月31日

『ふたごの星』、二日目。

俳優たちが自分たちへの問いかけを保ちつづけるための即興性の重視。

理屈ではなく、舞台への立方の基本として。

そのためには俳優相互の信頼感が欠かせない。

客席と共に「遊び惚ける」一時間を目指して。


月30日

例年通り杉並区の小学校四年生全員を劇場に招待する、『ふたごの星』、初日。

開幕前、客席の子どもたちの騒めきがここちいい。

さまざま手を加えた上演への反応もよく、再演の大切さ、面白さを再確認。

朝と昼、二回(ダブルキャスト)の上演を終えて、楽屋ロビーでビールと紅茶の初日乾杯。

劇場二階のカフェレストラン「アンリ・ファーブル」から、特大のお祝いケーキの差し入れ。
 


月29日

『ふたごの星』舞台稽古、無事、終了。

鴎座第二期上演活動で、これまで積み重ねてきた舞台様式への確信、深まる。

『ピン・ポン』
 に引き続いて、子ども中心の観客席にこの舞台を届けられる幸福を思う。

重森、久保、北村、服部、山本と、出演者すべてが、黒テント、大学、アカデミーの協働者であるのも嬉しい。

あと九時間(30日午前10時半)で、初日の幕が開く。


月28日

山上たつひこ『中春こまわり君』(小学館)。

2004年~2008年にビッグコミックに不定期連載された旧作。

今年春、座・高円寺の古本市で購入した。

このところすっかりご無沙汰のマンガ読みだが、途中、何度も声をあげて笑ったのには、自分でもびっくり。

往年の少年警官からのエネルギー注入に素直に感謝。


月27日

『ふたごの星』、劇場仕込み日。

作業の進行にあわせて必要な決め事に立ち会い、待ち時間は事務所で打ち合わせ。

『ピン・ポン』秋の旅公演スタッフ会議、十二月の共同作業準備のため南京に打ち合わせに行っていたスタッフからの報告など。

その後、PC画面と手帳を付き合わせながら、二時間ほどかけて錯綜する九月→十二月のスケジュールを整理する。

今年のお正月は、おそらく南京でお屠蘇(あるかな?)。


月26日

『ふたごの星』、ダブルキャストをそれぞれの通し稽古を一回ずつ。

けいこ場を打ち上げ、明日から劇場入り。

地下三階から地上一階への移動。

劇場でつくり、劇場で上演する。

この「あたり前」がすべての劇場のあたり前になるためには、まだまだ時の積み重ねが。


月25日

『ふたごの星』2012年版、通し稽古。

よりシンプルに、より分かりやすく、よりひろがりをもたせて┄┄

2011年版からは大幅な改訂となったが、意図はどうやらかたちになりそう。

子ども向き、大人向きという腑分けではなく、いま、演劇のはたすべき役割、はたせるかも知れない役割を真正面からとらえ、実現する。

作業は困難で、ゆえに面白く、楽しい。


月24日

原発推進派と目される人びとが、ただ原発をとめられない人びとだったとしたら?

もしかしたら、本心ではとめたいと思っているかも知れないのに、原発をとめる力などどこにも持っていない人びとだったとしたら?

力を持たないのを認めたくないだけの人びとだったとしたら?

認めていいとさえ思っているのに、それすら出来ずに押し流されてしまっている人びとだったとしたら?

嘘と詭弁と脅しを繰り返しながら┄┄


月23日

啓子とふたりで祝った朝食からはじまった贅沢な誕生日体験。

ソシアルネットワーク(FB)を通して、一日中、たくさんの「友だち」からのメッセージ。

「おめでとう」に添えられたそれぞれの声が嬉しい。

稽古場では「お疲れさま」と同時に、びっくりするほど大きなサプライズケーキ登場。
 

出演者や大勢の劇場スタッフに囲まれて、六十代最後の一年へ。


月22日

『ふたごの星』2012年バージョン、新しい映像(飯名尚人さん)のパイロット版試写もあり、一気に作業佳境。

俳優たちの自由な創造性による日々の変化を、稽古場というよりは、上演の場でこそ実現するためのアンサンブルづくり。

俳優相互の基礎的な信頼感の上に展開する内容あるバトルの真剣さを、観客席への何よりものメッセージとしたい。

目の色を変えた遊びの時間。

演出の立ち位置は、中央レフリーではなく、リングサイドのセコンドポジションに。


月21日

間もなく、60代最後の一年がはじまる。

予感している「大転換」への準備の一年となるか。

はっきりとは何もわからない。

「大転換」が意味するものも。

でも、それは確実に、しかも自然に訪れるような気が日増しに強くなる。


月20日

『ふたごの星』稽古始まる。

とりあえず、俳優たちによる三日間の事前稽古の成果を確認。

去年の上演の骸骨、というか俳優たちの演技の基本的なよりどころがくっきりと浮かび上がる。

演出者による不的確な介入の手跡も、そこかしこに。

あしたから九日間、充実、かつ楽しい稽古場を念じる。


月19日

明日からの『ふたごの星』稽古開始にそなえて、終日、バタバタと自宅作業。

昨夜書き出したメモには、デスクワークを含めて十項目。

ひとつ片づけるごとに、赤鉛筆でぐいっと線を引くいつものやり方で、午後六時、完遂。

やれば出来る、と、ほっと一息。

毎度おなじみ┄┄喉元過ぎれば、云々だな。


月18日

劇場では、昨日から俳優たちが集まって『ふたごの星』の稽古が始まっているはず。

再演作品の思い出し稽古ということもあるが、稽古のスタートはまず俳優たちだけで、というのがこのところの流儀。

昨年からの能、昆劇交流プロジェクトでの日中の古典劇の俳優たちとの協働から学んだ影響もある。

徹底して「見る」、できる限り「ただ見るだけ」という演出。

その昔、テント活動をはじめたばかりの頃は、「まだ、演出に見せる段階じゃないから」と、しょっちゅう俳優たちに稽古場から締め出されていたっけ。


月17日

首相官邸周辺からはじまった金曜日の「反原発」抗議行動が、全国的なひろがりを見せているという。

「誰かのために」や「誰かの代わりに」ではなく、参加者ひとりとひり、自分自身のための行動として成長、深化してほしい。

やむにやまれない、わたしの「思い」)の持続こそ(だけ)が必要なのだ。

正当化のためのいたずらな理屈、論理は落し穴。

かつて、全共闘が「全国全共闘」という鵺的組織に巨大化したその場に、「唯銃主義」を掲げた怪物が登場したことを忘れてはいけない。


月16日

秋、『ふたごの星』『霊戯』、年末には能、昆劇プロジェクト第二弾。

明日から再開する濃密な劇場での日々。

肩の力を抜き、淡々と、そこに居られればと思う。

理屈を捨てること。

しかし、ねばりづよく考えつづけること。


月15日

世阿弥資料を濫読。

小説、評伝、研究書と読み重ねていると、演劇としての能がふいに身近に、生々しく感じられる瞬間がある。

そして、遠のく。

以前よりもさらに彼方に。

面白い。


月14日

伊豆八幡野港の花火見物。

ここの花火は打ち上げの数こそそんなに多くないものの、間近で見物できるのがいい。

轟音とともに、漁港に寝そべった顔の上に火の粉が降りかかってきそうな迫力。

今年は開催二十周年記念のご祝儀か、グランドフィナーレの乱れうちが例年にない玉数だった。

二時間前からの席取り、花火四十分、帰りがけの駐車場から道路への渋滞一時間、恒例の夏イベントを終える。


月13日

旧盆。

今年は棚飾りをして、夕方に迎え火を焚く。

先に逝った人びととのつながりというよりは、自分の中に生き続ける人びとの対話。

近しい肉親、友人とのそれを通して、「死」というもう一つの生の意味が少しだけ自分に近づく。

体感する「いま」という時の奇跡。


月12日

朝、注文していた無線ラン子機が到着。

ちょいと面倒なセットアップもどうやらクリア。

ようやく、ネット環境が整う。

スマートフォンの小型画面はメール連絡でもいささか難儀。

さて、とりあえず、ためていた「五柳五行」の更新から。


月11日

テキストいじり二日目。

何度目かの行ったりきたりで、読み込みが深まるにつれ、次第にキーボードを叩く手が重くなってくる。

言葉との格闘の泥沼。

頭を整理するために、作業中のデータをプリントアウトする。

メモを採りながら、再読、再々読。


月10日

終日、デスクに向かい、宿題をもうひとつ。

劇場レパートリー候補作として委嘱した作品の初校に、直接赤を入れて「提案稿」をつくる作業。

故意ゆえか無意識ゆえか、魅力的な超錯乱テキストには、きいたふうな理屈やドラマツルギーでの対応でもなかろうという判断。

久しぶりの、本格的なせりふ書きの面白さ。

脳内劇場に、イメージキャストした俳優たちの賑やかな声が。


月9日

長崎、原爆忌。

このところ肌で感じている大きな時代の転換期に、若い頃のテーマだった原爆のゼロ時がふたたび浮かびあがってきそうな気配。

もう一度、言葉を探さなければと思う。

探すだけではなく、つくらなければ。

そして紡がなければ。


月8日

山籠もり一日目。

PC作業はしばらくおあずけ。

宿題の読書を集中的に。

構想中の「世阿弥-佐渡-朱鷺」三題噺の資料読み。

縁遠かった「中世」世界へそろり。


月7日

一件仕事を片づけたあと、夕方に東京を発ち、恒例の山籠もり。

大動脈乖離の発作以来、夏休みというよりは、体力維持のための強制休養期間。

とはいえ、抱え込んだ宿題もいくつか。

到着後、持参のPCをひらいて……しまった!

旧型のこの機種には無線機能が非搭載……ネット接続が出来ないよう。


月6日

67回目の広島、原爆忌。

反原発の根拠はこの日にある。

電力供給や経済発展への論議の誘導は目くらましに過ぎない。

オスプレイの問題も機体の安全性にあるのではない。

オスプレイなる兵器の本質をとらえなければ。


8月5日

座・高円寺。

ツペラツペラの亀山さん、ゼペットの福田さんと、20日から稽古のはじまる『ふたごの星』の小道具打ち合わせ。

明日は『霊戯』出演者、スタッフとの打ち合わせも。

夏休み前に、秋から冬にかけての準備。

劇場という本拠地の営みを着実に。


月4日

昨日、コザから那覇に移動。

黒テントの仲間で、そのあと長い間、スタッフ集団「ストーリー・レーン」で一緒に仕事をした伊波雅子さんと夕食。

穏やかにして辛辣な相変わらずの舌鋒にふれ、こころよいひと時を過ごす。

那覇泊。

通りかかったホテルのラウンジで、センスのいいピアノとベースのデュオに誘われて、啓子と深夜コーヒー。


月3日

シンポジウム「乳幼児のための舞台(ベビードラマ)の現状と役割に出席。

昨夜の打ち合わせで、出席者のアリチアさん(ポーランド)から、「ベビードラマ」なる呼び方の発祥はフィンランドだと知る。

三歳以下の、生まれたての赤ちゃんを含む、幼児対象の演劇。

座・高円寺の「世界を見よう!」でもいくつか紹介してきたが、近年、にわかに注目をあびている分野。

ぼく自身は、新分野というよりは、劇場や演劇の「原点回帰」へのきっかけとして注目。


月2日

フェスタ参加作品、集中鑑賞日。

朝十時にホテルを出て、昨晩、チェックしておいた四会場をまわる。

海辺で拾った小石を使いながら小さな物語を語る『ストーン』(エルロメ・ディブクサット劇団/スペイン)に共感。

子どもたちへの丁寧な語りかけと、細かく、かつ単純な仕掛けの面白さ。

夜、明日のシンポジウムの打ち合わせ(啓子は五本目の演目へ)。


月1日

キジムナーフェスタ、休養日。

午後から、啓子とフェスタ参加者のビーチパーティ会場、北谷(チャタン)のサンセットビーチへ。

生憎の曇り空だったが、食べ放題のバーベキューを海辺のベンチで。

その後、隣接するアメリカ村を散策。

高円寺への土産用小物、島草履(真っ黒なゴム草履)など、息抜きショッピング。