてのエドワード・ボンドへの信頼感、共生感が日に日につのる。

 

『戦争三部作』について書かれたコメンタリーもそうだが、今回の上演にかかわる修了生との往復書簡の内容も、ひとつひとつ頷くことばかり。

 

座・高円寺での劇場創造アカデミーの立ち上げ。

 

そして二年間の研修の最後に取り組むボンド『戦争三部作』。

 

理屈の組立てだけではとうてい実現できなかった偶然の出会いの幸運。

 

 

 

1月27日

 

『Grate Peace』稽古。

 

やさしいテキストではない。

 

問いかけの様式としてのテキスト。

 

求められているのは理屈づくの答えではない。

 

問いかけに向き合う体とこころの構え。

 

 

1月26日

 

インフルエンザとノロ席捲の稽古場もどうやら落ち着き、本日より、俳優全員の顔が揃う。

 

ということで、とりあえず通し稽古を一回。

 

俳優たちのテキスト掌握を確認する。

 

いくつかの原石は見つかった。

 

磨きをかける当人が気づくまでには、おそらく、あと少し時間が。

 

 

1月25日

 

片倉もとこ『イスラームの日常世界』(岩波新書)。

 

20年以上も前の本が、いま、ようやく切実な現実感をもって読めるようになった。

 

題名どおりの平易な解説書だが、なじみのないイスラーム世界をきちんと伝えたいという著者の基本姿勢に好感。

 

近代西欧社会の人間についての「性教説」(人間中心主義)、日本社会の「性善説」にたいして、ムスリム社会の「性弱説」という視点は目から鱗 。

 

「イン・シャー・アッラー(神の意志のままに)」と厳密な契約社会の共存がはじめて理解出来た。

 

 

1月24日

 

稽古と並行しての台本構成作業。

 

座・高円寺のあたらしいレパートリづくり。

 

シェークスピアへの取り組みは今回で六度目(結城座「マクベス」「テンペスト」、二期会「真夏の夜の夢」、コクーン「ハムレット」、SePT「リア王の悲劇」)。

 

当然の話だが、手ごわい相手に毎回大苦戦。

 

余計なことを考えず、テキストそのものに身をゆだねる潔さに徹しなければ。

 

 

1月23日

 

稽古場にインフルエンザとノロウィルスが蔓延。

 

いつもなら、「健康管理も仕事のうち」と説教のひとつも垂れるところだが、今回は自分が率先して寝込んでしまっているので、どうにも恰好がつかない。

 

とはいえ、体調とともに気分も安定して、上演間近の焦りや苛立ちはない。

 

若い真っ直ぐなエナジーと舞台づくり出来る環境を、あらためて幸せに思う。

 

エドワード・ボンドとともに、彼らに伝えられることはすべて伝えておきたい。

 

 

1月22日

 

そして、始まる。

 

真冬の大地の下で、たしかに何かが蠢きはじめた。

 

思わず、にやり。

 

ただし、あわててはいけない。

 

待つ、待ちつづける。

 

 

1月21日

 

『Great Peace』パート1、稽古。

 

待つ。

 

ただひたすら、待つ。

 

始まりの気配はまだ見えない。

 

真冬の大地は凍りついて見える。

 

 

1月20日

 

アルジェリア、イナメス近郊ガス油田での人質事件。

 

連日、自分のアフリカへの無知を突きつけられるような報道がつづく。

 

たとえば、今回の事件のきっかけと思われる隣国リマとの国境線。

 

地勢や伝統的な部族のテリトリーを完全に無視した、どこまでもつづく真っ直ぐな直線。

 

植民地アフリカの苦悩はいまもなお。

 

 

1月14日-19日

 

14日、発熱。

 

三日間、39度前後の高熱がつづく。

 

16日、近所の医者におもむき、A型インフルエンザと判明。

 

点滴治療を受け、18日まで、終日床の中で、うつらうつつらと過ごす。

 

しつこい下痢症状にやれやれ。

 

19日、 ようやく快癒のきざし。

 

書斎を整理して、活動再開の準備。

 

体ならしはともかく、こころならしに多少の時間がかかりそう。

 

 

1月13日

 

五月に予定している座・高円寺の新作の準備。

 

関連資料本を濫読しているうちに、「あ、この気分」と思い出した。

 

頭の中に、いくつかのはっきりとしたイメージがある。

 

しかし、そこに至る道筋が皆目見当がつかない。

 

黒テント時代からかれこれ半世紀、進歩の気配はまったくない。

 

 

 

1月12日

 

北海道名寄へ。

 

一面の雪景色。

 

と、ひと言では済ませられない圧倒的な雪世界。

 

凄い。

 

恥ずかしながら「廃雪」「利雪」という言葉を、この歳になってはじめて知る。

 

 

1月11日

 

アカデミーⅢ期生修了上演稽古。

 

真面目だが引っ込み思案、というか臆病な彼らに、何とかして演劇の「乱暴」を伝えたい。

 

頼るものはなにもない。

 

遮るものもなにもない。

 

試されているのは、ひとりひとりの「自由」への渇望と覚悟なのだよ。

 

 

1月10日

 

座・高円寺。

 

途中、四時間の稽古を挟んで、終日、事務所のデスクにへばりつく。

 

作業量の多さというよりは、作業効率の低下が主たる要因。

 

天井の隅の方から自分の背中をそっと観察していると、それがよく分かる。

 

書き上げたばかりの文書を「保存」せずにウッカリ終了して、ガックリ肩を落としていたり。

 

 

1月9日

 

劇場事務室に飾ってあった市販の鏡餅。

 

つくりものの丸餅を外すと、中から真空パックの切り餅が出てくる仕掛け。

 

何となく納得出来ない。

 

ついつい考案者の得意顔まで勝手に想像してしまう。

 

悪意がないのはわかってはいるけど。

 

 

1月8日

 

座・高円寺劇場創造アカデミーⅢ期生の稽古はじまる。

 

もっとも参加する修了生たちは、年末年始もほとんど休まずだったらしいが。

 

テキストは、今年三年目のエドワード・ボンド「戦争三部作」。

 

今年はいよいよ、第三部『Great Peace』に取り組む。

 

面白く、勁く、刺激的な舞台づくりを。

 

 

 

1月7日

 

あっと言う間の一週間。

 

午前中、薪ストーブの手入れや荷造りを啓子と手分けして。

 

12時前、出発。

 

途中、真鶴半島に寄り道。

 

飛び込みで入った見晴らしのいい南欧料理レストランのランチ・コースが♪♪♪。

 

 

1月6日

 

啓子の運転で、南伊豆ドライブ。

 

途中出会ったタクシー運転手推薦の「あいあい岬」展望台まで。

 

売店に置いてあったパンフレットで、伊豆半島が、もともとは、はるかフィリピン近くの海底火山であったことを知る。

 

だからどうしたというわけでもないが、なんだかちょっと嬉しい。

 

はじめて伊豆半島と親しく会話がかわせたというような。

 

 

1月5日

 

伊東のはずれにある電気屋、資材店、スーパーマーケットまで買い物に。

 

いずれも、郊外型の大型店。

 

全国どこへいっても、たしかに一見豊富な「物」には出会える。

 

値段も、目下のところはデフレの影響で、大抵は頑張れば手の届く範囲に納まっていそう。

 

ただし、本当の意味での「選択の余地」は根こそぎ失われてしまったような。

 

 

 

1月4日

 

今日も、ネットで立川談志の長講を三席。

 

評判の『芝浜』はたしかに「なにものか」ではあるけど、落語ではない。

 

人情噺でもない。

 

アーチストからもアルチザンからも遠く離れた、彼の孤独ななんじゃもんじゃ。

 

終始つきまとう、あきれるほど子供っぽい見せびらかしが愛嬌とは。

 

 

1月3日

 

微熱と鼻風邪症状。

 

いそいそと終日ベッド。

 

CDとネットで談志と志ん朝の聞きくらべをしながらうつらうつらと過ごす。

 

それにしても、晩年の談志の言い間違いの多さ。

 

思わず夢の中で小言めいた駄目出し。

 

 

1月2日

 

なんだか素直に「おめでとう」になれないのは、慌ただしかった年末年始のせいばかりではない。

 

TVの画面に登場する、宰相以下、この国のあたらしい権力者たちの顔つきを見るたびに襲われる暗澹たる気分。

 

原発推進にしろ、憲法改「正」にしろ、軍備強化にしろ、もちろんとんでもない話とは思うが、もっとも腹立たしいのはそうした彼らを支えているはずの哲学の不在。

 

記者会見の壇上にのぼるたびに彼らが見せる、国旗への一礼を見ればそれは歴然としている。

 

謙虚さも精神性もない、こころここにあらずの記号(喜劇)的演技。

 

 

1月1日

 

松飾りも、お屠蘇も、雑煮の用意も出来なかった元旦。

 

「おめでとう」の挨拶もそこそこに、啓子と渋滞模様の東名高速に向かう。

 

何はともあれ、久々の一週間山籠もり。

 

ただし、紙袋に大量に詰め込んだ本はいつも通りのただの気休め也。

 

途中、昨夜のコンビニで調達した年越し蕎麦の口直しに、以前入ったことのある味まずまずの蕎麦屋で遅い昼食。