5月31日

移動の車中でiPHON読書。

青空文庫でチェコの作家K..チャペックの戯曲『ロボット』。

若い頃、一度、読んだ経験のある世界的な名作だが、あらためてその新鮮さに驚く。

内容はもちろん、戯曲展開の小気味のいいテンポ感がいい。

隙と無駄のない、見事な構成と文体。


5月30日

盛岡市玉山区の中学生400人ほどを前に、リーディング『走れメロス』、無事、終了。

昨日、今日の午前中と舞台稽古を重ね、出演者たちも落着いて舞台を楽しんでいた。

会場の姫神ホールは、真正面に岩手山をのぞむのどかな田園風景の中にある。

上演前の昼食をとろうと、道路を隔てた全国展開の大型商業施設へ。

広々とした施設の、あたりの風景からは予想していなかった人の賑わいにちょっと驚く。


5月29日

福岡空港から、100人乗りの小型ジェト機で花巻へ。

東北本線からいわて銀河鉄道に乗り継いで渋民の姫神ホールまで。

明日上演する、リーディング『走れメロス』の照明あわせと舞台稽古。

アカデミー修了生相手だと、演出家というよりも、よかれ悪しかれ身内のおじさん感覚になってしまうのがいささかね。

盛岡市文化財団の川村専務理事はじめ、旧知の新沼さんなどが舞台稽古を観劇。


5月28日

久留米市へ。

快晴、日中は摂氏30度。

さすがは九州。

久留米通いは、まだまだつづく。

七月、八月は覚悟が必要。


5月27日

太宰治『走れメロス』リーディング、稽古最終日。

劇場創造アカデミーⅠ、Ⅱ期生によるこの小さな一歩は、しかし、もしかしたら将来の座・高円寺companyに繋がるかも知れない大切な一歩でもある。

尼崎のピッコロシアターの先行例を除いて、二年間の養成プログラムから、実際の上演活動は公共劇場ではまだまだ未開拓なこころみ。

出来上がった作品を、福島の中学生がどのように迎えてくれるか。

30日の上演が待ち遠しいような、怖いような。


5月26日

渋谷エッジで、鴎座フリンジ、サラ・ケイン『洗い清められ』初日マチネー観劇。

川口智子(演出)と辻田暁(振付)の三年間にわたる共同作業の一応の終着点。

ふたりと行を共にしたパフォーマーたちの意欲的な取組みが、緊張感のある一時間を支えた。

終わって、ポストトークに出演。

相変わらずの朦朧話のお粗末。


5月25日

アカデミーⅣ期生授業。

教材はソフォクレス、シェイクスピアのモノローグ。

新学期がはじまってまだ四回目だが、クラスの雰囲気がしっかりと出来上がり、満足のいく発表がつづいた。

今年は演出コースにあたらしい世代の日本演劇に関心を寄せるアメリカからの女の子がひとり。

彼女の演技を通して、ギリシア劇の翻訳文体がみごと再現されたのが面白かった。


5月24日

劇場から帰宅途中、古今亭志ん朝『稽古屋』を聞く。

下座の三味線をバックに、町内のお師匠さんが、子ども相手に踊りの稽古をつける様子が聞きどころ(見どころ)の毛色の変わった噺。

若い頃の小朝が得意にして、器用に演じていたのを思い出す。

録音当時の志ん朝も、後年の艶とは違った張りのある若々しい声で懐かしい。

ともすれば芸を見せつける厭味になるところを、ごく自然に、しかもたっぷりと演じて楽しませる志ん朝ならではの一席だった。


5月23日

演劇よ死ぬな! われわはお前が必要だ。

かつて(1979年)、黒テントの公演『ブランキ殺し・上海の春』のポスター用にものしたキャッチコピーである。

「死ぬな!」と呼びかけた「演劇」も、「必要だ」と力んだ「われわれ」も、はて、いまはどこに在る?

どこにもない、もともとない。

ただひたすらの妄想力よ、再び。


5月22日

『走れメロス』、稽古。

30日に福島で上演する座・高円寺発のリーディング作品。

出演者は去年と今年アカデミーを修了した三人。

ささやかな試みだが、成功すれば、その先の可能性は大きい。

あと一週間、きちんと手順を踏んだプロの作業を目指して。


5月21日

悲観的だった天気予報が多少はずれて、今朝の金環日食は大勢の人たちが目撃したようだ。

ツイッターやフェイスブックには、小さな金の指輪のような写真が飛び交っている。

その昔、日食は多くの人びとが恐れる凶兆だった。

いまは流れ星の願掛けほどではないものの、その下での結婚式をたくらんだカップルまでいたらしい。

津波、竜巻、金環食……とはならないところに、あくまでも自分本位な近代の自然観がある。


5月20日

明日から二週間、リーディングの稽古その他で休日なし。

というわけで、今日一日は完全休日。

やわらかな陽差しに誘われて新宿へ。

歩行者天国の大通りや横道を気儘に散策。

かねてからの指定場所のいくつかに立ち止まり、趣味のマンウォッチング。


5月19日

自宅で台本書き。

座・高円寺が製作するあたらしいリーディング・シリーズの構成。

太宰治の『走れメロス』を、アカデミーⅠ期生佐々木琢君と共同で。

放送作家時代を思い出しながらのアンカー作業。

物書き気分をちょっぴり楽しむ。


5月18日

このところ、暇があると志ん朝を聞いている。

志ん生の噺を聞くたびに、演者の「落語好き」の奥深さを思い知らされるが、志ん朝の場合は少し違う。

志ん朝という噺家にとって、「落語に描かれた世界」の仮構こそが、彼自身が生きられる場所、生涯の居場所そのものだったのではないか。

志ん朝が語る「落語に描かれた世界」に生きる人物たちの躍動感は、単なる演出や技術、あるいは落語「論」や落語への「思い」のようなものでは
とうていかたちにならない。

一方で、現実世界へ向けられた、どこか投げやりな、彼のくらい眼差し。


5月17日

アカデミーの授業日。

たくさんの伝えたいこと。

言葉の限界。

論理の限界。

それでも恐れずに、ぶざまに、誠実に間違って見せること。


5月16日

どこに劇場があるのか。

どこに演劇があるのか。

劇場もある。

演劇もある。

にもかかわらず、今日もまた、問いかけずにはいられない。


5月15日

三月から月二回ベース、二日間の久留米での作業がつづく。

四十年前、黒テント上演で訪れた頃の町の記憶が次第によみがえってくる。

二十代の好奇心がとらえた町の個性。

よその者だからこそ懐かしく思うその面影は、当然のことだが、いまや風前の灯火。

全国どこへ行っても同じような顔つきで国道沿いに連なる、大規模商業施設の味気ない賑わい。


5月14日

九州、久留米市へ出張。

行きがけ、羽田行きのモノレールの先頭車両で久しぶりの運転席ウォッチ。

この路線がワンマン運行になってからは、はじめて。

傍らに指導員が同乗した新人研修のせいもあるが、あらためて、ワンマン運転の作業量に驚く。

三面モニターを通した乗降確認、あわせて、注意喚起の駅アナまでもが運転士の業務。


5月13日

終日、自宅作業。

明日からの久留米行きの資料づくり、五月、六月のスケジュール整理、その他。

傍らのメモ用紙の箇条書きを順番に赤鉛筆の線で消していくスタイルで、がしがし、かつ黙々と片づけていく。

風邪ひきの家人の世話などをはさみながら、夜半、とりあえず予定分終了。

毎度のことながら、赤鉛筆効果(一本線を引く時、実に気分がいい)、絶大。


5月12日

五月の下旬から、さまざま稽古が始まる。

八月の夏休みまで、おそらく一気呵成だろう。

子どもたちに届けるための三作。

うち二作は再演だが、もちろん作り替えいろいろ。

背骨をしゃんとして、プランづくりへ。


5月11日

穏やかな日。

短い原稿書きなど断片的な仕事がいくつか。

こういう時は返って作業ペースが難しい。

たかをくくってちょっと油断していると、たちまち塵も積もればの状態に。

こつこつと゛、根気よく片づけていかなければならないのは、わかっているだが……


5月10日

帰宅前、高円寺南口「ネルケン」で読書。

知る人ぞ知る老舗の名曲喫茶。

扉を開けると、ほの暗い空間に半世紀前の時間がごく自然に流れている。

南口長仙寺門前は、「ネルケン」もそうだが、なんとなく広場的な独特の雰囲気。

たぶん劇場にもよく似合いそうな。


5月9日

体調、鼻の奥の違和感を残してなんとか平常に。

自宅作業日。

午前中、細々とした事務仕事、いろいろ。

午後、未見だったロウ・イエ『天安門、恋人たち』をDVDで。

確信犯的作品だが、共感は出来なかった。


5月8日

京劇俳優、張春祥さんと面談。

張さんは、1980年代後半に来日、日本国籍を取得、新潮劇団を立ち上げて独自の京劇上演活動をつづけている。

異なる文化の下で、自ら学んだ伝統演劇の活動を持続するためには、張さん自身、そしてご家族の努力はいかばかりか。

決して恵まれているとは言い難い環境下での、張さんの俳優としてのぎりぎりの矜持。


「演劇」という名の魔性の炎の揺らめき。


5月7日

定期検査日。

電動自転車で近所のO病院へ。

血管のエコー検査、血液、尿検査、心電図など、待ち時間を含めて三時間ほど。

三年前の大動脈解離発作、入院一カ月当時からくらべれば、最近は、確実に「喉元過ぎれば」状態の毎日。

完全な復調ではなく、一日十粒のケミカルに支えられた小康状態であるのを忘れずに。


5月6日

終日、自宅。

病み上がりの体を慎重に慣らし運転。

節々の痛みはなくなったが、まだ、どことなく反応がよそよそしい。

昼過ぎ、自転車で西荻窪駅まで。

連休中食べ損なった、蕎麦をたぐる。


5月5日

原発稼働ゼロ。

とにもかくにも、福島クライシスのひとつの帰結。

この受動的成果から積極的な意味を生み出していくためには、何が必要なのか。

1987年に俳優座劇場で上演した『天使にさよなら』を思い出す。

G・ヴァイゼルボルン『天使が二人天降る』から潤色、爆発事故を起こした原子炉周辺で監視活動をつづけるレプリカントの物語だった。


5月4日

なんとか床を離れる。

ただし、貧血、悪寒、脂汗と体調は完全復調の数歩手前。

それでも、陽にきらめく若葉
は目にやさしく、野鳥のさえずりは耳にここちいい。

酸素の多い高原の空気と睡眠。

ケミカルの助けを借りずに、なんとか連休明けには復調を。


5月3日

この二日間、昼に夜に、不思議な夢を見つづける。

目を覚ますたびに、「あ、夢か」とほっとした気分になるのだから、まあ、悪夢の類と言ってよろしい。

しかし、厭ではない。

というか、愉しく、興味深い。

「さて、次はどんな迷路に」と、期待をこめて、ふたたびうつらうつら。


5月2日

風邪。

高熱。

うーん、いささか疲れ気味ではあったからな。

水を絞った手拭いを額に、終日、ベットの中。

ま、これも連休といえば連休。


5月1日

五月を機会に、日誌を「五柳五行」スタイルに。

最近はじめたFacebook(Timeline)とHPをどのように使い分けていくのか。

とりあえず、重くて湿った「私」幻想からの解放。

人と人とが直接出会い、声と体を使って触れ合う劇場、演劇への可能性を探って。

仮象劇団「鴎座」の試行をいま少し。