2012年3月

3月31日

 

黒テント『シェフレ』観劇。本作品をもってイワト劇場閉館。恵まれた本拠地での黒テントの七年間は、この空間から発想した「鴎座」第Ⅱ期上演活動とも重なる。絶えざる変化は望むところだが、はたして次の道程は? 黒テントも鴎座も、構想、エナジー充電の時かと。

 

 

3月30日

 

昼過ぎ、劇場で取材(テレビ東京)。事前準備の行き届いたインタビューアの的確な質問に感謝。放映、4月4日(ビジネスサテライト)。夕方から、東銀座のホールで「林光さんを送る会」。大勢の来会者の列の中に、演出家の岡村春彦さんなど、懐かしい顔が何人も。

 

 

3月29日

 

劇団解体社『享楽系』、観劇。解体社の本拠、アトリエ・カンバスの閉館公演。主宰者清水信臣さん以下、使い手たちの目と手が行き届いた好きな空間だった。鴎座『ハムレット/マシーン』の宣伝写真撮影にも使わせてもらった。流浪、漂流の季節の到来のような。

 

 

3月28日

 

人事異動の季節。劇場を管轄する区役所の体制にも風が一吹き。以前のようなとまどいは大分なくなったが、思いをともに協働してきた相手の姿がふっと消える頼りなさ、不思議さの感覚はどこかに残る。芝居は消えてしまうからいいという、日頃の威勢にも関わらず。

 

 

3月27日

 

久留米。これからしばらく、月に一、二度、この地を訪れることに。いわずと知れたブリジストンの城下町。町のあちこちに記されている創業者石橋正次郎の足跡が、さまざまなことを語りかけてくるような気がする。幻の声に耳を傾ける楽しみ。昼食、ごぼう天うどん。

 

 

3月26日

 

麻生芳伸編『林屋正蔵随談』(青蛙房)。もちろん先代正蔵。すっきりと、姿、かたちのいい芸談随談。昨今の落語本の小理屈や臆面もない野郎自大ぶりに鼻白む思いをさせられてきたが、久しぶりに溜飲を下げる。書中回顧される三遊亭一朝翁の肖像写真に脱帽。

 

 

3月25日

 

『六〇年代演劇再考』(水平社)が届く。08年に早稲田の演劇博物館グローバルCOE主催でおこなわれた研究集会の記録集。ロンドンでのリーディング、レクチャーの主題との暗黙の符合が印象的。記録集に残る故D.グッドマンの発言が胸に痛い。「宗教的」か……

 

 

3月24日

 

時差の関係から生まれた、半日ほどしかない調整日。帰りの機内エンターティメントで、ローワン・アトキンソンの007パロディ映画の冒頭、中国拳法の怪しげな老師役で白目を剥いて熱演中の伊川東吾に偶然出会いにやり。帰宅後、荷物と明日からの作業整理。

 

 

3月23日

 

帰国日。ひょんなきっかけから、異国の地で、自分の「来し方行く末」について、立ち止まり、いささかの振り返りをおこなう機会を得た。昨夜のTricycle劇場のような、この地独特の成熟した劇場文化とはひと味違った環境にいて、送るべき日々への夢想いろいろ。

 

 

3月22日

 

昼、V&A博物館へ。陳列棚からあふれ返りそうな収蔵品の物量に圧倒よりもいささか辟易。「劇場、パフォーマンス」コーナーを覗き、一時間弱で退散。昨夜、予約を入れておいたTricycle TheatreのあるKilburnへ移動。Arab系の目立つ下町で三時間余のんびり和む。

 

 

3月21日

 

昨日に引き続き交流基金ロンドン事務所。「60年代~70年代、日本の現代演劇」と題されたレクチャー、シンポジウムに参加。午前中、通訳用の講演内容のメモ書き作成。黒テント初旅の記録フィルムの抜粋上映。活発なQ&Aなど、感じのいい集りに。参加者60人。

 

 

3月20日

 

国際交流基金ロンドン事務所。旧作『イスメネ』『地下鉄』のリーディング上演。朝10時から、リハーサルに立ち会う。演出担当のBeckie Millsのスマートな進行。夜の上演では、適材適所のキャスティングのおかげか、若書きの頼りない人物たちがしっかりと立ち上がる。

 

 

3月19日

 

何故かロンドン。フライト12時間で到着のヒースロー空港は、以前、アビニョン演劇祭オフ参加の際のトランジット滞在以来。旧黒テントメンバー伊川東吾が出迎え。同行の啓子と地下鉄一時間で到着したホテルは、全館停電中。近所のレストランに入り三時間待機。

 

 

3月18日

 

終日、自宅。持ち運び用に購入したノートPCの設定など。相変わらずの親指シフトキーボード。割高、機種選択の不自由さにもかかわらず、慣れ親しんだ日本語入力の利便性が捨てられない。もうひとつ、如何ともし難いローマ字書きへの抵抗感。nn打鍵で「ん」とか。

 

 

3月17日

 

書斎の片づけ、整理で出たゴミの一部を廃品回収業者へ。残りを不燃ゴミ、資源ゴミに出す。中には四十年以上捨てずにため込んできた小物類などもあり、ひと口に「ゴミ」と呼び捨ててしまえない愛着と、別れの寂しさがある。シュレッダーで刻んだ紙類もまた同様。

 

 

3月16日

 

紫陽花の芽がはじけて小さな若葉が顔を出した。梅の蕾もまあるく大きく膨らんでいる。このところ朝を迎えるごとに、新しい季節の到来を肌で感じる。月曜日からのロンドン行を前に、啓子と墓参り。異なる時の流れに住まいなす母と弟。経巡る時と永遠と結ぶ時。

 

 

3月15日

 

深呼吸。ゆっくりと息を吐ききる。明るくて暖かな今日のような日には、自然にそんな気分になる。高校生くらいまでは、手近な場所を探して、二、三十分ごろりと横になった。最近、そんな感覚が蘇ってきた。但し、横にはならない。十秒間程その場に立ち止まるだけ。

 

 

3月14日

 

終日、自宅。過日の書斎、資料整理の仕上げいろいろ。大仕事はおおよそ片がついているので、余裕綽々の愉しみの範囲。掛け軸収納用の棚工作とか、使い勝手を考えた押し入れ内整理引き出しの入れ換えとか。ようするに、明るい日射しが気持ちいい休み日。

 

 

3月13日

 

22歳で芝居をはじめて以来、今年ははじめて新作をつくらない年になる(再演作品は海外上演をふくめ五作)。厳密にいえば、五月に太宰治『走れメロス』、十二月に北京での『一卓二脚』の試作があるが、大きな節目の年となりそうな予感。「鴎座」はひとり旅立つ。

 

 

3月12日

 

アカデミーⅢ期生、後期成果発表会。アカデミー一年目の最後に、自分たちだけの企画を実現する作品づくり。演劇という集団作業の「意思疎通」と「意思決定」とを体験的に学ぶ。上演後のエバリエーションでは、見学の講師陣から愛情あふれる厳しい講評が次々と。

 

 

3月11日

 

昨日に引き続き、終日、書斎まわり、および資料整理。二日間でようやく第一期作業を終える。資料や物の在り処ははっきりしたが、同時に、同じものの無駄買いの多さに唖然。文具類を中心に、今後は目についたり興味をもったりしても、迂闊に手を出さないこと。

 

 

3月10日

 

書斎整理。引っ越し以来、一度も手を触れていなかった資料にざっと目を通し、大まかに分類する。試行錯誤を繰り返しながら半日。衝動買いの安物バッグの山を片づけて隙間のできた押し入れに、インデックスのラベルを貼った衣装ケースがすっきり積み上がる。

 

 

3月9日

 

氷雨。ビニール傘片手に淡路町まで。ビルと昔ながらの町家が混在し、懐かしい残り香がかすかに感じられる地域。ここから神田須田町あたりまで、一度、裏路地づたいにゆっくり時間をかけて散策してみたい。夜、座・高円寺に戻り、啓子のダンス01公演を見る。

 

 

3月8日

 

Ⅱ期生演技コース5名+Ⅰ期生同1名と進路相談の面接。職業としての俳優について現状を説明し、各自の希望を聞く。研修2年、修了後3年、丁寧につき合い、次世代の演劇人を羽ばたかせたいと思う。「育てる」ではなく「見つける」。「教える」ではなく「伝える」。

 

 

3月7日

 

暖かな一日。自宅の物の片づけがなかなかはかどらない。戸棚に押し込んであった物が、次第に書斎にあふれ出し、今や足の踏み場もない状態に。今日は茶箱一杯ほどのコード整理。TVアンテナ用とか、電話用とか、いつの間にか過去の遺物となってしまった。

 

 

3月6日

 

終日、劇場創造アカデミーⅢ期生とともに。午前中、中村陽一さんの「劇場環境論」最終日恒例のゲストトーク。午後、後期成果発表への作品づくり。三グループを巡り、それぞれ1時間ずつ稽古に立ち会う。夜はみんなで高円寺に出て、四川料理食べ放題に挑戦。

 

 

3月5日

 

雨。昨夜、伊丹から新幹線で、九州久留米入り。早朝から文化施設見学、ミーティングなど、慌ただしく過ごす。創業五十年、古びた味わいある建物で知られる松尾食堂で昼食。メニューは親子丼、カツ丼、肉丼(牛そぼろ煮)の三種のみ。理由なく、迷わず親子丼。

 

 

3月4日

 

伊丹AIホール、劇場創造アカデミーⅣ期生関西選考会。開始以来四年目になるこちらの会場にも、演技、演出コースともに意欲的な応募者が数多く参加、レベルの高い選考会となる。先週日曜日の東京選考会とあわせて、アカデミー存続の意義と手応えを再確認。

 

 

3月3日

 

懸案の書斎まわりの整理をはじめる。物を捨てられない性分というか、七度の引っ越しの篩を逃れて、二十代からの遺物が大分たまっている。旧稿の山の中に、原稿用紙四十数枚の書きかけのオペラ台本を発見。快調な展開だがそこから先の物語は忘却の彼方。

 

 

3月2日

 

2009年の大動脈乖離発作以来つづけてきた、予後観察と投薬処方のため通院を、秋葉原のM病院から近所のO病院に変える。雨の中、自転車で相談に出かけたO病院は、M病院よりも規模は大分小ぶりだが循環器内科では定評がある。医師の応対も人間的。

 

 

3月1日

 

アカデミー修了生たちの進路指導そのほか、ここしばらく「劇場」での仕事が立て込んでいる。自分の棲家としての「劇場」を意識したのは小学校生の頃だったか。このような形で実を結ぶとは考えてもいなかった。あたえられた環境に感謝し、疑い、熱中し、夢を見る。