5月31日

あっと言う間に五月が過ぎた。上海から東京に帰って三週間。秋葉原の病院を退院して半年。この二週間は、毎朝、難行中の原稿をパソコンの画面に立ち上げては、理屈をつけて書斎から逃亡。本日は、昼食後、自転車で床屋。いつもの五分刈りで頭部冷却。

5月30日

ポアンカレ予想を解いたペレルマンの評伝。『完全なる証明』(マーシャ・ガッセン/文藝春秋)。旧ソビエト数学エリート教育とユダヤ人という背景から、ついにに面会叶わなかった対象の全体像が鮮明に浮かび上がる。同境遇にあった著者の真摯な手際が胸をうつ。

5月29日

『ピン・ポン』、顔合わせ。三年間つづけてきた、沖縄キジムナー・フェスタとの共同作業のあたらしいステップ。今回は絵本作家のツペラツペラに仲間に入ってもらって、演劇でもダンスでもない「動く絵本」を目指す。断片的なイメージメモをたよりに、さて出かけよう。

5月28日

終日、自宅。大工作業(帽子掛け、その他)など、雑事いろいろ。先日齋藤憐さんとも笑いあったが、難行している原稿を抱えているときに限って些細な身辺作業にまめになる。安い買い物をするために自転車でわざわざ東中野まで(憐さん)とか。つまり、今日がそう。

5月27日

開幕して早くも四週間。当たり前の話だが、東京に戻ってからも上海が気になって仕方がない。なにをしていても、いまこの瞬間、パフォーマンスを演じている昆劇院の俳優や子どもたちの姿が思い浮かぶ。10月末の閉幕まで、もどかしい二重時間がつづきそう。

5月26日

アカデミー授業。今日只今、なんらかの意味で演劇を目標としている若い世代と触れ合いながら、自分自身の演劇への衝動をたしかめ直す日々。おそらくぼく自身には、実践としての演劇の可能性はもうほとんど残されていないはず。それゆえにこそ、まだどこへ?

5月25日

前掲書にある「プラシーボ効果」の章は興味深かった。よく知られている偽薬効果は、脳内現象として実際に発生し、実験的実証もあるが、実体はまったく不明。昨年末、重篤時幻想にあった、かならず快復という確信と主治医への創作的信頼感も、もしかしたら。

5月24日

『まだ科学で解けない13の謎』(草思社)。著者マイケル・ダグラスは量子物理出身のアメリカの科学ジャーナリスト。科学雑誌のコラムのような軽妙な語り口で、自然科学界のパラダイムチェンジの可能性について説く。確かなことはなにもない、というオポチュニズム。

5月23日

座・高円寺。劇場では劇作家協会主催の「井上ひさしさんを語りつぐ会」、ほとんど同時並行で「播磨靖夫さんの芸術選奨受賞をお祝いする会 (東京編)」がカフェで。「お祝いの会」では立教大学の中村先生をまじえ播磨さんと鼎談。爽やかな思考の微風を浴びる。

5月22日

せんがわ劇場。黒テント『パビリオン』初日(マチネ)観劇。セルビアの劇作家ミレナ・マルコビッチ(74年生まれ)の処女作。10年前、黒テントで半年研修したジョルジュ・マリアノヴィッチの演出。久びさに才能ゆたかな演出家との出会いで、俳優たちの演技が生き生き。

5月21日

陽ざしの強い夏日。気温が30度近くまで上昇し、一日中Tシャツで過ごす。ただし、湿度は低く、吹く風も意外に涼やかで気持ちがいい。座・高円寺と自宅とそれぞれ段取りよく仕事が進んだのは多分そのせい。自分もまた、大いなる自然の一部という思いひとしお。

5月20日

雨模様。雫に濡れた旺盛な五月の緑が目に嬉しい。それにしても今年は、途中、上海長期滞在をはさんだせいもあって、季節のめりはりがどこかぎくしゃくしている。梅、桜が入り交じり、若葉も一斉にというより、まばらだったような。四季のめぐりの贅沢はいつまで。

5月19日

新聞に「隠居大学」の記事。どうせどこかのこすっからい商売人が考えた老人文化人販売企画とは思うが、それにしても。隠居と大学のミスマッチがなんともいかがわしく薄汚い。隠居はほんらい個人の選択ではなく、社会のシステム。と、せめてもの生硬な反論を。

5月18日

自宅で原稿書き。行きつ戻りつの逡巡で一日が終わる。書きたい内容はおぼろげながら見えているが、肝腎の文体探しが藪の中。凝った文章が書きたいわけではない。飾りの無い素直な表現が望みだが、出てくる言葉は歪みだらけ。錆びた頭に潤滑油はどこ?

5月17日

午前中、文化庁。座・高円寺の助成金についての確認事項いろいろ。昼食に寄った新宿で、末広亭中席昼の部、喬太郎、喜多八、権太楼という顔付けを見つけて、チケット売り場に直行。八分の入りの場内、下手側の桟敷席に陣取って三時間。大満足の寄り道。

5月16日

作品集が企画されている作曲家柴田南雄さんについて、合唱指揮者田中信昭さんとの古い対談を校正する。自らシアターピースと名付けられた一連の作品を通しての柴田さんとの出会いと信昭さんとの共同作業は、ぼくのキャリアの中でも最も大切なときのひとつ。

5月15日

木々の緑の勢いがいい。見るからに「美味そうな」紫陽花の若葉に早速虫食いのあと。近所のホームセンターで殺虫剤を購入。小鳥に餌やりをしているくせに、と身勝手なご都合気分を反芻しつつ穴空き葉っぱ周りに振りかける。今年は元気な花を咲かせて欲しい。

5月14日

劇場スタッフ、区担当者、アカデミー受講生などとともに、劇場法をめぐる勉強会。実演芸術についての政策提言を一貫しておこなっている芸術団体協議会の大和滋さんを招いて、劇場法の経緯、内容などについてレクチャーを受ける。放置できない宿題いろいろ。

5月13日

アカデミーT期生「演技ゼミ」授業。最初のテキストとして岡田利規『三月の5日間』を取り上げる。04年の発表以来、いつも目の前に立ちはだかっている強力な文体。「演じる意味」の探求には恰好の素材かと。久しぶりの音声化を聞きながら新しい発見をいくつか。

5月12日

劇場創造アカデミーU期生、担当授業初日。内容は去年同様、台詞の暗記法を中心にした演技基礎。授業前、昨年のノートを読み返しながら、組み立てを考える。台詞暗記法は自分なりの演技メソッドとしての確信がある。だからこそ安易な繰り返しは絶対禁物。

5月11日

座・高円寺での日々が始まる。オーストラリアからの来客、取材二件、ギャラリー展示のオープニング、その他。気心の知れたスタッフたちと冗談を交わしながら、時間はあっと言う間に過ぎていく。ペース配分に留意しつつ、開館二年目の劇場への大胆な舵取りを。

5月10日

夜九時過ぎ、隣家のアパートでボヤ騒ぎ。消防車数台が住宅街の細い道に並び、自宅前にアルミの机を拡げた消火本部が設置された。幸い大事には至らなかったものの、夜中過ぎまであわただしい雰囲気。窓越しに、回転する赤ランプを見ながらの入浴が不思議。

5月9日

終日、座・高円寺。渡辺美佐子さんの『化粧 二幕』千穐楽マチネ観劇、打ち上げ参加、など。劇場受付に飾られた井上ひさしさんの遺影に合掌。座・高円寺2に出演中の大方緋紗子さんの楽屋見舞い。何はともあれ、ここが自分の居場所という安心感に浸りつつ。

5月8日

啓子とふたり、延べ四十五日分、大型スーツケース三個の荷物整理。土産、洗濯物、その他いろいろ。持って行った書籍は半分も読めず、同時進行予定の仕事もほとんど手つかずのまま。なかば予想はしていたものの、資料など、結局は見栄と気休めの大荷物。

5月7日

夕方、帰国。祭りの場の喧騒と高揚を離れて、あらためて今回の仕事の意味を考える。自分がやりたかったことはとにかくやり通した。この一石が半年後の会期終了日まで、どんな波紋をひろげるか。ダニーから、主題歌へのこころ暖まる動画クリップを贈られる。

5月6日

上海最終日。プレ、メインショーの出演者、進行スタッフへの帰国の挨拶まわり。とはいえ、今日も長蛇の列(昨日は全入場者の四分の一とか)の来館者を相手に上演は進行中。落ち着いて言葉を交わす余裕はない。とにもかくにも、昨年来の嵐の日々は一段落。

5月5日

朝、雨模様。開幕以来、連日、30度近い夏日がつづいていた万博会場の来場者たちの表情にもこころなしか和んだ落ちつきが。帰国間近なので、ご近所パビリオンを少しまわる。カザフスタン、イラン、レバノンなど。周辺では先日見学したベトナム館がダントツか。

5月4日

朝10時から夜10時まで上演繰り返す会場を中抜けし、啓子と町に出る。細い路地裏をそのままリノベーションした「田子坊」と名付けられた一郭。頭上に色とりどりの洗濯物がはためく下、小さな雑貨屋、カフェが軒を接している。束の間、万博気分を忘れてひと息。

5月3日

ダニーと昼食会議。六ヶ月間の(過酷な)上演維持、ならびに南京昆劇院との今後の交流計画について。「culture exchange」についての理念を共にするダニーとの会話はスムース、かつ楽しい。夜、宿舎近くの劇場で、「三国志」を題材にした新演出の京劇を観劇。

5月2日

高宮夫妻、通訳の包さんらをまじえて、湖南料理でささやかなスタッフ打ち上げ。その後、上演終了後の会場に戻り、黒尾さんとメインショーの明りの一部手直し。照明・黒尾、音響・島のふたりは明日帰国。あとは舞監・北村さんともども、現地スタッフへの引継ぎ。

5月1日

当日になって急遽振られた、首相特使(仙谷国家戦略担当相)への説明役という冷汗任務をのぞいて、無事開幕。プレ、メインショーともに大きなトラブルもなく一日36回上演を終える。内容への評価も問題なく、共同演出のダニーと密かに安堵のウィンクを交わす。