2013年2月

2月28日

 

『リア』、構成台本脱稿。

 

正確には月を越えた3月1日早朝だが、ギリギリ2月いっぱいという当初の約束を果たせた。

 

それにしても面白い作業だった。

 

同時並行で読んでいる吉田健一さんのエッセイにある、イギリス・ルネッサンスの人間観についての指摘に深く首肯。

 

人間の「愚かしさ」に向けられたシェークスピアのまなざしの鋭さとあたたかさ。

 

 

2月27日

 

終日、自宅で『リア』構成台本に取り組む。

 

原稿書きというよりは、シェークスピアのテキストををいったんピースにまで分解して組立直す、寄せ木細工のような手仕事に近い。

 

文から句にまで切り刻まれたシェークスピアの言葉の多彩な輝き。

 

宝石もあれば、浜辺の貝殻や、森の落ち葉もある。

 

研ぎ澄まされた美しさとともにする、贅沢な遊び時間。

 

 

2月26日

 

午後、帰京。

 

『リア』構成台本の参考に、シェークスピア『ソネット集』(高松雄一 訳/岩波文庫)をはじめて読む。

 

W.H.と呼ばれる、美しく若い貴族。

 

そして「黒い女」。

 

154節からなる愛の遍歴を語る詩が、これほどまでに率直、かつ「隠蜜」(という単語は、実際には存在しないが)な言葉の世界であったとは。

 

 

2月25日

 

大阪伊丹から福岡久留米へ移動。

 

思ってもいなかった、小型のプロペラ旅客機。

 

大型バスのようなこじんまりとした客室の風情もそうだが、大型ジェット機よりは大分低空と思われる飛行経路が思わぬ拾い物。

 

フライトのほとんどを座席脇の小窓に顔をへばりつけて過ごす。

 

福岡空港で短いタラップを降りる時、「うん、今日は飛行機に乗ったな」といういつもとは違う満足感。

 

 

2月24日

 

伊丹アイホール。

 

劇場創造アカデミーⅤ期生の審査。

 

今年、関西会場の受講者は7名。

 

福岡、和歌山からの応募者も。

 

面接の応答などから、開講五年をむかえたアカデミー設立の趣旨が少しずつ浸透してきている手応え。

 

 

2月23日

 

劇場創造アカデミーⅠ期修了生四人によるユニット、ドクトペッパズ第二回公演『ヒュブリス』(中野テレプシコール)観劇。

 

修了後二年で、身体表現を軸に、なかなかしっかりとした個性のある創造集団に育ちつつある。

 

演出コースの古賀彰吾を中心に、俳優コースの下村界、大山晴子、劇場環境コースの島田健司(パントマイム修行中)。

 

Ⅰ期、Ⅱ期修了生たちが、それぞれの役回りでスタッフワークや受付を助っ人。

 

満員の客席には、今期修了のⅢ期生、研修中のⅣ期生の顔も。

 

 

2月22日

 

午前中、歯医者。

 

年のわりに、歯は丈夫な方だと思う。

 

これまで虫歯治療は一本だけ、親不知をのぞいて抜けた歯も抜いた歯もない。

 

最近、もう一本、上顎左六番(と、歯医者で言っていた)に小さな穴があいて、シクシク痛む。

 

「歯の磨きすぎ」を注意された。

 

 

2月21日

 

午後から、正月休み以来はじめての(強制)半日休み。

 

啓子の運転で横浜へ。

 

元町をぶらつき、コートと靴を買う。

 

元町通りは古くからの店が多く、店員の応対がなべて感じがいい。

 

春節の飾りが賑やかな中華街で夕食。

 

 

2月20日

 

公共劇場ならではの年度末に向けての作業、いろいろ。

 

座・高円寺も開館五年をへて、次への展開を考える時期を迎えているようだ。

 

まず、「ワレワレハナニヲシテキタカ」の検証。

 

その上で、「ナニガデキナカッタカ」の的確な割り出し。

 

しかるのち、「ワレワレハドコニイクノカ」のさらなる明確化。

 

 

2月19日

 

三上義夫『文化史上より見たる日本の数学』(岩波文庫)。

 

二十世紀初頭に著された明治期に滅びた和算の歴史書。

 

自宅の本棚にいつの間にか参加していた文庫本を初読。

 

「和算の問題には実用上のものが極めて多いのであるが、しかし実用的でない趣味の問題も初めから現れて、実用上のものよりも非実用のものが一層の発達をしたのである」

 

というわけで、「和算の社会的・芸術的特性について」なる一章が面白い。

 

 

 

2月18日

 

終日劇場デスクで、『リア』のテキストづくり。

 

単なるダイジェスト版ではなく、原作のエッセンスを凝縮した、あたらしい言葉の世界を生み出したいのだが。

 

言うは易く行うは難し。

 

なまなかな再構成は、原作の言葉の力強さにたちまち弾き返されてしまう。

 

しかし、作業そのものはとてつもなく面白い。

 

 

 

2月17日

 

アカデミー修了上演、終わる。

 

収穫は少なくなかった。

 

というか、この実りを宿題として、この先どこまで歩めるか。

 

今年は、座・高円寺で新作1、再演4、鴎座で新作2の上演が控えている。

 

打ち上げの宴で、盟友佐伯隆幸に「お前は恵まれている」と激励されたが、欲張り婆さんの背負ったつづらは重い。

 

 

2月16日

 

『Great Peace』二日目、マチネ。

 

パート1、上演順調。

 

俳優の何人かが果敢に大胆な即興に挑戦し、そのすべてが生き生きとしたテキストの具体化に成功していた。

 

演出担当者としてではなく、一観客として舞台を楽しむ。

 

明日は千穐楽、修了式、パーティと、三期生最後の一日。

 

 

2月15日

 

劇場創造アカデミーⅢ期生修了上演、初日。

 

即興演技に徹したパート1。

 

俳優たちにすべてを託せた安心感からか、開幕前の演出家はいつになくこころ穏やか。

 

俳優の肉声を通して伝えられるテキストの凄さ。

 

制服姿の高校生たちが見える客席がうれしい。

 

 

2月14日

 

『Great Peace』舞台稽古。

 

明日の初日を前に、照明、音響、映像との兼ね合いもまずまずの仕上がり。

 

あとは即興演技へのより積極的な反応を期待。

 

オペレーションは、迷いなく、大胆に。

 

ダメだしは、俳優たちへとまったく同じ。

 

 

2月13日

 

劇場創造アカデミーⅢ期生修了上演、劇場稽古、順調に進む。

 

日々変貌する舞台を恐れず、解放(=集中)を持続する。

 

他者への興味と信頼。

 

当たり前のことのようだが、徹底するためにはきちんとした意識と技術は不可欠。

 

ここ十五年間ほど取り組んできた「即興性」を核にした方法論へのの確信はゆるがない。

 

 

2月12日

 

本屋めぐりの習慣から遠ざかっているような気がする。

 

原因はいろいろある。

 

好きだった本屋が立て続けに閉店してしまったこと、書店に平積みされた新刊本の魅力なさ、古書店のサブカルチャー化、などなど。

 

中でも最大の理由は再読の面白さの発見。

 

去年三分の一ほどに整理した自宅書棚だが、残した本の再読だけでも楽しみの種はつきない。

 

 

2月11日

 

座・高円寺ドキュメンタリーフェスチバル、コンペティション部門の審査会と表彰式。

 

Uチューブの中継が入る。

 

このフェスティバル、もともとは故斎藤憐さんの仲介ではじまった催しだが、提携事業としても充実した内容を着実に実らせてきていると思う。

 

この種の催しとしては若い観客が多いというウォッチングをつづけて下さっているジャーナリストからの評言がうれしい。

 

打ち上げの席上で、主催者と来年の第五回を機会にもう一段階の飛躍をと語り合う。

 

 

2月10日

 

座・高円寺ドキュメンタリーフェスチバルで、30年前に監督したYMOムービー『プロパガンダ』を上映。

 

久しぶりの大画面に、撮影当時のさまざまな記憶が一挙によみがえる。

 

記憶の中にだけのこる一夜の夢としての演劇。

 

それに対して映像はカメラのとらえたすべてが残る。

 

あらためて映像=ドキュメントを納得。

 

 

2月9日

 

劇場創造アカデミーⅢ期生修了上演、劇場仕込みはじまる。

 

稽古場では、並行して未整理場面の抜き稽古。

 

芝居の基本である舞台上の信頼関係の意味をようやく体得しはじめた修了生たちが、生き生きとした自分の演技を次々に発見していく。

 

「無為の自由」のために形成されたかりそめのコンミューン。

 

自分が芝居に執着する理由はそこにしかない。

 

 

2月8日

 

ドキュメンタリーフェスチバル審査。

 

沖縄県高江ヘリポートをめぐる闘争についてのTV作品。

 

活字報道だけでは想像しきれなかったその場所で生きる人びとの息づかいを知る。

 

抗議の座り込みに対して「通行妨害」で有罪判決を下した、沖縄高裁判例のこわさ。

 

偽装された中立を捨ててはっきりと被害者の側に立つ、地方局らしい製作姿勢のきよさ。

 

 

2月7日

 

アカデミー生たちと取り組むエドワード・ボンド。

 

稽古を通しての「読み」の積み重ねは無類の面白さ。

 

「書き言葉」を舞台上の俳優の身体に変換していく過程そのものの演劇性。

 

演劇には「行き着くべき結果(物語)」など存在しないのだとつくづく思う。

 

「虚構(フィクション)」として現に存在するもう生身の人間によるひとつの歴史的な時間。

 

 

2月6日

 

2月7日-11日、座・高円寺で開催するドキュメンタリーフェスチバルコンペ部門審査で、半世紀前、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった核実験に遭遇した漁船乗組員たちのその後を追った作品を見る。

 

放射能の直接被害を受けて、当時、盛んに報道された第五福竜丸の記憶は鮮明だが、その他にも多数の漁船や船が放射能被害を受けて、大半の乗組員の方々が五十代、六十代の若さで、癌や心臓疾患で亡くなっているのをはじめて知った。

 

アメリカが強行した数回にわたる実験そのものはもちろん論外だが、あらかじめ日本国内に設置されていたアメリカ軍の放射線観測所、一部の船主だけにしか支払われなかった事故補償、被害者にたいする被爆手帳不交付など、当事者以外には知られていなかった事実のひとつひとつが胸に突き刺さる。

 

福島第一原発過酷事故が今後もたらすものについても、予想されながら覆い隠されている多くの事柄があるに違いない。

 

とりあえず子どもたちに関わることだけでも真実を共有して、可能な限りの対処をしなければならないのに。

 

 

2月5日

 

10日後に幕をあけるアカデミー修了上演稽古。

 

一月にインフルエンザ、ノロウィルスの直撃を受けて、稽古進行は予定よりも一週間ほどの遅れだろうか。

 

ただし焦りはない。

 

アカデミー生たちとの協働を積み重ねるうちに、芝居づくりの方法論についての確信が芽生えてきている。

 

初日までこのペースを崩さずに坦々と。

 

 

2月4日

 

朝の生中継と夜の録画鑑賞とのリレーで、NFLスーパーボウル観戦。

 

前半は、インターセプトなど守備陣の健闘もあってホルチモアが大幅リード。

 

一方的な試合になるかと思われたが、後半、47ersも頑張りをみせて、見どころの多い好試合に。

 

ビヨンセのハーフタイムショウも、近年のスーパーボウルでは出色の出来。

 

頻繁なラフプレイと長時間の停電中断は残念だったが、まず、満足。

 

 

2月3日

 

節分の日取りを思い違いした昨日の日録の誤記。

 

これからはまあ、こんなことが少しずつ増えていくのだろうな。

 

節分の当夜。

 

毎年、盛大な豆まきで名高い成田不動に縁の深い、市川團十郎の訃報を知る。

 

自分でも意外なほどの深い悲しみ。合掌。

 

 

2月2日

 

節分。

 

豆まきもせず、恵方巻きなるコンビニ流布のしきたりもせず。

 

「鬼は外」「福は内」の声も、どこからも聞こえてこない。

 

「鬼」とか「福」とかいう言葉の味わい。

 

失いたくない感覚ではある。

 

 

2月1日

 

一日四時間の集中稽古。

 

稽古場の雰囲気は悪くはない。

 

目標としている「即興」の感覚をつかみかけた何人かが、舞台に人間の息づかいと鼓動とを、少しずつ持ち込みはじめている。

 

演劇が演劇であるための一時間十分。

 

焦らずに、丁寧に。