9月30日

「嘘をつかないよう黙っていても、その沈黙が大嘘になる」

「ふうん、そうなんだ」

「なんて、嘘」

「あ?」

「ああ、一度でいい、ほんとうの嘘がつければ……」


9月29日

見慣れた背中を、見間違うことは、まあ、ない。

行き先だって、大体の見当はついている。

迂闊なあいつだ、気づきはしないだろう。

鼻唄まじり、遊び半分。

自分で自分を尾行し続けた一日。


9月28日

吾輩がペラ、ペラ、ペラと話す。

みんながフン、フン、フンと聞いている。

何度かウフフと笑ったりもする。

本日の日替わり定食、「豚肉とキノコの和風カレー煮込み」。

吾輩の話は、日替わり定食についてはひと言もふれない。


9月27日

神楽坂へ。

黒テントアクターズワークョップの授業。

今年は参加者は少ないが、ひとりひとりの出自と個性が面白い。

全員の自己紹介を聞いているうちに、予定していた授業内容をマイナーチェンジ。

「演劇の現在」は、たしかに大きな曲がり角。


9月26日

前夜、春日井から栃木の那須塩原へ。

西から東への移動中、途中、東京駅での乗り換えが、ちょっと奇妙な感じ。

会場の三島ホールは、塩原三島の旧開拓地に立てられた、デザインの美しい小ぶりなホール。

五百の客席がすべて埋まったうれしい千穐楽。

わずか二日間だったが、ホール周辺の散策をふくめて、旅公演の収穫は多い。


9月25日

『ジョルジュ』、旅公演。

愛知県、春日井市民会館。

古いホールだが、スタッフの雰囲気や事業への取り組み姿勢が★★★★★。

大上段の「劇場法」や高邁な抽象論もいいが、こうした地道な活動をどうやったら積極的に評価し、次のステップへつなげられるのか。

難しい宿題とともに、ぽんと背中を押された感じ。


9月24日

昨日から、急激な気温降下。

一気に十度という落差は、「季節の変わり目」という風情を身も蓋もなく吹き飛ばす。

突然、「ほら秋」と言われてもねえ。

沖縄検察、中国人船長の釈放。

小沢秘書の疑惑否定報道などなどとも併せて、一体、どこで何が起きているのか。


9月23日

座・高円寺。

週一回の全体ミーティング終了後、『ジョルジュ』最終日(マチネ)観劇。

三年間の再演を重ね、劇場レパートリーのひとつとしてとして定着した。

その後、来春、Ⅰ期生を送り出すアカデミー関連の事務作業、木野花さん指導による演技実習『赤鬼』の見学、など。

来年度から、いよいよコミュニティシアターへの第二ステップへ。


9月22日

昼、神楽坂へ。

黒テント『うたうワーニャ叔父さん』、ダブルキャストBを観劇。

終わって座・高円寺。

『ジョルジュ』ソワレを見たあとデスクへ戻り、事務仕事を少し。

頭には、終始、問いかけが……さあ、どこへ?


9月21日

座・高円寺、マチネ。

ピアノと物語『ジョルジュ』初日。

上演のたびに思うのだが、ピアノのライブ演奏が再現するショパンの現実感が印象的。

まるで、ショパンその人がそこにいるよう。

音の世界の面白さ。


9月20日

中国との雲行きがなにやら怪しい。

予兆はあった。

十日前の上海滞在時、TVのトップニュースは連日、今回の尖閣近海での漁船船長逮捕問題だった。

帰国後、この件についての日中の温度差が気になってはいたのだが。

中国側の周到な計算と準備(おそらく)が、ちょっと不安。


9月19日

朝、PCセットアップつづき。

用途をしぼって、なるくシンプルな使い勝手を目指す。

何年たってもPCビギナーは変わらず、油断しているとアレーと落とし穴に。

理屈がなにもわかっていないのだから慎重の上にも慎重に。

困った時のリカバリとは言ってもね。


9月18日

『ジョルジュ』稽古までの数時間、半ば衝動買いの親指シフトキーボード付ノートPCを開封。

Macの洗練と違ってごたごたと機能山盛りの上に整理の悪Windows系は、セットアップに手がかかる。

まずはひとまわり図体が大きくなった機体の調査。

マルチベイ、USB接続の個数、位置などを確認後、セットアップ開始。

あっと言う間に三時間経過。


9月17日

元さん、告別式。

昨夜に引続き、大勢の懐かしい顔に出会う。

それぞれの元さん、そういうものなのだなー……

終わって、劇場。

ピアノと物語『ジョルジュ』の稽古はじまる。


9月16日

小雨模様。

座・高円寺、アカデミーⅠ期生演劇ゼミ授業のあと、神楽坂へ。

黒テント、『歌うワーニャ伯父さん』初日。

終演後、信濃町千日会堂へ。

山元清多、通夜。


9月15日

午前中、座・高円寺で会議。

午後は両国(シアターX/俳優座)、夜は池袋(あうるすぽっと/燐光群)と、久しぶりの劇場巡り。

上演内容に関係なく、劇場はしごの心身への負担は相当なもの。

連日これをつづけているのだろう、演劇ジャーナリストや評論家諸氏には、あらためて「ご苦労さま」。

まったく関係ないけど、昨日の深夜に見た、チャック・ベリー八十一歳のライブには痺れた。


9月14日

一週間ぶりの座・高円寺。

アカデミーⅠ期生の授業、エドワード・ボンド『戦争戯曲集(仮題)』の翻訳をお願いしている近藤弘幸さんとの打合せ、などなど。

その他、カフェで早稲田大学の岡室美奈子さんと偶然遭遇。

『旅とあいつとお姫さま』ソワレ(一般公演)観劇のため来館の由。

これ幸と、お願いごと、相談ごと、いろいろ。


9月13日

昼過ぎ、元さん宅を弔問。

二時間ほど、パートナーの稲葉良子さんの話を聞きながら、彼のそばでゆっくりとした時を過ごす。

不思議なほど、明るく穏やかな時の流れだった。

元さんはそういう人だったとまとめたくない。

問わず語らず、ふたりだけの交流だって許されていい。


9月12日

68年の演劇センター立ち上げ以来の仲間、劇作家の山元清多、亡くなる。

発すべき言葉もない。

ま、今は言葉なんてどうでもいいか。

元さんならではのすっきりとした思い出は数えきれず。

また、一緒に遊ぶよ、きっと。


9月11日

一日休養のおかげで、体調快復。

早起きして、朝食のあと、出発時間までホテル周辺を散歩。

近所にある孫中山故居を見学。

今年の春に見学した周恩来旧居と比較したりしながら、思うこといろいろ。

どういうわけか、上海、わが青春の町……なのだ。


9月10日

昨夜、夜半から体調不調、発熱。

大事をとって、ホテルで休養する。

冷蔵庫で冷やしたタオルを額にのせ、高宮さん差し入れのオレンジジュースを飲みながら、終日、ベッドでうつらうつら。

TVからの甲高い京劇の歌声と銅鑼の音が、夢魔の幻聴のように。

幸い大事に至たらず、夜にはなんとか平熱に。


9月9日

昨日、今日と、上演中のプレ、メインショーのチェック。

会期の三分の二を終えた出演者へ、激励レターを渡す。

一日三十六回上演という過酷な日程。

プレショーMC12名、メインショー出演の昆劇院12名、小紅花団の子どもたち12名にとにかく感謝。

夕方から、同行の高宮知数さんと、中国国家館を見学。


9月8日

昼、上海着。

宿の部屋で荷ほどき。

PC用電源コードの入れ忘れに気づく。

ここは思い切ってと、ノートPCは元のスーツケースに逆戻り。

メールチェクは会場の借り物PCで。


9月7日

明日からの上海行きと、今日で帰国するテレーサのための土産物を買いに吉祥寺まで。

買い物は狙いの店で三十分ほどですませ、座・高円寺へ。

招待した小学生と一緒に、『旅とあいつとお姫さま』のマチネを観劇。

入場前に配られて入り口でもぎってもらったなんということのない切符の半券が、子どもたちには結構大切なお土産になっているのを確認してにやり。

終演後、今日観劇の二校の校長先生と挨拶。


9月6日

『霊戯』project、『戦戯』project、そして『演戯』project。

「鴎座」を中心に構想している、来年度からの作業計画。

郭宝崑、エドワード・ボンド、新作書き下ろし。

目標は定まった。

もしかしたら最終地までは無理としても、辿りつけるところまで、立ち止まらずに歩みつづけてみよう。


9月5日

終日、自宅。

メモ紙を横に置いて淡々と作業。

ひとつ片づけるごとに、メモの上にぐいと引く赤鉛筆の線が快感。

本日は七本ぐいっで完全終了。

明日は六本ぐいっといきたいのだけど。


9月4日

夕方、流山児事務所『桜の園』(千葉哲也演出)観劇のため池袋へ。

新宿、渋谷とはひと味違う盛り場、池袋。

劇場(あうるすぽっと)がある東側は、なんとういうか、上京組の学生が集う繁華街。

なべて安価で泥臭い。

で、そこが魅力といえば魅力。


9月3日

アカデミーⅠ期生の自主研究発表会を見る。

修了後、昨日のチェックした別な一組の自主活動とあわせてコメントする。

来年三月の修了発表に向けてⅠ期生もそろそろ正念場。

現実の芝居づくりに取り組むまでに、劇場や演劇への「思い」をどれだけ共有出来るか。

そう、問われているのは研修生ではなく、われわれカリキュラム・ディレクターの側なのだ。


9月2日

昨日に引続き、劇場関連のミーティング、いろいろ。

ダンサー田中泯さんとの「劇場のいま」についての会話が楽しかった。

合間にテレーサ・ルドヴィコ演出の『旅とあいつとお姫さま』舞台稽古を観る。

一時間という上演時間のスピード感、凝縮力にあらためて感嘆。

次の劇場制作作品のハードルは高い。


9月1日

杉並区文化協会に六時間。

助成金審査と役員会。

亡くなった太田省吾さんはこの類の勤めを、「学級委員」だったか「掃除当番」だったかの比喩で表現していた。

以前はぼく自身もそうだったのだが、住民税を納めているせいもあってか、杉並区での場合は少し違う。

もっと身近なというか、自分にとっての当然の仕事のような、というか。