もう半歩──中国演劇との協働

今年(2017年)一月、中国広東省広州にある「水辺のバー(水边吧)」というカフェシアターで、拙作『絶対飛行機』(2003年)の上演がありました。二十坪たらずの小さなカフェの一画を舞台にして、プロ、アマを交えた五人の若者が演じるフィジカルパフォーマンス(中国では「肢体劇」と呼ばれています)とせりふ劇とが入り交じる意欲的な上演の記録がインターネット経由で送られてきました。
演出したのは江南黎果(以後、親しみをこめて愛称果果を用います)、五十代半ばの彼は「水辺のバー」を拠点にして、さまざまな社会的なメッセージを、演劇、映像、などを用いた独自の手法で発信しつづけている表現者です。上演のきっかけについて、果果は次のように書いています。

 

わざわざ水辺バーまでやってきた北京蓬高劇場の王翔さんに南羅鼓巷演劇祭で新たに設ける「中国独立劇場論壇」への参加を誘われた。水辺バーは中国で重要な独立劇場だからと言われた。(中略)2013年、初めて蓬高劇場へ行った午後、ちょうど佐藤信氏の発表公演をやっていた。アフタートークで、すべて役者に任せるなら演出家としてのあなたの仕事がないのでは?という観客の質問に対して、氏が「側で見ているだけです」(当時娘は5歳で連れて外出した時の私の最大の役割は娘のすることを邪魔せず見守ることだった)と答えた瞬間、一階の舞台にいる異国の見知らぬ男性と私は強烈な関係性が生じた。彼は「慣れたと感じたらまずそれを捨てることを勧める。」とも言った。

 

北京蓬高劇場は、オーナーである歯科医の王翔さんが私財を投じて設立、運営している北京初の民間劇場と呼ばれている小劇場です。北京の中心部東城区にある中央戯劇学院(演劇大学)の裏手、胡同と呼ばれる昔ながら路地に面した四合院を改装したブラックボックスは、ヨーロッパやアメリカの劇場を見てまわって学んだというオーナーの言葉通り、カフェやギャラリーをそなえた創造的な雰囲気と活気にあふれています。
南羅鼓巷演劇祭は、蓬高劇場を中心に周囲の繁華街南羅鼓巷を中国のエジンバラにという目論見で王さんが立ち上げた演劇祭で、地元行政区などの支援を得ながら、毎年六月から七月にかけての約二カ月間、世界各地からの招聘作品の上演をはじめ、ワークショップ、講座、討論会など多彩なプログラムを展開しています。
果果のレポートにある通り、2013年に招かれた演劇祭で、ぼくはパートナーの舞踊家竹屋啓子とともに、一週間のワークショップとその成果をまとめたショウケースの上演をおこないました。そこで出会ったのが、果果をはじめ、中国各地のから集まった演劇人たちによる「中国独立劇場論壇」でした。
参加者それぞれの現状報告と熱のこもった議論を、長年の協働者である通訳の延江アキコさんに助けられて聞きながら、これまでふれることのなかった中国現代演劇の新しい胎動を肌で感じました。中国演劇の中心を担っていた(というか、それ以外の選択肢のなかった)国やさまざまなレベルの地方行政政府、あるいは軍などの公営劇場や公営劇団の周辺に、それとは別の、「水辺のバー」のような民間の独立劇場(運動)や彼ら自身が「独立系演劇人」と自称する担い手たちが生まれはじめています。
彼らの中心は、国の内外で専門教育を受けた俳優や劇作家、演出家たちですが、その他、専門教育を受けたあと他の職業についていた人びと、あるいは、舞踊、絵画、音楽、教育や社会福祉関係など、さまざまな領域から演劇に興味をもって参加してきたアマチュアなど、多彩な人びとの集まり特有の活力が感じられます。
会議中心だった「独立劇場論壇」を、より実践的なワークショップ中心の集まりに改編出来ないだろうか。会議の修了後、ぼくは王さんに三年間の継続プログラムを提案しました。提案はこころよく受け入れられ、翌2014年から2016年まで、南羅鼓巷演劇祭と並行して開催される「中国独立劇場論壇ワークショップ」が実現しました。最初の二年間は国際交流基金と同基金北京事務所の助成事業、最終年度は渡航費をふくめてすべての費用が主催者負担でまかなわれました。
参加者は、毎回二十四、五名程度、その半数が常連です。初年度は作家茅盾が1936年5月21日という任意一日を中国全土からの投稿を集めて記録した『中国の一日』にヒントを得て、参加者全員が2014年5月21日について書いた自分の文章や詩を持ち寄ってオリジナルのテキストと重ね合わせた作品(映像作家の飯名尚人さんが参加)、二年目は拙作『駅』(舞台上の俳優の出入りと簡単な行動を示すト書きだけの小品)をベースにした身体表現(南京から昆劇俳優二名が参加)、三年目は『絶対飛行機』のテキストを解体,再構成した作品と、いずれも、一日四時間から五時間のワークショップでつくりあげた一時間ほどの作品を蓬高劇場で上演するというプログラムでした。
三年間継続したワークショップの方法と体験は、単なる会議とは違った参加者同志の交流を促し、冒頭でふれた「水辺のバー」の上演をはじめ、彼らの次の活動の、いくつかのきっかけを生み出しました。
王さんからは、三年間のプロジェクトを終えた今年(2017年)も、「そばで見ているだけ」のぼくを中国に招いて、次のステップの話し合いをしたいという嬉しい呼びかけを頂いています。

北京でのワークショップ以前、2011年から、ぼくは中国南京でもうひとつの継続的な交流プロジェクトにかかわってきました。相手は中国を代表する古典演劇、昆劇の上演団体、江蘇省演芸集団昆劇院(通称、南京昆劇院)です。昆劇は2010年に、日本の能とともにユネスコの無形文化遺産に登録され、このプロジェクトはそれをきっかけに両国の伝統演劇のこれまでとは違った視点からの交流を促す目論見ではじめられたものです。
仲介の労をとってくれたのは、長年香港で自身の集団「ズニ」を率いて先鋭的な舞台創作をつづけ、国際的にも活躍している演出家の栄念曾(ダニー・ユン)さんです。彼は以前から南京昆劇院との交流があり、劇団に所属する二十代後半から三十代にかけての若い昆劇俳優との実験的な作品づくりに成果をあげています。いたずらな現代化を排して昆劇ほんらいの様式の継承に真摯に取り組んでいる南京昆劇院が、同時に、きわめて前衛的なダニー・ユンとの作品創作に意欲的に取り組んでいる様子にぼくは強い印象受けました。
プロジェクトは2011年から2014年までの三年間、国際交流基金、早稲田演劇博物館の支援を受けた『能、昆劇の比較研究』として、昆劇院と観世流銕仙会を中心にした日本の能関係者、日中の研究者が参加する催しを両国で開催したあと、領域を東南アジア全域の伝統演劇と現代演劇に拡大した『朱鷺芸術祭』として、毎年秋に南京で開催されています。
『朱鷺芸術祭』の特徴は、ダニー・ユン発案による「一卓二椅(one table tow chairs)」に基礎に、参加者が滞在する十日間に二十分ほどの小作品をつくり、上演するという内容にあります。中国古典演劇の基本的な舞台装置である一つの机と二脚の椅子という設定以外、一切、制約のない空間に、古典、コンテンポラリーの区別なく、さまざまな背景をもったパフォーマーたちが半ば即興的につくり出す舞台は、毎年、思いも寄らぬ発見と創造的な刺激を与えてくれます(日本からの参加者、能楽師・清水寛二、西村高夫、鵜沢久、鵜沢光、糸操り人形遣い・結城孫三郎など)。

南京、北京での活動は、時を重ねるうちに重なり合い、さまざまなネットワークの結び目を通して外側へのひろがりを見せ始めています。はじめに紹介した広州「水辺のバー」の他にも、重慶をはじめ中国各地の小劇場からのコンタクトや、中国の現代演劇の俳優や演出家と南京の昆劇俳優のあたらしい交流、そして、2016年から座・高円寺で三年間の取り組みがはじまった北東アジアと東南アジアの舞台人が、ジャンル、国境、世代、古典と現代の四つの境界を乗り越えて集う『one table two chairs meeting』と、翻訳ソフトと拙い英語をたよりに、いつの間にか、中国の友人たちと毎晩のようにあれこれやりとりをしている自分に気づきます。ここから何がはじまるのか。年甲斐もなく「未来」という言葉を夢見ながら、もう半歩だけ、先に進みたいと思います。