2012年11月

11月30日

 

劇場に、隣にある保育園の子どもたちが来訪。

 

毎年十二月に催している、クリスマス・ワークショップ。

 

テープ、リボン、プラスティックのボールなどを組み合わせての飾り物をづくり。

 

ひとり、独自の手法で「くらげ」づくりに熱中する女の子につきあう。

 

お母さんから教わったと力説する紐結びを駆使した快作。

 

 

 

11月29日

 

今年も残すところあと一月。

 

振り返ると、大きな意味でこの五年間あまりの「収穫」の年であったような。

 

来年は、すっかり痩せた土地を耕し直し、あたらしい種を蒔かなければならない。

 

まず、耕作面積を自分の身の丈に合せて削る作業。

 

二兎どころか、常に、三兎、四兎を追いかける欲張り根性を、いつになったら卒業出来るのだろうか。

 

 

11月28日

 

早暁、年末に南京で上演する「能、昆劇交流プログラム」のテキスト脱稿。

 

別件の会議資料を整理したあと、三時間ほど眠る。

 

午前中に福岡へ飛び、午後からミーティング四件。

 

たしかにこの通りの日程だったが、あまりハードという感覚がない。

 

苦労していた書き物を仕上げた解放感と高揚のせいだろうか。

 

 

11月27日

 

夕暮れの数寄屋橋にはためくかなりの数の日の丸群写真をネットで見つける。

 

24日土曜日におこなわれた、『安倍「救国」内閣樹立! 国民総決起集会&国民大行動』のデモ行進。

 

探してみると、日比谷野外音楽堂でのご本人の演説動画もアップされている。

 

壁一杯の巨大な日の丸の前で、拳を振り上げる自由民主党総裁。

 

二度目の「喜劇」の幕は確実に揚がった。

 

 

11月26日

 

李志綏『毛沢東の私生活』(文春文庫)。

 

1955年から1977年の死まで、二十二年間、常に毛沢東の傍らにあった主治医の手記。

 

アメリカに脱出後、1989年に本人によって書かれた元稿を、出版社ランダム・ハウスがリライトし、本書はそのリライト版の翻訳。

 

多くの時間をプールサイドの特別室にしつらえられた巨大ベッドの上で過ごす「皇帝」の日々は、先月読んだ高文謙『周恩来秘録』とくらべると、いささか興味本位のいかがわしさに彩られている。

 

上巻巻末に載せられている50~70年代の北京市中南海要図が生なましい。

 

 

11月25日

 

日曜日。

 

休日にしようか仕事日にしようか迷った挙げ句、半仕事日ということに。

 

書斎の片づけ、あとは終日、資料読みとネット検索。

 

能関連の研究論文をいくつかダウンロードしたあと、ふと思いついて謡本を扱う古書店探し。

 

昭和四年刊行の日本名著全集『謡曲三百五十番集』への愛着は変わらないが、極小の活字を追う根気がそろそろ。

 

 

11月24日

 

銕仙会、青山能。

 

狂言『飛越』善竹大三郎、能『松虫』西村高夫。

 

ポピュラーとはいえない二演目だったが、会場が青山能楽堂ということもあって、いつになくリラックスして鑑賞。

 

狂言、能を「演劇」として演じる、見ることの難しさ。

 

能舞台上の演者たちの無表情という仮面へのはじめての疑念。

 

 

11月23日

 

劇アカデミーⅣ期生、木野花クラスの発表会。

 

宮沢章夫『14歳の夏』、別役実『象』の大作二本立て。

 

全員で共同して作品を立ち上げる、アカデミー最初の山場。

 

困難な稽古場を経験したそれぞれの次の成長を期待しよう。

 

終わって、生田萬さんとⅢ期生終了上演の打ち合わせ。

 

 

11月22日

 

劇場の自室で、終日作業。

 

「能と昆劇交流」企画テキストと並行して進めていた、アカデミー修了上演テキストの整理が終わる。

 

エドワード・ボンド『戦争三部作』の第三部「Great Peace」。

 

今年は前後二幕にわけて、生田萬さんと分担演出による上演。

 

何はともあれ、一部、二部にもまして、凄まじいテキストであるのは間違いない。

 

 

11月21日

 

昼、自転車で用足しに西荻駅まで。

 

思いのほかあたたかい日差しに、気分がほぐれる。

 

行きつけのラーメン屋に一日十杯限定の「もやしそば」の新メニューが。

 

早速、試食。

 

そばの上に上品に盛りつけられたもやしのシャキッとした食感は期待通り。

 

 

11月20日

 

終日、劇場。

 

笛田宇一郎さんと、来年の「鴎座」上演について打ち合わせ。

 

笛田さんは、言葉数を弄さずにお互いの意図を了解、共有し、信頼を共にする数少ない演劇仲間のひとり。

 

稽古場での時間をかけた協働が楽しみ。

 

帰り際、 黒テントの古い仲間、井村昂さんがひょっこり顔を覗かせる。

 

 

11月19日

 

『金島譚』、能チームの二回目の稽古。

 

今回笛で参加をお願いした槻宅聰さんも初参加。

 

プロット段階の構成メモをもとに打ち合わせ。

 

前回同様、清水さんに節付けしていただいた世阿弥『金島書』による謡を聞く。

 

のびやかな言葉の響きに誘われて、ようやく物語世界の要が見えてきた。

 

 

11月18日

 

『金島譚』。

 

12月に南京で上演の「能と昆劇交流各企画」の二作目。

 

構成台本仕上げの日々。

 

この十日間ほど頭の中での推敲を繰り返しているが、あと一歩のところでの足踏みがつづく。

 

世阿弥『金島書』を再読、再々読。

 

 

11月17日

 

地滑りのような社会状況の変化を、日々、感じている。

 

悪いことではないと無理にでも思い込もうとする。

 

いずれにしろ何がしかの変化の予兆なのだから。

 

未来は「わからない」と認め「わからない」ゆえの希望を信じる。

 

若い頃にはたやすく実践出来た考え方だったのだが。

 

 

11月16日

 

このところ、文革以降の中国政治についての関連書を読む機会が多い。

 

十年に一度の共産党指導部の交代期と、この夏以降のいわゆる「領土問題」がきっかけ。

 

いまや世界屈指の超大国に成長(あるいは「復活」)した隣国の権力構造は、極東の島国からの想像を絶する不可思議な奥行きというか、底知れぬ暗部を抱えているようだ。

 

広大な領土と膨大な人口、加えて民族の多様性。

 

そして根底には、古代から現在に至る高度に発達した長い歴史の積み重ねがある。

 

 

11月15日

 

夜、近所の善福寺川に沿って水源の公園まで、久しぶりの散歩。

 

往復一時間。

 

とびとびの街灯の下、何も考えずにただ歩く。

 

足もとの落ち葉の感触。

 

心身ともに酸素の入れ換え。

 

 

 

11月14日

 

劇場の自室。

 

座・高円寺2で上演中の劇団昴『石棺』をモニターで聞きながら、午後いっぱいデスクにかじりつく。

 

終了上演テキスト、エドワード・ボンド『戦争戯曲集』第三部の読みとテキレジ。

 

劇場という環境が絶好と思われそうな作業だが、これがそうでもない。

 

作品の内容というよりは、上演時の現実感が妙に生なましく、思いが横にそれる。

 

 

 

11月13日

 

能、昆劇交流プロジェクト。

 

年末に南京で上演する第二作の稽古に入る。

 

世阿弥の晩年の書『金島書』を素材に、能と朱鷺とを佐渡で出会わせる構成。

 

日本側出演者は、清水寛二さん、西村高夫さんに、新しく高田恵篤さんが加わる。

 

清水さん節付による『金島書』からの三章を聞き、言葉の整理、こしらえの相談など。

 

 

11月12日

 

区間連の会議二件。

 

地元杉並でのお役所とのかかわりは、いまは亡き太田省吾さん言うところの「掃除当番」的感覚だけでは片づけられない。

 

納税者の立場、自分の経験を地域に還元する専門家の立場、いずれにしても、「身体感覚」的な現実感がある。

 

終わって、来年度の「鴎座」上演の予定会場、中野のテレプシコール下見。

 

小屋主の秦さんたちの思いが支えてきた喚起力のある空間。

 

 

 

11月11日

 

終日、自宅。

 

「鴎座」来年度上演にむけての助成金申請書づくり、など。

 

あらかじめ定められた記入欄への書き込み、煩雑であると同時に、自分の企画を客観的に整理するための機会でもある。

 

何がやりたいのか、何がやれるのか。

 

たとえ書類の上ではそこまで求められていないとしても、通り一遍の文言でお茶を濁してたくはない。

 

 

11月10日

 

茅ヶ崎市民文化会館┄┄『ピン・ポン』、今年最後の上演場所。

 

企画担当者の熱心さもそうだが、一見してうかがわれる、会館の劇場としての丁寧な運営が印象的。

 

設備、備品の保守、管理、守衛さんまでふくめたスタッフの対応にこころなごむ。

 

全国には 同じような「人間のいる劇場」が、まだまだ密かに存在し、それぞれの工夫を凝らした日々の営みを重ねているはず。

 

もっともっと知り合わなければ┄┄

 

 

 

11月9日

 

アカデミー「演出ゼミ」授業。

 

受講生が各自選択したテキストによる、演出プレゼンテーション一回目。

 

詩、その他からの脚色を含めて、テキスト読解の難しさ、大切さをひとりずつ丁寧に。

 

テキストそのものを、そのまま上演することは出来ない。

 

演出の基本となるテキストレジ作成のためにも、まず何よりも、テキストの正確な読み取りを。

 

 

11月8日

 

区内小学四年生招待上演について、スタッフと話す。

 

開館以来取り組んできた劇場自主企画の中心事業。

 

現在、『旅とあいつとお姫さま』『ふたごの星』の二本のレパートリーを製作。

 

観劇の仕組みを含めて、五年目をむかえる来年度以降の課題を整理。

 

意見交換をしながら、あらためて、劇場で過ごす煩雑な日々を、この企画によって支えられている自分を確認する。

 

 

11月7日

 

夏を過ぎて、どんよりとした曇り空のような体調がつづく。

 

疲れやすく、頭の巡りももどかしい。

 

年齢や過密スケジュールを理由にやり過ごしているが┄┄

 

昨年の3.11以来、東京での内部被爆。

 

影響なしと誰が言い切れる?

 

 

11月6日

 

福岡→羽田間、読書。

 

松岡心平『宴の身体 バサラから世阿弥へ』岩波現代文庫。

 

執筆中のテキストの資料読みだったが、本との出会いは面白い。

 

前読の『国境の越え方』(西川長夫)との関連で、別の意味でのあたらしい刺激、多々。

 

「花の下の笠着連歌」とか、「一揆」コミューンとか。

 

 

 

11月5日

 

久留米。

 

いつもの通り、ごぼう天うどんの昼食の後、二十時過ぎまで集中打ち合わせ。

 

ひと言で仕事とは割り切れない、さまざまな思いが交錯する。

 

他者と共にあるための仕掛けづくり。

 

「変化」の足跡を残すというやみ難い思い。

 

 

11月4日

 

書斎のデスク作業、二日目。

 

さるお役所仕事にかかわる長文の発言録の校正をやっと終える。

 

毎度のことながら、文字に書き起こされたもって回った、ただひたすらにだらだらとつづく自分の語り口 に辟易。

 

己の口の楽しみに耽溺して、他者の聞く耳の迷惑を省みない。

 

どこかで一度喋った内容を、別な場所では繰り返さない┄┄が、守れれば。

 

 

11月3日

 

終日、書斎のデスク前。

 

これから年末二ヶ月間、気の抜けない日々がつづく。

 

スケジュールの過密もそうだが、熟慮を要する案件や執筆予定の数も多い。

 

おまけに、年末年始は国外だし。

 

いつもにも増して、気力、体力との折り合いを。

 

 

11月2日

 

久しぶりのアカデミー授業。

 

Ⅲ期生演出コースのゼミ。

 

旅で出会ったシンガポールや香港の若手演劇人とくらべて、受講生諸君のおとなしさ、幼さがとても気になる。

 

同じようなことを、昨日午後のⅣ期生後期成果発表へのプレゼンテーションでも感じた。

 

社会への、というか、世界への構えのたどたどしさをなんとかしないと。

 

 

11月1日

 

朝から劇場。

 

長久手でおこなわれる、劇作家協会中部支部主催の「劇王」挑戦作品の最終審査。

 

マキノノゾミさん、木野花さん、生田萬さん、劇場スタッフとともに、最終候補作二作のリーディング(生田さん、演出)を聞く。

 

「劇王」初の全国決戦。

 

「劇王」発案者、劇作家佃典彦さんお手製のチャンピョンベルトの奪取なるか?