やってきた人

1990年10月

1.場所

 

わたしは着いた
たったいま誰かが立ち去ったばかりの
ここ

 

たしかめてみるまでもなく
わたしにはすぐにわかった
ここにはもう
なにも残ってはいない
むしろ爽やかな
見捨てられた
ここ
まるではじまりの時のような
静けさをたたえて

 

2.振り返る――午後

 

足跡はない
忘れてしまおう
どこからやって来たのか
出鱈目に決めよう
やってきた方向――
たとえば北
かすかな水の香りがする
東にはいつも
夜の気配
南から吹く風
西の空に伝説
あるいはもっと別の――
真上の天を振り返る
膝をついて
大地を耳で振り返る
鈴の音がしないだろうか
幼い頃 聞いたことがある

 

3.最初の夜

 

夢を見た
鳥になった夢を*

 

4.所持品――もうひとつの夢

 

肩の上を這う 見知らぬ虫一匹
(所持品だろうか?)
ポケットの中の――
小石 骨 枯葉 木の実 砂 ガラス片 錆びたボルト 花粉 岩塩
袋の中の――
写真の束 絵葉書の束 藁束 本物の錨 玩具の鮫 青い色鉛筆 もう一本青い色鉛筆 植物図鑑三冊 天使の羽根と信じているもの やっかいな靴と気儘な沓下
その他――
帽子 棒切れ 自転車のペダル

 

5.嘘――朝

 

今朝は不機嫌で
食欲がない

 

6.習慣

 

手のひらでゆっくりと地面をなでて
自分の眠った跡を消す

 

大股で十歩
まわれ右して十歩

 

目玉焼をつくる
(卵もなしに?)

 

大股で五歩
右に曲がって十五歩

 

猫の名前を考える
(猫なんてどこにもいないのに?)

 

もう一度 右に曲がって十五歩
一回休み

 

その場に座って植物図鑑をひらく
(どこかに花は咲いているか?)

 

右に曲がって十歩
大股であと五歩

 

手のひらでゆっくりと地面をなでて
昨夜の自分をたしかめる

 

7.手紙――沈んだ森に

 

やがてゆらめきの中で
無数の泡に包まれた
懐かしい小径をたどることもあるでしょう

 

8.広野――真昼

 

短い影をからかい
迷子にさせて走る
途方もないいたずら
軽く
影を置き去りに舞い上がり
見下ろせば
十五歩四方の
果てのない広野

 

9.誕生――午後
なにかがひらいていく
わたしの中で――
おさえようもなく

 

かすかな鈴の音

 

わたしは
いま
ここに
生まれた

 

*金芝河(韓国の詩人)の詩から