3.

十六歳。高校二年生。

古本屋で偶然みつけた「現代芸術思潮」についてのの軽装本シリーズ(出版社名もシリーズ名もすっかり忘れてしまった)にはまり込んだ。目の前に拡がる新しい世界の「現実性」にこころが踊った。
それをきっかけに、それまでの世界名作文芸路線から読書傾向が一変した。一読しただけでは内容が理解できない本への偏愛を、たとえば当時、久保覚という名編集者がいた現代思潮社の本などが存分に充たしてくれた。(ただし、現代思潮社の本はどれも定価が高くて、おかげで古本屋めぐりにえらく苦労した)
乱読に乱読を重ねるうちに、なんとなく「かたち」は出来上がっていく訳で、たとえばベケットよりはイオネスコ、サルトルよりはカミュ、小林秀雄よりは花田清輝、シュールレアリスムよりはダダ(って、どんな「かたち」だ?)という、その後、長くつづくことになる精神的な偏向はその頃に形成(あるいは、助長)されたものであった、と、いまにして思う。

目一杯背伸びした高校二年生は、しかしまた、まだ純情でもあった。

その年の六月、六十年安保闘争のクライマックス、六月十五日の国会議事堂突入にはじめて参加した。当初の意気込みはどこへやら、たった一度の警官隊との衝突に恐れをなして、すたこら現場を逃げ出した。
真夜中、逃げ帰った自宅でラジオ(おお、テレビはまだ一般家庭の常備品ではなかったのだ)の中継を聞いて、東大の女子学生がひとり、闘争の中で亡くなったことを知った。自分にたいする羞恥と屈辱で体が震えた。
一年後に流行語になる「挫折」を、幼いかたちではあったが、骨の髄までたっぷりと味あわされた、ということだろうか。

この時の経験は長く尾をひいた。「挫折」を克服して、もう一度目標に立ち向かうということにはならずに、自分は最後にかならず「逃げる」という確信のなかで、その根拠を必死にさがし求めるという、ずい分情けないような、長い道程のはじまりだった。


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