2012年6月

6月30日

 

何かが起きている。

 

起きてしまっている。

 

その何かが把握できない。

 

だが、把握しなくては。

 

根気よく情報を集め、正確に理解する┄┄理解しなければならない。

 

 

6月29日

 

「集会ですか、こちらです」と、満面に笑みをたたえた警官の誘導で首相官邸前まで。

 

目見当、10万人にはちょっと欠けるかも(もちろんそれでも大人数)の本日の「反原発」デモ。

 

警察はもう一方の巧みな演出者。

 

決してそれとは気づかせないソフトな規制のフォーメーションを、時間経過にしたがって変化させながら、日没とほぼ同時に、予定時間前の「自主的流れ解散」に持ち込んだ(残念)。

 

こちらも静かに笑みをたやさず、時間一杯ただ佇む┄┄粘りたかったな。

 

 

6月28日

 

アカデミーⅢ期生、演技ゼミ。

 

二年目の彼らとともに、稽古場での作業について、もう一度「一」から見直し、組立直す。

 

なによりも、面白く、楽しい時間を他者と共有する。

 

そのための準備と即興性の持続。

 

はてさて、言うは易く行うは難し。

 

 

6月27日

 

塩大福などをつまみながらの読書日。

 

金原亭伯楽『小説 古今亭志ん朝』(本阿弥書店)、アントニオ・タブッキ『時は老いをいそぐ』(和田忠彦役/河出書房新社)、S・ジジュク『ロベス・ピエール/毛沢東』(長原豊・松本潤一郎訳/河出文庫)三分の一。

 

本屋で目に入るとついつい購入してしまう落語本とジジュク。

 

『インド夜想曲』以来、いつも新しい翻訳を楽しみにしていたタブッキは最近他界。

 

ポルトガルの詩人ペソアを教えてくれたことへの感謝とともに、瞑目。

 

 

6月26日

 

四十代前半だから、かれこれ四半世紀前の話。

 

夜遅く、高田馬場駅近くの小さな回転寿司屋で立川談志に出会ったことがある。

 

頭にタオルを巻いてひどく疲れた顔をした初老の男が入ってきたなと思ったら、間違いなく談志その人だったのでちょっとびっくりした。

 

談志は好きな噺家ではないが、深夜ひとり、酒も飲まず、所在無さそうな様子で回転寿司をつまむ彼の姿を、なぜかときどき思い出す。

 

それとも、これは夢の記憶なのか。

 

 

6月25日

 

ここしばらくの定例、九州行き。

 

福岡空港から高速バスで久留米市内へ。

 

バス停前を降り、目の前のいつものうどん屋で腹ごしらえ。

 

ご当地麺、ごぼううどん。

 

揚げたてのごぼうてんぷらと、出汁でほどよく煮込まれたうどんのシンプルな組み合わせがいい感じ。

 

 

6月24日

 

HP表紙の模様替え。

 

事前に特段の構想があったわけではなく、三時間ほどのひとり遊び。

 

以前、鴎のパラパラ動画をつくっていたのを思い出し取り込んでみたり┄┄

 

あとはフェイスブックとの連携のお試し少々とか。

 

梅雨から夏へ、せいぜい涼しげな装いをこころがけてみたけど、さて。

 

 

6月23日

 

庭の瓶に飼っている(というか、放置してある)金魚の水替え。

 

三日にいっぺんくらいの割合で市販の餌をやるだけなのに、相変わらず、見た目、元気そうに泳いでいる。

 

去年の秋から飼い始めて、一冬戸外で越した後、春先に青味泥の水を半分替えてやったら、いつの間にか五匹が六匹に増えていて驚いた。

 

猫除けの網を被せただけの瓶の中に、傍目からは窺い知れない彼らだけの世界がある。

 

人が金魚の世話をする、なんて、ほんらいおこがましい話なんだろうな。

 

 

6月22日

 

何やら火事場泥棒的な趣もある法案採決がつづくなか、以前から話題になっていた「劇場法」(正式名称は「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」)が衆議院を通過した。

 

この国の公共劇場について、とにもかくにも、ひとつの概念がつくられた。

 

もちろん、同法案第16条にある、今後国(文部科学大臣)が策定する「指針」がどのようなものになるか、まだまだ予断は許されない。

 

世田谷パブリックシアター(構想)から四半世紀、たどり着いた地点へのアプローチには、さらなる熟慮と慎重さが必要だ。

 

劇場について考え、劇場について発言する(助成金獲得以外の専門性をそなえた)劇場人の誕生を待つ。

 

 

6月21日

 

スラヴォイ・ジジュク『ポストモダンの共産主義』(栗原百代訳/ちくま新書)。

 

ジジュクは、スロベニア生まれの、哲学者、ラカン派の精神分析家にして文化批評家。

 

ひねりのきいた思考と語り口は決してたどりやすくないが、張り扇の音が聞こえてきそうな威勢のよさは爽快。

 

『怒りにまかせて行動して自ら傷ついてもかまわない、といったポピュリスト的な衝動には抗わねばならない。怒りをコントロールして、思考する冷徹な決意に変換することだ』。

 

思わず拍手しそうになった、冒頭の一節。

 

 

6月20日

 

台風一過、真っ白な叢雲と背景の青空とのコントラスト。

 

終日、明日の講演会(東京私立中学高等学校協会)の準備。

 

途中、杉並の出張所と新宿区役所へ。

 

たまっていた事務手続き、入金など、いろいろ。

 

帰宅後、予想通り美しい夕焼け雲を二階の窓からしばし。

 

 

6月19日

 

嵐の夜。

 

窓の外の風と雨。

 

叩きつける滴の音と木の葉の騒めき、通り抜ける風のかたまり。

 

いつもとは違ううねるような音の世界が、夜の静けさを際立てる。

 

今夜もまた、息を殺しながらのひととき。

 

 

6月18日

 

言葉を飲み込む。

 

声を殺す。

 

息を殺す。

 

「呟き」ではなく、「論」でもなく、「存在」としての言葉を。

 

言葉による闘争、闘争のための言葉の在り処を見定めるために。

 

 

6月17日

 

日曜日。

 

素直に休日を過ごす。

 

昼過ぎ、駅前まで散歩。

 

この季節、歩く道のそここで、生きのいい花々の色彩に出会う。

 

「薄紫」とか「水色」とか、言葉では名付けたくない、いや、名付けられない、深々とした鮮やかな輝き。

 

 

6月16日

 

遠藤誉『チャイナ・ナイン』(朝日新聞出版)

 

中国の次期指導体制についての一視点。

 

中国東北部に生まれ、過去に苛烈な体験をもつ筆者の中国指導部の権力闘争に向けられた視線は、リアルというよりも、どこか祈りにも似た「夢」の趣がある。

 

生々しい筆致のすべてをそのままには受け取れないが、十年という時を見据えた彼の国の政治体制、その透徹したリアリズムは重く胸に響く。

 

「先富(富める者から先に富む)」から「共富」へ、その道のりの行方にあるもの。

 

 

6月15日

 

俳優座LABO公演、ヒュー・ホワイトモア『Pack of Lies うそ ウソ 嘘』観劇。

 

ピーター役で出演していた西川竜太郎さんは、ぼくにとって忘れられない俳優 のひとり。

 

以前『豚と真珠湾』(俳優座)で一緒に作業した時、西川さんは他の誰よりも真っ直ぐに、根気よくぼくの演出法につきあってくれた。

 

現在、演劇創造アカデミーで研修生に伝えている「演技基礎」は、この時の西川さんとの協働によってはっきりとした道筋がついた。

 

というか、伝えるに足る方法論としての確信を得た。

 

 

 

6月14日

 

劇場創造アカデミー、演劇ゼミ。

 

言葉についていくつか。

 

文は言葉そのものではない。

 

強いて言えば、言葉についての作為ある記録。

 

文の本質は文体にある。

 

 

6月13日

 

座・高円寺の事務室への来訪者。

 

女優の渡辺美佐子さん。

 

演劇への若々しく積極的な取り組み姿勢、衰えず。

 

もうひとり、友人の佐伯隆幸。

 

爽快な毒舌シャワーを存分に浴びる。

 

 

6月12日

 

このところ、月に二度の久留米市行き。

 

一回につき、おおよそ30時間ほど。

 

彼の地の染みがじんわりと体にしみついてくるような感じがする。

 

一昨年の上海に引き続き、いわゆる旅とは少しく異なる時空の移動。

 

染みはおそらく、洗っても落ちない。

 

 

6月11日

 

自分(たち)の「今」を掌握すること。

 

掌握した「今」を「記録」すること。

 

「記録」を保存、発信すること。

 

被災者である自分と加害者である自分を見失わずに。

 

慌てずに、着実に、発酵を静かに待て。

 

 

6月10日

 

五行日記には個人的な日々を記す。

 

その原則はほぼまもってきたと思う。

 

関西電力大飯原発再稼働にかかわる、一連の野田発言。

 

彼の言葉を、羞恥と取り返しのつかない思いをこめて、一言一句忘れないようにしよう。

 

個人的な呪いをこめて、墓場の中まで持っていってやる。

 

 

6月9日

 

自宅、作業。

 

資料づくりの合間に、このところの日課担っている鉄瓶と釜の慣らし湯沸かし。

 

釜は茶道用だが、別に本格的に始めるつもりはない。

 

鉄の釜で沸かした湯で茶をたてる。

 

そんなことが、ちょっとしてみたいだけ。

 

 

6月8日

 

終日、劇場暮らし。

 

午前中のアカデミーのクラスのあと、打ち合わせ4件。

 

その他、飛び入りの訪問者対応など。

 

最後の打ち合わせで、ちょっとうれしい、というか、願ってもない企画の実現が急遽具体的になりそう。

 

問題は、ただでさえ混み合っている今年後半のスケジュールとの折り合いを┄┄さて。

 

 

6月7日

 

この季節、雨さえ降らなければ、自転車(但、電動アシスト付)通勤。

 

ゆるやかな風の流れの気持ちよさもさることながら、ペダルを踏みながらさまざま巡らす思いが楽しみ。

 

今日気づいたのだが、自転車に乗りながらの思いが、なんだかいちばん現実的で使い物になる気がする。

 

他の乗り物(バスとか電車)は、運転席の様子とか、乗り合わせた人びとのウォッチングとか、読書を別にして、案外、集中できず、考えも断片的。

 

歩きながらは妄想のきわみ、机の前は他人に向かって口でいえないようなことばかり。

 

 

6月6日

 

赤錆のついた鉄瓶の回復と、茶釜の慣らし(?)。

 

お茶パックに入れた茶碗一杯分の煎茶を、時間をかけてぐつぐつ煮出す。

 

都合、三日間。

 

あとは二週間ほど、毎日、三十分間ほどお湯を沸騰させる。

 

ネット指南を実行中┄┄うまくいくといいな。

 

 

6月5日

 

休養日。

 

新宿末廣亭、上席昼の部へ。

 

観客数20~40。

 

ぼけ担当のゆたかが作曲家の青島広志さんそっくりな漫才笑組のテンポ感、祖父、父、娘三代の厭味のないアンサンブルで見せる太神楽の和楽社中、手堅い喜多八、風貌、語り口ともに師匠の面影が彷彿とする小里ん、飛び道具満載の昼主任才賀と、久しぶりの寄席気分を満喫。

 

中でも、寄席では初めての林屋ぺーの笑いづくりの渋いセンスが意外な拾い物。

 

 

6月4日

 

新事務所兼稽古場の視察をかねて、久しぶりに黒テントの総会出席。

 

有楽町線江戸川橋駅下車、徒歩5分のところにある「みどりビル」五階。

 

歩いていくと、名前通りの薄緑色のビルが前方に。

 

エレベーターで五階まで。

 

思ったよりも使いよさそうな空間に、思わず「ここ、劇場になるじゃん」┄┄

 

 

6月3日

 

「いのち」という現象について考える。

 

人は何故それを、何か特別なものとして見極めようとするのか。

 

あらゆるものは、究極、無秩序に変化する。

 

「いのち」もまた、その大きな変化に包摂されるのか。

 

それとも、宇宙の摂理からは大きく外れた、しかし、それに対しては何も影響を与えない、ごく微細で例外的な現象なのか。

 

 

6月2日

 

誰のために何をすればいいのか。

 

東北大震災後、さまざまな分野で復興支援をうたった事業が盛んだ。

 

文化芸術分野(?)も例外ではない。

 

ひとり天の邪鬼でいようと思う。

 

支援者ではなく、自分もまた罹災者であり、そして何よりも加害者であることを見つめ、考えるために。

 

 

6月1日

 

劇場事務所からの帰りがけ、自戒の意味を含めて、スタッフに六月はペースダウンを宣言。

 

なるべく出歩かず、すこし腰を落ち着けて、後半期の準備に取り組みたい。

 

能、昆劇交流プロジェクトのテキストづくり(『霊戯』12年版と『朱鷺(仮題)』)、来年上演予定作品のテキレジ、『ピン・ポン』『ふたごの星』プランなど。

 

その他、アカデミー授業と月二回の久留米行き。

 

はて、どこがペースダウン?