2011年4月

4月30日

 

黒川能 で知られる山形県庄内地方の人びとを描いたTVドキュメンタリーをみる。

 

二月の祇王祭におこなわれる演能シーンはもちろんだが、祭の宴に供される豆腐づくりの過程にもいろいろ教えられた。

 

たとえば豆腐の原材料、大豆。

 

収穫期の大豆は、産毛が密集した枝豆の瑞々しさとはうってかわった完全な立ち枯れ姿。

 

枯れた房から転げ落ちる黄金色の粒……知らなかった。

 

 

4月29日

 

アカデミー修了上演、エドワード・ボンド『赤と黒と無知』『缶詰族』、どうやら今回の稽古場での「読み」の形が決まったように思う。

 

演出が半歩だけ先に行ったように見えるこの時点、ほっとひと息つきながら、原テキストにもどり、細部のチェック作業。

 

読み落とし、読み間違い、お手上げ箇所は多々あるものの、ここまでの共同作業の成果もそれなりの手応え。

 

二日間の休みのあと、根気よく通し稽古を重ねながら、初日まで。

 

もっと自由に、もっと無心に……ね。

 

 

4月28日

 

善意には、思慮と想像力とを同伴させなければならない。

 

なすべきことよりも、なすべきではないことをもっと考える必要はないか。

 

行動があるとすれば、そのあとに、周囲とのゆたかな協調をもって。

 

何のことを言っているのだろう?

 

誰に向かって言っているのだろう?

 

 

4月27日

 

昨日から劇場創造アカデミーの三年目の授業が始まった。

 

今日は、前期担当分の二コマ。

 

午前はⅡ期生「演出ゼミ」、午後はⅢ期生「演技基礎1」。

 

二時間の休憩を挟んで、修了上演稽古。

 

昨日は区関係の会議が区役所であったり、このところ、終日、高円寺界隈に貼り付けの日々。

 

 

4月26日

 

舞台演出の役割。

 

なんだろう?

 

演出の舞台へのかかわりは、いつもふたつに引き裂かれている。

 

「演劇でなければならない」と「演劇である必要はない」と。

 

……もしかしたら、演劇とは何かという問いの様式が演出なのか。

 

 

4月25日

 

アカデミーⅢ期生、入所式。

 

今年は修了上演延期のⅠ期生が来月16日まで在籍するため、全体で六十名近い研修生の顔が揃う。

 

さらに劇場スタッフ、講師なども加わり、堂々たるセレモニーとなる。

 

全員でマイクをまわしてひと言スピーチ。

 

当たり前といえば当たり前だが、Ⅰ期生、Ⅱ期生、Ⅲ期生と、それぞれクラスの雰囲気がまるで違うのが面白い。

 

 

4月24日

 

「人間」を描く。

 

稽古の最終段階ではない。

 

その一歩手前での足踏み。

 

ためされているのは、うーん、「人間」力とでも……

 

演じ手も演出席に座る口舌の徒も。

 

 

4月23日

 

夕方から新宿に出て、東京学芸大学「演劇ゼミ」のOB会。

 

前回の隅田川舟遊びから丸二年ぶり。

 

二十余人の参加者ひとりひとりの個性と成長ぶりを確認。

 

上級生たちは、すでにすっかり一人前の大人の風情。

 

なんというか、申し訳ないようなこころなごむひとときを過ごす。

 

 

4月22日

 

「いま」を素直に引き受ける。

 

それから、慎重に想像力をめぐらす。

 

なによりも思い浮かべなければならないのは、時に直撃された場所、その場所に生きる人びとの思いだ。

 

その場所から地つづきに「ここ」があり、その人びとと共に「わたし」がある。

 

なにをするかを考えるのも大切だが、なにをしてはいけないかをもっと考えなければ。

 

 

4月21日

 

アカデミー修了上演の稽古、ここ、二、三日、ひとつの場面(というか、ひと言のせりふ)にじっくりと時間をかけて、尺取り虫のような歩みがつづく。

 

上演延期のおかげ(?)で稽古時間が増えた分、俳優ひとりひとりとの対話をもっと深めておきたい。

 

集中力のある演技にたいしては、どうしても返す言葉の数が増える。

 

双方、根気のいるやりとりを通して、どんどんテキストの骨格が明らかになっていくのがうれしいし、楽しい。

 

「読む」稽古場から、「つくる」稽古場への位相変化。

 

 

4月20日

 

アカデミー「劇場環境ゼミ」高宮知数さん(立教大学院21世紀社会デザイン研究科・兼任講師)と話す。

 

つい先日まで東北、北関東の被災地の視察をつづけていた高宮さんの体験談から、TVなどで知ったつもりになっていた今回の出来事の現実に戦慄する。

 

高宮さんたちが企てている「東日本大震災研究提言ネットワーク」の今後の進展に注目。

 

呼びかけ人に見える立教大学の中村陽一さん、東北大学の小野田泰明さんら、日頃共鳴している知りあいの名前が心づよい。

 

小さな横の広がりが根気よく結び合わされていくように……

 

 

4月19日

 

書きたくはないし、おそらく書くべき時ではないのもわかっている。

 

現場は想像を絶する日々だろう。

 

しかし、書いておく(しっかりと記憶にとどめておかなければならない)。

 

東京電力が発表した工程表なるものが覆い隠そうとしていることがら。

 

あるいはそれ故にこそあらわにされてしまっていることがら。

 

 

4月18日

 

なぜ、芝居をつくるのか。

 

なぜ、芝居を上演するのか。

 

芝居というのは、いつも他人を巻き込むからな。

 

だから、いつも考えさせられてしまう。

 

答えはないとわかっていても。

 

 

4月17日

 

アカデミー修了上演、再開後の稽古、順調というか、とにかく面白く進んでいる。

 

このまま面白がり過ぎていると、いつの間にか「自分の好きな」芝居の方向にずぶずぶはまり込んでしまう。

 

間違えるなよ……と、思う。

 

自分とは違う誰か。

 

たとえばエドワード・ボンドと出会わなければ。

 

 

4月16日

 

稽古の合間に、能、昆劇交流計画の書類づくり。

 

香港のダニーとの三年間にわたる共同作業だが、何しろ相手が手ごわい。

 

その構想力、ネットワーク、そして実行力。

 

もちろん演出家としての力量も。

 

こちらは「一気にまっしぐら」ではなく、自分流に「こつこつと」だな。

 

 

4月15日

 

劇場創造アカデミーⅠ期生終了上演、稽古再開。

 

客演のさとうこうじさんを交えて、とりあえず仕切り直しの顔合わせから。

 

3.11の体験を経て、今回のレパートリーにはこれまでとは違う厳しい問いかけが課せられたように思う。

 

そのあたりの思いを短く伝えたあと、早速、『缶詰族』の冒頭から。

 

躊躇せず、研修生ともども一気に核心に向かってまっしぐら。

 

 

4月14日

 

またひとり、アジアの親しい友人をなくした。

 

インドネシア、ソロの音楽家、イ・ワヤン・サドラ。

 

バリ島出身で、芸術大学で後身の指導にあたるかたわら、作曲家として、また、インドネシア民族楽器のオールラウンド・プレーヤーとして大きな足跡を残した。

 

飾らないおだやかな人柄と、どんな相手とでも、どんなシチュエーションでも、たちまち彼らしい音楽の世界をつくり出せるゆったりとひらかれた感性に何度もうれしい思いをした。

 

ワイマール、コンポステーラ、デリーと一緒に旅もたくさんした。合掌。

 

 

4月13日

 

巫山戯たい。

 

下らないことをしたい。

 

誰かといい加減なことを喋り、笑い転げ、「んじゃ」とか言ってわかれ、あてもなく路地をふらつき、適当に家に帰り、適当に眠り、適当に夢を見る。

 

見た目、ほとんど毎日そのように過ごしているが、どこかで胡散臭い真面目が邪魔をする。

 

とりわけこのような時、このような世間の風に吹かれていると。

 

 

4月12日

 

原子力安全・保安院、福島原発の事故評価をこれまでのレベル5から最悪のレベル7へ。

 

一方で外部放出放射能37万テラベクトル(原子力安全委員会の推計は63万テラベクトル)は、チェルノブイリ原発事故の10%を強調。

 

それを言うなら、今回の推定値は国際評価尺度(レベル7)の10倍であるのを告げるのが先だろう。

 

彼らにはわかっているのだ、何もかも。

 

もともと安全や人命、そして未来への想像力は犠牲にされてきたのだから。

 

 

4月11日

 

大人六人(+ひとり=制作の川口さん)、二時間半、百個のピンポン玉と遊ぶ。

 

見えてくること、いろいろ。

 

そのひとつひとつを言葉にして確かめながら。

 

真っ白なピンポン玉のゆたかな表情。

 

そのひとつひとつを見極め、さらに息づかせるために。

 

 

4月10日

 

今日から三日間、『ピン・ポン』再演の稽古に先立ってプレ・ワークショップ。

 

共同演出のtupera tuperaの亀山、中川さん、音楽の磯田さん、黒テントの久保、光田、そして啓子と一年ぶりの顔が揃う。

 

とりあえず、初演のエバリエーションから。

 

さまざまな意見、アイディアが次々に飛び交う二時間余。

 

終わって劇場の外に出ると、今日の高円寺は「反原発」の呼びかけに集った若い人びとの町。

 

 

4月9日

 

朝から、座・高円寺劇場創造アカデミーⅢ期生試験。

 

前半演技コースの試験官をカリキュラム・ディレクター全員(佐藤、生田萬、木野花、酒井徹)で。

 

後半演出、劇場環境コースは、佐藤、生田、酒井の三人で。

 

受験生の中に、このアカデミーならでは個性を散見。

 

面接、実技と筆記との落差は相変わらず。

 

 

4月8日

 

定期検診。

 

血圧を計ったあと、先日のCT検査で撮影した大動脈の断面を眺めながら、「いまのところ大きな変化はなく順調ですね」。

 

時折の背中の痛みは、「筋肉痛でしょうかね」。

 

次回の日程を決め、実質、三分ほどか。

 

病院のある秋葉原までの往復と待ち時間、古今亭志ん輔『師匠は針 弟子は糸』(講談社)を読む。

 

 

4月7日

 

終日、座・高円寺。

 

午前中の全体会議からはじまり、一時間刻みのスケジュールでミーティング、面会、面談、面接、打合せ(←どう違う?)、いろいろ。

 

ひとつひとつは短時間でも、五件連続となると……いささか、ね。

 

金魚鉢のような仕事部屋の空間に飽きて、最後の一件はカフェに移動。

 

早稲田演博の梅山いつき、座・高円寺の川口智子と、学芸大学演劇ゼミ出身のふたりとともに。

 

 

4月6日

 

アカデミーⅠ期生、Ⅱ期生の個人面接がすべて終わる。

 

今週土曜日は、Ⅲ期生の試験。

 

少なくともあと五年間、ここに集まってきた若者たちから「発見」し、彼らに「伝える」日々をつづける。

 

その先になにがあるのか……わからない。

 

だから期待をもってつづける。

 

 

4月5日

 

昨日夜の座・高円寺2011年プログラム発表会。

 

百人ほどの来会者で賑わう。

 

錚々たる(?)顔ぶれの演出家連の中に、提携公演をおこなう舞踏家ふたり。

 

竹内靖彦と工藤丈輝。

 

引き締まった佇まいの恰好よさは流石。

 

 

4月4日

 

移動車中、その他、最近の「間食」読書はもっぱらiPone4経由(青空文庫)の夏目漱石。

 

永井荷風、金子光晴以来の全作まとめ読みになりそう。

 

荷風には自我の、光晴には反骨の炯々たる眼光。

 

で、漱石は?

 

意外なのだが、若々しくのびやかな眼差し。

 

 

4月3日

 

もしかしたら……と、思う。

 

完全にお手上げ状態ではないのか。

 

ようするに、歴史に棹さす「体制」がどこにも見当たらない。

 

「危機管理」とかいう言葉の切れ端ばかりがひらひらと宙を舞う。

 

「天罰」発言の国家主義者が偉そうにのたまう「お花見自粛」、桑原々々。

 

 

4月2日

 

完全休日。

 

なにもせず、なにも考えず、終日、ぼうっと過ごす。

 

明日は日曜日。

 

もう一日、同じようにぼうっと過ごせるか。

 

疲れなければね。

 

 

4月1日

 

新年度。

 

劇場事務所で辞令を受け取る。

 

区役所の劇場担当区民生活部文化・交流課は、現在、震災対応の最前線。

 

チャリティバザールへのボランティア派遣、今月末の「東日本復興支援、みんなでつながろう! びっくり大道芸」協力、子ども企画「遊ぼうよ」の拡大開催など、現下の状況への劇場としての取り組みもようやく筋道が見えてきた。

 

迅速であると同時に、長期戦へのスタミナ配分の配慮もだな。