演劇と移動

コロナ禍、と素直には書き下せない。コロナはひとつのきっかけにすぎない。現在の全世界的と呼べる「禍」の要因はおそらく別なところにある。たとえコロナ感染症の拡大がなかったとしても、近い将来、別ななにかに由来する同じような事態が起こっていたに違いない。一年あまり「自粛要請」や「緊急事態宣言」の波風に翻弄されながら、それでもこれが「常態」なのだと自分に言い聞かせつづけてきた。これまで見えなかったものが、コロナをきっかけにはっきり見えるようになっただけのことだ。立ち止まってはいけない。これまで通り歩みつづけなければ。

半世紀前、演出家ピーター・ブルックは著書『なにもない空間』(高橋康也訳、一九七一年晶文社)で語った。

 

ひとりの人間がなにもない空間(裸の舞台)を歩いて横切る。もうひとりの人間がそれを見つめる──演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ。

 

「いま」という瞬間、「ここ」という場所に、「見られる者」と「見る者」の生身の体を介して立ち現れる演劇について、ブルックの簡潔な指摘はいまでも瑞々しい。

ブルックの言葉からは、もうひとつ、演劇にかかわる移動への指摘を読み取ることが出来る。「なにもない空間を歩いて横切る」人の移動、そしてここでは直接触れられていないが「それを見つめる」人の移動。

「なにもない空間を歩いて横切る」人の移動は、過去から現在への移動と名指すことが出来る。演劇行為の究極は物語ることにあり、そこでの「横切る」人の役割は、過去のテキストを現在に運び、伝えることにある。われわれに親しい「死者が過去を物語る」夢幻能の様式は、それを端的に示している。「横切る」人は、過去から現在へ、仮構された時間を移動する。

「見つめる」人はどうだろうか。「なにもない空間(裸の舞台)」は、あらかじめそこにあるわけではない。それは「見つめる」人の移動によってはじめて成立する。当たり前のこととしてに見過ごされがちだが、この移動こそが、「現在性」「現場性」「身体性」など、演劇行為のもっとも基本的な本質の根拠であるのは間違いない。
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「見つめる」人はどこからやって来たのか? なぜやって来たのか?
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真っ黒なテント劇場を担いで列島各地をわたり歩いた旅公演の日々を思い出す。高度成長下の一九七〇年代初頭からバブル崩壊期にいたる九十年代の末まで、北海道留萌(るもい)から復帰直後の沖縄コザまで、延べ百二十都市をめぐる旅は、いまでもぼくの演劇活動のかけがえのない原点としてある。

当時、標榜していた「旅する演劇」は自分たち自身の移動に由来する言葉だったが、現在でも折に触れての交流がつづいている各地の世話役をはじめ、茣蓙敷きの客席で膝を抱えて舞台を見つめていたひとりひとりの中にも、「旅する演劇」はたしかに存在していた。二十年におよぶ黒テントの旅を支えたのは、そうした「見つめる」人たちの移動をめぐる個別の由来とその熱量だったと、いまにして思う。

「見つめる」人の移動については、自分の場所から「なにもない空間(裸の舞台)」への移動という、素っ気ないひと言がふさわしい。「見つめる」人は、自分の場所から虚構の場所へ、仮構された空間を移動する。

四年前、横浜の下町に、劇場とスタジオと宿とを備えた私設のアートセンター「若葉町ウォーフ」を開設した。劇場や宿として通常の営業は当分のあいだお預けだが、越境者の小舟を待ち受ける波止場(ウォーフ)として、やって来るひとりのための演劇の準備はおこたらないでおこうと思っている。いまという、演劇が「なにもない空間」の原理に立ち戻る絶好の機会を逃すことなく。