2012年4月

4月27日

 

二日間降りつづいた小糠雨もどうやら明日はすっきりあがりそう。天気の塩梅がが気になるのは、明日、明後日に開催される「高円寺びっくり大道芸」のせい。テントで旅をしている頃はいつもそうだった。夜、天気予報を聞くために、公衆電話を探し歩いた思い出。

 

 

4月26日

 

ちょっと思うところがあって、昨日から、登録したまま放置していたFacebookとTwitterをちょこっといじってみている。Facebookの改訂版Timelineとは、なんとなく相性が良さそうな感じ。「鴎座」サイトととあわせて、バーチャル劇団「鴎座」の次の活動領域をしばし模索。

 

 

4月25日

 

帰宅時間が遅くなり久しぶりに乗ったタクシーで、ドライバーの異常に素早いレスポンスに驚く。「この先の早稲田通りをひ……」と言い終わらないうちに「左ですね」。「その先のに」「日大通りに入って」「お」「青梅街道」と、ひょっとしたら以前乗った車かしらと訝るほど。

 

 

4月24日

 

二日間、久留米は真夏日。東京の肌寒い小雨日にあわせて着こんでてきたウールのハイネックはさすがに無理。仕方なく、上着の下は下着姿。見た目、黒Tシャツといえばたしかにそうなのだが、下着は下着。会議や打合せの席で、なんとも落ち着かない気分。

 

 

4月23日

 

九州行き。長旅のつれづれ、五代目志ん生二席(巌流島、淀五郎)を聞く。前に『名人長二』聞いた時にも思ったが、この人の落語への思いの丈、一見無為に見えてその実繊細な話芸の技量はなまなかではない。登場人物の丁寧な衣服描写の見事さ、可笑しさ。

 

 

4月22日

 

桜が終わったのに肌寒い。時折ガスストーブを入れながら過ごす。カザルスのハイドン「チェロ協奏曲二番」(1945年収録)、「ピアノ三重奏曲」(1926年収録)、バッハ「無伴奏チェロ組曲第一番(1938年収録)。SP音源を再生した音色が、夕方からの小雨によく似合う。

 

 

4月21日

 

休日。古道具屋を中心に、自転車で西荻窪の路地めぐり。母が遺した茶道具をしまう桐の小箪笥を購入。駅北、南の細い路地裏には、住宅やアパートの合間にさまざまな小店舗が点在している。どの店にも共通するどこか素人めいた遊びの風情がこの町の個性。

 

 

4月20日

 

劇場創造アカデミー第ⅣⅡ期生、開講式。新研修生の自己紹介のあと、劇場スタッフ、および今期から上級生になるⅢ期生の自己紹介と挨拶。当然の話だが、新しい研修生を迎えるたびにアカデミーの雰囲気が一変する。平均年齢の若い今年はとりあえず爽やか。

 

 

4月19日

 

座・高円寺。木曜日は、劇場スタッフ全員参加の連絡会。先週一週間の作業内容と今週一週間の作業予定を報告しあい、情報を共有する。一時間足らずの内容だが、準備室時代から休まずつづけている集まりは、劇場の血のめぐり維持のための貴重なひと時。

 

 

4月18日

 

新宿へ。この町の往時を友人と語り合いながら、三丁目界隈を散策。風月堂、汀、キーヨ、ヨットなどの喫茶店、武蔵野館や新宿文化、日活名画座などの映画館、旧紀伊国屋が育んだた夢や幻が、行き交う人びとの向う側に浮かんでは消える。わがホームタウン。

 

 

4月17日

 

かつての仕事仲間がウン十年ぶりに自宅を訪ねてくれた。先日取材のあったテレビ東京の画面で偶然小生を見かけて、メールをくれたのがきっかけ。不思議な縁。舞台の仕事を退いたあと、現在は刺繍作家と聞いて、亡くなった母の手芸関連の遺品を見てもらう。

 

 

4月16日

 

座・高円寺、23年度レパートリー発表会。三十余りの企画のうち、三分の二ほどの演出家、作家が集合し、それぞれの作品を紹介。軽食、飲物つきでワンコイン。年を重ねるごとに参加者も確実に増え、今年は満員の盛況。区担当者や地域協議会メンバーの顔も。

 

 

4月15日

 

鳥居民『毛沢東 五つの戦争』(草思社文庫)。今年4月の新刊だが、原書は1970年発行。人民共和国建国以来、四年に一度毛政権が取り組んだ五つの戦争(朝鮮戦争、台湾海峡危機、金門砲撃戦、中印国境紛争、文化大革命)についての詳論。目から鱗と眉に唾。

 

 

4月14日

 

原発再稼働の政府方針。現実に向き合い、直視する。真実はいつも単純にそこにある。ただ、それを受け入れればいい。「きれいごと」でいい。「きれいごと」を貶めるな。「きれいごと」を嘲笑うな。「きれいごと」を恐れ、「きれいごと」から遁走し、何が現実的対応だ。

 

 

4月13日

 

水道橋、宝生能楽堂。銕仙会定期公演。能『桜川』(西村高夫)、狂言『花争』(善竹十郎)、能『西行桜』』(浅見真州)。名残の桜づくしの番組。『桜川』の花びらすくいの風情、『花争』の素朴な味わい。『西行桜』、老木桜の精の端正な舞におのが心情を託す年齢に感慨。

 

 

4月12日

 

この一カ月ほど、ちょっと気になっていることがある。利用しているJR(中央線)のダイヤが、しばしば乱れ不正確なのだ。時刻表の表示通りに発着している割合の方が明らかに少ない。以前の病的なまでの正確さが維持できない何かが、どこかで起きているのか?

 

 

4月11日

 

雨模様。たぶん今夜で桜はおしまい。誰に聞いても「今年の花見は寒かった」と、感想は同じ。アカデミーを修了した演出コースの女性三人組と、高円寺の古ビルを見に行く。彼女たちの活動拠点の候補。魅力的な格安物件だが、建替えで一年限定の条件がどうか。

 

 

4月10日

 

深夜近く、九州から帰京。羽田に着陸前の三十分余、久しぶりに窓に額を擦りつけて、眼下の千葉、東京の夜景鑑賞。但し、同じ乗り物でも、バスや列車と違って航空機はどこかよそよそしい。闇の底に輝く無数の光の粒はたしかに美しいが、体へ響く喜びはない。

 

 

4月9日

 

久留米。昨日は餃子、今日はソース焼きそばと、ご当地B、C級グルメを順次、個別撃破。明日はラーメンを予定。今のところ外れなし。というか、大いに満足。夜は黒テント時代の思い出の残るジャズ喫茶MODERNでマスターが一杯ずつ丁寧に落とす珈琲で一息。

 

 

4月8日

 

芝居に行くたびに気になる、劇場入り口にずらりと並ぶ出演者への飾り花。パチンコ屋の開店と見紛うあの光景、あの風習、何とかならないものだろうか。世田谷パブリックシアターでも座・高円寺でも、花はすべて楽屋飾りをお願いしているが、当たり前の話では。

 

 

4月7日

 

桜満開の報に急かされるように啓子と花見へ。近所の善福寺公園に自転車を走らせ、寒風の中、途中で仕入れたシュークリームを立ったままぱくつき、魔法瓶から甘い香りのコナコーヒーを回し飲み。ふつう想像する花見の作法とは大分違うが、これでいいのだ。

 

 

4月6日

 

今年は戯曲を一作書き下ろしたい。それが無理なら、せめて着手だけでもしておきたい。たぶん三月のロンドンでのリーディングが刺激になっているのだと思うが、上演のあてのないテキストへの思いがつのる。日々、劇場暮らしをつづけながらの創作。贅沢だよな。

 

 

4月5日

 

春らしい明るい陽光に誘われて、今年はじめての自転車(但、電動アシスト付)通勤。途中、家々の梅、桃、木蓮が一斉開花……と、まろやかな風に吹かれて眺めていたら、劇場近くの小学校校庭の桜もほぼ満開。ということは、今週末辺りが花の盛り日ということか。

 

 

4月4日

 

夜、先日取材のあったテレビの情報番組を見る。なるほどね、劇場ビジネスの集客手法ね。東急が渋谷にオープンするミュージカル・シアターと京都のノンバーバル劇場。+座・高円寺という視点は面白いが、もう少し取材意図をたしかめて対応すればよかった。

 

 

4月3日

 

所用で新宿。時間調整のために、新宿末広亭裏の喫茶店「楽屋」に寄る。細い階段を登った二階にある小さな店は、内装を含めて、何もかも半世紀あまり時間がとまったままのような雰囲気。高校生の頃、恋人時代の寺山修司×九条映子を見かけたのもこの店だ。

 

 

4月2日

 

今田洋三『江戸の本屋さん』(平凡社ライブラリー)。1977年に発表された出版史研究の古典。分野への興味とともに、著者の学問的好奇心と愛情あふれる生き生きとした文体を堪能。「こうあった」ことと「こうあって欲しかった」こととの境界の揺れは初期研究の特権。

 

 

4月1日

 

昨日の春の嵐のひと吹きで、春の気配が一気に近づいたよう。枝垂れ桃の蕾がほころび、その他にも、近所からの花の香りがほのかに匂ってくる。梅山いつき『アングラ演劇論』(作品社)を読む。梅山さんは、東京学芸大学表現コミュニケーションコースの一期生。