2009年9月

9月30日

 

『ルル』づけの九月が終わる。

 

舞台稽古(HP)で本番通りの進行で全幕を通す。

 

客観的に立ち上がった二カ月近くの作業の結果を前に思うこといろいろ。

 

いつでもこの段階で演出家としての精神力が不安で大きく揺らぎそうになる。

 

自分の弱さを「誠実」やなんやかやの仮面で糊塗せずに正直に晒すこと。

 

9月29日

 

『ルル』、照明、衣装などとともに舞台と音楽との最終調整。

 

若干、進行が遅れていた照明もなんとか目途がつき、明日の午前中で全幕完成しそう。

 

びわ湖ホールの巨大な四面舞台をすべてむき出しにしたむき出しにした強引なセットプランに、齋藤さんらしい思い切った機材選択が強力な助っ人。

 

急な階段を使った歌い手たちの奈落からの出入りも、なんとか板についてきた。

 

明日のHP、三日後のGPと、本番通りのリハーサルがあと二回。

 

9月28日

 

朝、沖縄キジムナーフェスタのディレクター下山さんがホテルに来訪。

 

午後から『ルル』のオケ合わせに。

 

一階から四階まで客席を移動して音響バランスなどをチェク。

 

途中で退出し、自転車で近江大橋を渡る。

 

黄昏時の琵琶湖の抒情。

 

9月27日

 

初日を一週間後に控えて、主催者、出演者、スタッフが舞台でお祓い。

 

榊をそなえる手順を間違えて(逆まわし)、冷汗。

 

午後から夜まで、時間をかけて、場当たり、登退場、衣装早変わり、舞台転換などの確認とリハーサル。

 

合間に照明の手直しを少し。

 

ここからは時計の針が速度を増して、初日まで一気呵成。

 

9月26日

 

思い返して見ると、20日間近く東京から離れて「罐詰」状態での舞台づくりは、黒テントの「昭和三部作」初演以来のこと。

 

あの時は、名古屋の鈴蘭南座という閉鎖されていた大衆演劇の小屋に泊り込んで、新作二作の同時封切りだった。

 

日々の食費に事欠くような劇団員全員の合宿生活と、琵琶湖に面したホテル暮らしとではもちろん比べようもないが、朝から晩までただひたすらの舞台づくりの日々そのものに変わりはない。

 

贅沢といえは贅沢だが、一種「ランナーズハイ」のような高揚はちょっと危険。

 

読書、落語、洗濯……クールダウンの手だてをもっと。

 

9月25日

 

びわ湖ホール。

 

舞台では終日照明づくり。

 

午後から同時並行で、稽古場で衣装あわせ。

 

出来上がったばかりの衣装を、一点ずつ歌い手に着せて、全体のバランスを確認しながら最後の微調整をおこなう。

 

岸井さんらしい大胆な感性と職人肌の完全主義が調和した出来上がりに満足。

 

9月24日

 

『ルル』、照明シュート二日目。

 

主に装置プランナーとして、終日、立合い。

 

待機時間、楽屋で石井洋次郎『科学から空想へ-よみがえるフーリエ』(藤原書店)を読みはじめる。

 

18世紀フランスの著作家フーリエは、十代の頃その名前に出会って以来、どこか引っかかる存在だった。

 

著者の軽快な筆致に導かれての探索が楽しみ。

 

9月23日

 

劇場での仕込み、照明フォーカスと並行して、地下の稽古場で通し稽古。

 

歌い手ひとりひとりの個性が明確になり、演技の立体感が急速に見えてきた。

 

オペラというよりも演劇の稽古場といった雰囲気がうれしい。

 

歌い手には、これからオーケストラとの「音楽」の仕上げが待っている。

 

こちらは明日から、舞台面の空間と時間を決定する照明づくり。

 

9月22日

 

劇場仕込み、一日目。

 

稽古は休みだが装置プランナーとして一日劇場にこもる。

 

空き時間を利用して、ドラマトゥルクの中島さんによる字幕のチェックなど。

 

劇場技術スタッフのこころよい協力がありがたい。

 

昼からは協力助っ人、背景の松本さん(拓人)も東京から。

 

9月21日

 

『ルル』稽古、最終段階。

 

通し稽古を見ながら場面ごとのつながりに空いた穴をひとつずつ埋めていく。

 

演者へ伝える言葉の選択が難しい。

 

率直であると同時に、それぞれの個性を生かすための工夫。

 

あと、元気とか笑顔とか。

 

9月20日

 

昨日の照明Qづくりで、劇場入り前の準備作業は稽古をのぞいて一段落。

 

午前中はホテルの部屋で持ってきたCDで落語鑑賞。

 

古今亭志ん生の『名人長二』。

 

円朝作の人情噺を五夜に分けての長講。

 

噺への理解というよりは、つよい共感に裏付けられた志ん生ならではの語りを満喫。

 

9月19日

 

通し稽古終了後、今日からびわ湖入りした照明の齋藤茂男さん、その他のスタッフとともに、照明を中心にしたQあわせ。

 

オペラ演出では、打合せ前にスコアに書き込んだ演出家からのQをプランナーに渡し、そこからやり取りをはじめることにしている。

 

今日も早朝までかかったQシート(三頁)と内容メモ(五頁)を持参。

 

びわ湖技術スタッフが丁寧につくってくれた精巧な模型舞台を前に、二時間ほどかけて照明への希望を伝えていく。

 

渡した素材の齋藤流料理法が楽しみ。

 

9月18日

 

政権交代。

 

根拠となった選挙の動向と内情は、小泉郵政選挙と大差はないだろう。

 

しかし、結果としての政権(権力)の交替、移行には予想以上に大きな変化の徴候を見る。

 

少なくとも、ガーデンパーティもどきのシャンペンの乾杯からはじまった細川(殿様)政権の時とは異なる「実質」を感じる。

 

それだけにその「実質」の帰趨への不安もまた。

 

9月17日

 

ホテル住まい四日目。

 

ようやく近所に夕食用の店を見つける。

 

24時まで営業のビュッフェスタイル(ようするに昔の定食屋だな)の和食チェーン。

 

値段と米の味がまずまずなのがありがたい。

 

今夜はメインディッシュに生きのいいサンマの丸焼き。

 

9月16日

 

稽古が早めに終わり、自転車で大津の町をウォッチング。

 

旧商店街のアーケードは、八時にはほとんどシャッターをおろしていて閑散。

 

はたして昼間はどんな感じなのか。

 

趣のある古い店構えもちらほら。

 

一区画ごとに提灯を飾った家があり、十月にある大津祭りのお囃子の稽古の音が。

 

9月15日

 

びわ湖ホールでの稽古初日。

 

劇場入り早々、大ホールで映像テスト。

 

一世代前のいパニーという機材だが、奥舞台いっぱいに投影された鮮明な大画面の効果に満足。

 

その後、大ホールの実寸のとれる広い稽古場に移動。

 

なんとも贅沢な舞台づくりに感謝しつつも、昨日も書いたが、上演は一回だけという現状が。

 

9月14日

 

『ルル』、15日からびわ湖ホールに稽古場を移す。

 

準備のため、一日早く、大津のホテルへ。

 

20日間の缶詰稽古は、海外とのコラボレーションをのぞいて、はじめての経験。

 

雑音、よそ見、内職から離れての集中は、ありがたくもあり恐ろしくもあり。

 

20日後の上演は、たったの一回。

 

9月13日

 

松原泰道『釈尊の最後の旅と死』(祥伝社)を読む。

 

新国立劇場のオープニング企画で、演出の栗山民也さんから依頼されて書き下ろした音楽劇『ブッダ』の不完全燃焼がずうっとこころに引っかかっている。

 

仏跡取材のインド行きなど、意気込んで取り組んだ仕事だったが、なんといっても手塚治虫さんの原作が重かった。

 

もう一度テキスト整理をして自分の手での再演したいのだが、なかなかきっかけがつかめない。

 

決して諦めてはいないのだが。

 

9月12日

 

雨模様。

 

『ルル』、東京での稽古は残すところ二日。

 

ドイツ語能力のない演出家の凡ミスについて、演出助手の伊藤さん、ドラマトゥルクの中島さんらの助けを借りながら修正。

 

「恥ずかしながら」の気持を持ちつづけつつも、素直にどんどん作業を進める。

 

演出家から歌い手への信頼感がたより。

 

9月11日

 

午前中、座・高円寺で区との定例打ち合わせ会。

 

担当者とのあいだの良好な相互信頼とコミュニケーションはなにより。

 

役所内の定期的な人事移動とか単年度予算とかへの対応も少しずつ身についてきた。

 

ただし「慣れ」への警戒はいつも。

 

ミイラ取りがミイラになったらおしまい。

 

9月10日

 

夕方、待ち合わせで出かけた表参道でマンウォッチングを二十分ほど。

 

最近増えたテラス式のカフェではなく、久しぶりに舗道脇の手すりに腰をおろす。

 

昔ながらの欅の並木と今どきの金持ちビル。

 

それにしても男性ファッションの冴えないこと。

 

若者から年寄りまで、似合った服装には残念ながらひとりも会えず。

 

9月9日

 

『ルル』稽古、順調に進行。

 

各幕二巡目に入り、役作りに則した手直しをばさばさと。

 

この段階になると歌い手それぞれの個性と発想が何よりもの手がかり。

 

同時に演出サイドへの信頼と柔軟な対応も。

 

手応えあり。

 

9月8日

 

劇作家の鄭義信さんと久しぶりに会う。

 

今年十二月に予定している、アジア劇作家会議の招待劇作家のひとり。

 

黒テント時代からの穏やかな童顔は相変わらず。

 

以前、山高帽が似合いそうな屈託のない笑顔と紹介したことがある。

 

山高帽というインチキ臭さが、したたかでもあり、頼もしくもある。

 

9月7日

 

いくつになっても、あたらしいことに手をつけ実現していく楽しさから離れられない。

 

ただ、歳をとるにしたがって、実現への道のりを次第に長いスパンで考えるようにはなった。

 

今日か明日かというレンジではなく、この頃は、十年後、二十年後の達成を考える。

 

その分、たくさんの他人とのつながりや、確実な手渡しが必要になってくる。

 

「欲深」のひろがりははてしない。

 

9月6日

 

座・高円寺「あしたの劇場」、『旅とあいつとお姫さま』初日。

 

『化粧』に引きつづいて、今年二本目の劇場自主製作作品。

 

脚本、演出のテレーサ・ルドビコが語る通り、こころのこもった「劇場への贈り物」となった。

 

終演後のパーティに揃った出演者、スタッフたちの充実した表情がうれしい。

 

劇場のレパートリーとして、しっかりと育てていきたい。

 

9月5日

 

『ルル』関連のプレ企画出演のため、昨日、今日と、びわ湖へ一泊旅。

 

車中読書用に堀井憲一郎『落語論』(講談社現代新書)を購入。

 

前から気になっていたのだが期待に違わぬ面白さ。

 

独特の小気味のいい文章で語られる「落語=集団トリップ遊戯」論は分かりやすく説得的。

 

こんな演劇論を誰か読ませてくれないものか。

 

9月4日

 

午前中、地域創造のステージラボで講師。

 

題目は「公共劇場が担う役割、果たす使命」。

 

いつの間に認知されている「公共劇場」という言葉の行方を探る。

 

公立(設)劇場=公共劇場ではない。

 

しかし、すべての公立劇場は公共劇場でなければならない。

 

9月3日

 

九月に入って三日間、日記のアップを忘れていた。

 

自分でサイトを開いてみて、はじめて気づいたのが情けない。

 

このところ、同様の「うっかり」はそれこそ日常茶飯事。

 

脳内メモ機能の劣化は明らか。

 

……で?

 

9月2日

 

『ルル』稽古。

 

熱心な歌い手たちに助けられて全体のデッサンをほぼ終える。

 

いつものことだがここから先の十日間ほどが山場。

 

残す「線」ではなく、消す「線」の見極めが難しい。

 

理屈で演者の体は納得させられない。

 

9月1日

 

選挙後のメディアの反応がなんだか腰が座らない。

 

ふだんは歯切れのいい論客たちも、保守派、リベラル派を問わずふにゃふにゃ。

 

この日和見は「民意」とやらの巨大な日和見集積の反映なのか。

 

何も変わりはしなかった。

 

「自民」崩壊にカモフラージュされたやわらかな「自民」一党支配が着々と。