亡国のダンサー

〈 〉=場面の外からの声
《 》=文字による表示
ダンサーたち=終始舞台の周囲に居て、日本書紀にある「乙巳の変」の経緯を語りながら、劇の進行を見まもる。

 

プロローグ

 

わたし> 降りやまない雨 泥のぬかるみに横たわり左の頬を下に雫のダンスを見つめている あたり一面に叩きつけられる雨の雫 泥と一緒に跳ね上がる水玉が見る間に小さな波紋に変わり消えていく 泥と雨と血のにおい 凍りつくような寒さ 体中に刻まれた切り傷 深く 浅く 突かれ 抉られ 切り裂かれ 泥水に広がっていく夥しい血 あれはいつだったのかここはいったいどこなのか 泥と水たまり 体の内側からなにもかもが流れだし失われていくにぶい感覚 動かない体 動かせない体 ほんの少し首をひねることさえ出来ない 寒さに震える余力もない 土砂降りの雨 目の前で雨の雫は生き生きと休みなく飛び跳ね踊りつづけている あれはどこだったのかいまはいったいいつなのか

 

ダンサーたち「凶兆」

 

ダンサー1 秋 十月八日 地震 九日 また地震 この夜は風も吹いた 二十四日 夜中に地震

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー2 十一月二日 大雨が降り雷が鳴った 五日 雷が西北の方で鳴り 九日 陽気の暖かなことまるで春のよう 十日 雨降り 十一日 暖かなこと また 春のよう 十三日 雷が一度北の方角で鳴り 風が巻き起こった

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー3 十二月一日 暖かなこと春のよう 三日 雷が昼に五度鳴り 夜に二度鳴った 九日 雷が二度東の方角で鳴り 風が吹き 雨が降った 二十日 雷が三度東北の方角で鳴った 二十三日 雷が裂けるような音で一度鳴った 三十日 暖かなこと春のよう

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー4 初春 一月一日 五色の雲が空全体にひろがるが 東北東の方角が欠けていた 青い霧が地面いっぱいにひろがる

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー5 二月二十五日 あられが降り草木の花や葉を枯らした この月 風が吹き雷が鳴りみぞれが降った

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー1 三月十一日 地震 大津波 事故

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー2 三月十三日 迎賓館と民家が火事で焼けた 二十五日 霜が降りて草木の花と葉が枯れた この月 風が吹き 雷が鳴り みぞれが降った

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー3 四月七日 大いに風が吹き雨が降った 八日 風がおこり寒い天気 二十日 西風が吹きあられが降った 寒い天気で人は綿入れを重ね着した

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー4 五月十六日 月食 七月 池の水がひどく腐って藍の汁のような色になった 水路の水は凝りかたまり 厚さ三、四寸ばかり 大小の魚の腐った様子は夏の時期と同じようで 食用にはならなかった

 

《畑(はた)は荒れ田は枯れた》

 

ダンサー5 九月十九日 この日 大雨が降ってあられとなる この月 池の水がようやく白い色になって臭いもしなくなった 十月 水は澄んでもとに返った

 

一 部屋

 

チーフ 落ち着きませんか
わたし 戸惑ってます
チーフ 仕方がなかったんです あなたもご存じの通り
わたし わたしは何も知らない
チーフ そうですか
わたし なにかの間違いです
チーフ 証明できますか
わたし 全部お答えしました 自分番号住所氏名生年月日 運転免許証も提出しました
チーフ ええ あ これ預かり証です お確かめ下さい
わたし 有効期限 発行日から五日間
チーフ はい
わたし 五日後には必ず返してもらえるんですね
チーフ 五日後でなくても偽造とわかればすぐにお返しします ただ少しでも本物の可能性があると返却日の約束は難しくなります 本物の証明には時間がかかるんです 自分番号住所氏名生年月日運転免許証 どれもこれもまるで嘘や偽造のために存在しているようなものですから
わたし 嘘はついていません まして免許証の偽造なんて
チーフ そんなにむきにならなくても大丈夫です これは尋問とかその類のものではありません たとえあなたが嘘をついているとしても一向に構わない これは真実とかその類のものを求める手つづきではないんです
わたし 手つづき ですか
チーフ ええ 形式的には

 

サブ、登場。

 

サブ チーフ
チーフ 来たか
サブ はい
チーフ 間違いないだろうね 大切な証人だ あとでもめごとは困る
サブ 念のため任意証言確認書に署名をもらっています
チーフ 宣誓は
サブ もちろんです
チーフ わかった 連れて来い
サブ それからこれ
チーフ 返却か
サブ はい ひと目でわかる粗悪品です いる時これ程の手抜きも珍しい 鑑識の連中に大受けでした

 

サブ、退場。

 

チーフ だそうです お返しします 名前と写真をご確認下さい 預かり証はこちらに
わたし これは違う わたしの預けた免許証じゃない
チーフ 写真 どうですか
わたし 似ている でも違う
チーフ ちょっと拝見 なるほど 少しお痩せになりましたね しかし間違いなくあなたの写真ですよ これはあなたの免許証です ご希望ならば預かり証はそのままで 原簿の方で処理しておきますから
わたし 返して下さい わたしの免許証
チーフ 免許証はお返ししました 会って頂きたい方がいます

 

サブ、証人、登場。

 

チーフ ご足労をおかけしました お時間はとらせません ほんのひと言だけ
証人 はい
チーフ お断りしておきますがあなたには証言拒否の権利があります お答えになりたくない質問ははっきりそうおっしゃって下さい
証人 はい
チーフ よろしいですね
証人 はい
チーフ それではうかがいます あなたはこの方をご存じですか
証人 ええ
チーフ 間違いありませんか
証人 はい
チーフ あなたは
わたし え
チーフ あなたはこの方をご存知ですか
わたし 知りません
チーフ 間違いありませんか
わたし 偶然どこかで顔をあわせるようなことがあったかも知れませんがまったく記憶にありません 知らない人です
証人 そんなことありません あなたわたしを知っています
チーフ 以上です 確認は終わりました
証人 どうしてそんな嘘を
わたし 嘘じゃないですよ あなたいったい誰なんです
証人 証人です
チーフ 記録は
サブ 採れました

 

サブ、ボイスレコーダーを再生する。

 

チーフ というわけです
わたし というわけって
チーフ この方はあなたを知っている あなたはこの方を知らない そういうことです
わたし 説明して下さい
チーフ 説明を伺いたいのはこちらの方です 急ぐ必要はない 少し時間をかけましょう 貴重な証言をありがとうございました ご協力に感謝します お引き取り下さい 待合室までご案内します
証人 待合室は嫌です
チーフ わかります わたしもあの部屋は好きではありません ことにあの匂いがね あんなに大勢詰め込まれていれば仕方ないと言えば仕方ありませんが ご辛抱下さい お連れして
証人 ひと言でいいんです 認めてください わたしを知っていると お願いします
サブ ちょっと混乱しているだけだ 誰でも最初はそうだ すぐに思い出す 心配はいらない
証人 でも
サブ さあ 行こう

 

サブ、証人、退場。

 

チーフ わたしたちはお待ちます わたしたちは急ぎません 時間はあります ゆっくりお考え下さい
わたし 考えろと言われても
チーフ この部屋の電子キーです 建物の中はどこでもご自由に トイレとシャワー室はもちろんですがそれ以外の部屋も大抵そのキーで開けられます
わたし わたしは彼女を知りません
チーフ 証人の方が嘘をついていると
わたし たぶん どうしてなのかはわかりませんが
チーフ 告発なさいますか
わたし 告発ですか
チーフ 偽証は重大犯罪です もし告発なさるのでしたらすぐに手つづきに取りかかります 証人を厳しく尋問して背後関係を探ります
わたし そんな大袈裟にしなくても 思い違いとか見当違いは誰にでもある
チーフ 遠慮はなさらないで下さい すべての証人が真実を語っているとは限りません
わたし わかってます
チーフ 告発は
わたし しません
チーフ そうですか では思い出して下さい
わたし 何を
チーフ さあ それはわたしたちには決められません 電子キーにコールボタンがついています 何かあったらそれで連絡を 暗証番号をお忘れなく 暗証番号にはあなたの生年月日が設定してあります

 

チーフ、退場。
施錠。
わたし、電子キーに暗証番号を入力する。

 

《暗証番号が間違っています 正しい番号をご入力下さい》

 

わたし、もう一度入力する。

 

《暗証番号が間違っています 正しい番号をご入力下さい》

 

わたし、 もう一度入力する。

 

《間違った暗証番号が三度入力されました 暗証番号の登録を解除します》

 

ダンサーたち「謀(はかりごと)

 

ダンサー1 六月(みなづき) の 丁(ひのとの)酉(とり) の 朔(ついたち)甲(きのえ)辰(たつのひ) に

 

《六月八日》

 

ダンサー2 中大兄(なかのおほへ) 密(ひそか) に 倉(くらの)山田(やまだの)麻呂(まろの)臣(おみ) に 謂(かた)り て 曰(い)はく

 

《中大兄(なかのおほへ)はひそかに倉(くらの)山田(やまだの)麻呂(まろの)臣(おみ)に語って》

 

ダンサー3 三韓(みつのからひと) の 調(みつき) を 進(たてまつら)らむ 日 に 必ず 将(まさ)に 卿(いまし) を して 其の 表(ふみ) を 読み 唱(あ)げ しむ と いふ

 

《「三韓(みつのからひと)の調べを貢(たてまつ)る日に、お前にその上奏文を読む役をして欲しい」といい》

 

ダンサー4 遂に 入(いるか)鹿 を 斬らむ とする 謀(はかりごと)を 陳(の)ぶ

 

《ついに入(いるか)鹿を斬ろうという謀(はかりごと)をのべた》

 

ダンサー5 麻呂(まろの)臣(おみ) 許し 奉る

 

《麻呂(まろの)臣(おみ)は承諾した》

 

二 地下室

 

理事長  どうしてそんなふうにわたしの目を覗き込むの 秘密は何もない あなたはわたしの大切な孫 わたしは毎朝毎晩あなたのすこやかな成長を祈ってるだけ ほんとうにそれだけ ひいふうみいよおいつむうななやあこお

 

《遥々(はろばろ)に 言(こと)ぞ聞(き)こゆる 島(しま)の藪(やぶ)原(はら)》

 

理事長 生まれて五年 あなたはひと言も口をきかない まわりはいろいろに言うけれどわたしにはわかっている あなたは言葉が話せないのではない あなたはわざと言葉を話さない そうよね ひいふうみいよおいつむうななやあこお

 

《彼方(おちかた)の 浅野(あさぬ)の雉(きぎし) 不響(とよもさず) 我(われ)は寝(ね)し共(かど) 人(ひと)ぞ響動(とよもす)》

 

理事長 あなたはとても賢い子 利発な目でいつでもわたしをじっと見つめている それでいい いつまでもそこに居てね 決してわたしから離れては駄目よ ひいふうみいよおいつむうななやあこお

 

《天(あま)の身(み)の 理(ことわり)の身(み)の神(かみ)真澄(ますみ) 曇(くも)りまさねば 弥(いや)光(ひかり)を増(ま)せ》

 

秘書〈理事長 お目覚めですか〉
理事長 ええ 起きていますよ

 

    秘書、登場。

 

秘書 お早うございます ご気分はいかがですか
理事長 悪くはないですよ
秘書 明かり付けましょうか
理事長 明かりはこのままで 換気は
秘書 正常です
理事長 地下室で大切なのは換気です 余計な明かりは必要ない
秘書 お食事 お持ちしました
理事長 ありがとう そこに置いといて
秘書 一口でも構いません お口をおつけになって下さい お体にさわります
理事長 夜は明けたの
秘書 午前六時少し過ぎです
理事長 お天気は
秘書 曇りです 午後からは雨になるかも知れません
理事長 暦では梅雨はとうに明けているのに あなた わたしがここを気に入っているわけを知ってる
秘書 前に話して下さいました 地下室には余計な光が差し込まない
理事長 ここにはいつも同じ時間が流れている 朝も昼も夜も区別がない 晴れも曇りも雨も嵐も関係がない 暗くて静かでめったに人もやって来ない
秘書 少しはお休みになって頂かないと
理事長 休んでいますよ いまだってこうして
秘書 睡眠時間がご不足です
理事長 それはお互いさま あなたの方は秘書室でモニターをにらみながらの寝ずの番
秘書 モニターでのお見守りは秘書室全員の交替制ですから
理事長 まさか あなたがそんなことを許すはずがない
秘書 理事長
理事長 なあに
秘書 理事長はいつまでここにおいでになるおつもりですか
理事長 どうして
秘書 不安なんです
理事長 あなたが 珍しい 何が不安
秘書 何だか理事長がこのまま遠くに行っておしまいになるような気がして
理事長 わたしが
秘書 はい
理事長 おかしな人 どうしてそんなこと
秘書 いえ 申し訳ありませんでした
理事長 謝らなくてもいい やっぱりあなたも疲れている
秘書 そうかも知れません
理事長 わたしはどこへも行きません
秘書 はい
理事長 今日の予定は
秘書 外国からのお客さまの表敬が一件
理事長 場所は
秘書 いつも通りここで 時間前に係が支度に参ります
警護員〈失礼します〉
理事長 あらもう ずい分早いのね
秘書 早過ぎます どなた
警護員〈警護室です〉
秘書 何かご用
警護員〈扉を開けて頂けますか〉
秘書 どうしましょうか
理事長 構いません 入れてあげなさい
秘書 どうぞ

 

警護員、登場。

 

警護員 お早うございます
秘書 何かご用
警護員 理事長をお迎えにあがりました
秘書 お迎えって 秘書室は何も聞いていません 何かの間違いでは 理事長は今日はここでお客さまとの面会があります
警護員 指示書です どうぞ
理事長 どうかしたの
秘書 今日の会見 六十階の執務室に変更になりました
理事長 どうして
秘書 理由はわかりません 場所変更の指示だけ 副所長のサインがあります
理事長 副所長の
秘書 はい
理事長 所長ではなく
秘書 はい
理事長 見せて この指令書は無効です わたしの許可なしに副所長に所長を代行する権限はありません
警護員 お支度下さい 三十分後に理事長執務室で打ち合わせと伺っています
秘書 ちょっと待って 理事長は指令書が無効だとおっしゃっているのよ
理事長 行きます コートをとって
秘書 理事長
理事長 とにかく事情を確かめてみないと 秘書室に連絡をとって当直している全員を執務室に集合させて
秘書 はい
理事長 部屋の施錠 よろしくね 暗証番号はいつもの通りで
秘書 はい
理事長 食事
警護員 え
理事長 執務室へ
警護員 かしこまりました

 

理事長、警護員、退場。

 

《敵(あだな)へは 慾(ほし)み恨(うら)みに発(おこ)りけり 捨(す)てつ愛(いつ)くに 滅(ほろ)びぬはなし》

 

秘書 誰 誰か居るの

 

《数(かず)に成(な)り 数(かず)に消(け)ぬれば帰(かえ)れども 消(け)ぬ元数(もと)に 神事(かみごと)ぞ成(な)る》

 

秘書 この部屋は施錠します

 

秘書、退場。

 

《一二三四(ひふみよ)や 五六七八九(いむなやこ)てふ 数にこそ 天地(あまつち)人も物も治(おさ)まれ》

 

施錠。

 

ダンサーたち「俳優(わざおぎ)」

 

ダンサー1 戊(つちのえ)申(さるのひ) に 天皇(すめらみこと) 大極(おほあん)殿(どの) に 御(おはしま)す

 

《十二日 天皇(すめらみこと)は大(おお)極殿にお出ましになった

 

ダンサー2 古人(ふるひとの)大兄(おほへ) 侍(はべ)り

 

《古人(ふるひとの)大兄(おほへ)がそばに侍した》

 

ダンサー3 中(なか)臣(とみの)鎌子連(かまこのむらじ) 蘇我入鹿(そがのいるかの)臣(おみ) の 人と為(な)り 疑い 多く して 昼夜(ひるよる) 剣(たち) 持(は)ける ことを 知り て

 

《中(なか)臣(とみの)鎌子連(かまこむらじ)は 蘇我入鹿(そがのいるかの)臣(おみ)の人となりが疑い深くて 昼夜剣(たち)を帯びていることを知っていたので》

 

ダンサー4 俳優(わざひと) に 教(おし)へ て 方便(たばかり)て 解(ぬ)かし む

 

《俳優(わざひと)に教えてだまし剣(たち)を解かせた》

 

ダンサー5 入(いる)鹿(かの)臣(おみ) 笑ひ て 剣(たち) を 解(ぬ)く 入(い)り て 座(しきゐ) に 侍(はべ)り

 

《入(いる)鹿(か)は笑って剣(たち)を解き 中(なか)にはいって座についた》

 

三 ダクト

 

作業員3 いつもなんですか
作業員2 何が
作業員3 いつもこうやってダクトの中を這いつくばって
作業員2 だな それがどうした
作業員3 ふつうあるじゃないですか 最寄りの点検口とか
作業員2 お前 何が言いたい
作業員3 いえ ただ結構きますよねこれ
作業員2 作業手順の説明聞いてなかったのか
作業員3 聞いてました
作業員2 作業現場まで所要時間おおよそ三十分
作業員3 でもいきなり匍匐前進とは
作業員2 仕事だ 遊びじゃない
作業員3 仕事です わかってます
作業員2 バイトの後釜には不自由していないぞ
作業員3 はい
作業員1 停止
作業員2 了解 停止確認
作業員3 停止確認
作業員1 ここから横穴だ 弱電系配管チューブ 径四五〇
作業員2 出番だな
作業員1 頼む
作業員2 ロープをこっちに
作業員1 ほら
作業員2 距離は
作業員1 ポイント九cから九d 二ブロックだ
作業員2 簡単に言うね
作業員1 安心しろ 直線だ
作業員2 いくら直線でも二ブロックは二ブロック ロープ装着完了 点検願います
作業員1 了解 ロープ装着点検 よし
作業員2 了解 先導 入ります
作業員1 了解 先導 進入よし
作業員2 出発 前進

 

作業員2、闇の中へ。

 

作業員3 え え
作業員1 おい ロープ気をつけろよ 踏んでるぞ
作業員3 すいません 何すかあれ
作業員1 凄いだろ 奴の特技 四五〇径チューブをあんなふうに直進出来る奴は他にいない
作業員3 ですよね でもどうやって
作業員1 さあ 知りたくもない 細いチューブ管にもぐりこんで先導なんて役目は奴にまかせておけばいい お前習いたいのか
作業員3 まさか いくら習っても絶対に真似出来ません
作業員1 ここの住人だってな
作業員3 はい
作業員1 地下か
作業員3 はい
作業員1 地下何階
作業員3 十二階です
作業員1 階段が大変だ
作業員3 慣れました
作業員1 ま 不法侵入じゃ贅沢も言えない
作業員3 不法じゃありません 鍵も証明書もちゃんと
作業員1 鍵は役所の横流し居住証明書は偽造 闇市に行けば誰にでも簡単に手に入る 俺もそうだ 地下三階 同じ穴の狢同士よろしくな 不法侵入はむしろ奨励されてるのかもな そうやって危険区域立ち入り禁止はいつの間にかなし崩し おい ロープちゃんと見てろよ 合図があったら次はお前だ もう一本ロープを足に結びつけてチューブに入る 体は真っ直ぐ バレリーナみたいに爪先までピンとのばして
作業員3 班長、合図です。
作業員1 おう 牽引準備確認 どうぞ
作業員2〈牽引準備よし どうぞ〉
作業員1 了解 バイトが先に行く 牽引スピードを手加減してやってくれ どうぞ
作業員2〈牽引スピード手加減 了解 どうぞ〉
作業員3 ロープ装着完了 点検願います
作業員1 了解 ロープ装着点検 よし
作業員1 パニクって途中で手を離すなよ 手首に少し巻きつけておくといい チューブ径は四十五センチ 太くはないが完全に息が詰まるほどは細くもない
作業員3 頑張ります
作業員1 行け
作業員3 バイト 入ります
作業員1 了解 バイト 進入よし
作業員3 準備完了 牽引願います どうぞ
作業員2〈了解 牽引開始〉
作業員3 出発 前進 うわっ

 

作業員3、闇の中へ。

 

サブ〈おい〉
作業員1 え
サブ〈俺だよ〉
作業員1 誰だ
サブ〈俺だ〉

 

サブ、登場。

 

作業員1 なんだ 脅かさないで下さいよ 副主任直々に現場へお出ましって何かあったんですか
サブ 作業予定が変更になった 追加の工具だ
作業員1 でかいですね
サブ いまは開けるな 今日は特殊作業になる この袋を運んでポイント六〇fで待機
作業員1 ポイント六〇fって最上階じゃないですか 幹部エリアは作業員のIDカードは使えません
サブ 闇ルートが確保してある 進路は作業ナビの音声案内で 工具袋の取り扱いにはくれぐれも注意 それからこれ弁当
作業員1 弁当
サブ 特別支給だ 待機中に食え
作業員1 ありがとうございます 何ですか 特殊作業って
サブ 難しい作業じゃない 指示通りに処理すればいい
作業員1 わかりました
サブ よろしくな さてここで方向転換か うまくやれるかな
作業員1 お見事 現場まだいけそうですね
サブ お世辞のつもりか 嬉しくもない じゃあな
作業員1 ご苦労さまです

 

サブ、退場。

 

作業員2〈なんか問題ありか どうぞ〉
作業員1 申し訳ない 合図を見逃した 作業予定が変更になった 追加の工具が来た それと弁当 どうぞ
作業員2〈弁当〉
作業員1 ああ 特別支給だとさ
作業員2〈弁当か 新しい作業ってなんだ〉
作業員1 いつも通りだよ 現場で指示待ち
作業員2〈いやな予感がするな 弁当特別支給はろくなことがない〉
作業員1 仕事だ仕事 愚図愚図言うな 準備完了 牽引願います どうぞ
作業員2〈了解 牽引開始〉
作業員1 出発 前進

 

作業員1、闇の中へ。

 

ダンサーたち「包囲」

 

ダンサー1 倉(くらの)山田(やまだの)麻呂(まろの)臣(おみ) 進み て 三韓(みつのからひと) の 表文(ふみ) を 読み 唱(あ)ぐ

 

《倉(くらの)山田(やまだの)麻呂(まろの)臣(おみ)は御(おはしま)座の前に進んで 三韓(みつのからひと)の上奏文を読み上げた》

 

ダンサー2 是(ここ) に 中大兄(なかのおほへ) 衛門府(ゆけひのつかさ) に 戒(いまし)め て

 

《中大兄(なかのおほへ)は衛門府(ゆけひのつかさ)に命じて》 

 

ダンサー3 一時(もろとも) に 倶(とも) に 十二(よも) の 通門(みかど)  を 鏁(さしたか)め て 往来(かよわ)はし め ず

 

《一斉に十二の通門をさし固め通らせないようにした》

 

ダンサー4 衛門府(ゆけひのつかさ) を 一所(ひとところ) に 召(め)し 聚(あつ)め て 将(まさ) に 給(もの)禄(さづ)けむ と す

 

《衛門府(ゆけひのつかさ)の兵を一カ所に招集し 禄物を授けようとした》

 

ダンサー5 時 に 中大兄(なかのおほへ) 即(すな)はち 自ら 長き 槍(ほこ) を 執り て 殿 の 側(かたわら) に 隠れ たり

 

《そして中大兄(なかのおほへ)は自ら長槍を取って大極(おほあん)殿の脇に隠れた》

 

四 部屋

 

わたし 十一万三百八

 

《この番号はすでに登録されています 別の番号をご入力下さい》

 

わたし 十一万三百九

 

《この番号はすでに登録されています 別の番号をご入力下さい》

 

わたし 十一万三百十

 

《確認のためもう一度番号をご入力下さい》

 

わたし 一一〇三一〇

 

《暗証番号を登録しました 暗証番号をご入力下さい》

 

わたし、電子キーに暗証番号を入力する。
解錠音、扉が開く。

 

姉〈姉です〉
弟〈弟です〉
姉〈祖父です〉

 

姉、弟、祖父、登場。

 

弟 申し訳ありません 少し休ませて頂こうと思って ぼくたちとても疲れています
わたし いきなりそんなことを言われても どなたですかあなたたち
姉 姉です
弟 弟です
姉 祖父です 長くはお邪魔しません ほんの十分か二十分
わたし 時間の問題じゃなくて
姉 あなたはお出かけになるところでした 本当はあなたの許可は必要ありません わたしたちはこの部屋で休ませて頂きます
わたし ちょっと待って

 

祖父、扉を閉める。

 

わたし ドアはそのまま

 

施錠音。

 

弟 ぼくじゃありません
わたし わかってる
姉 申し訳ありません 年寄りで状況がよく飲み込めていないんです
祖父 わたしは何もしていない
姉 嘘はつかないで ちゃんと見ていました
祖父 廊下から冷たい風が吹き込んで来る
姉 言い訳もしないで
祖父 わたしたちはこの部屋の住人だ
姉 事故の前まではそうでした でもいまは違います
弟 長い時間廊下で待っていました 部屋の中に人がいる いつかかならずドアが開く
祖父 わたしが言った
弟 そうです おじいちゃんそう言った
祖父 言った通り扉は開いた
姉 気にしないで下さい あと先考えずにただ言いたいことを言ってるだけですから さあ 休ませていただきましょう 座りますかそれとも横になりますか
祖父 立っていれば窓から外の景色が見える 座れば見えるのはお前の不機嫌な顔 横になれば見えるのは床のしみ
姉 不機嫌ではありません ただ疲れているだけです
わたし ここはあなたたちの部屋だった
姉 ええ
わたし でもいまは違う
姉 ええ
わたし 誰なんですあなたたち
姉 姉です
弟 弟です
姉 祖父です
わたし それはもう聞いた あなたたちはこの部屋に帰って来た
姉 いいえ違います あなたがお留守の間 少しだけ休ませていただければと思って
弟 心配しないで下さい 何かあったらぼくたちが勝手に入ったと言います あなたとは関係がないとちゃんと説明しておきます
わたし わかった とにかく誰かに来てもらおう どうしても使いたいんだったらその人に頼めばいい ここはわたしの部屋じゃない

 

わたし、電子キーに暗証番号を入力する。

 

《暗証番号が間違っています 正しい番号をご入力下さい》

 

弟 どうかしましたか

 

わたし、もう一度入力する。

 

《暗証番号が間違っています 正しい番号をご入力下さい》

 

弟 暗唱番号が違ってるとか

 

弟、ノートパソコンをひらく。
わたし、 もう一度入力する。

 

《間違った暗証番号が三度入力されました 暗証番号の登録を解除します》

 

わたし 暗証番号が解除された
祖父 解除されたら再登録すればいい
姉 余計なことは言わないで どうすればいいかはこの方が自分で考えて決める そうですよね
祖父 再登録しなければ誰も呼べないしあのドアも開かない

 

《本人確認》

 

わたし、電子キーに入力する。

 

《自分番号》

 

わたし、電子キーに入力する(以下、同じ)。

 

《最終学歴》
《血液型》
《母親の旧姓》
《喫煙の有無》
《飲酒の有無》
《食物アレルギーの有無》
《飲用中のサプリメント》

 

弟 何だか面倒ですね
わたし 何が
弟 本人確認の質問 まだ百問も以上ありますよ 全部に答えなくちゃいけないんですか それ
わたし これで二度目だ 最初にもらった暗証番号がすぐに登録解除されてさっきも同じ質問に答えさせられた いくら面倒でもこれが終わらないと番号再登録には進めない
弟 食物アレルギーとかサプリメントとか余計なお世話ですよね
わたし 君もやらされたことがあるのか
弟 いいえ
わたし だったらその質問
弟 あなたと同じ画面を見ています
わたし 同じ画面
弟 と言ってもぼくの方はセキュリティプログラムの方からですけど

 

弟、パソコン画面を見せる。

 

わたし セキュリティプログラムに侵入出来るのか
弟 モニタリングだけならセキュリティ以外でもほとんどのプログラムにアクセス出来ます
姉 システムエンジニアなんです
弟 違うよ
姉 だってそうじゃない
弟 全然違う すいません ただの独学のアマチュアです 手伝いますよ 本人確認の質問とかショートカット出来るかも知れない
わたし 遠慮しとこう 百問だろうと二百問だろうと本人確認には自分で答える 
姉 さっき言ったでしょう この方にはこの方のやり方がある
わたし 勝手にブラウズはやめて欲しい
弟 申し訳ありません 悪気はなかったんです

 

わたし、電子キーに入力する。

 

《利用している買物サイト》

 

わたし、電子キーに入力する(以下同じ)。

 

《利用しているカード会社》
《利用しているSNS》
《契約している電力会社》
《公共放送料金支払いの有無》

 

わたし、入力をつづける。

 

祖父 カーテンを閉めようか
姉 そのままで 暗い部屋は嫌いです
祖父 降りやまない雨 長い坂道
わたし 見えてるのか
姉 何が
わたし その壁にカーテンとか窓とか
姉 祖父ですか
わたし そう
姉 わかりません ほんとうに見えているのか ただお喋りなのか
祖父 坂道を下って行くと煉瓦の壁に突き当たる
姉 壁の向こうに市場
わたし 君には窓が見える
姉 いいえ でもよくおぼえています 西日が差し込む大きな窓 見下ろすと長い坂道があってその向こうに低い煉瓦の壁と市場のトタン屋根 早い朝や夕方にはトタンが海のさざ波のようにきらきら光って
弟 懐かしいな あの市場には母さんと一緒によく行ったね
姉 濡れた床
弟 にぎやかな物売りの声
姉 人込みと野菜のにおい
弟 肉のにおい
姉 魚のにおい
弟 花のにおい 果物のにおい
姉 お前が嫌いだった漢方薬のにおい
弟 においじゃない あの店の蛇や虫の黒焼が嫌だったんだ
姉 古着屋
弟 駄菓子屋
姉 煮豆屋
弟 傘屋
姉 仕立屋
弟 靴直し
姉 包丁研ぎ
弟 露天の床屋 鏡はないけどラジオはあった
姉 (歌う)
弟 そうだね いつでもその曲がかかっていた 暗唱番号登録どうですか
わたし あと少し 三問答えれば本人確認が終わる
弟 それから番号登録
わたし そうだ
弟 六桁の数字は大抵が使用済みで使える番号にはなかなか行き着かない ようやく使える数字が見つかっても一度きりですぐに無効になってしまう
わたし いや 今度は大丈夫だ
弟 自信ありますか
わたし 自信もなにもそうじゃないと困る
弟 あなたの暗証番号 たぶんまたすぐに使えなくなりますよ
わたし どうして
弟 だってこの部屋は存在していないんです
姉 コンピュータが何か言ってるの
弟 位置情報経由でアクセスしてみると一応はプログラムが起動して応答します でもそれは事故対応の一時的な動作でマシーン本体のプログラムとは全然関連づけられていないんです
わたし だから
弟 セキュリティプログラム それからマシーン全体にも検索をかけてみました 答はすべてアンノウン(unknown)不明です この部屋は存在していない というか位置情報を含めてこの場所そのものをプログラムは認めてくれません
わたし 莫迦莫迦しい
弟 ご自分で確かめてみますか
わたし そんな数列をいくら見せられてもわたしには何もわからない
祖父 幽霊の部屋
弟 おじいちゃんの言う通り
姉 部屋はあります わたしたちはここに居ます
弟 マシーンはそう思っていない 存在しない場所から発信される情報はすべて事故です 結局はプログラムのバクとして処理され消去されてしまう 姉さんも ぼくも おじいちゃんも あなたも あなたのキーの暗証番号と同じです
わたし もう いい

 

《警告 あと六〇秒で確認画面が終了します》
《本人確認を続行しますか》

 

わたし、入力する。

 

《年齢》

 

わたし、入力する。

 

《性別》

 

わたし、入力する。

 

《あなたは存在しますか》

 

弟 最後の質問ですね
わたし 君 ブラウズはやめろと言ったはずだ
弟 すいません

 

弟、ノートパソコンを閉じる。
わたし、入力する。

 

《本人確認が終了しました》

 

弟 やりましたね 何て答えたんです
わたし わたしは存在する 決まってるじゃないか

 

《あたらしい暗唱番号をご入力下さい》

 

わたし、入力する。

 

わたし 一一〇三一一

 

《確認のためもう一度番号をご入力下さい》

 

弟 おめでとうございます 一発でしたね 人呼びますか
わたし いいや 休みたければ好きなだけ君たちはここに居ればいい
弟 ほんとうですか
わたし もともとは君たちの部屋だった
姉 ありがとうございます

 

わたし、入力する。

 

《暗証番号を登録しました 暗証番号をご入力下さい》

 

わたし わたしは消去される虫じゃない

 

わたし、入力する。
ドアが開く。

 

姉 外へ
わたし ああ
弟 どこへ
わたし わからない

 

 わたし、退場。
施錠音。

 

祖父 土砂降りの雨 痩せこけた真っ黒な野良犬

 

祖父、カーテンを引く仕種。

 

姉 休みましょう
祖父 ああ

 

姉、弟、祖父、床に横たわる。

 

弟 床のしみ
姉 見えるの
弟 どこか知らない町の地図みたいだ

 

姉、静かに歌う。

 

  ダンサーたち「反吐」

 

ダンサー1 中(なか)臣(とみの)鎌子連(かまこのむらじ)等(ら) 弓矢 を 持ち て 為(い)助衛(まも)る

 

《中(なか)臣(とみの)鎌子連(かまこむらじ)らは弓矢を持って護衛した》

 

ダンサー2 海(あまの)犬飼(いぬかいの)連勝(むらじかつ)麻呂(まろ) を して 箱 の 中(うち) の 両(ふた)つ の 剣(たち) を 佐伯(さえきの)連子(むらじこ)麻呂(まろ) と 葛城稚(かつらきのわか)犬養連(いぬかいのむらじ)網田(あみた) とに 授け しめ て 曰(い)はく

 

《海(あまの)犬飼連勝麻呂(まろの)に命じ、箱の中(なか)から日本の剣(たち)を佐伯(さえきの)連子(むらじこ)麻呂(まろ)と葛城稚(かつらきのわか)犬養連(いぬかいのむらじ)網田(あみた)に授けさせ》

 

ダンサー3 努力(ゆめ)努力(ゆめ) 急須(あからさま) に 斬る べし と いふ

 

《「ぬからず、素早く斬れ」といった》

 

ダンサー4 子(こ)麻呂(まろ)等(ら) 水 を 以(も)(も)て 送(いい)飯(す)く 恐り て 反吐(たまひいだ)す

 

《子(こ)麻呂(まろの)らは水をかけて飯を流しこんだ だが恐怖のためにのどを通らずもどしてしまった》

 

ダンサー5 中(なか)臣(とみの)鎌(かま)子(この)連(むらじ) せめて 励まし む

 

《中(なか)臣(とみの)鎌(かま)子(この)連(むらじ)はこれを責め励ました》

 

五 養育室

 

養育係 お楽になさって下さい
サブ ありがとうございます 理事長は
秘書 間もなくお見えになると思います
サブ 急なお呼び立てでびっくりしました しかもこんな時間に育児室に
養育係 この建物でおくつろぎになれるのは地下室以外はこの部屋だけといつもおっしゃっています
サブ 御子(みこ)さまのご機嫌はいかがですか
養育係 申し訳ありません 日々のご様子については理事長以外にはどなたにも
サブ そうでした うっかりしていました
養育係 お気遣いには感謝いたします お掛けになって下さい お茶をお入れしましょう

 

養育係、茶の支度。

 

サブ いつ来てもここは落着く 何だかほっと息がつけるような
養育係 皆さんそうおっしゃって下さいます
サブ あなたの仕事がうらやましい
養育係 おそれ入ります でもこれは仕事でしょうか
サブ 違いますか
養育係 仕事というよりは任務のような
サブ 任務ですか
養育係 兵士は銃を撃ちます 敵を殺します 仕事でしょうか
サブ なるほど おこころがけはわれわれの鑑です 仕事というよりは任務 わたしも肝に命じます
養育係 どうぞ

 

養育係、茶を出す。

 

サブ いい香りだ 根っからの不調法者でうまい言葉が浮かばないのが残念です

 

ブザー。

 

養育係 お見えになりました 副主任はそのままで

 

養育係、退場。
間。
警護員、登場。

 

警護員 失礼します
サブ 君か 理事長は
警護員 すぐにいらっしゃいます 普洱(プーアル)茶(ちゃ)ですね
サブ これか
警護員 はい
サブ そうか はじめて飲んだ
警護員 年代物の高級品です かすかに黴のにおいがまじった独特の香りが素晴らしい
サブ 黴のにおい
警護員 はい
サブ 埃ではなく黴か
警護員 副主任
サブ 何だ
警護員 防衛用具の提出をお願いします
サブ 防衛用具
サブ はい
サブ ここがどこだかわかっているのか
警護員 養育室です
サブ 養育室は特別な場所だ 俺がそんなもの持ち込むはずがないじゃないか
警護員 提出を拒否なさいますか
サブ 拒否もなにもそんなものは持っていない

 

警護員、手際よくサブが身につけていた拳銃を取り上げる。

 

警護員 お持ちになっていた防衛用具は職員服務規定に違反しています 没収させて頂きます 何かあれば後で抗弁書をご提出下さい 席にお戻り下さい 理事長がお見えです

 

理事長、養育係、秘書、登場。

 

警護員 入り口におります 何かあればお呼び下さい
理事長 ご苦労さま

 

警護員、退場。

 

サブ 理事長
養育係 お茶を入れ替えましょう 理事長も同じものでよろしいですか
理事長 お願いします
サブ 理事長
理事長 チーフはまだですか
サブ 間もなくと思います
理事長 GPS
秘書 はい

 

秘書、タブレットを操作。

 

秘書 チーフの端末 電源オフです
サブ 自分 見て来ます チーフの居場所だったら大概見当つきますから
理事長 せっかくのお茶です 一緒にご馳走になりましょう
秘書 チーフはわたしが
理事長 お願いします

 

秘書、退場。
養育係、茶を出す

 

理事長 あの子はどうですか
養育係 いつも通りお変わりありません ゆっくりお休みになっています
理事長 今朝 久しぶりに話をしました
養育係 ええ こちらでもそんなご様子が
理事長 いつもの通りあの子はなにも言わなかったけれどわたしの言うことには耳を傾けてくれていたような気がします
養育係 穏やかなお顔で微笑んでいらっしゃいました
理事長 そう それは良かった
サブ 理事長
理事長 副主任はあの子にはまだ一度も会っていませんね
サブ はい 直接には 認証式の時にセレモニールームのモニターで一度だけお姿を拝見しました
理事長 ぼんやりしていて何だかよくわからない映像だったでしょう
サブ さあそこまでは あの時はとても緊張しておりましたから
理事長 モニターの映像はライブではありません 古い資料を編集した合成映像です
サブ 何度かそんな噂は耳にしたことがあります しかし自分はそう思ってはおりません
養育係 副主任
サブ はい
養育係 先程の服務規定違反について説明をお願いします
サブ お騒がせしました 弁明は一切ありません
養育係 ここは養育室です
サブ わかっています どのような処置でもお受けします
理事長 今日のお客さまとの面会 今朝会場が急に変更になりました その指示の出所がどこなのかよく分からないのです 副所長名義の指令書は無効のはずですがマシーンの動作はスケジュールは全部その方向で修正されています 肝腎の副所長は昨日から休暇をとっていて連絡がつきません
養育係 あなたの服務規程違反いまは理事長がお話になったトラブルと何か関連がありますか
サブ いいえ無関係です 防衛用具の携行はあくまでも自分の個人的な判断です
養育係 理由は
サブ 特にありません
養育係 それでは説明になっていません
サブ どのような処置でもお受けすると申し上げました
理事長 副主任 待合室の利用状況はいまどうなっていますか
サブ 定員百二十五名 現在の収容者百五十三名 収容率約百二十パーセントです
理事長 余裕は
サブ はい あと二三十人くらいだったら何とか
理事長 あなたひとならば充分余裕はありますね
サブ 待ってください 自分はあの部屋の管理者です
養育係 収容が決まったら必要な手続はすべてご自身でお願いします

 

 秘書、登場。

 

 

秘書 チーフがお見えです

 

チーフ、登場。

 

理事長 お待ちしていました
チーフ 申し訳ありません 警護室から連絡がありました 処置は
養育係 納得のいく説明がなければ待合室に収容とおっしゃっています
チーフ 理事長 この男の身柄をわたしに預けていただけませんか
理事長 構わないけどどうするつもり
チーフ この男はおそらく囮です
養育係 わたしもそう思います 副主任はこの部屋のセンサー機能をよくご存知のはずです 防衛用品の持ち込みは不自然です
チーフ もしかしたら自分でも自分の役割がよくわかっていないのかも知れない
サブ おっしゃっている意味がまるでわかりません
チーフ 囮ならば囮らしく自由に放っておいてやるのが一番です 下手な手出しは相手の思う壺です
理事長 相手
チーフ いまからそれを探ります とりあえず保安室に行って全身登録をしてもらう 今後監視カメラに記録された君の行動はすべて保存 分析対象となるからそのつもりで それからこれ

 

チーフ、副主任に拳銃を返す。

 

秘書 理事長 お顔の色がすぐれません あまりご無理はなさらない方が
理事長 ええ ありがとう
秘書 地下室にお戻りになりますか
理事長 いいえ 今日はこのまま

 

《ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり》

 

養育係 お目覚めです

 

《ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たり もも ち よろづ》

 

理事長 ええ わかる 嬉しそうに笑っている わたしたちが見えているんですね

 

《ふるべゆらゆら ふるべゆらゆら》

 

養育係 感じていらっしゃいます わたしたちのこころのすべて この建物のすべて 

 

《ふるべゆらゆら ふるべゆらゆら ふるべゆらゆらとふるふるべ》

 

  ダンサーたち「汗」

 

ダンサー1 倉(くらの)山田(やまだの)麻呂(まろの)臣(おみ) 表文(ふみ) を 唱(よみあぐる) こと 将(まさ)に 尽きなむ と すれど も子(こ)麻呂(まろの)等(ら) の 来(こ)ざる こと を 恐り て 流(い)ずる 汗 身 に 狭(あまね)く して 声 乱れ 手 動(わなな)く

 

《倉(くらの)山田(やまだの)麻呂(まろの)臣(おみ)が上奏文を読み終わろうとするが 子(こ)麻呂(まろの)らが出て来ないのが恐ろしく 全身に汗がふき出して 声も乱れ手も震えた》

 

ダンサー2 鞍作(くらつくりの)臣(おみ) 怪しび て 問い て 曰(い)はく

 

《鞍作(くらつくりの)臣(おみ)(入(いる)鹿(か))は怪しんで》

 

ダンサー3 何故 か 掉(ふる)ひ 戦(わななく)く と いふ

 

《何故震えているのか」ととがめた》

 

ダンサー4 山田(やまだの)麻呂(まろ) 対(こた)へ て 曰(い)はく

 

《山田(やまだの)麻呂(まろの)は答えて》

 

ダンサー5 天皇(すめらみこと) に 近つける 恐(かしこみ) に 不覚(おろか) に して 汗 流(い)づる と いふ

 

《「天皇(すめらみこと)のおそば近いので恐れ多くて汗が流れた」といった》

 

 

    六 ダクト

 

作業員1、作業員3。

 

作業員1 俺たちの作業 大体のところは分かってるよな
作業員3 ダクトの清掃ですか
作業員1 正確には汚物処理だ
作業員3 地下の居住区域でいろいろ経験してます
作業員1 下水管に腕を肩まで突っ込んで中の汚物を引っ張り出す 糞まみれの下着 腐った野菜屑 生きた鼠 俺もしょっ中やらされてる
作業員3 ダクトの汚物って何ですか
作業員1 人間の死体だ
作業員3 まさか
作業員1 ダクトは収容者たちの頼みの綱だ 脱走目当てで取っかえ引っかえ潜り込んで来る けどなダクトは甘くない わかるよな
作業員3 今日半日で思い知りました
作業員1 ダクトの迷路は奥が深い 汚物まみれで這いずり回って 最後はみんな途中でくたばる 病気 怪我 餓死 足をすべらせて縦シャフトに真っ逆さま 仲間割れして殺し合いとかパニックを起こして首吊りとか
作業員3 大丈夫でしょうか ぼくたち
作業員1 どうだろうな あまり大丈夫ではないな 弁当食うか
作業員3 食欲がありません
作業員1 朝はあんなにはしゃいでたじゃないか 弁当が三つとも違うとか何とか チンジャオロースとハンバーグと もうひとつ何だっけ
作業員3 アジフライです
作業員1 好きな奴を食っていい 弁当食って元気を出せ
作業員3 勘弁して下さいよ

 

作業員2、登場。

 

作業員1 どうだった
作業員2 駄目だな 先に行けば行くほど同じようなルートが何本も枝分かれしてる ナビは
作業員1 相変わらずだ 音声ガイドも画面表示も応答なし
作業員3 まずいですよね
作業員2 何か言ったか
作業員3 すいません
作業員2 バイトの意見は聞いてない
作業員1 お前こんなダクト見たことあるか
作業員2 ない お前は
作業員1 俺もはじめてだ
作業員2 そもそもこれはダクトなのかね まるで病院の廊下だ いくら管理エリアだからって手入れが良過ぎる
作業員1 何階かな
作業員2 さあな とにかく大分登って来たことだけは確かだ 嫌な感じだ 下のダクトの汚れた空気の方がよっぽどましだ ここは空気まで気取ってやがる おまけに薄い 息が詰まる
作業員1 副主任直々のお出まし
作業員2 弁当の特別支給 闇の侵入ルート 追加の工具袋
作業員1 十中八九仕事は汚物消去だった
作業員3 汚物消去
作業員2 ああ
作業員3 汚物処理と汚物消去は違うんですか
作業員1 処理する汚物は死んでいる 消去する汚物は生きている
作業員2 汚物を汚物化するのが汚物消去
作業員1 どうする このまま待機してナビの回復を待つか それとも後戻りして退避ルートを探すか どっちにしてもお先真っ暗だけどな
作業員2 班長はあんただ あんたが決める
作業員1 音声案内切断 作業ナビダウン お前が言う通り嫌な感じだ 体力のあるうちにルート探しにじたばたしてみよう
作業員2 了解 ライトは
作業員1 節約しようつけなくていい
作業員2 バイト 弁当忘れるな
作業員1 行くぞ ゆっくりだ ロープを離すなよ

 

作業員1、2、3、退場。

 

わたし〈暗証番号  扉がひらく 長い廊下 進む〉

 

わたし、登場。

 

わたし 目の前に階段 階段を登る 目の前に扉 暗証番号 扉がひらく 長い廊下 進む 目の前に階段 階段を登る 目の前に扉 暗唱番号 扉がひらく 長い廊下 目の前に階段 階段を登る 目の前に扉 暗証番号 扉がひらく 長い廊下 進む

 

わたし、退場。
作業員3、登場。わたしの去った方向を探る。

 

サブ〈おい〉

 

サブ、登場。

 

サブ お前ひとりか あいつらはどこに行った
作業員3 退避ルートを探してるよ 作業ナビがダウンしたんだ
サブ ナビがダウン ほんとか
作業員3 原因がわからない それで焦ってる それに班長たち 自分たちの作業が汚物消去だと思い込んで
サブ それで職場放棄か 何て奴らだ 優秀作業員表彰が聞いて呆れる
作業員3 でも 四五〇径チューブ直進はなかなかだったよ
サブ 下らない軽業だ ほんらいの作業とは何の関係ない お前は先に行ってろ 俺は奴らをとっ捕まえる
作業員3 わかった
サブ あとでな
作業員3 うん

 

サブ、作業員3、別々の方向に退場。
姉、弟、祖父、登場。

 

姉 道はどっち
弟 ちょっと待って
姉 そこに出てるんでしょ
サブ ルートの三次元表示が複雑過ぎてよくわからないんだ 肝腎の自分たちのいる場所もはっきりしない ハッキングした画面とGPSの連動が悪くて
姉 しっかりしなさい システムエンジニアなんだから
弟 違うって言ったじゃないか
姉 どっちに行けばいいの
弟 たぶん
姉 たぶんじゃなくて
弟 こっちだと思う
姉 行きましょう
祖父 帰るのか
姉 いいえ わたしたちにはもう帰るところはありません

 

姉、弟、祖父、退場。
サブ、作業員1、2、登場。3

 

サブ ダクト作業員がダクトで遭難なんていい笑い物だ 弁当まで奮発してやったのに持ち場を離れる莫迦がどこにいる
作業員2 その持ち場の位置が確かめられなくなったもんで
作業員1 おい
サブ 案内機材の作動不良はただちにその地点で待機 救助を待つ 無闇な移動は移絶対に禁止 作業員研修で習わなかったのか
作業員1 習いました お言葉の通りです
サブ 一年や二年の初心者じゃあるまいし 作業ナビがダウンしたくらいで舞い上がってどうする
作業員1 申し訳ありません
サブ 作業は続行する
作業員2 汚物消去ですか
サブ 誰がそんなこと言った
作業員1 違うんですか
サブ 作業内容は指示を待て いまは現在地に待機 ここを動くな
作業員1 指示はどうやって
サブ ナビのダウンはすぐに調べる 回復しない場合は俺が口頭で
作業員1 了解です
作業員2 副主任
サブ 何だ
作業員2 バイトはどうしますか
サブ すぐに捜査を手配する 人間の落とし物まで背負いこませやがって 始末書三十枚じゃすまないからな 覚悟しとけ 弁当は
作業員2 バイトが持って行きました
サブ 三つともか
作業員2 はい
サブ いいいか絶対に動くなよ

 

サブ、退場。

 

作業員2 チンジャオロースとハンバーグとアジフライ 腹減ったな
作業員1 ああ 減った

 

 

ダンサーたち「時を踊る」

 

ダンサー2 砂埃の舞う長い道
ダンサー3 枯れた草の原
ダンサー4 干上がった湖
ダンサー5 青ざめた月の下で
ダンサー1 踊る 千年の時を
ダンサー2 吊るされた女たちが風に揺れる
ダンサー3 裸足の兵士が身を屈めて走る
ダンサー4 炎に追われる百人の子どもたち
ダンサー5 水底に揺れる千人の恋人たち
ダンサー1 踊る いまこの時を
ダンサー2 引き裂かれた書物
ダンサー3 凍るパン
ダンサー4 黒く塗られた窓
ダンサー5 丘の上の船
ダンサー1 踊る まだ見ぬ時を

 

    七 部屋

 

わたし 長い廊下 進む 目の前に階段 階段を登る 目の前に扉 暗唱番号 扉がひらく そしてこの部屋 どこにもない部屋 どこにでもある部屋 幽霊の部屋
証人 雨です 雨が降っていました
わたし え
証人 薄暗い夕方 黒いコートを着たあなたは坂道に立ってこの建物を見上げていました 宣誓します 「良心に従って真実を述べ何事も隠さず偽りを述べません」
わたし わたしは捜査官じゃない 検事でもないし裁判官でもない もっとふつうに話しましょう あなたは誰です
証人 それは質問ですか
わたし ええ そう 質問です
証人 わたしは証人です
わたし そうじゃなくて いやいい もういい いくら言われてもわたしはあなたを知らないしあなたと話すことは何もありません
証人 あなたは知っています あなたは忘れてしまった それだけです
わたし わたしが忘れた
証人 思い出して下さい わたしはあの部屋に住んでいたことがある この部屋の窓を指さしてあなたは言いました 事故のあとまだ一年たつかたたないかの頃でした 黒々とそびえ立つ建物の中でたった一カ所この窓だけがほのかな明かりを灯しているのが見えました
わたし どうしてその窓がこの部屋の窓だったとわかるんですか
証人 カーテンです ここに連れて来られた時にすぐに気がつきました すっかり色あせているけれど間違いありません 窓の明かりはこのカーテンのあたたかな色を透かして見えていたんです
姉〈その窓からなにが見えますか〉

 

開錠音。ドアが開く。
     姉、弟、祖父、登場。

 

わたし 君たちか
弟 鍵はぼくがを開けました あなたの電気キーのデータを加工してマスターキーまがいをつくったんです スマホ経由で結構使えますよ あとでそっちにも送りましょうか
わたし いやいい それより履歴の削除
弟 わかってます
わたし ちっともわかってない
証人 知っている人たちなんですか
わたし 姉と弟と祖父 前にこの部屋の住人だったと言っています
姉 あなたには窓から何が見えますか
証人 雨が見えます あの時と同じ土砂降りの雨
姉 それから
証人 それだけです
祖父 低い煉瓦の壁
証人 いいえ
祖父 市場のトタン屋根
証人 見えません
姉 坂道を見下ろす大きな窓
弟 市場の生地屋の布で母さんがつくったあたたかな色のカーテン
姉 でもいまはそこには窓もカーテンもありません そこは壁です コンクリートが剥き出しになった何もない壁
祖父 窓はある わたしには見える
姉 あなたは黙って
弟 窓だけじゃない この部屋だって半分は存在していないようなもんだ
姉 余計なことも言わないで あなたには見えますか 大きな窓とあたたかな色のカーテン
わたし いや 見えない
証人 あなたが思い出しさえすればあなたにも見えます わたしと一緒に思い出して下さい
姉 事故のあと一年たつかたたない頃でした ようやく許可が出て私たちはこの部屋に戻って来ました たった二時間足らずの気休めのような帰宅 鍵の掛かっていない扉をあけて中に入ると誰もいないはずの薄暗い部屋の奥にあなたがいました
弟 部屋の明かりをつけてもあなたはぼくたちには気がつかなかった こちらに背を向けて細く開けたカーテンの隙間から下の坂道を見つめていた
祖父 土砂降りの雨 長い坂道
わたし 痩せこけた真っ黒な野良犬
姉 そうです あの日あなたが窓から見つめていた野良犬 想い出したんですね
わたし あの野良犬はわたしだった 黒いコートを着て雨の中で建物を見上げているわたし
証人 行こう ここは寒い あなたは言いました あの部屋はもうわたしの部屋ではない たずねて行っても中には入れてくれないだろう 手袋をしていないわたしの手をコートのポケットの中で握ってあなたは建物に背を向けました
わたし とぼとぼと坂道を下って行く黒い犬の後ろ姿 煉瓦の壁 市場のトタン屋根 ガラスの向こうのかすかな雨音
姉 三十秒にも足りないようなとても短い時間だったと思います 部屋の明かりをつけたあとわたしたちは息をひそめて部屋の入り口に身を寄せ合ってあなたを見つめていました
わたし もしかしたらあの日 わたしはこの部屋でカーテンの隙間から窓の外を見下ろしていた 
姉 姉です
弟 弟です
姉 祖父です
わたし もしかしたらあの日 わたしは坂道に立ってこの部屋の窓を見上げていた
証人 姉です

 

サブ、作業員3、登場。

 

作業員3 弟です
証人 祖父です
わたし 薄暗い雨の夕方 窓を真ん中に向き合っているふたりのわたし
姉 置き去りにされ荒れ果てた部屋
証人 目の前にそびえ立つ廃墟のような建物
わたし わたしはひとりだった 明かりの灯った部屋の入り口に身を寄せ合っているあなたたちは居なかった わたしはひとりだった 坂道を下るときコートの中で手を握り合うあなたはそばに居なかった たったひとり 人けのない荒れ果てた部屋で たったひとり 雨の坂道で
サブ あんたには窓は見えない あたたかな色のカーテンも見えない あんたには見えるのか コンクリートが剥き出しになった何もない壁
わたし いや
サブ だったらあんたには何が見える
わたし この部屋 わたしがひとり閉じ込められたこの部屋
姉 お帰りなさい 息をひそめた短い時間のあと小さな声でわたしは言いました お帰りなさい お父さん
弟 姉さん 違うよ この人の思い出の中にぼくたちはいない いくら探してもきっともう見つからない
姉 でもあの日
弟 そうあの日 窓のそばに だってそうだろう 何もかもが残されていて 何もかもが朽ちていく部屋 小さな明かりをつてけたこの部屋でぼくたちはほんの一瞬でもいいからそんな物語を作らなければ
証人 今日はありがとう また連絡を下さい 待っています
作業員3 一日三回 いやもっと多い日もある 姉さんはいつもそう言って男たちと別れて市場の駐車場で待っているぼくの車に帰って来る だからぼくたちにはわからない あの雨の日 姉さんと一緒に建物を見上げていたのがあなただったのか それとももっと別の
証人 思い出して下さい わたしはあなたをおぼえています だからあなたも思い出して
サブ もういい さあ わたしたちは行こう

 

サブ、証人、作業員3、退場。

 

弟 姉さん ぼくたちも お祖父ちゃん
祖父 ああ

 

姉、弟、祖父、退場。

 

わたし 誰もいないこの部屋 窓 カーテン コンクリートの壁 何も見えない 部屋の外には迷路 はてしなくつづく時の迷路

 

わたし、電子キーに入力しようとする。

 

《六四五〇六一二》

 

      ダンサーたち「罪 知らず」

 

ダンサー2 中大兄(なかのおほへ) 子(こ)麻呂(まろの)等(ら) の 入(いるか)鹿 が 威(いきほい) に 畏(おそ)り て 便旋(めぐら)ひ て 進まざる を 見て 曰(のたま)はく 咄嗟(やあ) と のたまふ 即(すなは)ち 子(こ)麻呂(まろの)等(ら) と 共に 出(ゆく)其(くりも)不意(な)く 剣(たち) を 以(も)て 入(いる)鹿(か) が 頭(あたま)肩(かた) を 傷(やぶ)り 割(そこな)ふ

 

《中大兄(なかのおほへ)は子(こ)麻呂(まろの)らが入(いる)鹿(か)の威勢に恐れたじろいでいるのを見て 「ヤア」と掛声もろとも子(こ)麻呂(まろの)らとともに おどりだし 剣(たち)で入(いるか)鹿の頭から肩にかけて切りつけた》

 

ダンサー3 入(いる)鹿(か) 驚き て 起(た)つ

 

《入鹿(いるか)は驚いて席を立とうとした》

 

ダンサー4 子(こ)麻呂(まろの) 手 を 運(めぐら)し 剣(たち) を 揮(ふ)き て 其の 一つ の 脚(あし) を 傷(やぶ)り つ

 

《子(こ)麻呂(まろの)が剣(たち)をふるって片方の脚に切りつけた》

 

ダンサー3 入(いるか)鹿 御(お)座(もと) に 転(まろ)び 就(つ)き て 叩頭(の)み て 曰(もう)さく 当(まさ)に 嗣位(ひつぐのくらゐ) に 居(ましま)す べき は 天(あめの)子(みこと) なり 臣(やつこ) 罪 知らず 乞ふ 垂審察(あきらめたま)へ と まうす

 

《入(いる)鹿(か)は御座の下に転落し 頭をふって 「日嗣の位においでになるのは天子である 私にいったい何の罪があるのか そのわけを言え」といった》

 

ダンサー1 天皇(すめらみこと) 即(すなは)ち 起(た)ちて 殿(との) の 中(うち) に 入(い)り たまふ

 

《天皇(すめらみこと)は立って殿舎の中(なか)に入(いる)られた》

 

ダンサー5 佐伯(さえきの)連(むらじ)子(こ)麻呂(まろ) 稚(わか)犬養連(いぬかいのむらじ)網田(あみた) 入(いる)鹿(かの)臣(おみ) を 斬(き)り つ

 

≪佐伯(さえきの)連(むらじ)子(こ)麻呂(まろ) 稚(わか)犬養連(いぬかいのむらじ)網田(あみた)は入(いる)鹿(かの)臣(おみ)を斬った≫

 

ダンサー3〈あちめ おおおお〉 
ダンサー1、2〈あちめ おおおお〉
ダンサー4、5〈あちめ おおおお〉

 

姉、弟、祖父、登場。
証人、作業員3、サブ、登場(別方向から)。

 

姉 帰れない部屋
弟 朽ちていく部屋
祖父 時は何処
証人 見上げる部屋
作業員3 他人の部屋
サブ 時は遥か

 

争う。
作業員1、2、登場。

 

作業員1 汚物処理
作業員2 汚物消去
作業員1 隠された時
作業員2 時の迷路

 

証人、作業員3、サブと争う。
育児係、秘書、警護員、登場。

 

養育係 眠れない夜
秘書 目覚めない朝
警護員 時の廃墟

 

作業員1、2、と争う。
やがて争いは乱れ、全員が入り乱れての争いとなる。

 

《天地(あめつち)にき揺(ゆ)らさかすは、さ揺らかす、神(かみ)わかも、神こそは、 きねきこう、き揺らならは魂筥(たまはこ)に 木綿取(ゆうと)りしでて たまちとらせよ》、
《御魂(みたま)上(が)り 魂(たま)上(が)りましし神は 今ぞ来ませる》

 

人びとの乱れた争い中央に倒れ横たわる、わたし。
人びと、わたしに気づき離れる。

 

ダンサー1 忘れる
ダンサー2 忘れない
ダンサー1 いまこの時に
ダンサー4 思い出さない
ダンサー5 思い出す
ダンサー1 時の果てに

 

《魂筥(たまはこ)に 木綿取(ゆうと)りしでて たまちとらせよ》、
《御魂(みたま)上(が)り 魂(たま)上(が)りましし神は 今ぞ来ませる》

 

激しい雨の音。

 

ダンサーたち「筵(むしろ)蔀(しとみ)」

 

ダンサー1 是(こ)の 日 に 雨下(あめふ)り て 潦(いさら)水(みず) 庭(おほば) に 溢(いは)めり 席障(むしろしと)子(み) を 以て 鞍作(くらつくり) が 屍 に 覆(おほ)ふ

 

《この日雨が降って 庭には溢れ流れる水が一杯になった 筵蔀(むしろしとみ)で 鞍作(くらつくり)の屍を覆った》

 

    八 庭

 

チーフ 終わりました
理事長 ご苦労さまでした
チーフ 明日からは自動生成された新しいシステムが作動することになります
理事長 彼らは戦っていたのですね
チーフ 準備は相当前からプログラムの深い領域でおこなわれていたようです 彼らの悪知恵には舌を巻きます 巧みなカモフラージュでなかなかわれわれを寄せつけない
理事長 わたしたちにはあの子がいます わたしはなにも心配していません

 

秘書、警護員、登場。

 

秘書 理事長 お支度が出来ました
理事長 ご苦労さま わたしは地下室に戻ります
チーフ ごゆっくりお休みになって下さい
理事長 ありがとう あなたもね
秘書 お願いします
警護員 お供します

 

理事長、警護員、退場。

 

サブ チーフ 長い間 お世話になりました
チーフ どうしてもか
サブ はい わがままを言って申し訳ありません
チーフ 君のはたらきは立場はどうあれ間違ってはいなかった 養育室を守るという着眼点もよかった
サブ おかしな動きのバックがマシーンのプログラムだとは思ってもいませんでした マシーンの背後には誰か人間の黒幕がいる そう信じて動いていました どこにも人間が関与していないマシーン同士の権力争い もうわれわれの出る幕はありません
チーフ 無理にはひきとめない わたしもついさっきまでは君と同じように思っていた

 

弟、挨拶。

 

チーフ お孫さんたちもしっかり
サブ 自分たちは本当の家族ではありません
チーフ そう 建物の外からやって来た君たちにはここでの生活は大変だよな
サブ 最後にひとつだけうかがっていいですか チーフはどうしてあの収容者に注目なさったんですか
チーフ 強いて言えばあの人が年寄りだったからかな
サブ どうしてです
チーフ 年老いた男の見残しの夢 プログラムには夢を見る力がない
サブ いろいろありがとうございました

 

サブ、証言者、姉、弟、祖父、作業員1、二、三、とともに退場。

 

チーフ あなたたちは
養育係 私たちはもう少しここに
チーフ そうですか ではわたしも
養育係 失礼します
秘書 失礼します

 

チーフ、退場。

 

秘書 御子さまのお名前は決まりましたか
養育係 正式にはまだ いまは仮にアルファポイント六〇fとお呼びしています
秘書 育児室のある場所ですね ポイント六〇f
養育係 そうお呼びしているのはわたしだけですけど
秘書 いとおしくお思いでしょうね
養育係 あなたは理事長をいとおしくお思いですか
秘書 いいえ 理事長は別の世界にお住みのお方です それは出来ません
養育係 わたしも同じです
秘書 でも長い間ご自身の手で育ててこられたました
養育係 育てるというよりも余計なものをひとつずつ丁寧に根気よく取り除いて差し上げてきただけのように思います すべてのプログラムの中心にあってコントロールも指令も何もしない空虚のプログラム アルファポイント六〇f 美しい一本の細い直線
秘書 もうすぐ完成ですね
養育係 いいえ アルファポイント六〇fは完成しません たぶん永遠に
秘書 どうしてすか
養育係 理事長ご自身のご希望です
秘書 ほんとうに
養育係 ええ でもわたしがアルファポイント六〇fは永遠に完成しないというのは本当はもっと別な理由
秘書 別な理由
養育係 そう あなたも考えている別な理由

 

警護員、登場。

 

秘書 理事長は
警護員 ご安心なさったんでしょう ぐっすりお休みになっていらっしゃいます
秘書 そう それは良かった
養育係 わたしたちは養育室に行きましょうか
秘書 ええ
養育係 あなたも一緒に
警護員 はい

 

養育係、秘書、警護員、退場。

 

    ダンサーたち「哭泣(ねつかひ)」

 

ダンサー1 2 己(つちのとの)酉(とりのひ) に 蘇(そ)我(がの)臣(おみ)蝦夷(えみし)等(ら) 誅(ころ)されむ と して 悉(ふつく)に 天皇(すめらみこと)記(のみふみ) 国記(くにつふみ) 珍宝(たからもの) を 焼く

 

《十三日、蘇我臣(おみ)蝦夷らは殺される前に すべての天皇(すめらみことの)記(みふみ)・国記(くにつふみ)・珍宝を焼いた》

 

ダンサー4 5 船(ふねの)史恵(ふびとゑ)尺(さか) 即(すな)ち 疾(と)く 焼かるる 国記(くにつふみ) を 取りて 中大兄(なかのおほへ) に 奉献(たてまつ)る

 

《船(ふねの)史恵(ふびとゑ)尺(さか)はそのとき素早く 焼かれる国記(くにつふみ)を取り出して中大兄(なかのおほへ)にたてまつった》≪>

 

ダンサー3 是(こ)の 日 に えみし蘇(そ)我(がの)臣(おみ)蝦夷(えみし) 及び 鞍作(くらつくり) が 屍 を 墓 に 葬(はぶ)る こと を 許す 復(また) 哭泣(ねつかひ) を 許す

 

《この日蝦夷と入(いる)鹿(か)の屍を墓に葬ることを許した また泣いて死者に仕える者を認められた》

 

エピローグ

 

わたし 土砂降りの雨 目の前で雨の雫は生き生きと休みなく飛び跳ね踊りつづけている あれはどこだったのかいまはいったいいつなのか わたしの部屋 ひとり閉じ込められたこの部屋 いつかわたしにもこの部屋を出る日がやって来る 踊ろう

 

わたし、短く踊る。

 

二〇一七年三月二〇日 (初日を五日後に控えて)/善福寺