2月28日

たまっている自宅作業を横目に、サイト再リニューアル。

一見洒落たお仕着せデザインの何ともいえない窮屈さに、とうとう我慢の限界。

結局、元のシンプルな手作り仕様に逆戻り。

何はともあれ、ほっとひと息。

学んだこといろいろ、と、反省と負け惜しみ。

2月27日

秋にびわ湖ホールで上演するオペラ『ルル』のスタッフ顔合わせ。

久しぶりの「演出家」モード。

前回の日生劇場版からはや六年。

想をあらたに、まず、作曲者ベルクを少し離れて、原作者ヴェーデキントと丁寧につき合ってみよう。

いささか手垢にまみれた感のある「ファムファタール(運命の女/魔性の女/妖女)」についての徹底的な読み直しと、「いま」に貫通する再構築。

2月26日

吉祥寺で、東京学芸大学表現コミュニケーション教室を構成する教員と非常勤講師の懇親会。

小生10年間の大学生活について、話題、いろいろ。

個人的にはかけがえのない経験を得た10年の波紋の行方を、今後、どのように見極めていけばいいのか。

これからの10年は、出会った学生たちの成長という、あたらしい楽しみもある。

とりあえず、座・高円寺ではじめる「劇場創造アカデミー」が次の階段。

2月25日

言葉の身体性について考えるとき、「沈黙」のもつ意味は大きく、また広い。

「言い間違い」や「言い澱み」、あるいは「過度の饒舌」は、ある種の「沈黙」の範疇で捉えられる。

「詩的言語」や「抽象的言語」もまた、「沈黙」のひとつのあらわれと考えても無理はない。

ただひとつ、演劇のテキストだけが、上演に向かってひらかれているという意味で、「沈黙」を逃れると言ったら言い過ぎだろうか。

「わたしはハムレットだ/だった/ではない」の同時的発語。

2月24日

大学のキャンパス通信から、退職教員へのアンケートを求められた。

職業としての大学教員としての自覚のないまま十年間、国税からの禄をはんできた身としては、「大学教員以外の職業につくとしたら?」という質問にはちょっと意表をつかれた。

常日頃、自分は「生涯無職」という思いがある。

「職業軍人」という言葉へのなんともいえない違和感とまったく同じ意味で、「職業演出家」や「職業劇作家」は御勘弁願いたいという思いだ。

あれこれとそれなりのお鳥目を頂きながら、「いい気な太平楽」という小骨を喉のどこかに引っかけたまま。

2月23日

座・高円寺、作業日。

取材、二件。

打合せ、、ミーティング、いろいろ。

18時過ぎから、劇場創造アカデミーの座学受講希望者との面接。

その後、担当の酒井さんと、これまでの試験採点をふまえて、最終合否判定について協議。

2月22日

座・高円寺で四月から開講する劇場創造アカデミーの試験。

鴻上尚史、生田萬さんとともに、終日、座・高円寺の真新しい稽古場にこもる。

競争倍率は三倍と決して高くはないが、思いのほか水準が高く、シビアな銓衡になった。

一部受験者のレベルにあわせて全体のハードルがあがり、多少、定員割れの結果となるかも。

はじめて取り組む演劇人養成(ちなみに、大学では直接演劇を目指した実技授業は一切やってこなかった)の行方や如何に。

2月21日


今年はその他にも、大学退職にともなう共済組合や国民健保の手続きなど、いろいろ。

国民年金の支払いもせずにこの歳まで来てしまった「ものぐさ」にとっては、考えただけで気の遠くなりそうな年度末の日々に突入。

とりあえず、金銭出納帳のフリーソフトをダウンロードして、領収書の山の整理から。

エクセルに黙々と数字を打ち込みながら、なぜか「隠者」の気分。

2月20日

大学で修士論文審査、二件。

その後、後期の学部と院の成績を整理して、PC経由のデータ入力。

研究室まで来てくれた事務から、共済組合、その他の退職手続きについてのレクチャーを聞く。

夜、演劇学ゼミ、岸田国士三作上演の初日。

教員生活、残すところ一ヶ月余。

2月19日

神楽坂シアターイワトで、『イスメネ・控室・地下鉄』のポストトーク。

司会は早稲田演劇博物館の梅山いつきさん。

他に、今回出演した黒テントの若手ふたり。

四十五年前の駆け出し作者を肴に雑談三十分余。

終わって、学芸大学演劇学ゼミ岸田国士三作上演の舞台稽古へ。

2月18日

雑誌のインタビュー。

聞き手は日生総研の吉本光宏さん。

折に触れて智恵を借りる相談相手のひとり。

世田谷パブリックシアターの計画、評価、その他いろいろ。

整理された質問に誘導されて、世田谷パブリックシアター=将棋的、座・高円寺=囲碁的という戦略の違いに思い至る。

2月17日

劇場にいながら、なんだか「芝居」から体がどんどん遠く離れていくような気がする。

意欲がわかないとか、悲観的な気分になっているわけではない。

ただ、「芝居」というとらわれから離れて、いまの、そしてこれからの自分の作業をきちんと整理、把握しておきたい。

「芝居」という言葉の魅力のなさが、そのまま「芝居」の可能性に通じているような、奇妙な期待感。

「初心忘るべからず」か、それとも「雀百まで」か。

2月16日

午前中、杉並文化協会で助成金の審査。

午後、座・高円寺。

アカデミーの受験者の面接。

提携企画の打合せ、など。

他者の表現への評価の仕方について、その基本姿勢をあらためて問われた一日だった。

2月15日

大阪、伊丹。

アイホールの協力を得て、座・高円寺に開設する「劇場想像アカデミー」関西受験者の試験。

演技コース、舞台演出コースあわせて、今回は五人の受験者。

公共劇場のネットワークづくりのためにも、この出張試験はこれからも継続したい。

今回は受験者数の関係で実施出来なかったが、九州、東北の2施設も、今後の協力を約束してくれている。

2月14日

暖かな一日。

頼まれていた、ピアフの訳詩にとりかかる。

久しぶりに聞くシャンソン。

昔はちょっと洒落た小さな物語の世界と思っていた。

人生を賭けた「歌」……は重く、遠い。

2月13日

春一番。

神楽坂シアターイワトで『イスメネ・控室・地下鉄』初日。

若い作者の若いせりふ。

客席での緊張は、もしかしたら四十年前の初演時よりも。

終演後の感想は、「やれやれ、これですべて吐き出したぞ」という奇妙な感覚。

2月12日

「鴎座」次回上演プランが少しずつ動き出した。

ジグゾーパズルの最初のピースを、さて、どこへ置くか。

前回の「ダントン」同様、今回もまた、まずキャスティングから取り掛かろう。

出演交渉というか、協力(共犯)構築のために他人と出会う。

個人劇団の醍醐味。

2月11日

一日、小金井で、卒業論文審査会。

毎年のことだが、指導した学生への他の教員からのひと言ひと言が胸に痛い。

精一杯つとめてきたつもりだが、俄か教員の馬脚がそこここに。

来週予定の修士論文審査会と、後期事業の成績提出が終われば大学での役目はほぼ終了。

あとは、もろもろの事務手続きと、研究室の明け渡し。

2月10日

建築雑誌の対談で、立教大学教授の中島陽一さんと話す。

社会学者としての立場から、アジアでの経験などを踏まえて説かれる、コミニュティネットワークについての見解に興味津々。

社会的合理性から市民的合理性への転換という視点、「重層」、「多元」、「多面体」というキーワードは、ともに、これまでの教育演劇検討の中での議論と重なるところがある。

ぼくの方はいつもの通り、「小規模な経済圏」とか、「コミニュティ概念の再創造」など、門外漢の妄想概念を多発してしまったが、中島さんの穏やかな応対に救われて、自分なりの問題整理は進んだ。

座・高円寺の運営構想に、多少なりとも反映できるといいのだが。

2月9日

冨田博之さんの『日本教育演劇史』をメインテキストに十年間つづけてきた大学院の授業で、この国の公教育の科目に一度も「演劇」が取り上げられてこなかった理由について考えてきた。

結論にいたってはいないが、問題のありかだけはどうやら見当がついてきた気がする。

ようするに、ことは「演劇」だけには限らないということだ。

明治以来の近代教育システムから意図的に排除されてきたものの「総体」を見極めずに、その中から「演劇」だけを取り出して論じる危うさに注意しなければならない。

小、中学校の授業科目に「演劇」が取り入られることを手放しで支持できない理由もここにある。

2月8日

ハル・フォスター編『視覚論』(平凡社)、木田直人『ものはなぜ見えるか-マルブランシュの自然判断理論』(中公新書)。

別に意図的な選択ではなかったのだが、どういうわけか、最近、立ち読み選択でたてつづけに購入した。

この二書にもう一冊、浜田寿美男『子ども学序説』(岩波書店)が不思議に重なってくる。

系統的な資料探索の成果ではなく、書店散歩の気儘な収穫が偶然に関連づけられるときがある。

もしかしたらいいセンかも、と、ひとりでにやり。

2月7日

午前中、大学で演劇ゼミの稽古を見学する予定が、稽古場所がわからず、閑散とした構内を虚しく巡る。

携帯電話も忘れてきているし……

午後、気を取りなおして、神楽坂の黒テント作業場へ。

『イスメネ・控室・地下鉄』の通し稽古。

演出家のいない稽古場の可能性を再確認。

2月6日

昨日一日、やはり、ふだんとは違う緊張感だったらしい。

これまで味わったことのない「疲れ」に似た感じが額と肩に。

大学生活を終えて「演劇」へ復帰というのとは違う、気がついたら見知らぬ場所にひとり立たされているような、不思議な感じ。

さて、どちらに向かって歩きだそうか。

ま、いつもの通り、勘をたよりに「あっちの方向」へふらふらと。

2月5日

学芸大学、最終講義日。

同僚の中島さんから、19:30からの院の授業を「最終講義」として呼びかけたと二、三日前に連絡があった。

学生がつくってくれた洒落たポスターのおかげで、学部学生、院生、卒業生など、普通教室いっぱいの盛況。

予想していなかった展開にとまどいながら、10年間の経験への自分なりの「総括」を喋る。

「天の配剤」というか、最終コーナ直前でほんとうに恵まれた10年間だった。

2月4日

午後から神楽坂。

黒テントに『イスメネ・控室・地下鉄』の通し稽古を見に行く予定だったが、その前の打合せが予定以上に時間がかかって、結局、見られず。

ふたつの稽古場にわかれて、稽古中のメンバー何人かと話す。

今回の上演は、参加する俳優たちだけの、演出家のいない稽古場。

もちろんヘビィな作業であるに違いないが、一切背伸びしない、清々とした風通しといさぎのよさがいい感じ。

2月3日

帰宅後、豆まき。

深夜、録画してあったスーパーボールを観戦。

二日におこなわれた試合結果はすでに知っていたが、報じられていた劇的な試合経過と、「奇跡」の初出場カージナルスの戦いぶりに期待。

ところが録画で見るかぎり、表面的にはスリリングな展開のようにも見えるが、実際は、随所にあった凡ミスと、後味の悪いラフプレイ(特に、勝者のスティーラーズ側)が目立った低調な試合。

選手たちにスーパーボール特有の輝きが感じられかったのは、なぜだろう?

2月2日

座・高円寺でミーティング二件のあと、西荻窪駅前の区役所窓口で住民票写しをとり大学へ。

夏休み後、たまっていた書類提出のために、学内の事務窓口を行脚。

退任前の一段落と思っていたら、昨夜準備した書類のうちの一枚が足りない。

どうやら家に置き忘れてきたらしい。

「老人力」、あなどり難し。

2月1日

『学校という劇場(仮題)』に掲載する、演劇教育にかかわる実践報告の原稿をノートを取りながら再読。

これまでつづけてきた研究会の成果として、現職の教員を中心にした参加ひとりひとりの経験と困難が、それぞれの文体で生々しくつづられている。

切実な問いかけに適切に応えるだけの準備がなかったことを恥じつつ、こうして集められたもどかしげな思いを、同じようなこころみを続けているもうひとりの誰かに届けるだけの役には立ちたいと思う。

演劇の「毒」、演劇の「罠」の教育への処方には、議論以前の情報(生きのいいデータ)の共有が、もっと精力的におこなわれる必要がある。

大学十年間で出来上がったつながりを振り返ると、どうやら「卒業」は許されないような。